書籍紹介 『こども六法』。法は社会で学びますが、子供たちにより分かりやすく、そしてより深く学ぶのに最適!更にこの本には秘められた願いが。

本日ご紹介する書籍は山崎聡一郎著、『こども六法』(弘文堂)です。
法律関連の本としては異例の大ヒットを記録しています。

『こども六法』へのリンクはこちら

法は中学の社会で勉強しますが、憲法の基本的な仕組み、代表的な条文、後、いくつかの法律の名前と簡単な内容だけです。
せっかく法に興味を持ち自分で読んでより深く学びたいと思っても、生徒たちには分かりにくい文言の集まりになっています。
その要因となっているのが、その独特な言い回しと用語。
およそに日常では使わない言葉ばかり。
一から専門用語をきちんと学び理解し、小難しい表現を正確に読み取らないといけません。
法は扱う内容が込み入って、しかも、いくつかの法がお互いに関連して成り立っているのに、これらの要因が更に難しい印象を与え、生徒たちが手を付けにくくなっています。
一度読んでもすぐに頭に入ってこないから敬遠してしまう。
こうやってせっかく興味を持っても、法は一般的には理解できない、専門家だけのものという考えに至り、私たちの周りで常に関わりがあるのに自分には触れられないものとなってしまっています。

この『こども六法』は小中学生でも読め理解できるようにという立場で書かれた本です。
専門家だけでなく読者となる子供たちにも意見を求め、内容に工夫を凝らしています。
難しい漢字には仮名がふられ、法律用語には解説がついて、イラストも使って分かりやすく書かれています。
「被告人と被告はどう違うの?」などという学校で勉強してふと思った疑問など基本的なことから解説してくれて、法も第一条から順番に解説するのではなく、刑罰の種類に関する条文などをトピックごとにまとめています。
こうして条文同士の関連が分かるようになっています。

注目すべきは、一般の六法全書が憲法から書いてあるのに対して、この本は刑法から書いてあるということ。
これは本書の目的が「いじめ、虐待に悩んでいる子供を、法律の力でなくす」ことだからです。
子どもに法律を知ってもらい、大人に悩みを伝え解決してもらうことだからです。
こうして身近な問題を解決するために活用し、そこから同時に他の法律についても理解してほしいと願っています。
こうして法を身に付けた子供たちは自分を守る力を持つだろうし、このことが大人などの理不尽な暴力に対する抑止力、いじめなどを隠蔽しようとする大人のことなかれ主義を封じる手立てにもなるとこの本では考えられています。
もちろんこれだけで完璧に問題を解決できるとは思いませんが、一つの大きな力になることは間違いないでしょう。

このように子供でも分かるように書かれた本書は、子供に限ったものではありません。
いじめにあった子供を持つ保護者や先生、裁判員にあればれた人、知人ともめごとになった大人たちなど、日頃から法は分かりにくくとっつきにくいと感じている人やもっと分かりたいけどどうしていいか分からないという人にもお勧めです。

これをきっかけに親子で法律や社会のルールについて話し合うのもいいのではないでしょうか。

自分で考えることのできない子供が増えていると言われています。新指導要領では正解のない問題に取り組み解決できる人材の育成というが…。

よく、最近の子供は自分で考えることができないと言われます。
実際、私が生徒と授業で話すときも、答えが絞られないオープンクエスチョンでは「何を言えばいいのか分からない。」と答える生徒が多いです。
(「リンゴとミカンどっちが好き。」のように答えが限定されているのがクローズドクエスチョンで「好きな果物は何ですが。」のように答えが限定されないのがオープンクエスチョン。)
生徒の想像力のなさが原因ともいわれますが、答えを考える前にあきらめることがしばしばあるようにも思われます。
なぜこうなるのでしょうか。

本来、学ぶことは楽しいことです。
小学生低学年では勉強が嫌いという子供はほとんどいません。
好奇心が旺盛な子供は想像力の塊で、大人が思いもよらない発想で物語を話したり、絵を描いたりします。
しかし、学年が上がるにつれ徐々に創造的な活動が苦手になります。

