「凡ミス」、「普通に○○」

最近、生徒に限らないかもしれませんが、気になる言葉があるので触れてみます。

 

テストの後、「凡ミスばっかりしちゃった。」

遅刻してきて、「普通に遅刻しました。」

どうして宿題やってこなかったかと聞くと、「普通にムリ。」

 

「凡ミス」といっても、だから減点が免れるわけではないし、遅刻やムリなことは「普通」ではありません。

言葉自体、どことなく矛盾をはらんでいるように聞こえます。

それでも生徒は平気でこれらの言葉を使います。

 

これらの言葉の背景にはどんな心理があるのか考えてみます。

「凡」も「普通に」も当然、仕方ないことというニュアンスがあるのではないでしょうか。

「だから、これ以上議論しても仕方ない。」

「この問題について話し合うのはもう終わり。」

「自分が悪いのはわかっているけど、もう責めないでほしい。」

という気持ちの表れではないでしょうか。

 

単純に本人の心の弱さのせいと結論付けてもいいのですが、問題は別にもあると思います。

このような思考は、自己弁護と責任回避のために現実が直視できず、現実への分析と対応ができなくて、人に言われるまで行動ができなくなってしまっていることこそ懸念すべきではないでしょうか。

重症になると、たとい人に指示されても、先ほどの自己弁護と責任回避が再び現れ、結局行動ができなくなる。

本人も現状が悪いことはわかっているし、対策を講じなければならないのもわかっている。

それでも動けないのです。

 

では、どのように生徒に対応すればいいのでしょうか。

正直、「分かりません。」というのが今の私の答えです。

ただ、これは個人の原因というより社会的風潮、環境の問題ではないのかという気はします。

社会という大きなシステムが、子供たちをそうさせているのではないでしょうか。

子供に限らず、大人もそうなのかもしれません。

この問題の因果についての考察は別の機会に話したいと思っています。

 

皆さんの貴重なご意見等、聞かせていただけると幸いです。

 

 

 

緑のカーテン ザ ファイナル

暑さも落ち着き秋雨の季節になりました。

もう夏は終わりのようです。

 

我が家のゴーヤもすくすく伸び、小ぶりではありますが、手のひらほどの実を六つ結びました。

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早速一つ取って今夜の夕飯にしましょう。

 

今年初めて緑のカーテンに挑戦し、いろいろ学びました。

この経験を活かし、来年はもっと上手に育てようと思います。

ネット一面が緑のカーテンで覆われ、たくさんゴーヤもできるよう再挑戦です。

 

中間テストの勉強

中間テストが近づいてきました。

勉強の方ははかどっていますか。

 

定期テストのポイントは二つ。

まず、提出物は必ず終わらせ、期限を守って出すようにしましょう。

これが成績に直結しますし、出せば評価してもらえるのでお得です。

計画立ててやりましょう。

できればテスト前まで待たず、学校で習ったときにその範囲をした方が、余裕を持って勉強できます。

 

もう一つは、教科書、ワーク、ノートをしっかり繰り返し確認しましょう。

定期テストは授業の内容が出るので、基本的にこの三つを確実に見直して内容を把握していれば大丈夫です。

他の問題集などをやる前に、学校の教材をやって、授業でやったこと、先生が話したことを思い出しながら勉強するといいでしょう。

そして余裕がある場合にのみ、問題集などで確認、演習をして力を伸ばしてください。

 

時間はあまり残されていませんが、以上のことに重点を置いて勉強しましょう。

分からないときは遠慮なく葛西TKKアカデミーで質問してください。

全力でサポートします。

塾生でない方も、この機会に当塾を体験してみてください。

間違えるのに臆病な子供たち

「分からないからやらない。」という生徒がいました。

分からないから色々考えてみるという思考はないようです。

 

どうしてやってみないのでしょうか。

理由はいくつか考えられますが、私が実際に感じるのは「間違えるくらいならやらない。」というのがあります。

問題はなぜ「間違える」ことの方が「やらない」ことより生徒は恐れているのかということです。

 

私が思うに、大人たちは「間違える」ことを許してこなかったからでないでしょうか。

間違えれば×、0点。

まるで「間違える」ことは罪のように扱ってはいないでしょうか。

このようにして、生徒は「間違える」ことは悪いこと、やってはいけないことという認識が定着したのではないでしょうか。

だから「間違える」ことに臆病になり、やって「間違える」よりは、やらないで「間違えない」方を選択する。

 

人間、「間違える」ことは当たりまえ。

なぜなら人間は完璧ではないからです。

人間は「間違える」ことから学ぶのです。

別の言い方をすると、間違えを許さないということは、試行錯誤の機会を奪うということになるのです。

子供の学びを考えたとき、我々は「間違える」ことに対してもっと寛容になっていいのではないでしょうか。

誤りから得た教訓は実感として身につき、説得力のあるものとして生徒の中に残ります。

これが本当の学びではないでしょうか。

 

全ての過ちが許されるというわけではありませんし、いつまでの許されるべきと言うつもりもありません。

しかし、成長の途上にある子供たちには、もう少し長期的な視点で接してもいいと思います。

結果の点数のみ、合理性から早く答えを導くことを要求される教育では、これは至難でしょう。

でも、そこで失われるものを考えると、果たして何が彼らのためか再考すべきではないでしょうか。