6月1日から学校再開!しかし、長期休暇後の初日というのは子供たちの自殺の多い日でもあります。子供たちの心理状態を考え注意しましょう。困ったときは葛西TKKアカデミーまで。

6月1日から学校再開!しかし、長期休暇後の初日というのは子供たちの自殺の多い日でもあります。子供たちの心理状態を考え注意しましょう。困ったときは葛西TKKアカデミーまで。

コロナウィルスによる突然の休校から3か月。
いよいよ6月1日から段階的に学校が再開されます。
しかし、長期休暇後の初日は子供たちの不安や心配から自殺が増える日でもあります。
若い命を守るためにも、子供たちの心理状態に注意を払う必要があります。

「命を絶つほどなら学校はとりあえず行かなくてもいい。学校よりも君の命の方が重い。勉強なら私がいくらでも見てあげるから心配しなくてもいい。とにかく生きて一緒に考えよう。」
葛西TKKアカデミーはこのように考えます。



長期休暇の終盤には大人でも、通常生活に戻る不安を感じ憂鬱になりがちです。
学校に戻っても勉強についていけるのか。
友人や先生とうまくやっていけるのか。
子供たちも休日モードから通常モードに戻れるか心配になります。

勉強嫌いの子供にとっては、これまで解放されていた勉強にまた縛られるので、嫌な気持ちが増します。
また、これまでいじめなどにあって学校に行くのが嫌だった子供は、夏休みの間会わなくて済んだ嫌いな生徒と再び顔を会わせないといけないのです。
考えただけでも気持ちが重くなります。
それに加えて今回のコロナウィルス騒動。
休校になった分、生徒の負担が増えることが想定され、しかも、学校生活には多くの制限が加えられています。

人間関係がうまくいかず、いじめられたり無視されたりするのではないか。
(特にコロナウィルスがらみの新しいいじめも考えられます。)
勉強がより難しくなって、自分はついていけるのか。
(休校分を取り戻すため夏休みなどの休みが大幅に削られ、一週間当たりの授業数も増える見込み。)
また、そのことで親や先生から叱られるのではないか。

受験生はこれまでの勉強の遅れを取り戻せるのか。
入試はどうなるのか、未だにはっきりしない。
もう将来に希望が持てない。
不幸にもこんな混乱のタイミングで受験しなければならない自分の人生は詰んだ。

不安やストレスの増える時期です。



では、自殺に陥る子供たちの心理状態を考えてみましょう。

自分を分かってくれる人はいない、誰も助けてくれない、頼れない。
独りぼっちなんだ。
思春期の子供にはありがちな孤立感という心理状態です。
だから、誰にも相談せず、一人で問題を抱え込み、どんどん大きくなっていく。
外部からの新たな考え方が入ってこないので、自分の中で問題を深刻化してしまう。

また、自分の居場所がないと疎外感を感じることもあるでしょう。
そして、自分はこの世に存在する意味のない人間だ、価値のない人間だと卑下してしまう。

更に、このような状況は今後の人生でも変わらず、ずっと続くように感じてしまう。
未来への希望が持てず、生きる気力、一体と願う力が弱まってしまう。
ならば、いっそのこと死んだ方がましと考える。



いじめに苦しむ生徒などは、苦しい現状から逃げるために、自殺という選択肢を選ぶこともありますが、自分のできる唯一の抵抗として、自殺という手段を選ぶこともあります。
現実では抵抗できないから、自分が死ぬことでいじめた生徒が罪悪感にさいなまれ苦しむことを期待する。
しかし、ことがそのように運ぶかは不確定だし、おそらく一過性で終わり、いじめた子供も時間がたてば忘れてしまうでしょう。
実際自分の命を犠牲にしてまで効果のある方法には思えませんが、視野がせまくなっている当事者には外語の希望なのでしょう。

または、いじめられてなぜ自分がこんな目に合わなければならないのかという怒りが、何もできないふがいない自分に向かい、自分を傷つける行為に及ぶこともあります。



いじめに限らず、成績や家庭環境など、子供たちを取り巻く問題は深刻です。
特に今回はコロナウイルスという未知の脅威もあり、より一層不安になるのも無理ありません。

今の学校教育という制度はかなり限界にきていると思います。
もっと教育の幅を広げ、あらゆる事態に対応できるようにしなければなりません。
それは公教育という枠組みに縛られないものも含みなす。
なぜなら、先ほど述べたように学校というしがらみが生徒を余計に苦しめ逃げ場を閉ざし、命を絶つという結末をもたらしているからです。

さらに、自殺した生徒の後ろに、自殺しないまでも苦しんでいる生徒がいることも忘れてはいけません。
自殺しないからいい、表に出てこないから無視していいという訳ではないのです。
これらの悲劇をなくし、もっと生徒たちに生きる喜びと希望が持てるようにしてあげたい。

葛西TKKアカデミーはそんな生徒たちの居場所となり、彼らを全力で支えたいと考えています。

思春期の子供は多感で純粋、しかし経験や知恵が不足しているので必要以上に事態を大きく受け取ってしまいます。
そして今しか見えず、遠い将来なんて想像もつかない。
問題の出口が見つからずどんどん自分を追い詰めてしまう。
その過程で子供はたくさんのSOSを出しているのだが、周りの人間は正しく読み取ってくれない。
いろいろな苦しみの壁にぶち当たり、ある時ついに限界がきて自殺してしまう。

これは悲しすぎる。
とにかく生きて。
生きていればだんだん知恵もつき要領もよくなり、よい意味でずる賢くなる。
実は学校は特殊な環境で、これが一生続くのではないと分かる。
そして大人になったとき、あの時思いとどまってよかったと思えることもあるでしょう。

ただ、それまでは苦しいと思います。
辛いでしょう。
だからこそ、葛西TKKアカデミーは子供たちに寄り添い、彼らと真剣に正面から接したいです。
近くに分かってもらえる人がいると思えるだけで子供たちの救いになれます。
逆に適当な対応をすれば子供たちにも分かります。
苦しんでいる子供たちの居場所になりたい。
若い命を救えればと常々考えます。