今の教育は評価が重要視されます。
本来教育は子供の成長を目指し、その総合的な成長を評価すべきなのですが、残念ながら現実にはテストの得点による序列が評価になっています。
結果、音楽や絵画など創造的な活動は重要視されず、テストで点数化しやすい数学などの一般に言われる五教科が大切とされます。
入試手も五教科が基本で、それ以外の科目は受験には余計なもので時間の無駄だが学校でやらなければいけないからただやるだけという考えになっています。
五教科でも作文などの創造的な活動は採点に時間と手間がかかるので、テスト対策としては選択問題などクローズドクエスチョンが答えられるようになることが効率的な勉強となっていきます。

例えは「この文章を読んで主人公の気持ちを考えなさい。」という問題があります。
「こんなの分からないよ。こたえられるものか。」という声が聞こえます。
その通り。
でも、「気持ちを考えなさい」だから自分の考えたことが答えであり、そればどのような考えであっても正解です。
にもかかわらず、決まった一つの答えがあってその通りでないと正解ではないから分からないと言ってしまう。
実際にテストではこの手の問題は選択肢になっていて、「主人公の気持ちに最も近いものはどれか選びなさい。」というような問いになっています。
(「最も」と言うのがキーワードで、これで答えとなる選択肢を一つにします。つまり、良さそうな選択肢が複数あった場合、その中で比較して最も近いというのが判定基準になるのです。)

このように普段から与えられたものの中から選ぶように訓練されているから、当然自分から考えるのは苦手になります。
そしてその状況を作り出しているのは、手っ取り早く数値化して序列をつけるという評価方法なのです。
十分に時間をかけてじっくり考えることは許されず、しかも、全員が素晴らしいはダメで優れたものと劣ったものを作らないといけないのが今の教育です。
効率よく点数を取るためには問題を分析し、出題者の意図をくみ取り答えなければいけない。
そこには自分の意見や考えは必要ないのです。
どこに向かっていこうとも、あらかじめ引かれたレールの上を踏み外さずに進み、与えられたゴールにたどり着くことがよしとして刷り込まれている。
(因みに、自分の作品が入試問題に使われた作者がその問題を解いてみたところ、自分の考えていたこととは違うものが答えとされており、全く良い成績を修めることができなかったそうです。)

小学校から大学まで、いや大人になってでさえ、我々は標準化されたテストで与えられた選択肢の中から出題者の意図をくみ取り、それに合わせた答えを選ぶことを要求される。
確かにそれは序列をつけるうえでは手早く公平で、学習と言う意味でもある程度の成果を上げてきたのは否めません。
しかし、学びと言うのはそれだけでなく、もっと開らかれて自由であるべきだとも思います。
一応、今行われている教育改革では知識偏重ではなく自由な発想と論理的思考から自分なりの答えを導き出せることを目標に掲げています。
しかし、にもかかわらず評価方法は以前のままで、数値化された序列です。
正解のない問題に取り組みと言いつつ、試験には正解が用意されているのです。
これは大きな矛盾なのですが、文科省はそれには触れていません。
目的と手段があっていない場合、これまでの知識偏重で得られていた教養さえ失われるのではないかと危惧しています。
この教育の理想と現実が離れすぎているにもかかわらず、その差を埋める手立てがないまま制度を変えてごり押ししていることが問題と考えています。

今回の教育改革では大人の都合で振り回されている子供の姿がとても可哀想に思えます。
葛西TKKアカデミーではこの混乱した現状を踏まえつつ、子供たちが少しでも学びに対して前向きであるように努力したいと思います。

へこたれない子供にするには。

最近の子供はすぐに音を上げると言われます。
一度やってできなければ「もうダメ。できない。」とか「無理。」とか言ってあきらめてしまいます。
しかし、初めてやって最初からできるなんて普通はありませんし、一度やってできないからとやめてしまえば、その子はそれ以上成長する可能性がなくなってしまいます。
どうしてすぐにあきらめてしまうのでしょうか。
簡単にへこたれない子供にするにはどうすればいいのでしょうか。
ちょっと面白い調査がありいましたので、その結果を踏まえて考えてみたいと思います。

私も子供たちと触れる中で、すぐに子供たちがあきらめてしまう経験を何度もしました。
最初に失敗をする、それ以前に失敗を恐れて初めてのことに挑戦すらしようとしない。
失敗するのは罪で恥、それを避けようと問題に手を付けること、答えを出すことすら拒否する。
こんな子供たちが非常に多いと感じます。

