今日はクリスマスイブ。「サンタさんっているの?」と聞かれたらどうしますか。私はこんな風に考えます。葛西駅そば、個別指導塾葛西TKKアカデミーは親子の愛情を大切にします。

今日はクリスマスイブ。
楽しみにしている子供も多いでしょう。

子育てをしている親にとって困る質問の一つが、「サンタさんって本当にいるの?」ではないでしょうか。

皆様はどのように答えますか。
私ははっきりと「いるよ。」と答えます。

サンタクロースって何なのでしょうか。
赤い服を着た白いひげのおじいさん?

恐らくこれは象徴なんだと思います。
子供たちを愛おしく大切に思い、笑顔にしてあげたい、幸せになってほしいと願う心。
これがサンタクロースだと思っています。
その心の表れとして、その思いを託してサンタクロースが存在すると思います。
だから、赤い服を着た白いひげのおじいさんでなくてもサンタクロースなのです。

その思いは親子の間だけでなく、色々な間柄にも存在し、その表現手段としてサンタクロースがいるのです。
だから、例のおじいさんでなくてもいいのです。
だから、プレゼントを渡されないからと言って、サンタクロースがいないということにはならないのです。

愛情や優しさ、思いやりなどと言う人のものは目に見えません。

でも、私たちはそれらが存在することを知っています。
同様に、赤い服を着た白いひげのおじいさんがプレゼントを持ってきたところを見たことがないからと言って、その存在を否定することはできないのです。

以上のことから、私はサンタクロースがいると答えます。

人々が子供や他の人のことを思う限り、サンタクロースはいるのです。

クリスマスという特別な時間を楽しく大切にお過ごしください。
そして、人と人との愛情を再認識し深め、より強い絆になることをお祈りします。

この愛情があれば子供たちも健やかに育ってくれるでしょう。
そして、葛西TKKアカデミーも全ての子供たちに幸せになってほしいと願い、その力になりたいと真剣に考えています。

それではよい一日をお過ごしください。

学校でもパソコンが一人一台の時代が来る?!しかし、フランスではある深刻な問題が…。

文科省は新指導要領の中でしょう学校におけるプログラミングを必修化することを決めています。
他にも教育の様々な場面でパソコンやタブレット端末を導入し活用することを目指しています。
全ての生徒に一人一台ずつパソコンを学校で使えるように予算を組んだりしています。
このように現在、学校におけるパソコンの急速な普及が行われています。

確かにパソコンを使うことで教育の幅が広がったり、今までできなかったことができるようになったりします。
しかし、いいことばかりとは限りません。
当然注意しなくてはならないこともあります。

アメリカでは学校の宿題やレポートでタイピングを使うことが非常に多い。
日本のように手書きすることは稀で、特に既定のない限りタイプで大丈夫である。
そのせいかどうかは分かりませんが、アルファベットと言う比較的シンプルな文字を使っているにもかかわらず、彼らの手書きは全く読めないことが多いのです。
文字通り、ミミズがはったような文字なのです。
これを見るといつもアメリカ人は(特に学校の先生は)この文字を理解できるなあと思わずにはいられません。

まあ、字が汚くて読めないのは日本人でもあることですが、今回紹介したいのはフランスの事例です。

フランスのある新聞によると、フランスの生徒たちは鉛筆やペンを持つと疲れたり痛みを感じたりするそうです。
それ以前に鉛筆やペンをきちんと持つことができない子供がクラスの大半を占めているそうです。
授業中に学んだことをきちんとメモする生徒でさえ、自分の字が汚すぎて読み返す気が起きないとか。

このようなこともあり、生徒は書くことを嫌がり、授業内容をプリントで配布する先生が増えているそうです。

元々フランスは母語を非常に大切にし、伝統的書き方、格式を重んじる国で、試験と言えば何時間もかけて文章を書かせる記述式が主流でした。
しかし、このような現状を踏まえ、今では日本のような穴埋め問題も作られるようになってきました。

例えばあるテーマについて与えられたキーワードを使って述べる問題では、生徒の60%がただ言葉を並べたり、だらだらとまとまりのない文章を書くだけだったそうです。
更に、読みやすい字が書けた生徒は全体の三分の一だったそうです。
また、文字の綴りが正しく書けない生徒も大幅に増えているそうです。
フランスでは「ディクテ」とう綴りのテストがあるのですが、1987年に間違いが5個以下だった優秀な生徒は31%でしたが、2015年にはほんの8%にまで落ちてしまいました。

この背景には何があるのでしょうか。
何が原因なのでしょうか。

記事によると国語力の低下であり、さらにその元には手書きの習慣の喪失があると言います。
確かにタイプより手書きの方が授業の内容をよく覚えているという研究はあります。
パソコンばかり使うと学んだことがパソコン内に記録されるだけで、生徒たち自身の中に残らないと指摘する人もいます。

そもそも文字を書く体力がなくなっているという声もあります。
昔はHBの鉛筆が主流でしたが、今では柔らかいBや2Bの鉛筆が日本でも主流となっています。
(柔らかい鉛筆はより少ない力で文字が書ける)

元々言語の伝統を重んじるフランスではアメリカのようにタイピングはあまり使われませんでした。
しかし、そんなフランスでさえこのような状況です。
ITが進む現在、ゲーム機やスマホの普及、パソコンやタブレット端末の一般化により、好き嫌いに拘らずこのような状況は広がり、生徒たちは記述力が(文字通りの体力と言う意味においても)奪われているようです。

日本の予備校の先生も鉛筆が正しく持てる生徒が減ったので、わざわざ「正しい鉛筆の持ち方習得コース」を設けているほどです。
大学受験での記述式の対策で、綺麗な字が書けなけれ当然採点に不利になりますし、早く書けないと十分な解答ができません。
「書く」なんてできて当然と思われた技能でさえ、今は授業をしないといけない時代になったのです。