子供たちの自殺に向かう兆候にいち早く気づき、それを防ぐにはどうすべきか。
自殺に至るにはそれなりに追い詰められ、その状況から自殺以外の選択肢はないと判断する心理があるのです。
これを理解し、子供たちの尊い命が犠牲にならないように、我々は対処していかなければなりません。

未来のある若い命が失われることのないよう、心から願います。

コロナウイルスの影響で長期休校となってしまった学校教育。受験生救済の観点から叫ばれ始めた「9月入学」だったはずなのに、政府が提示するのは小学校入学を中心とする移行案。ちょっと論点がずれていませんか。

コロナウイルスの影響で長期休校となってしまった学校教育。受験生救済の観点から叫ばれ始めた「9月入学」だったはずなのに、政府が提示するのは小学校入学を中心とする移行案。ちょっと論点がずれていませんか。

コロナウイルスによる混乱で学校教育がストップしています。
しかし、休校期間は地域の状況によりバラバラ。
長く休んでいる学校もあれば、すぐに再開した学校もあります。
加えて、休校となっていてもオンライン授業に対応できている学校(主に私立学校)とそうでない学校(主に公立学校)で授業の進度に差が出ています。
更に家庭の経済状況で、学校以外の教育にアクセスできる家庭とそうでない家庭の間にも教育格差が生じています。
今回の政府のコロナウイルスにおける対応がこのような教育格差を更に大きくしたことは否めません。

特に中学三年生や高校三年生の受験生の中には、そうでなくても教育改革で入試の内容が大きく変わる第一期生となり、昨年の入試制度をめぐるドタバタで制度そのものがどうなるか確定もしていない中、コロナウイルスのせいで学校でも家庭でもまともに勉強が者が多く発生しています。
入試に関連して一番重要な公平性が損なわれている状態であると指摘されています。
教育機会の均等と学ぶ権利が保たれていないのは憲法にも触れる大きな問題であり、何らかの解決策を見出さないといけません。
しかも、早急に決めないと生徒(特に受験生)は何をどうすればいいか分からないまま時間が過ぎてしまい、いざ決定されたときにはもう準備対応できなくなる心配があります。
そのような生徒や保護者、教育現場に携わる人々の心配を理解していないのか、残念ながら文科省は未だに明確な答えを出していません。
ぼんやりとした指針を出して、細かいところはこれぞれの自治体や学校が考え対応しろと言うのが今のところせいぜいみたいです。

このような教育の不公平が増長され、明確な対策も示されないままで本当にまともな入試ができるのか。
コロナウイルスにより生じた教育格差を埋め、十分な準備時間を確保して誰もが公平で納得できる入試を目指して受験生やその保護者などから叫ばれるようになったのが「9月入学」でした。

しかし、文科大臣や総理大臣、東京や大阪の知事などが話すのは、コロナウイルスをきっかけにして学校の入学時期を9月にしてしまおう、そうすることでグローバルスタンダードに合わせようということ。
受験生に生じている不公平を是正するのが中心ではなく、この機会に外国と入学時期をそろえようという拙速な思い付きで、生徒や保護者の気持ちを分かっていないように思えます。
だから、文科省の提示する案は学校制度全体をどのようにして「9月入学」に移行させるかばかりで、特に小学入学に関することばかりです。
しかも内容によっては何年もかけての移行。
つまり、今の受験生が今必要としているのにそのことは全くお構いなしという政府の立場がうかがい知れます。

「9月入学」についての詳しいお話は後日しますが、ここで強く言いたいのは、文科省を始めとする政府は本当に庶民の気持ちや状況を理解しているのかということ。
理解していないから論点がずれているのではないかということです。
入試制度改革を始めとする教育改革のときもそうでしたが、政府は国民の声に耳を傾けず自分の考えをひたすらごり押しする、理想ばかり言って具体的には現場に丸投げ、しかも十分な援助もなし。
そうして十分な環境も整っていないまま見切り発車され、最終的に一番被害を被るのは生徒たちです。
今回もそうです。
本当に無責任と感じます。



本当に受験生救済のための「9月入学」であれば、9月入学させるのは今の高3、中3(場合によっては小6も含む)だけでよく、こうすれば受験までに1年以上の時間が確保できるので、受験生間の教育格差はかなり軽減できると思います。
(費用的にも他の案より少なくて済むのではないでしょうか。)
残念ながら先ほど述べたようにコロナウイルスの休校期間中の生徒の状況により既に格差は生じており、それを完全になくすことはほぼ不可能ですが、しないよりはかなりましです。

そして、これらの学年の入学後の初年度は半年になります。
半年で消化しきれない履修項目は次年度以降に徐々に修学するのがいいと思います。
その時、生徒が無理なく習得できるように学習内容は厳選し、できるだけ不可欠なものだけに絞る必要があります。

また、今年度から開始されるはずだった新指導要領を延期。
もともと野心的であった新指導要領は準備不足の状態で始められようとしていたので、これを一旦リセットしきちんとできる状態になってから始めるべき。
(この新指導要領に関しても後日お話したいと思います。)
旧来の学習内容であれば新指導要領よりも授業時間も少なくて済みますし、教員たちも未経験の指導法をするよりは慣れた教授法の方が指導もしやすく、効率よく教えることができると思います。
それでも失った時間は大きいので、学習内容をよく吟味し必要最小限のものにし、一刻も早い挽回を目指す。
生徒も自分がすべき勉強がはっきり分かれば勉強にも精が出ます。

これらの受験の学年は卒業時期が半年ずれるので、その間は教員不足が生じるので臨時教員を確保しなければなりません。
むしろこれを機会に教員の数を増やし、教室数も増やし、一クラス20人以下にするのがいいと思います。
コロナウイルスの件を別にしても、今の一クラス当たりの生徒数は多過ぎます。
少子化傾向にあるのに相変わらずぎゅうぎゅう詰めの教室のままでいたことは疑問です。
確かに一人当たりの生徒に欠ける費用がかさむかもしれませんが、それはいいではありませんか。
教育の質を高めましょう。
資源の少ない日本の世界に対抗できる力は人間しかありません。
もっと人間に投資しましょう。



「9月入学」が取りざたされていますが、政府の目指す「9月入学」は生徒が求めている「9月入学」とは違う気がします。
本当に生徒のためになる「9月入学」を考えましょう。