しかし、失敗を恐れて挑戦する力、失敗して落ち込んでもいつまでも引きずらず、また前向きに挑戦できる力は社会に出てからも非常に重要で、就職活動においても「打たれ強さ」に評価の重点を置く企業もたくさんあります。
つまり、「へこたれない力」と言うのは社会で生きるうえでもとても大事なのです。

国立青少年教育振興機構が2016年にある調査を行いました。
それは子供時代の経験が大人になった現在にどのような影響を与えているかを調べたものです。
その中の「社会を生き抜く資質・能力」として「意欲」「自己肯定感」「コミュニケーション力」に加え「へこたれない力」が含まれていました。

調査の結果によると年収800万円以上の家庭では「へこたれない力」の高い層が34.8%いるのに対し、年収200万円未満では20.2%でした。
つまり、年収が高いほど「へこたれない力」も高くなりやすいということが分かります。

また、子供時代と「へこたれない力」の関係を調べていくと、子供のころ親に厳しく叱られたり、褒められたりした経験が多いグループは「へこたれない力」の高い層が35.4%だったのに対し、これらの経験が少ないグループでは10.3%しかありませんでした。
これは親子の間だけでなく、先生や地域の大人との間に関しても同様の傾向がありました。

更に、親に多く褒められ叱られたことの少ないグループと、逆に褒められたことが少なく叱られたことが多いグループを比較すると前者では「へこたれない力」が高い層が30.9%だったのに対し、後者は20.1%でした。
これから子供のときに叱られるより褒められた経験の多い子供の方は「へこたれない力」が高いと考えられます。

子どものときに「基本的生活習慣」「お手伝い」「家族行事」などの経験が多いと「へこたれない力」も高くなり、公園で友達と遊ぶなどの「集団での外遊び」「自然のなかでの遊び」の経験が多くてもこの力は高まるという結果だ出ていました。

つまり、子供のときに様々な経験をし、同世代だけでなく異世代間の交流が多く、しかも比較的褒められる経験が多いと「へこたれない力」が育つように思えます。

都市部では自然が少なくその多様性も少なくなっています。
しかも、SNSやゲームなど外に出ないで特定の限られた人とだけ関わる環境が最近は整っています。
多様な経験を積むにはお金を出さないとできないことも多く、収入との関係もここから説明がつくと思います。

また、社会がスピードを求めるようになり、じっくり考える時間を与えないことも増えてきました。
しかも、テストのように結果はすぐに出て、間違えることを許さない。
何回も何回も失敗を積み重ねつつ、自分からコツや方法を発見したり習得する余裕を与えない。
そうすると最初に述べたように子供たちは間違えを恐れ、間違えると周囲にバカにされるから答えることすら拒否するようになるのも無理はないでしょう。
しかも、何でもスピードが求められ、煩雑なことは敬遠され簡単なものしか受け入れられない価値観が現在は主流となってきています。
だから、すぐにできないものはやらなくなるし、面倒なことは受け入れなくなります。
しかし、人間の成長は失敗の中から学ぶことで起こることが多く、便利さは子供の成長の機会を奪っているのです。
大人が「面倒くさい。」と言うのを聞いて、子供も「面倒くさい」ものを嫌がるようになり、先ほどの間違えが罪で自分のプライドが傷つけられるのが怖い気持ちと合わさって、根気がなるすぐにへこたれる子供が増えていると思います。
叱られ続けると自己否定になり「自分はダメな人間」と思い込み、自分の価値、生きる意味さえ見失うこともあります。
失敗しても挑戦する姿勢をたたえ褒める経験はこれらを防ぎ、失敗を恐れなくて済むから自己肯定感を育てます。
皆さんも子供がすぐにできないからイライラして、つい声を荒げることはありませんか。
「できないとダメ」と思うからそうなるのです。
むしろ、「最初はできなくて当然、できればラッキー、今はダメでのそのうちできるようになればいい。」くらいにいい意味でお気楽に接した方が子供もゆとりをもって学べると思います。