私は小論文の指導なども指導しますが、やはり記述に関するこのような問題はひしひしと感じます。
昔は書いて覚えるなんて普通の勉強方法でしたが、今ではかったるい面倒くさい勉強法として敬遠されているみたいです。
文字を書かせるとすぐに疲れたという生徒はたくさんいます。
私が学生だった頃は、授業で習ったことは少しでも漏らさないように必死でノートにメモしていたものですが、今ではこちらから書きなさいと言わないと書きません。
大学の講義でも板書は全て携帯の写メで済ませるようです。
時代の変化に伴い「書く」という習慣が失われつつあるのです。

勉強ってただ写すだけではないのですが。
与えられてそれを手元に保存するだけではないのですが。

政府はパソコンを一人一台と言っていますが、これは注意が必要です。
便利なのは決して悪いことではありませんが、勉強においては苦労があった方がよりしっかりと身につくように思われます。
導入前に学ぶということは何かしっかり考える必要があります。

簡単に手に入るものは、手から離れるのも簡単です。

秋になると恒例の『国語に関する世論調査』が発表されます。今年はどんな言葉が出てくるのでしょうか。(その2)

少し間が空いてしまいましたが、先日触れた「国語に関する世論調査」の結果についての続きです。

毎回多くの人々が注目するのが、言葉の意味がどのように捉えられているかの部分です。
毎年特定の言葉について調査され、言葉が持つ本来の意味と実生活で使われている意味の乖離に驚き、興味深い結果に関心を寄せざると得ません。
これまでも「姑息」「失笑」「にやける」「割愛」などがありましたが、大多数が本来の意味とは違った意味で使用し、むしろこちらの意味の方が本来の意味より一般的になってしまっているということがしばしば分かります。
言葉は変化するもので昔と違っていくのは仕方ないことです。
だから本来の意味と実際に広く使われている意味のどちらが正しいかという議論は非常に難しいところですが、変化の事実は把握できます。

先ず、今回取り上げられた「憮然」「御の字」「砂をかむよう」の三つの言葉の意味について。
「憮然」は本来の意味とされる「失望してぼんやりとしている様子」と答えた人は28.1%で、「腹を立てている様子」だと思っている人の割合が56.7%でした。
次に「御の字」は本来の意味とされる「非常にありがたい」と答えた人が36.6%で、「一応、納得できる」と思っている人が49.9%でした。
最後に「砂をかむよう」は本来の意味である「無味乾燥でつまらない様子」と答えた人が32.1%で、「悔しくてたまらない様子」と答えた人が56.9%でした。
いずれも本来とは違う意味の方が主流になっており、特に「憮然」と「砂をかむよう」に関しては本来の意味と実際の使用の差が大きくなっています。

この乖離に関して文化庁は「どれも正しい」と言う立場を取っています。
国が言葉に正しい意味を定義したわけではなく、言葉自体も年々変化するものだからと言う立場での見解です。
この調査の目的はその変化を捉えることであり、正誤の判別をすることではありません。
ただ人々の間で言葉の意味の捉え方に違いがある時は、コミュニケーション上不都合が起こるかもしれないということを警笛しているだけだそうです。

確かに言葉は変化するものであり、一般に言われている「正しい」と言う言葉も何年後かには「間違っている」言葉になるかもしれません。
実際に広辞苑には本来とは違う意味の方もは載せてある場合があります。
その時突然多く使われるような流行語も、ブームの後ある程度使用が維持されれば広辞苑に載ることもあります。
そうなると一つの意味、言葉にとらわれ過ぎるのも問題かもしれません。

日本人にとって日本語とは何なのでしょうか。
言葉の伝統を重んじるフランスでは「正しい」フランス語という考え方が強く、学校でも厳しく文法や語彙の教育を行っています。
移民に対しても積極的にフランス語の習得を求めます。
一方、日本はこの辺の感覚が疎い気がします。
外国人に対する日本語教育の支援がいまいち活発でなく行き届いていないのは、その表れと言えるかもしれません。
逆に言うと言葉に対しておおらかなのかもしれません。
実際、国際的に比較しても言葉の変化の激しさは日本語が群を抜いています。
たった数十年前の新聞でさえ比べると、現在の新聞を表現や語彙が違うのが分かります。
あえて本来と違う使い方をして言葉を楽しむ。
言葉で遊ぶというのは古来からの日本の伝統と言えます。
和歌の掛詞などは「ダジャレ」の元祖ともいえるでしょう。
若者は積極的に自分たちにしか分からない言葉を生み出し、グループ内の連帯意識を高めています。

このように日本人が先祖から受け継いできた言葉に対して、古くからの型に固執しないというのは民族的に言語を失う、禁じられる経験がないからでしょう。
大陸では歴史的に民族同士の争いが激しく、支配政策の有効な方法として言語支配が行われてきました。
これを経験した民族は自分の言葉を意識的に大切にし守ろうとします。
この点に関して日本人が無頓着なのは、このような歴史的背景があり、自分たちの言語がなくなることはないという安心感の表れでもあるのでしょう。

実は世界中の言語を見たとき、現在ものすごい勢いで言語が消滅しているのをご存知ですか。
数十年後には世界の大半の言語が失われ、それらを話す人もいなくなると言われています。
日本語はこれからも生き延びることができるのでしょうか。

ちょっと話がそれましたが、言葉は非常に興味深いものです。
人々をつなぐと同時にその人そのものを作り上げているからです。
だから、私も日本語教育や子供たちとの交流を通じて言語というものに注目することがよくあります。
また、この辺りの話もいつかしたいと思います。