葛西TKKアカデミーは「9月入学」の問題に限らず、現在の生徒の状況、そして学校教育に関して危機感を持っています。
問題も多く生徒が本当の意味での学びが十分でないと感じています。
どのようなことても構いません。
教育で困ったことがあれば遠慮なくご相談ください。
必ず力になります。

緊急事態宣言が解除されつつあるなか、文科省が『学校の新しい生活用式』を各教育委員会に通知しました。感染リスクのレベル別に学校生活をどのように行うか示しました。

緊急事態宣言が解除されつつあるなか、文科省が『学校の新しい世活用式』を各教育委員会に通知しました。感染リスクのレベル別に学校生活をどのように行うか示しました。

政府による緊急事態宣言が地域ごとに徐々に解除されるにつれ、学校を再開、または再開に向けた動きが始まっています。
22日、文科省は学校再開に関して、『学校の新しい生活様式』という新型コロナウイルス感染防止のためのマニュアルを全国の教育委員会に通知しました。

休校が長引く中、コロナウイルスの感染リスクは理解しつつも、これ以上の休校が生徒たちの教育に与える影響を考え、学校再開の声が多く上がっていました。
政府の緊急事態宣言がどんどん解除に向かう中、文科省はコロナウイルスの完全収束を待たずに学校再開を考えているようで、現にいくつかの自治体では学校再開が始まっています。
その他の自治体でも近々再開する見込みで、これに伴い文科省は具体的に学校生活をどのように行うべきかを示しました。

それによると地域の感染レベルを三段階に分け、それぞれのレベルに応じた対応が求められています。

レベル1
「感染観察」に相当する地域で、レベル2以外のもの。
学級内では1メートルの間隔を取るように努める。
感染リスクの高い教科活動(理科の実験、合唱、管楽器演奏、調理実習、密集運動など)は感染対策をして行う。
部活も同様。
給食は衛生管理を徹底し、通常の提供方法で開始。
休み時間は体が接触する遊びはしない、会話は一定距離を保ちながら行う。

レベル2
「感染観察」及び「感染拡大注意」に相当し、感染経路が不明な感染者がいたため当面は要注意な地域。
学級内ではできるだけ2メートル(最低1メートル)程度の間隔をあける。
感染リスクの高い教科活動や部活はリスクの低い活動から徐々に行う。
給食は通常の提供方法に徐々に戻す。
トイレ休憩は混雑回避のため動線を提示。
廊下では私語を慎む。

レベル3
「特定警戒」に相当する地域。
学級内ではできるだけ2メートル(最低1メートル)程度の間隔をあける
感染リスクの高い教科活動は行わない。
部活は個人や小人数でリスクの低い活動を短時間で行う。
密集が発生する運動、接触が多い活動はしない。
給食は配膳省略などの工夫をする。
トイレ休憩は混雑回避のため動線を提示。
廊下では私語を慎む。

これは政府の専門家会議が示した都道府県ごとの「特定警戒」「感染拡大注意」「感染観察」の区分を参考にレベル分けわれており、各レベルにおいてどのような行動、対策をすべきか述べられています。

集会や教室での配置は目安となる感覚が取れるように工夫をし、必要ならば分散登校や時差登校をするように提案しています。
授業における活動についても、距離が近いものはレベル3では行わず、レベル2ではリスクの低い活動から徐々に実施を検討するよう求めています。
生徒や教職員は常にマスクをつけるようにする一方、熱中症の恐れがある場合や体育での授業では必ずしもつけなくて構わないことになっています。
医者から登校すべきではないと判断されたり、感染の恐れで保護者が欠席を希望した場合は欠席扱いせず、「出席停止・忌引きなどの日数」として記録することも可能とした。



個人的にこのマニュアルから感じることは、具体的なようで結構分かりにくいということでした。
学校の警戒レベルと地域の警戒レベルがどの程度一致しているのか、保護者や生徒・学校関係者はどのようにしてそのレベルを知ることができるのか分かりにくかったです。
(多分、教育委員会が通達するのでしょう。)
特に距離の問題は、すでに一教室40名程度の生徒がいるクラスでどのように間隔を確保するのか示されていません。
いくら席をずらすなどの工夫をしてもこれだけの距離を開けるのは無理でしょう。
そうするとクラスを分け、一教室当たりの人数を減らすのが現実的ですが、そうした場合どのようにして余分の教室を確保するのか、またクラスが増えた分(それに伴い授業の数も増える訳ですが)の教員をどのように確保するのか書いてありません。
現行の人数でやるにはクラスを分散することも考えられますが、そうすると平時でも激務な教員の仕事がより増すことになり、肉体的精神的限界に達すると思われます。
これは最も根本的な問題で、ここを解決しないことにはこれらの対策は無理です。

夏休みの縮小も叫ばれていますが、猛暑の中、エアコンもなく(あったとしても密室を防ぐために窓は開けっぱなしになるので使えないでしょうが)、パソコンなどのICTも備わってない状況で、会話もできず体を自由に動かすことも止められて、生徒たちの学校生活は大丈夫でしょうか。
成長期の彼らの体への影響、そして思春期での心への影響が心配されます。
この辺りもカウンセラーなど十分なケアができる体制が必要なのですが、そこも具体的にどのように対策するのかよく分かりません。



今回のコロナウィルスに関する件では、平時のときにいかに学校環境を改善してこなかったか、その怠慢ともいえる体質がもろに現れたように思われます。
海外の教育先進国ではコロナウィルスによる休校になっても十分に教育は保障され、再開もスムーズに行われています。
しかし、日本ではそうはいきません。
日頃から教育に対する投資を怠った結果と言わざるを得ません。
これを機に政府は予算の配分を考え直し、将来を担う人間の育成に本気で取り組んでほしいと思います。
コロナウィルスによる混乱の中、政府は形式的な目標や指針を示すだけで、具体的にそして実践的にどう取り組むのかは現場に丸投げして深く考えていません。
自分の責任逃れの言い訳ができる程度にしか考えず、本当に現場の生徒たちのことを思っているのか疑問です。

このような状況なので葛西TKKアカデミーは真に生徒のことを考え、教育の手助けをしたいと思います。
一人ひとりに正面から向き合い、共に歩み、生徒たちの力になります。