社会的にあくせくして余裕のない時代、便利すぎて時間をかけることに価値を見出さない世の中、お金をかけなければ人間同士も含めて多様な経験がしずらい環境。
なかなか子育てしにくい条件がそろっています。
だから、子供たちがすぐにへこたれるようになるもの無理はないと同情するところが多いです。
でも、これらの要因は大人の態度、工夫、考え方次第である程度軽減できます。
へこたれやすい子供に育つ原因もある程度わかっているので、逆にそうならないように心がけることも可能だと考えています。

葛西TKKアカデミーでは子供たちの間違えで人格を否定したりバカにすることはありません。
常に子供は発展途上であり、最終的に目標に達せられればいいという姿勢で接します。
勉強に限らず、子育てで困ったときは気軽にご相談ください。
テストの問題が解けるだけでなく、子供たちが人間としてプラスな存在になれるように尽力しています。

英語教育で活用されている「CAN-DO リスト」をご存知ですか。これにより今までと評価基準が変わってきています。

来年度から導入される新しい学習指導要領では、英語力の強化が目指されます。
これまでより文法などの知識をいかに多く知っているかではなく、学んだ英語をいかに実践できるかということに重点を置くようになります。
こうして実際に外国の人々と意見交換などのコミュインケーション能力を高め、国際交流が活発化していく新しい時代に対応できる人材を育てようとしています。
このような状況において「CAN-DOリスト」というものが注目されるようになり、学校の現場でもその評価に影響を及ぼすようになってきています。

「CAN-DO リスト」とは何でしょうか。
これは第二言語習得の場でよく使われるもので、例えば移民した人がどの程度移民先の国において生活に支障なく暮らせるかを調べる時などに使います。

これまでの日本の英語教育のように「知っているか、いないか」ではなく、目的の事柄を「できるか、できないか」という点で評価します。
こうして英語で何ができるのかを指標化し、英語を使った実践力を高めようとするのです。
例えば、英語を使って「買い物ができる」「学校の講義で先生の話を聞いて内容をまとめることができる」「ビジネスにおいて取引先と交渉ができる」などです。

文科省によると、2015年度に中学の約51%、高校のやく70%が英語の評価にあたり「CAN-DO リスト」を設定しているそうです。
しかし、その達成状況を把握しているのは中学の約22%、高校の31%ほどであり、まだ十分に現場で活用されていないことが分かります。
やはり「CAN-DO リスト」というものが先生方の間に十分に浸透しておらず、この新しい評価法を使いこなせていないことが伺えます。

しかし、国の目標とする基準に生徒たちの英語力が届いておらず、更に「書く」以外の「読む」「聞く」「話す」という技能が低くバランスよく身についていないことが文科省の調査によって明らかになりました。
そこで、文科省は小学校から高校までCAN-DO形式の能力記述文で指導目標を示し、授業も基本的に英語で行うことを検討しています。
当然授業内のコミュニケーションは英語で、お互いに英語によって自分の考えを表現し、相手の英語による発話の意味をしっかりと理解できる活動が重視されるようになります。

このようにコミュニケーションによって何ができるかを評価する方法は、これまでのペーパーテストの正解、不正解で得点を決めるやり方とは大きく異なっていきます。
学校では主にロールプレイングのように先生と生徒、または生徒同士で役割を決めて、その与えられたシチュエーションでいかに英語を上手く使って目的を達成できるかを見たり、リポートなどの形でまとまりのある文章を書かせたりして評価をすることになります。

これはなかなか難しいものがあります。
今までなら明確に正解、不正解が分かれかなり客観的に点数化できたのに対して、CAN-DO形式の評価は採点者の主観に大きく左右される可能性があります。
先生の生徒に対する好みや先入観などで個人の点数に差が生まれることが考えられます。
また、評価する人間によってもその評価の傾向に違いがあり、ある先生は非常に高得点をつけやすいのに、ある先生では非常に厳しいということも起きるでしょう。
一貫した評価基準が設けにくいのです。
しかも、長い文章や言語活動を見ないといけないので、採点にかかる時間もこれまでに比べ格段と長くなるでしょう。
更に、目的のことができればいいということは、ある程度文法とかの間違いは大目に見る方がよく、その許容範囲に関しても先生方のさじ加減で評価が変わることになります。
「CAN-DO リスト」を使うということは一度評価して終わりではなく、最終的には目標を達成できるようになるまで指導しないと意味がありません。
今の忙しい学校にただでさえ時間のかかる評価法を導入するわけで、ここまで指導できる余裕があるのか疑問です。