秋になると恒例の『国語に関する世論調査』が発表されます。今年はどんな言葉が出てくるのでしょうか。(その1)

秋と言えば「スポーツの秋」「食欲の秋」「芸術の秋」などいろいろ言われます。
私にとって秋と言えば何度言っても「国語に関する世論調査」の秋です。
毎年秋になると文化庁から『国語に関する世論調査』が発表されます。
皆さんご存知でしたか。
日本語がどのように使われているかなどをアンケートにより知らべ、毎年文化庁より発表されます。
今年も調査結果が報告されましたので、本日はそれについて触れてみたいと思います。

『国語に関する世論調査』は日本語の実用に関して文化庁が国民に対して世論調査したもので、今年は国語や言葉への関心、表記、読書、慣用句などの言語の知識と使用について調べられました。
今回はその結果から個人的に興味深いと思った点についてお話しいと思います。

『国語に関する世論調査』へのリンクはこちら

先ず、個人的に気になった所は「国語に関して国に期待することは」という項目に対して、「外国人に対する日本語の紹介や教育を充実させる」という答えが増えてきていることです。
オリンピックが近づき国も海外の観光客の受け入れに積極的になり、日常でも様々な国からの人々を見かける機会が増え、さらに国際化に伴い日本に長期で滞在する人も増えました。
仕事や国際結婚などで定住し、本格的な日本の社会の一員として暮らす人が増え、そのような人々への配慮も必要を考える人が増えたと思われます。
先日の台風などの災害においても「やさしい日本語」が注目され、母語話者でない人でも他の日本人と同じようにサービスや安全を保障されるべきと認識されたのかもしれません。
今後、外国人労働者も増え日本国内の国際化は不可避のように思われます。
葛西TKKアカデミーでも当初から日本語教育や在日の方々へのお手伝いをうたっていますが、この世論に応じて是非、国もしっかりとした対策を取ってほしいと思います。

表記に関しては「ゴミ」と「ごみ」では「ゴミ」方が表記として良いと答えた人が73%にものぼりました。
本来外来語を表記したり擬音などに使われるカタカナですが、そのようなルールに縛られず多くの人が習慣的に使う方が感覚としても好ましく思えるという、言葉らしい側面が現れた結果だなと思いました。
因みに「ケガ」と「けが」では「ケガ」方がやはり多く60%が支持しました。

更に同じ意味を和事漢語で表す場合は和語の方がよいと思われるようです。
(「堅く守る」と「堅持するでは圧倒的に「堅く守る」の方が使い方においてよいと出ました。)
また、「ニーズ」と「求め」では「ニーズ」が多く、「ニーズ」が普及しこちらの方が一般化しているようです。
いずれにしても指示されない方はなじみが薄かったり堅苦しい雰囲気が出たりするのが理由みたいです。

公官庁の文書に関しても、多くの人が「文字の大きさ、字間、行間、レイアウトが見やすいこと」「親しみやすい表現が使われていること」を重視し、文体も「だ、である」よりも「です、ます」調の方が望まれます。
お役所だからと言って難しい言葉で堅苦しく偉そうな文章は指示されないみたいです。

読書に関する項目も興味深い結果となりました。

本を一ヶ月に全く読まない人が半数近くに上り、次に多いのが月に1,2冊読む人たちでした。
全体としては本を読む量は少ないようですが、携帯などの電子書籍を加えると結果も違ったものになったかもしれません。
通勤中に携帯で読書をしている人を見かけますし、読書以外の文字との接触は逆に以前より増えているかもしれませんね。
読書をすべき年齢に関しては、10歳代が一番多く40%になりました。
また9歳以下と言うのも2割近くで、全体として小学校低学年に読ませるべきと考えている人が多いようです。
「年に関係なくいつでも」と言うのが二番目に多く2割ちょっとで、読書を年齢で縛るべきではないという人も少なくないと分かりました。
読書に期待することとしては、新しい知識や情報を得る、豊かな言葉や表現を学ぶ、完成が豊かになる、想像や空想力を高めるなどが上がっています。
6割以上の人が以前より読書量が減っていると答えたのですが、読書量を増やしたいと思う、ややそう思うと考える人が合わせて60%ほどになります。
しかし、以前と比べるとどちらの項目も数値を減らしており、読書の良さ重要性は理解しつつも実際には難しいことが伺えます。
因みに先ほど触れた電子書籍ですが、利用する人は全体の4分の1になっています。
一方、紙の本しか読まない人も38.7%おり、前回の45.2%よりもポイントを下げました。
紙の本も電子書籍も読まない人は全体の3割強で「読む」と言う行為自体が衰退しているのかもしれません。

次は慣用句などの日本人の日本語の使用実践に関する結果をお伝えします。
実はこの部分が毎年新聞などでよく取り上げられる部分で、日本語がどのように変化しているかがよく分かります。
少し長くなりましたのでこれは次回に回します。
お楽しみに。

算数・数学好きの生徒に関する調査が行われました。これらの子供がどうして算数・数学が好きなのか分かりました。

先日、算数・数学に関するお話をしましたので、今回は実際に算数・数学が好きな生徒に関する調査結果についてお話します。

よく「うちの子は算数が嫌いで困る。」なんて話を聞きます。
先日お話したようにその要因はいくつかあり、うまく対応することで算数・数学が好きになることもあります。

一方、元から算数・数学が好きと言う生徒がたくさんいるというのも事実です。
そこで、この算数・数学好きという生徒たちに関する調査結果がありますので、その内容に触れていきたいと思います。