コロナウイルスによる休校の影響でオンライン学習が注目されています。今回はオンライン学習には叶わないことから学校の意義を考えてみましょう。

コロナウイルスによる休校の影響でオンライン学習が注目されています。今回はオンライン学習には叶わないことから学校の意義を考えてみましょう。

コロナウイルスの影響で学校の休校が続きます。
集団感染を防ぐため生徒たちは登校せずに外出も自粛されています。
学校からは課題が出され家庭学習となっているのですが、実質的な授業がないのでそれにも限界があります。
学校がなくなったことによって起こる勉強の遅れや家庭内のいざこざに対する不安や心配の声が上がっています。

そこで注目されるようになったのがオンライン学習です。
スマホやタブレット端末、スマホなどを使いインターネットを利用して勉強を行います。
学習ドリルのようにアプリをダウンロードして提供される授業動画を見て勉強の理解をし、付随している問題を解き学習の定着を図ります。
または、zoomなどの双方向のICTを利用して、学校から配信されるライブの授業を受けれるものもあります。
政府としても教育のICT化を進めていますが、現実にはなかなか進まず全生徒にタブレット端末やパソコンが揃わない状況です。
しかし、一部の公立学校や多くの私立学校ではICT化が進み、すでにオンライン学習を実践している所もあります。

このコロナウイルスによる混乱で学校に行けなくなったとき、自宅にいながら授業が受けられる仕組みとしてオンライン学習が評価を受け、全国的に一刻も早いICT化とそれによる家庭学習の振興を求める動きが高まっています。
(学校に行けないからと言って生徒たちをいつまでも教育をストップしておくわけにはいかないですからね。)

とは言え、安易にオンライン学習さえできればもうなにも必要ないという、オンライン万能主義には危険です。
オンライン学習ができないことや不得意なことを考え、現行の教育の意義を考えることは十分に価値があると思います。
本日はその点について議論してみましょう。



コロナウイルスに限らずオンライン学習が活用できるということは不登校や遠隔地教育、病気療養のために学校に行けない生徒にも学習の機会を広げるという意味で有効です。
また、学習の近代化はある部分、勉強効率を上げることにもつながりメリットがあります。
(例えば、生徒が一斉に解いたテストをオンラインで提出すれば瞬時に採点されその評価が記録され個々の得手不得手だけでなく全体としての傾向も簡単に知ることができます。)
子供たちの好きな動画やゲーム感覚の演習などで勉強に興味を持たせ、より深い学習につながるとも考えられています。
コツさえつかめば図書館などで調べるよりずっと簡単に資料や論文を手にできます。

しかし、学校教育という仕組みを考えたとき、オンライン学習だけでいいかというとそうでもないような気がします。
単に知識の習得が目的であればオンライン学習で十分で学校は必要ないように思えます。
では、何のために学校があるのでしょうか。
それは「人と人の交わり」ではないでしょうか。
人間が社会的動物であり、いくら技術が発達しても人の交わりなしに一生を過ごすことはできないでしょう。
人間から社会性を奪ってしまえば健全な人間は育たないと思います。
だからこそ、学校などの物理的に人間が生身で接触できる場が用意されているのであり、いい意味でも悪い意味でも人との触れ合いの中から知識以上の知恵や意義を見出していけるのではないでしょうか。
このような人格形成や社会性を身に付けるのも教育の欠かせない役割です。

もちろん現行の教育が完璧でオンライン学習に反対している訳ではありません。
今の学校教育は問題だらけだし改善の余地は大いにある。
オンライン学習の有用性は間違いなく否定できるものではなく、活用していいと思います。
どちらか一方の二者択一と考えるのではなく、お互いの長所を生かし短所を補い合うことで、より生徒のためになる教育を目指そうと思うのです。



子供の成長には個人差があり、早い子もいれば遅い子もいます。
現行の教育ではこれらの生徒を全て同一のクラスに配し、同じ授業を行うのだから個人個人で見れば不公平だし、順列が評価の基準となっているから、人間の一面だけ取って優劣を小さい頃から付けられる。
これにより子供たちが優越感や劣等感を持ち、いじめや様々な弊害を引き起こすこともあります。

オンライン学習であれば個々のレベルに応じて学習進度を変えることもできます。
この点において音来学習は有効です。

しかし、社会は多様な人間の集まりであり、その中でもうまく付き合っていける力が無いといけません。
これは実際に本人たちが自分の経験を通して出ないと分からないことです。
何も問題にぶち当たらず大きくなれば幸せな子供時代なのかもしれませんが、大人になったときに大変です。
むしろ、いろいろ失敗し、悩み苦しみ、その中でいろいろ考え人間をそして社会を理解していく方が、世間に出たときに強い人間になれると思います。
痛みを知るからこそ、人にやさしくもなれるでしょう。
当然、加減や相手の気持ちなどが十分に分からない子供たちだから、それをフォローし支えてやる大人の存在は非常に重要であり、そんな責任を持つ教育が必要です。

SNSの発達はいじめなどの問題行動をより表面化させにくくしています。
そんな時に周りに誰もいないと子供たちは孤立し、有効なアドバイスや相談相手がいなければ解決方法が見つけられず、将来に絶望し、最悪自らの命を絶つこともあります。
そうでなくても、外部は怖いものだと思い込んだり、人とどうして接すればいいか分からなかったりして、自分の殻に閉じこもってしまうかもしれません。
人間として社会の中で生きていくことを考えたとき、これは知識以上に大変な問題です。
そのようなことにならないためにも学校という場が不可欠であり、オンラインで全てやってしまえばいいというものではのだということを強調したいと思います。

勉強の遅れは卒業までに取り戻せばいい!?最上級生はどうなるの?文科省がまた一つの方針を固めたようです。

勉強の遅れは卒業までに取り戻せばいい!?最上級生はどうなるの?文科省がまた一つの方針を固めたようです。

連日のようにコロナウイルス関連の記事を書いていますが、本日、学校再開に関して新たなニュースが飛び込んできましたので考えてみたいと思います。

そのニュースとは、現在コロナウイルス感染防止のため一斉休校が行われていますが、それに伴い生じた勉強の遅れは複数年で解消することを認める方針を文科省は固めたというものです。