中学、高校まで6年も英語を勉強して英語が全く使えるようにならないという批判がこれまで強く、これまでの教授法の見直しが今回の指導要領の改訂で行われているのですが、その道のりはかなり難しいものになりそうです。
生徒も新しい教育に戸惑うかもしれませんが、それ以上に先生方が対応できず、せっかくの試みも失敗してしまうのではないかという恐れがあります。
個人的にはこちらの方を問題視しており、むしろ子供の方が柔軟性があるので対応はスムーズではないかと思います。
たいていされた英語教育が成功するかどうかは現場の先生方によるところが多く、文科省はただ目標を指示するだけでなく、それを達成し実りあるものにするようにしっかりとしたサポートを生徒のみならず教師にも行うべきだと思います。

もちろん葛西TKKアカデミーもこの新しい英語に対応すべく生徒たちの勉強を支えていきます。

もうすぐハロウィン、日本でもお馴染みになってきましたが、そもそもハロウィンって何でしょう。

街中はハロウィンに彩られるようになってきました。
クリスマス、バレンタインデーに続き、日本でもハロウィンが定着しつつあります。

最近では毎日のようにニュースで仮装した人たちが町を練り歩くのが見られます。

ところでハロウィンとは何なのでしょうか。
単に仮装を楽しむ日ではありません。

ハロウィンはケルトのお祭りが起源と言われています。
10月31日はケルト人の大晦日に当たり、この日に秋の収穫を祝うお祭りが行われていました。

この一年の終わりの日の夜に、死者の魂がこの世に戻り、また魔女や悪霊が悪さをするとも信じあれ、悪魔払いの意味合いもありました。

時代が下り、このお祭りとキリスト教が融合してハロウィンになったと言われています。

11月1日は「万聖日(諸聖人の日)」というカトリックの祝日で、全ての聖人と殉教者を記念する日とされ、キリスト教でも死者の魂がこの世に戻ってくると考えられています。

魂が帰ってくるという意味では、日本のお盆に似ていますね。

この日にお墓参りをしたり、亡くなった人に祈りを捧げたりします。

なぜ仮装をするのでしょうか。

死者の魂と共に、悪霊や魔物もこの世にやってきて、この世の魂をあの世に連れて行こうとすると考えられています。

よって、お化けの格好をして仲間を思わせて、自分の魂が連れていかれるのを防ぐのです。

だから、女子高生やマリオやスーパーマンなどの仮装は意味なさそうですね。

「トリックオアトリート」はどうして始まったのでしょうか。

元々ヨーロッパで、仮想した子供たちが歌いながら、さまよっている魂のために、「ソウルケーキ」という干しブドウ入りのパンを一軒一軒訪ねらながら集める習慣がありました。
そして、何も差し出さないとこの子供たちや霊がいたずらをすると考えられていました。

1900年代初期にある子供が「Trick or Treat!」と言い出し、1952年のディズニーアニメの中でこのセリフが使われたことにより、世界中に広まったとされます。

仮装をする人は増えていますが、日本ではまだ家を練り歩いてお菓子を集める子供は少ないですな。
各家庭もお菓子を用意していなかったりして。

お菓子メーカーはハロウィンパッケージのお菓子を盛大に売り出していますし、お寿司など関係のない業界も便乗しようと頑張っていますね。
日本ではバレンタインデーと同じように商魂あってのハロウィンでしょうか。

お祭り好きで宗教に節操のない日本では、新たな騒ぎの口実としてハロウィンが広まって見えます。
日常に楽しみを求めるのはいいのですが、くれぐれも行き過ぎのないように、マナーを守って楽しんでください。

こうやって異文化も取り込んで、人々の暮らしも変わっていくのだと実感しています。

お化けにいたずらされないように気をつけて、皆さんもHappy Halloween!