時期
調査結果によると60%が中学入学前に算数・数学好きになるようです。
その中の14%は小学校に入る前に好きになったそうです。
一方、算数・数学嫌いが嫌いになるのは中学校在学中で全体の43%になります。

好きになった経緯を聞いてみると、次のようなものがありました。
 親が学校で教えていないことを話してくれて。
 どんどん難しい問題に挑戦させてもらって。
 先生の説明が分かりやすく、どんどん点数が取れるようになって。

逆に嫌いになった経緯には次のようなものがありました。
 学校の宿題以外の難しいドリルをやらされ、間違えると叱られて。
 なぜ必要か、人生にどのように役立つのか分からず、自分のこととして捉えられなくて。
 急に内容が難しく感じられるようになって。

分野
一番楽しいと思われる分野について聞いてみました。
 一位は微分積分、二位は確率組み合わせ、三位は平面幾何でした。
苦手な分野も聞いてみると次のようになりました。
 一位は微分積分、二位は確率組み合わせ、三位は三角比三角関数でした。
興味深いことに楽しい分野も苦手な分野も同じようになっています。

また、微分積分が好きな人は確率組み合わせが苦手、確率組み合わせが好きな人は微分積分が苦手という傾向も見られました。
更に好きな分野と得意な分野も必ずしも一致しているわけでないことも分かりました。

勉強方法
勉強方法は算数・数学が好きな人も嫌いな人もほぼ同じでした。
ほとんどの人が「授業を聞く」と「問題集を解く」でした。
算数・数学好きでは更に「数学の本(教科書参考書以外)を読む」と言うのがありました。

大人になってからの算数・数学との関わり
算数・数学好きの人は大人になっても(学校での勉強を離れてからも)数学・算数に触れている人が75%もいました。
具体的には仕事でExcelを使った計算やお金の計算などの専門的な職業で関わっている人だけでなく、半数近くは趣味や子供の教育の形で関わっているようです。
一方、触れていないと考えている人は、数学好きでは27%しかいなかったのに対し、数学嫌いでは58%と高くなっています。

更に算数・数学を学び直したいと思っている人は数学の好き嫌いに拘らず75%以上いました。
仕事上、エンジニアやマーケッターのような専門職以外でも、算数・数学に伴う基礎学力が重要と感じているようです。

そしてどちらのグループも自分の子供を算数・数学好きになってほしいと願っているようで、その数は90%以上に達しました。

この調査では総評として次のようにまとめていました。

1.算数・数学好きになるには、様々な算数・数学の分野に触れさせることが大切
 算数・数学の本を読むことと算数・数学が好きになることには強い相関関係が見られ、学校で習わない内容に触れて好きになったという声も多くみられる。

2.算数・数学が好きににる時期や理由、分野は人それぞれ
数学好きがすべての分野が好きという訳でなく、特定の分野が好きという人も多くいます。
好きになる時期や理由が様々ということは、多様な環境を与え続けることが大事と言えます。

3.大人になってからも算数・数学を親しむことが大切
子どもがそのように学ぶかということだけではなく、大人が算数・数学とどう向き合うかが重要で、子供に算数・数学の魅力を伝えるためにも、大人も勉強し、子供と一緒に算数・数学を楽しむのが大切なのではないでしょうか。

以上、算数・数学の好き嫌いに関する調査でした。
結果は非常に興味深く、提示された結論も妥当なものと受け止められます。

算数・数学だけでなくほかの教科においても周りの大人がどのような態度、考え方で接し子供と関わっていくかで、子供の興味関心も非常に変わっていくと思います。

親の願いもあると思いますが、あまりにそこばかりにこだわると視野が狭まり、多くのことを見落としてしまうかもしれません。
落ち着いて一歩離れて全体が見れるような立場で、子供の学習に関わるといいでしょう。
余裕ができれば勉強も楽しくなってくると思います。
(現実はなかなか難しいのですが…。)
全てを背負わず、他の人たちと適度に責任を分担するのも心にゆとりを持たせるいい方法です。

葛西TKKアカデミーは全ての家庭を応援していますし、できることがあればいつでも力になりたいと考えています。
困ったときは気軽にご相談ください。

なぜ子どもたちは算数・数学が嫌いになるのか。本当は非常に面白く興味深い分野なので好きになってほしいのですが…。

実は小学校低学年では算数が好きと言う子供が結構います。

しかし、高学年になるにつれ観念的、抽象的、概念的な要素が含まれるようになると算数が嫌いになる生徒が増えるようです。

例えば、「10個のケーキを5人で分けるとき一人は何個のケーキがもらえるか」という問題はかなり具体的で日常の中でも似たような状況があり、問題を読んだだけで光景が浮かび場面が理解しやすい。
しかし、「30を5分の3で割りなさい」と言われてもどういう状況かさっぱり思いつかない。
状況が分からないから問題の意味や目的、やるべき理由が見つからず、単によく分からず難しいという印象だけ残る。
結果、算数が嫌になる。
更に悪いことに、そうでなくても分かりにくいのに時間制限がありゆっくり考えられないから、余計にできそうという自己肯定感も生まれない。
にも関わらず親や先生からは、「できて正解すること」だけを求められ、子供たちがどんな状況で何を思っているのかを分かってくれようともしない。
仕方ないから深く考えずに機械的にできる計算がせいぜいで、文章問題などは見る前にできないと決めつけ飛ばす。
当然、文章問題はやらないから永久に解けない。
本当に文章を読もうともしないし、理解しようともしません。
結果、余計に算数が嫌いになり、自分はできないという感情がより深く刻み込まれ、やる前から無理と諦めてしまう。