これはどういうことでしょうか。
学校教育には学習指導要領というものがあり、各学年が学ばなければならない内容を示しています。
そして、学校はこの指針に基づき授業を行います。
しかし、コロナウイルスによる休校で現在、授業が行えない状態に陥っています。
学校教育は学習指導要領に従って各学年で学習する内容を習得させなくてはならず、授業がない状態が続くということは年度の残された時間内に全ての履修項目を教えることが困難、または不可能になるということです。

それを解決するために様々な案が出されていますが、どれも一長一短であります。
今回の方針はその選択肢のいくつか(9月入学、履修項目の縮小など)を放棄したことを示しているように思われます。
しかし、文科省の表現では「複数年で後れを取り戻すことも認める方針」であって、明確に9月入学や履修項目縮小を止めるとは言っていません。
全てを明確にせず曖昧なまま時間ばかり過ぎ、渦中にある学校現場や生徒、家庭は身動きが取れないまま不安と混乱が増すといういつものパターンがここでも見られます。
特に受験を考えるなら一刻も早く決めてもらえないと準備が間に合わなくなります。
生徒や保護者には一生の問題で人生を左右されるかもしれないという心配と焦りがあるのに、政府の対応はそのあたりを全く理解していないように思われます。
「いろいろな意見があるが大いに議論して決めていただければいい」という発言は他人事のように聞こえます。
そして、いつものように無茶な指針(目標、ゴール)だけを提示して、その詳細や実践は一切現場に丸投げ。
大学入試改革のときもそうですが、今回も同じことを繰り返すように感じられます。
緊急事態だからこそ、責任逃れのための方便(に思われるようなこと)ばかりではなく、学校教育の長がリーダーシップを発揮し、この未曽有の教育危機を乗り切れるようにかじを取ってほしいです。
正直頼りなさ過ぎて悲しいです。
にもかかわらず権限だけは握っているからこのような文科省の態度では現場は身動きが取れない。
生徒のためと言いつつ自分の保身ばかり考えていると批判されても仕方ないでしょう。



実は今年度から学習指導要領が新しくなり、21世紀型教育と呼ばれる教育に学校が変わっていくはずでした。
これは小学校から大学まで巻き込む戦後教育史上最大の改革と言っても過言ではありません。
(細かいところはここでは述べませんが、これまでにも教育改革について書いた記事がいくつかあるのでそちらを参考にしてください。)
この教育改革は理想的すぎるくらい高度な教育を要求し、その開始は2020年度(オリンピックイヤーだから)という点は当初から決定しており、実際にはその準備や教員の訓練などは十分でないまま見切り発車された形です。
教育改革の是非はこの際置いておいて、今年度から学習内容が大幅に増え、教授法も高度になりまともにやれば時間もかかり、しかも教員にもかなり高いレベルの技能が要求されます。
これまでの学校教育とは別物と言っていいレベルのものです。
それを今年度からやらなければならない矢先に今回の騒動です。
これまで以上の濃い内容の教育をこれまでよりずっと短い期間で修めなければなりません。

今回のニュースは文科省に学習内容の精査厳選は必要なく、履修内容に変更なしという意思を示したとも捉えられます。
本当はそこまで考えていないのでしょうが、世間にはそのようなメッセージで伝わります。
そこまで不慣れな教育にこだわる必要があるのかというのが正直な感想でもあります。
オリンピックも延期されたことだし、きちんと用意ができてから教育改革を行えばいいので、このような緊急事態ではむしろ教育内容を精査にできるだけコンパクトにすることで時間を確保し、生徒への負担を減らしつつ確実な教育を身に付けさせるべきではなかと思います。
いくら高度で理想的でも実践できなければ教育改革も絵にかいた餅です。
文科省の本気度には疑問を感じます。
現に、ICT化は遅々として進まず、公立学校のほとんどが全生徒にタブレット端末やパソコンが行き届いてない状態です。
ここでも口先だけいいこと言って後は現場に放り投げるという無責任さが感じられます。



低学年は複数年で後れを挽回するとして、最上級学年はどうなるのでしょうか。
文科省によると、卒業年次の小6と中3(残念ながら義務教育でない高3については何も触れらえれていません。本当は最も今後の動向をはっきりしてほしい学年であろうはずなのに)は分散登校で優先的に登校させるなどして本年度中に後れを取り戻すように求める。
ここでも「求める」と現場任せで自分たちは相知らずに聞こえます。
本来受験に直接関わり他学年以上に多くの勉強時間を必要とするこれらの学年に、より短い時間で終わらせろと言うのは酷な話です。
学校だけでは無理(体裁だけ整えるなら話は別ですが)で塾など学校以外のサポートにアクセスできる家庭でないと受験には太刀打ちできないでしょう。
コロナウイルスで学校間、地域間、そして家庭の経済的状況で教育格差がすでに生じていると指摘されていますが、それをより大きくし全生徒の学ぶ権利が保障されないという、学校教育が最も重要な点が守られないということが分かっているのでしょうか。
教育の平等性、入試における公平性が傷つけられます。

因みに、学校再開はコロナウイルスが完全に終息してからではなく、感染リスクを避けながらの再開になることを文科省は想定していると「分散登校」などのキーワードから伺いしれます。
分散登校や一学級の人数削減はこれまで以上の教室と教員を必要とします。
教室確保においては公民館や図書館などの学校以外の施設の活用を考えているみたいです。
ただ問題はコロナウイルス感染リスクを抱えたままの学校教育に卒業年次の生徒を優先させるということは、彼らの感染リスクをより高めることになり、受験という大事な時期に病欠または登校停止になる恐れがあるということです。
また、感染症という性質上、感染者が現れれば当然その周囲の人間も登校できなくなり、教室単位、学校単位でまともに受験準備のできていない生徒が発生するのではないでしょうか。
こんなことで本当に受験に立ち向かっていけるのか心配です。
文科省は形だけでも修業させることが大事で、今回の方針ではそこまでは考えていないのではないでしょうか。



長くなってしまいましたが、今回のニュースに関していろいろ考察してみました。
いろいろな所で学校教育が混乱しているのに、そのトップはのんきに見えます。
もっと真剣に子供たちと彼らの将来のことを考えてほしいです。
そうしなければならない自覚すらあるのかと疑います。

