紅葉狩り

11月20日、高尾山に家族と紅葉狩りに行きました。

当初は筑波山に行くつもりでしたが、当日マラソン大会のため通行止めで行けないとわかり、急遽変更です。

晴天で、気温もこの時期としてはとても暖かだったので、想像はしていましたが、行ってみると予想を超える混雑でした。

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ふもとから山道まで人がいっぱいで、ケーブルカーも70分待ち。

歩いて行った方が早いです。

海外からの観光客も多く、本当に山の中かと思うほど。

きっと渋谷や新宿と変わらない混み具合です。

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紅葉はかなり進んだ木もあれば、まだの木もありました。

6~7分くらいでしょうかね。

 

小さい子を連れての山歩きは大変、途中で疲れて抱っこして登るはめになりました。

しかもこの混雑、足元は湿って滑りやすく、きっと明日は筋肉痛ですね。

 

何とか中腹まで登りました。

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山からの風景はこんな感じです。

都会の街並みが小さく見えます。

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久しぶりの山登り、自然に抱かれ、少しは気分もリフレッシュできたでしょうか。

 

この大混雑と小さいのを連れていること、それから時間を考えて、山頂に行くのは断念しました。

また次回、人が少なく時間に余裕があるときにもう一度チャレンジです。

 

子供は疲れて、下山では抱っこしたままぐっすり寝てしまいました。

頭をぐらつかせながらスヤスヤです。

 

久しぶりの家族サービスは大変でしたが、思い出に残る一日でした。

 

「意味あるの?」

先日、ある生徒が「こんなに模試をやって意味あるの。」と言っていました。

やりたくない気持ちを疑問に転嫁して何気なく放った言葉だと思います。

こうして自分の気持ちに正当性を与えようとしたのでしょう。

果たして「意味」はあるのでしょうか。

 

物事には本来意味はありません。

ただ人間は全ての事柄に意味を見出さずにはいられない生き物だと思います。

 

「私は雨女だから・・・」

その人が雨を降らすわけないのだから、その人と雨の間には何の関係もありません。

しかし、そこに意味を付けて、いろいろな言い訳にしたり、話題を広げたりします。

人が意味を持たせたのです。

 

よくあるニュートンの逸話(本当かどうかは疑わしいですが)もそうです。

リンゴが落ちることそのものに意味はありません。

しかし、そこに意味を見出そうとして万有引力の発見につながるのです。

つまり、人類の発展にも「意味づけ」が大きな力を持つのです。

 

話は戻って模試もそうです。

ただやって終わりでは大した意味はないでしょう。

他のことをやった方が有意義かもしれません。

しかし、ただやるだけではなく、分からなかったところを見直し、理解し、自分の知識・学力向上のきっかけとするならば、それは意味あることです。

勉強もそうです。

ただ問題を解くだけでなく、そこから最大限に何を学べるか考え、積極的に学習すれば、それは大きな意味を持ちます。

 

以上のことから結論として私が言いたいことは、「意味」はそこあるのではないんだということ。

自分たちが何にでも積極的に見出していかなければならないんだということです。

つまり、「意味」があるかないかは本人次第なのです。