こんな感じで算数がきらいになります。

先ほども申したように、子供たちはもともと算数が好きです。
幼児のころの遊びは算数で満ち溢れています。
積み木やブロックで物の形を理解し、お菓子やおもちゃ、お友達を数え数というものを分かっていくようになります。
「5体の人形に服が3着ある。あと何着必要かな。」なんて風に知らず知らずのうちに足し算引き算をやっている。
なぜかとはうまく説明できなくても、感覚的に不足だったりあまりという概念が分かる。
このように誰に教わるでもなく生活の中で直感的に数学的なことを理解する力を「基礎数学力」と言います。
この時期は遊びと算数に境界はなく、小学校低学年では子供たちの本来持つ基礎数学力を発揮する機会が多いので、算数が好きな生徒が多いように思われます。

しかし、学年が上がり先ほど述べたようになると、子供たちは自分の持っている基礎学力を生かし、自分の理解と判断で算数に取り組む機会が減っていきます(特に機械的な計算)。
そうすると徐々に算数は自分にとって遠い存在となり嫌になっていきます。
つまり、計算が得意かどうかという問題ではないのです。

高学年になり算数が身近なものと感じられなくなり、しかもテストで高得点を取るためだけが目的となると、算数は好きとか嫌いと言う対象ではなくなり、嫌でもやらなければいけないことになります。
まあ、数学・算数はテストのためのものと割り切ってしまうのも一理あるかもしれませんが、それでは数学の奥深くにある面白さにはたどり着けませんし、テストさえ終わればいらないものということになってしまいます。
テストという狭いくくりの中ではいいのかも知れませんが、せっかく何年もかけて学ぶのに終われば捨ててしまうようではもったいない。
また、数学好きにはなれません。

では、どのような点に注意すれば数学好きになるのでしょうか。

やはり本人の自主性を尊重し、じっくり考えさせる時間を与えるのがベストです。
テストや受験などを考えると悠長にしてはいられないのは分かりますが、イライラするのをグッと踏みとどまって長い目で見てあげるのが大事です。
時間はかかりますが、ある時ふとわかる瞬間がある(A-haモーメント)。
これがあると理解は非常に深まりしっかり根付いた本物の知識となります。
そして、できたという喜びはこの上ないものとなり、次の課題へのチャレンジ精神を高め、自信をもって勉強に励むことができます。
スピードも大事ですが、しっかりと理解することができるようにするのも大事です。
ゆとりがなく急ぎたいのは分かりますが、長期的にみるとこれが堅実なのでしょう。
親や先生は考える時間をしっかり与え、自分の考えを押し付けず、ヒントや参考意見を述べ生徒の思考を促す役割(ファシリテーター)であることが望ましいと思います(この方法はアクティブラーニングにも通じるのですが)。
分からなければ子供と一緒に悩み考えるのがいいと思います。
一緒に悩むことで、子供には安心感と信頼が生まれます。

最近は技術が発達し、図形や立体はパソコンやタブレット端末を使っていろいろな角度から見たり自由に動かしたりできます。
今までは実際にモノを手に取って動かすか、頭の中で想像するしかなかったものが、具体的に目で見れるようになったので、これらを活用すると空間認知能力が上がり、楽しみながらやれるのでより身につきやすいようです。

そうでなくても何か記憶(思い出)に残るような強い刺激があると物事は覚えやすくなります。
人間の脳はそのものを覚えるより何かと関連付けて覚える方が得意です。
だから勉強するときに記憶に残るエピソードをたくさん作る工夫をすると学習が身につきやすいし、勉強を楽しめます。
もし保護者の方が一緒に勉強を見るのであれば、クイズのように聞いてみたり実際に身の回りのものを使ったり(粘土を切って断面図の勉強をするなど)と子どもが勉強を楽しめ、あっと言う発見ができ、思い出に残るように心がけてみてください。

子どもが勉強に取り組むようにするには。

子どもが勉強しなくて困るとよく相談されます。

親が勉強しなさいと言ってもなかなかやらない。
イライラして大声を上げると余計かたくなになって必死に抵抗する。
もう、こうなると勉強をするしないの問題ではなく、お互いさせるかしないかの維持の張り合いになります。
結局、親子ともども嫌な気分になり、勉強を無理強いできたとしても生産性が上がりません。
せっかく子供のためを思ってやらせても、本人の気が入らずやっても身につかないのなら、嫌な雰囲気になった分大損した気持ちになる。

こんな経験された方も多いと思います。
どうして子供は勉強をしたがらないのでしょうか。
また、どうすればやる気にさせることができるでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。

子どもが自ら進んで勉強に取り組んてくれればいいのですが、嫌いな子供は本当に勉強を嫌がります。
その理由はいろいろありますが、第一は子供が勉強を嫌なものと思い込んでいることでしょう。
「勉強は嫌でもやらなきゃいけないの。」
「我慢してやりなさい。」
などと言うと勉強がより一層嫌でつまらないものと言う考えを逆に根付かせてしまいます。
「学校の勉強なんで社会に出てからは何の役にも立たない。」
「学校のテストでいい点を取らないといけないから勉強しなさい。
なんていう発言は子供に勉強する意味がないという印象を与えてしまいます。
日頃何気なくポロっと大人は口にしてしまいますが、子どもは結構聞いています。
勉強は嫌で役に立たないものだけど、無理やりやらされるつまらないもの。
子どもはより感情で動きます。
こうなると考えを改めるのは非常に難しいです。
だから、普段から大人は自分の発言が子供たちにどんな考えを抱かせるか注意しながら接しないといけません。
これは予防的見地からの指摘です。
親も自分が子供のとき、さんざん大人から我慢して勉強しなさいと精神論的忍耐を要求されつつ教育を受けてきたので仕方ないことでしょうが、効果ある方法とはいいがたいので気をつけましょう。