現在、この混乱に巻き込まれて不安な日々を送っている生徒及び保護者の方々には、その胸中お察し申し上げます。
私も今回の件に関しては本当に心配で何とかしないといけないと常に考えています。
小さな私塾ではありますが、一人でも多くの子供たちを救いたいと思っています。
絶対に力になります。
困ったときは何なりとご相談ください。
全ての子供たちを応援します。

学校再開に関して様々な案や意見が出されています。では、現状ではどのようなシナリオが最もありえそうでしょうか。

学校再開に関して様々な案や意見が出されています。では、現状ではどのようなシナリオがありえそうでしょうか。

休校が長引くと授業ができず、勉強が遅れることが懸念されています。
長引けば長引くほど年度末に近づき、同時に後れを取り戻すゆとりも減り、生徒にかなり集中的な勉強を課すようになるかもしれません。
もしくは、時間的に挽回は無理かもしれません。
いずれにしても、生徒の負担を考えれば、早期の再開が望ましいと思われます。

しかし、依然としてコロナウイルスに脅威は去っている訳でなく、学校再開が新たなクラスターを生み、生徒の集団感染を引き起こす可能性は否定できません。

では、どうすればいいか。
その方策は以前、こちらの記事で書きましたので、それを参考にしてもらいたいと思いますし、また関連の記事を今後も執筆する予定です。

今回議論したいのは、現状の世論や政府の動向を見て、個人的ながら今後どのようなシナリオで学校が再開されるのか考えてみたいと思います。



福岡やいくつかの自治体の中ではすでに、休校による勉強の遅れを取り戻すため夏休みの縮小、土曜登校、7時間授業を視野に検討を表明しているところがあります。
半数以上の自治体は夏休みを短縮や学校行事の縮小は地方を中心に半数以上の自治体が行う見込みです。
このことが意味することは、自治体としては可能な限り早く学校を再開する方針だということです。

コロナウイルスとの兼ね合いで保護者や社会にどのような説明をするかは別として、教育委員会ではこれまで失った授業時間を学校行事を削ったり、休日や放課後を返上して確保することで、年度内に学習指導要領の内容を終了させるという考えであることが伺えます。
これは比較的制度の変更や費用を伴わず、分かりやすく達成しやすい方法ではあります。
(様々な対策案は『学校再開に向けた動きが出始めています。再開した時にどうやって遅れを取り戻すのか。いくつかの案の利点と問題点を考えます。』の記事を参考にしてください。)
しかし、これは教育委員会などやらせる立場の人間にとっては簡単な施策ですが、学校の教員や生徒には非常に大きな負担を強いることになります。
今年度から新学習指導要領になり、小学校の英語などこれまで以上に学習内容が増え授業時間も多くなったのに、それに加えて遅れた分の授業を追加する。
しかも、終業時期はこれまでと同じ。
これは現場にかなり集中的で圧迫された教育を強いることになり、教員も生徒も疲弊するでしょう。
このことが子供をより勉強嫌いにさせる危険性も高いです。

しかも、コロナウイルスの完全収束を待っての再開ではないでしょうから、そうするとコロナ対策をしながら学校の活動を行うようになる。
当然、様々な制約が生まれこれまでのような十分な学校教育は提供できないことになります。
密集を防ぐため、席を開ければ当然一クラス当たりの生徒を減らさなくてはならず、そうすると教室(授業数)は増え、これまでと同じ教員数ではとても手が回らないでしょう。
相当数の教員の追加が求められますが、果たして確保できるのでしょうか(恐らく難しい)。
体育や音楽も体が接触するもの飛沫が起こることはできなくなります。
バスケなどのスポーツや合唱などは行えません。
給食も感染を心配し、お弁当形式で生徒は同じ方向を向いたまま、おしゃべりもなく食べます。
休み時間も外で騒ぎながら遊ぶことは許されないでしょう。
修学旅行や運動会など、学校生活の思い出になる行事も中止または縮小になるでしょう。
こう考えると学校生活は非常に味気ないものになります。

全てに勉強の遅れを取り戻ことが優先され、学校生活の意義は後回しにされるでしょう。
しかも、コロナウイルスの感染リスクを常に考えながら。
ここまでして早期再開を目指す必要があるのか疑問ではありますが、文科省や自治体はこちらの方向で現在話が進んでいるようです。
これを行うのはかなり困難で、お上の要望を満たしながら現場の対応をするのであれば表面的な実施で留まるのではないかと思います。
つまり、やりましたという形式だけは整え、実際にどのようにやって生徒が勉強を習得したかどうか、学校生活を豊かに過ごしているかどうかは二の次ということになるでしょう。
現実的に妥協点を見出せばこうするしかありません。
文科省や教育委員会の体裁を取るために生徒が犠牲になると言っても過言ではないと思います。



最近ますます世論から指示を得ているのに「9月入学」があります。
こちらも以前書いた記事を参考にしてください。
特に受験生とその親からはこの案が当初より出され、世間的にも理解の動きが広まっています。
この時期に3か月も授業が行われないことは受験生にとって致命的です。
しかも、学校や地域、また家庭環境によってオンライン授業などで、休校中でも授業が受けられた生徒とそうでない生徒ができ、学習格差が生じている。
公平性を重視するならばこの不公平をなくすために、9月から新年度として受験生のスタートラインを一律にそろえるべきだという考えです。
(すでに格差が生まれているので差を「0」にすることはできませんが、小さくはできるかもしれません。)

しかし、これは受験生だけでなく学校制度全体に関わる問題で、制度の改定や時期の変更に伴う様々な費用と問題点、そしてこれは社会制度にも関わってくるので、学校教育だけで決められる問題ではないというのが文科省や教育委員会の立場のようです。
一応、選択肢の一つと言って今は否定していませんが、この変更を行うなら今すぐ取り掛からないと、今年の9月には到底間に合わないと思います。
しかし、政府はいまだに「9月入学」を表明せず、準備にも取り掛かっていないように思えます。
すなわち、「9月入学」の意思はないと見なしていいと思います。
残念ながら、今年の受験生は非常にタフな状況に陥ることになります。
そうでなくても新制度で入試が今年度から変わり、その制度自体も去年から引き続き指摘されている問題点に回答も出されないまま、どうなるかはっきりせず翻弄されいるのに、それに加えてコロナウイルスによる休校と学習格差。
本当に不幸としか言いようがなく、かわいそうで仕方ありません。
必要であれば、葛西TKKアカデミーがいつでも力になります。