「21世紀型教育」とは。教育改革によって教育スタイルも大きく変わるはず。

たびたび触れている教育改革ですが、今回はその中心となる「21世紀型教育」についてお話します。
現在行われている教育改革では、これまでの知識偏重という批判を受け、これからの不確定な時代に対応できる人材を育成すべく、知識詰込み・暗記中心の学習から自ら考え答えを自分で見つけ出せるような学習を目指します。
よく「答えのない問題に取り組み、回答を導き出す」と言われます。
そこでキーワードとなるのが「21世紀型教育」です。
一方的に先生が生徒に知識を委譲するのではなく、先生と生徒が相互に交流しながら知識を高め、問題解決の方法を見つけ出すというものです。

しかし、海外で教育を受けたことのある先生なら多少はイメージがわきますが、そうでないほとんどの先生にはこの新しい教授法が想像もつかず、どうしていいのか分からないというのが現状です。
多くの場合は結局今まで通りの教え方に現場は落ち着いてしまうのではないかと、私は疑っているのですが。
文科省の理想に反して、実践法が現場まで伝わっておらず、仕方ないから今まで通りでやるしかないのであれば、教育改革の意味がなくなってしまいます。
やると言って期限だけ決めて、現場が実行できるまで十分なトレーニングと準備をしないまま見切り発車になる見込みです。
これでは混乱を招いただけで最大の受益者であるべき生徒に不利益を招くだけのような気がします。
「ゆとり教育」の亡霊がまた見え隠れするようです。

話を戻しますが、「21世紀型教育」について簡単に説明します。

これまで行われてきた講義中心の受動的学習とは違い、生徒が能動的かつ積極的に学ぼうとする授業を言います。

例えば先生が各国の文化を一方的に話すのではなく、生徒が自分から各国の文化に興味を持ち、知りたいと感じながら自分たちで調べ、必要なら先生からアドバイスをもらい(ここで先生が答えを言わないでヒントを与えるのが望ましい)、研究した成果をお互いに発表しより異文化についての理解を深めるのです。
活発な議論や意見の共有をさせるため、先生は「教える」というより「促す」という立場になります。
また、テーマを与えての学習は既存の教科割の範疇を超えて学びが起きることもあります。
例えば社会で調べたら数学の統計の知識が必要になるなど、横断的学習が行われます。
仮説を立てて調査していくことは理科に通じます。
このように生徒の自主的な活動(「アクティブラーニング」や「探究型学習」と呼ばれているもの)を通して、総合的にこれまで以上に広く深い学びが得られると考えられています。

当然生徒の自由意思に負う部分が多いので、学校や文科省が求める内容と外れた内容を学習するかもしれません。
かと言って、生徒が自主的にやっている学びを否定はできないので、この辺のコントロールが難しいです。
さらにこれまでの講義スタイル違い核心だけを授業で扱うわけではないので、より道があったりと、かなりの時間が必要になります。
しかし、その寄り道の中でより深く多岐にわたる学びができ、結果的、総合的にこれまで以上の学びがあるのですが、きちんと最後までできなければ応用や付加される学びだけでなく、肝心な根幹となる基礎さえ身につかないという危険性があります。

にもかかわらず、指導要領はこれまでと変わらない、いやむしろ多くなっているので、物理的に授業が成立するのか疑問です。
(今でさえ、どの教科もは中学三年間でやる内容が終わらず、最後の方は授業で簡単に触れる、または自分で教科書を読むようにと指導して形式的に終わらせることが多いのに)

また、テストや進学などのための勉強とは非常に相性が悪く、生徒の学習をどのように評価するのかという問題もあります。
みんなそれぞれに頑張って出した成果をどのように公平に評価し序列をつけるのか。
「21世紀型教育」を目指すのであれば、これまでの点数だけによる評価法を見直し新たな基準を作らなくてはならないのですが、この点は改変されないようです。
ここも教育改革の矛盾なところです。

どちらも生徒の自主性に任せるところが大きいので、これまでのように教員が授業内容をあらかじめ定め準備することが非常に難しくなります。
教員はその場の状況に合わせ瞬時にどのように授業を進めていくか判断しないといけませんし、授業が盛り上がらず生徒のやろうという意思が高まらないときは生徒の興味を引くように話しかけなければいけません。
これはかなり豊富な経験がないとできませんし、そもそも学校によっては生徒そのものに学ぼうとする意識がないところもありますので、そこから生徒の意識を変えて「21世紀型教育」が成立するようにもっていくのも大変です。