勉強を楽しむようにしましょう。
子どもはより自分の気持ちに素直です。
だから、楽しい、やりたいと思えば夢中になり率先して何でもやります。
そうすれば子どもは何でもみるみる吸収していきます。
好きこそものの上手なれとはよく言ったものです。
では、勉強を楽しいと思わせるにはどうすればいいのでしょうか。

ある学者が提唱した動機付け(やる気)を高める研究があります。
これによると、やる気を出させるには大きく四つのパターンがあるそうです。
それは「注意」「理由」「自信」「満足」だそうです。
これらが一つでもあるとやる気になるそうです。
もちろん多ければ多いほど勉強に対する楽しさが増します。

注意:子供たちに興味を持たせる、楽しいと気づかせること
理由:それをすべき納得できる分かりやすい理由があること
自信:不可能ではなく十分やれると思うこと
満足:やって心が満たされること

これらを子供たちが感じられるように接し方を工夫するといいかもしれません。
繰り返しますが、これらの要素が全てそろわないといけないわけではないので、一番できそうなものから挑戦してください。
一つがダメなら他のパターンでアプローチしてみてください。

子どもは生まれたときから勉強嫌いではありません。
幼い時は大人のやることに何でも興味を示し、やりたがります。
できないなんて最初から考えないで、自分も大人と同様にできると思っています。
そして、少しでもできればそれは大きな喜びとなり満足し自信を付けます。
そうなると夢中になって繰り返しどんどん上達していきます。

よく勉強させるのに理屈をこねる人がいますが、理性である程度自分をコントロールできる大人なら有効ですが、子どもはどうしても理屈で動かず、感情が先に来ることがあります。

理由を明確に示すのも大事ですが、それが反って子供たちの感情を抑え込み、苦痛を与えることになるかもしれません。
苦しいと思えば、子どもは逃避するのに全力となり勉強するしないの問題でなくなります。
こうなると埒が明かないので、子どもの接し方には工夫をし、様々な方法で子どもたちに近づけるようにしてください。

「勉強と気づかないうちに実はしていた」と言うのが理想なのでしょうか。
私も生徒に接しながら日々工夫と反省の日々です。
子どもたちの気持ちを察し、どのように導くのが最善か想像力を張り巡らして考えます。

もし、子どもの扱いでお悩みのご家庭がありましたら、気軽にご相談ください。
一緒に考え、子どもたちが生き生きと勉強するように努力したいと思います。

集団指導塾と個別指導塾のメリット・デメリット(その2)

先日お話した集団指導塾と個別指導塾のメリット・デメリットの続きです。
前回は主に集団指導塾についてお話したので、今回は個別指導塾についてお話します。

個別指導は一人の講師に対したいてい二人までを授業で見ます。
集団指導があらかじめ固定されたカリキュラムで進んでいくのに対し、個別指導ではそれぞれの状況に応じて柔軟に授業内容を変更することができます。
他の生徒の目をあまり気にしなくてもいいので気軽に質問できますし、指導も丁寧で親切、分かるまでとことん付き合ってくれることが多いです。
自分の苦手や身についていないことがあれば、ずっと遡って基礎からでもちゃんと教えてくれます。
そして、生徒一人ひとりの性格や状況に合わせて指導方法も変えてくれるし、様々なアドバイスや提案もしてくれます。

また、指導する側も自分の成果が直接生徒に現れるので、生徒のことを自分の問題として取り組む講師が多いです。
担当の生徒のことがよく分かるので何が問題か的確に分析でき、それに合わせて事前準備ができます。
それぞれの講師に与えられている裁量も多いので、より自由に講師の創意工夫が発揮できます。
身近な関係なので生徒一人ひとりへの情が強く、講師は無理をしてでも何とかしてあげたいと情熱をもって担当してくれます。

個々の状況に合わせるという点では、勉強が嫌いで全く意欲をなくした生徒や、逆にもっともっと学んで、より優秀な成績(家庭教師のような役割)を求める生徒にも向いています。さらに、部活や課外活動が忙しいから短時間に集中して勉強を見てもらいたい生徒にもいいでしょう。

柔軟性があり融通が利きやすいというのも個別指導の長所です。
例えば集団指導では決まったカリキュラムに従って授業を進めていかないといけなく、時間割も曜日ごとに固定されています。
欠席をしたときの抜けた授業の穴埋めは自分でやらないといけません。
また、部活などで塾の時間割に間に合わないときは、塾をあきらめるか部活をあきらめるかの選択を迫られることもあります。
個別指導であればそのような問題も起きにくいです。
休めば振替や補習を提供しれくれるところが多いですし、授業の予定も自分の空いている時間、生活リズムに合わせて決められます。

しかし、大学生などのアルバイトが担当していることも多く、その場合は講師の知識や経験、指導方法に未熟な点があるかもしれません。
もちろん知識と経験の豊富な専任の講師もいるので、そこは確認が必要です。
ただ大学生や若い講師だと歳も近いこともあり、似たような経験を共有しやすく、生徒がより心を開きやすいというメリットもあります。
だから、より現実的な話として講師の言葉が生徒の心に伝わりやすいこともあります。
少数の生徒に対応しているので、講師と生徒がお互いをよくわかりあい、強いきずなと信頼関係を築きやすいのも強みです。
ちょっとした生徒の変化に講師が気づきやすく、勉強に限らずいろいろなことを相談しやすい関係になることも多いです。
学校の先生や親には話しづらいことも、人生の頼れる先輩として話せるからです。
ただ、生徒と講師の距離感をうまく調整できる講師でないと、時には馴れ合いになり、生徒を単に甘やかすだけになるので注意が必要です。しかし、学校の先生や親にはできない役割を担えるというのは、子育てを考えたとき大きな利点ではあります。