要点をまとめると、私見ではありますが、文科省や自治体は可能な限り早期の学校再開を目指すでしょう。
そこには「9月入学」という選択肢はないと思われます。
だから、受験生は相当大変な受験勉強をしなければなりません。
受験生以外も、学校の授業が集中的に行われ教員も生徒もかなりの負担を背負わなければならなくなります。
政府としては年度内に学習内容をやったという事実だけが重要なので、生徒が勉強を身に付けているか、学びを楽しんでかは関係ありません。
分からないからと言って一人ひとり指導していく余裕はありません。
形式だけ整えて無理やり進学させるから、生徒の置かれている環境で勉強の格差が生じます。
今の生徒は学校から教育格差を是正する手立てもなく、受験・進学をしなくてはなりません。
しかも、新学習指導要領になる勉強はこれまでより一段と高度なものになっており、合わせてついていけない者は格差をることもできずに学校教育を終えなくてはいけません。
これは教育格差であると同時に社会格差でもあります。
これらは非常に深刻な問題でありながら、学校では解決できないだろうし、文科省や教育委員会が手を差し伸べてくれるわけでもないでしょう。
全ては自分たちでどうにかしろということになると考えられます。

本当に教育の危機です。
弱い立場の者はますます弱くなります。
学びたいものが自由に学べないのは憲法の理念にも反します。
葛西TKKアカデミーはこれを許しません。
学びたくても学べない生徒を助けます。
困ったときは遠慮なく、葛西TKKアカデミーを当てにしてください。

コロナウイルスの影響で日本の教育は混乱を極めています。海外はどうでしょう。教育の先進国と言われるオランダの公立小学校の例を見てみましょう。

コロナウイルスの影響で日本の教育は混乱を極めています。海外はどうでしょう。教育の先進国と言われるオランダの公立小学校の例を見てみましょう。

コロナウイルスの脅威が世界を席巻しています。
日本では総理大臣の休校要請により、3月2日から春休み終了まで学校を休みにすることを決めた自治体が多くありました。
その後も収束の兆しが見えず、生徒の安全を考えゴールデンウィーク明けまでに延長。
更に再延長。

中央からの突然の休校の通達により、学校の現場、家庭は大混乱。
学校では、三学期も半ばでまだやり残している授業をどうすればいいのか、年度末の行事の多い時期にどう対応すればいいのか、何よりも早急の問題としてすぐに始まる休校の間、生徒をどうさせればいいか。
十分な時間も与えられず準備もままならないまま休みに入ってしまいました。
家でも急に子供が家で過ごさなくてはならなくなり、親がはたらいている間どうすればいいのか。
特に一人で留守番のできない低年齢の子供のいる家庭では、誰に子供を見てもらえばいいのか。
突然のことに何も分からないまま休みに突入したわけです。
突然の休校と混乱、そして十分な対応がなされないまま月日が過ぎてしまいました。

では、海外ではどうだったのでしょうか。
何か日本のヒントになるかもしれません。
ここではユニセフから「世界一の教育」と認定されたオランダの例を見てましょう。



これはオランダで新型コロナウイルスの脅威が広がり、日本と同じように学校が休校となったとき、実際にオランダに在住していた日本人の母親の話です。

突然の休校
3月15日の午後5時半、政府から学校及び託児所の一斉閉鎖が言い渡されました。
しかも、休校は翌日の16日からとりあえず4月6日まででした。
日本と同様に、オランダの学校も突然のことで驚いたそうです。
なぜなら、3月12日では首相が「学校の休校はない」と発言していたからです。
だから、誰もがまさかこんなに急に発言が覆されると思ってなく、十分な準備はしていませんでした。

更に政府は医療、警察、公共交通機関及び消防等に従事する親のため、学校及び託児所での受け入れを無料で手配すると、緊急提言に付け加えました。
これは学校は休校準備のみならず、そういった職業の保護者をもつ生徒の把握を行わなくてはならないことを意味していました。

テレビの緊急提言の数分後には、日曜にもかかわらずすでに学校から保護者当てにメールが届きました。
その内容は、休校中の預からなくてはならない生徒を把握するため必要な家庭は教えてほしいこと、翌日には教師と遠隔教育を実現する方法について計画立てること、可能な限り最高の教育を提供するため最善を尽くすことだったそうです。
このメールによってこの母親は教育が止まることないのだと安堵しました。

1日目
学校から何通ものメールが届く。
その要点は
1.休校中の勉強は水曜日(翌々日)から始められるように努める。
2.「Social School(学校と保護者との連絡用アプリ)に生徒本人のアカウントを作ること。休校中はこれで生徒と教師がやりとりする。
3.教材アプリを使ってオンラインで行う勉強もある
4.デジタルデバイスやwifi環境が無ければ教えてほしい
ということでした。

オランダの小学校ではデジタル化が進んでいて、通常授業にiPadなどをすでに導入して授業を行っています。
ここで使ているアプリを自宅学習でも活用するのだそうです。
家庭に複数人の子供がいて全員にデジタルデバイスが行き届かないときは、学校が貸し出しなどで柔軟に対応することもできます。

2日目
予告通り水曜には自宅学習用の教材の用意ができ、各家庭が取りに来るように連絡が入った。
日本と同じように感染を防ぐため、可能な限り一人で取りに来て、受け渡しは強者の入り口、イニシャルごとに時差で来校するようにしました。

3日目
教材の受け渡しが行われました。
既にバッグに入った教材が用意され、受け渡しはものの数秒で終わりました。
中には、休校中3週間分の勉強スケジュール、読書記録表、コロナウイルスに関するクロスワードパズル、第二次世界大戦に関するストーリーとワークブック、算数解説プリント、書き取りドリル、新しいノートが入っていました。
(このときは戦争をテーマにした勉強をしていて、その資料をそのまま渡される。)