教育改革は2020年度から本格的に始まることは決定事項で変わらないようです。
しかし、その理解や疑問に対する説明や回答は十分になされていません。
うやむやなままのごり押しになりそうです。
現場の学校、生徒、保護者からは不安の声が高まっています。
文科省はうまくいかなければ「うまくいきませんでした」で済むのかもしれませんが、実際に不十分な教育を受けさせられた生徒や家庭に対する責任はどのように取るのでしょうか。
(誰も取らないでしょう。)

葛西TKKアカデミーはどのような状況であっても生徒の教育が損なわれないように全力でサポートします。

新しく大学受験に導入される英語の民間試験活用について大学の65%、高校の90%が問題ありと回答。

再来年から教育改革に伴い大学受験も大きく変わります。
その中で目玉とされているのが、英語の民間試験活用です。
これまでのマークシート方式であった大学センター試験が廃止され、記述方式も含める共通テストに代わります。
これほどの規模のテストで記述問題も含めるのはかなり野心的試みですが、さらに英語においては民間試験を活用することによって、これまでの「書く」「読む」「聞く」に加え「話す」能力も評価しようということになりました。

先日、朝日新聞と河合塾が大学と高校に対してこの民間試験の活用に関するアンケートを行いました。

朝日新聞『大学6割、高校9割が「問題ある」 入試の英語民間試験』

その結果は大学の65.4%、高校の89.1%が「問題あり」と答えました。
また、「問題ない」と答えたのは大学の30.6%、高校の9.8%だけで直接受験にかかわる学校の多くが英語の民間試験の活用に疑問を持っていることが分かりました。
共通テストを利用しなけらばならない国公立に進学する生徒が多い高校ほど新制度に対する不安が高いようです。

新しい制度導入に関して十分な理解が得られていないことに加え、以前から指摘されている疑問に対して文科省が十分にこたえられていないという点もこの結果をもたらした要因であると考えられます。

問題視している大学、高校が指摘しているのは「家計格差」「地域格差」「多数の試験を比べる公平性」です。
民間試験は大都市ほど会場も多く、試験が開催される頻度も高くなります。
一方、地方によっては試験が一度も行われないところもあります。
そんな地域に住む受験生は遠くの試験会場までいかなくてはならず交通費がかさみ、時には宿泊費も必要になります。
また、民間試験を受けるには当然それなりの勉強が必要であり、生徒たちが通う学校ではそこまで手が回らないところが多いです。
そんな時は塾や予備校へ行ったり、受験のためのテキストを購入し勉強しなくてはいけないのですが、その費用は個人持ちなので各家計の状況でそれができない家庭も生じます。
さらに複数ある民間試験の中から選んで受験するわけですが、それぞれの民間試験は料金、会場、日程、目的、試験内容もまちまちで、これらを同一に評価するのは問題があると言われています。

受験で一番大なことの一つは公平性ですが、文科省の決定した新制度にはそこに問題があるとみなされています。
しかし、政府は問題の解決策や納得のいく十分な説明を示さないまま、新しい制度を導入しようとしています。
ここにおける不信感が今回の調査結果に如実に表れていると考えられます。
この時期に及んでこれほど「問題あり」の声が多く上がっているので、本来なら新制度への移行を見直すべきですが、オリンピックにこだわっているせいか、文科省がそれを行う様子はありません。

人々の十分な理解がないまま強行され、不公平感と不信感の中で受験しなければならない生徒はかわいそうですし、結果も受け入れずらいものになるでしょう。
本来学問とはどのような家庭の生徒であれ等しく受けられるべき権利なのに、今回の教育改革はその点において不備がありとしか言えません。

しかし、制度の移行は揺らぎないもののようなので、葛西TKKアカデミーとしては、新しい制度の中で少しでも生徒が対応できるように全力で支えます。

教育の機会が出自にかかわらず平等であるからこそ、社会の流動性も得られ、社会的地位の格差を広げないセーフティーネットとしても機能もはならくのです。
つまり、誰でも向上できるチャンスがあるということです。
それが失われれば裕福な家庭の子はより裕福に、貧しい家庭の子はより貧しくなり、貧困から抜け出せなくなります。

我々大人は全ての子供たちに希望のある(少なくともその可能性を感じられる)社会にしなければなりません。
葛西TKKアカデミーはそのような社会の実現のためにも、どのような家庭の生徒でも受け入れ、彼らのサポートを行います。