集団指導と違い全体の中での自分の実力が即座に分かりにくく、ライバルによる良い意味でのプレッシャーがないので、成績を上げなければならないという切迫した緊張感を作りにくく、結果がすぐに出にくいこともあります。
成績を上げる以前に、まず勉強自体をするようになることが必要な場合は、第一段階としてそれでいいのかもしれませんが、やはり成果が見える形にしてあげるとより勉強の励みになります。
ここは講師の腕の見せ所でしょう。
それぞれの講師の考えもあり、すぐには結果を求められないこともあるでしょう。
そこは担当講師とコミュニケーションをしっかりとって、親御さんとしては担当講師の心積もりをよく理解する必要があります。

最後にやはり一番大きな問題は費用です。
どうしても一度に担当する生徒の人数が少ないので単価は集団指導より高くなります。
個々に合わせるなど集団指導にない、柔軟で内容の濃い授業の質と費用のバランスをどう考えるかが大切です。
大手では組織ということで会社の設定を外れた料金によるサービス提供はできませんが、私のような個人経営の小規模塾であれば、状況を配慮して柔軟に料金対応をしてくれるところもありますので、遠慮なくご相談いただくのがいいと思います。

以上、塾に関して集団指導と個別指導のメリット、デメリットを考えてみました。
それぞれの家庭の事情や生徒の置かれている立場を考え、どちらが良いか判断してもらえればと考えます。
しかし、いずれの場合も直接かかわる講師がどうなのかが一番の問題です。
どんなに優秀な講師でも相性というものがあり、どうしてもうまくいかない場合があります。
その講師の理念や指導方法をよく理解し、そして生徒本人がその講師のやり方を受け入れ信頼し努力できることが大事です。

そのためには講師と生徒、そして家庭の相互のコミュニケーションと理解が肝心と葛西TKKアカデミーは考えています。
多くの人が関わって、生徒の未来を明るいものにする。
その目的を達成するためのチームワークが大事だと信じています。
一人の人生を大きく左右する子育ては非常に大変です。だから、一人で問題を抱え込まず、外に救いの手を求め、様々な選択肢を試してください。

苦労を乗り越えて得たものは生徒にとっても親にとってもかけがえのないものになり、必ず報われますから協力して頑張りましょう。

先日、高校二年生から質問がありました。「普通科ではないですが、大学合格できますか。」「はい、今ならまだ可能性があります。」

先日、ある高校二年生から質問がありました。
「僕は専科なので普通科の授業を十分受けていません。でも大学受験をしてみたいのですが、合格できますか。」
お答えします。
「はい、今ならまだ可能性はあります。」

もちろん本人の現在の実力や頑張り、後、目標にする大学にもよるのですが、高校二年生の二学期であれば、冬休み、三学期、春休みにしっかり勉強して、1,2年生の基本的内容をきちんと身に付ければ、中堅私立大学ぐらいであれば合格できると思います。
しかし、これが3年生になってしまうと、一学期間だけで2年分の内容を身に付けるのは時間的に非常に厳しいと思います。
つまり、今が最後のチャンスです。

例えば、私立文系の大学であれば2教科(英国)または3教科(英国社、英国数)で受験ができるところが結構あります。
しかも、レベルとしては2年生までのものが多いので、3年の1学期までに1,2年の内容をしっかり学べば大丈夫です。
それまでに基礎を築ければ夏休みから本番を見越した応用や過去問に着手でき、2月の入試には何とか間に合う計算です。
もちろん学校の課題や試験もあるので大変でしょうが、合格したいのであれば頑張って両立しなければなりません。
日頃の生活リズムを見直し、計画的に勉強しないといけません。
この辺りに関しても葛西TKKアカデミーがしっかり相談にのり、一緒に計画を立てていきたいと思います。
一緒に悩み苦しみ、そして喜び合いましょう。

生徒が勉強したい、合格したいという志があれば、葛西TKKアカデミーは全面的に力になります。
その気持ちを大切にしたいし、夢を叶えさせてあげたいと思います。
そして、ここでの頑張りが将来を大きく変えてゆきます。
全ての生徒が希望ある未来に進んでもらいたい。

経済的なことなどいろいろ心配事や問題もあるでしょうが、「やりたい」という気持ちがあるのであれば、とりあえず相談に来てください。
可能な限り事情を理解し要望に応じるつもりです。
せっかく勉強したい気持ちがあるのに、勉強ができないのはとても不幸と私は考えます。
だから、ご相談ください。
できることは何でもしたいと考えます。
子供たちの将来は非常に大事ですから。

激震!大学入試での英語の民間試験利用が延期。言いたいことは多々あれど…。

昨日、文科大臣の方から大学入試における英語の民間試験導入ついて、「大臣として自信をもって、受験生の皆さんにお勧めできるシステムにはなっていないと判断せざるを得ません。」と言って、導入を2024年度まで延期することが決定されました。
実施一年前の突然の変更に大きな波紋が広がっています。

文科省が現在推し進めている教育改革はこれまでにない大規模なもので、小学校から大学まで全ての教育において大きな変更が決められています。
その中の目玉の一つが、大学入試の英語試験における民間試験の導入だったわけですが、これが延期になったことは教育改革にも大きな影を落とすのではないかと思います。

言いたいことは多々ありますが、今回はこの大学受験における英語の民間試験利用の問題に限ってお話したいと思います。

民間試験の導入のきっかけになったのは、教育改革においてこれからのグローバルな時代に活躍できる人材を育てるため、英語力の強化があげられました。
これまでの読み書き中心の英語教育ではなく、聞く話すも含めた四技能全体を強化する必要があると。
しかし、中学高校で授業に聞く話すも指導を充実するようにと言っても、受験で使わないあのであればどうしても後回しにされ、文科省も目論む結果にはならない。
そこで、大学受験にも「スピーキング(リーディング、ライティング、リスニングは一応これまでの試験で測られているので)」も試験の中に含めるようにしたい。

しかし、ここで文科省は今まで経験のないスピーキングテストをどのようにするか考えるのではなく、すでにスピーキングテストを行っている民間の試験に丸投げをしてしまったのです。
その方が効率的と思ったのでしょうか。
ここが混乱の始まり。
複数の目的も異なる英語の民間試験の結果を同率に捉え、英語の成績にしようということになりました。
言い換えれば、陸上の順位をつけるのに、短距離も長距離も走り幅跳びも砲丸投げも全部一緒にして順位を付けようというようなもの。
当然、一貫性は保たれず妥当性に大学、高校、保護者、受験生など多くの人々が疑問を呈しました。
また、民間試験の受験量は安くても一万円近くでとても高価、一応二回分の民間試験の結果を大学入試に使えるということですが、これは家庭の経済事情によって受験生間の差が広がることも指摘されました。
裕福な家庭は本番までに多く練習として受験ができるのに、貧しい家庭ではそれができない。
試験会場は大都市が中心なので、地方や離島の受験生が試験を受けに行くだけでも費用が掛かり、更に宿泊が必要な場合は経済的負担はもっと増える。
このように地域間の不公平も言われてきました。

他にも数多くの批判が指摘されていたにも関わらず、文科省は十分に詳しく丁寧で具体的な回答をしてきませんでした。
どう考えても公平性が最も重視される大学入試において、この制度の導入は不備があるのですが、文科省は2020年度の実施に踏み切る姿勢でした。
2020年と言うのはオリンピックイヤーで、ここで日本の教育改革を世界的にアピールしたかったのでしょうか。
教育としてその年に大学入試を変更しなければならない理由は全くないのですが、文科省は実施年度にこだわり決定事項として変更の考えはないとし、かと言って寄せられる声に対する回答を出せずに(出さずに)いました。

その場を濁して時が来れば試験がどのようなものであれやってしまえばいいと考えていたのでしょうか。
それで文科省の面子は保たれ、うまくいかなくても後日うまくいきませんでしたと言ってしまえばそれで終わり。
ゆとり教育のときのように。
その時に教育を受けた当事者のことは考えず、自分たちの体裁ばかり気にして。

念が近づき実施にあたりどうするのかという事柄に関しても、後手後手に回りいつまで経っても具体的な内容が見えてこない。
今年度に入り、教育関係者や受験生及びその家庭から不安の声がより一層高まる中、文科省は様々な問題に対する対策は講じられるし、世間からの理解も十分得られているという姿勢を貫き、来年度からの実施に変更はないと言い続けていました。
(例えば、高い受験料に関しては民間試験に対して受験料の減額をお願いしているとか、試験会場については高校大学の協力を呼び掛けているとか。仮にそのようになったとしても様々な問題が発生するのですが。)

挙句には、来年度からの実施で最初は不十分でもその後改善し精度の高い試験にしていくというような、受験生を実験台にするような発言も飛び出し、波紋はますます広がりました。

そして、文科省が受験生の立場に立っていないことを決定的に示したのが先日の文科大臣による「身の丈に合った」発言。
憲法や教育基本法に定めらえている文科省の役割を根底から覆すものとして、世間広くから批判を受けました。
さすがにこれはまずいと思ったのでしょう。
あらゆる違いを超えて平等に国民に教育を受ける権利を保障する役割を担うべきなのに、貧しいものは教育を受けられなくても仕方ないと言っているようなものだから。
大臣としては制度の不備、不公平をどのように改善するのかと聞かれ、妙案がないから新システムを正当化するために発言したのでしょうけど、これはひどすぎました。
国会でも野党だけでなく与党内からの批判もあり、昨日の発言と共に文科大臣は延期を決定したのです。
最近立て続けに二人の大臣が辞任し、更に文科大臣まで辞任になるのはまずいと思ったのでしょうか。
手のひらを返したようにあっさりと延期を決めました。

この「身の丈」発言がなければ、どんなに世間から批判されようとも英語の民間試験利用は予定通り実施されたと思います。
最初から真剣に子供たちのことを考え、彼らのための制度を作り、批判には真摯に対応して万全の体制が整うまで十分に準備してから実施していれば今回のような混乱はかなったでしょう。
そもそも「スピーキング」もテストしたいなら大学入試センターが独自の公平なテストを作成すればよかったのに、民間試験を複数導入したからややこしいことになる。
(民間との癒着、天下りなどがささやかれていますが。)

いずれにしても、誰のための教育改革なのでしょうか。
文科省は子供たちのことを見ていないとしか考えられない部分が非常に多い。
個人的にはこんな不公平で欠陥だらけの試験を子供たちがとりあえず受けなくて済んだのはほっとしているところです。
もちろん、文科省の言葉を信じてこれまで民間試験に向けて勉強してきた生徒や学校もたくさんあり、彼らにとってはやり切れない気持ちもあると思います。
ただ、ごり押しする混乱と取り下げる混乱を考えるならば、取り下げた方がまだましかなと思います。
それ以前に混乱は誰の目にも明らかなのだから、文科省がきちんと対応してればよかったのです。
本当に現場を見ないで理想ばかり(自分たちの視点のみで)物事を進めていくから困るのです。
これを機に文科省はより一層身を引き締めて、本当に子供たちのためになる教育システムを構築してもらいたいと切に願います。