この時点でオランダの学校の88%でほぼ完全に遠隔教育が実現されたそうで、9割の小学校が似たような速さで遠隔教育の準備を進めたそうです。

4日目以降
こうして自宅学習が始まりましたが、休校中でも教師は生徒と連絡を密に取っていました。
教師はチャットで生徒の質問に可能な限り即答し、オンラインBasisipoortというサイトに教材を用意し、ログインすれば生徒が受け取れるようになっていました。
ドリルなど紙ベースの教材は、一日ごと担任当てに画像をアップロードするようになっていました。
体育の教師が運動のビデオを送ることもありました。
更に毎日あいさつを兼ね教師から生徒へ質問メールも届きます。
内容は「無人島に行くなら誰と行く?」というような他愛もないものですが、これを通して生徒との交流が保たれています。

これだけの体制を突然の休校要請からたった二日で作り上げたことは、称賛に値します。
保護者としては「意外なほどすんなりと移行できた」という印象だったそうです。
オンライン授業よりも自習に重点を置いたのも自宅学習への移行を円滑にした要因ではないでしょうか。
もちろんすでに普段から教育ソフトを活用し、生徒も教師も慣れていたことも大きいと考えられます。
オランダの授業は日本ほど講義中心ではなく、教わるというより自分で学ぶというスタイルがメインなので自宅学習でもさほど支障がなかったのかもしれません。

以上が、オランダの小学生の母親の体験と感想でした。



日頃の教育に対する取り組みの違いが、この有事における対応の違いとなって現れたのではないでしょうか。
いち早くデジタルデバイスを普及させ、日頃からこれらに慣れていたので、自宅学習になってもさほど移行に問題が起きなかったようです。
日本も随分前から導入を言われていたのですが、実際には遅々として進まず、今回の件で慌ててオンライン授業とか叫んでいますが、とても間に合いません。

そして、各学校がほんの二日で休校中の課題を用意できたのは驚きです。
これは教員の教育に対する責任感からか、熱意からなのか。
学校システムの違いも関係するかもしれませんね。
(日本では現場任せでありつつ、裁量の自由度は非常に低いと思います。)
また、学習スタイルも「自ら学ぶ」というもので、日本のように学校に頼りっきりの教育でないことも、自宅学習が可能だった理由でしょう。

そして何よりも、早い時点で学校及び政府が「教育の保障」を明言したことにより家庭の不安を取り除き、安心感を与えられたことが最も大きなカギのように思われます。
こうして心に余裕ができれば、家庭も協力的でいられるし、実際に毎日の教師とのコミュニケーションが目に見えて分かり、学校が実際に子供への教育を疎かにしていないことがはっきりと伝わるのも重要なポイントだと思います。
先行きが全く見通せず不安ばかりの日本の教育とは大違いですね。

オランダの例は大きな社会レベル、学校などの組織レベル、そして家庭や生徒と教師など個人レベルの各レベルにおいて非常に参考になると思います。
しかし、だからと言ってこれらをそのまますぐに日本に当てはめることができるかというと、そうはいきません。
体制が違いすぎます。

では、どうすればいいのでしょうか。
オランダの実践から得られた教訓に学びつつ、日本の現状にどう向き合うか。
文科省や自治体が明確な指針や具体的な対策が示されないのであれば、個人レベルで対応するしかないのではないでしょう。
そして、葛西TKKアカデミーが困ったときは必ず力になります。
どんなことでも構いません。
先ずは相談してください。
救いを求めていることを知らせてください。
そうすれば私たちの手が届きますから。

学校再開に向けた動きが出始めています。再開した時にどうやって遅れを取り戻すのか。いくつかの案の利点と問題点を考えます。

学校再開に向けた動きが出始めています。再開した時にどうやって遅れを取り戻すのか。いくつかの案の利点と問題点を考えます。

緊急事態宣言の延長を受けて多くの学校は5月いっぱいまで休校の見込みです。
政府は状況をみて宣言の短縮もあり得ると言っていますが、学校は今月中や休みとみていいでしょう。
まだ、具体的なことは何も決まっていませんし、決まったとしてもその準備には時間がかかります。
問題は6月以降はどうなるかです。
文科省はいろいろ考えているようですが(考えているようなそぶりですが)、いつも最後は自治体の判断に任せるというだけです。
学校再開後のクラスター発生と感染の拡大が起きたときの責任逃れのようにも聞こえますが、本日は学校再開後はどうなるのか議論されている政策案について考察してみます。



1.夏休み短縮や土曜登校などで通常以上の授業時間の確保で遅れを取り戻す
今、多くの自治体で考えられているのがこの案です。
3月から考えれば3か月分、6月以降も休校が続くなら更にそれ以上の授業数が行われないままとなります。
学校再開時にはそれを取り戻さないといけないのですが、問題はどうやってこれだけの時間を確保するかです。
既に学校行事の縮小や中止も検討されていますが、それだけでは当然足りません。
そこで考えられているのは一日の授業時間を7限目までにし、加えて土曜授業、それから夏休みを短縮して失った分の授業時間を確保するというものです。

利点としては予算が少なくて済むし分かりやすく実行しやすいという点があげられます。
しかし、子供たちへの負担はかなり大きくなります。
子供たちが楽しみにしている夏休みや年中行事を削って、学習意欲が保たれるのだろうか。
これまで以上に勉強に取り組まなくてはならず、集中力が持続するだろうか。
家族や友達と過ごす自由な時間、自分の好きな趣味などに費やす時間も人間の成長を考えたとき重要なのではないか。
単純な時間のつじつま合わせになって、学習効果が本当にあるのか。
反って勉強が身に付かず、勉強嫌いの子供をより多く生み出すのではないか。
様々な問題点が指摘されています。
緊急事態だからと言ってなりふり構わず子供たちの時間を奪うことは、子供たちの健全な育成につながらないと思います。
教育の目的はただ決められた学習事項をやればいいというものではありません。

また、教員も休みが削られた分過剰労働となり、十分な教育ができるのか。
そうでなくても最近、学校教員はブラックな仕事だということで問題になっています。
そうでなくても過労死ライン越えの過重労働が指摘されているのに、更に過酷な状況で授業の準備もままならなくなるでしょう。
特に夏休みは、教員は休みではなく研修などをたくさん受けるときで、それができなくなることで授業の質が落ちるのではないかという懸念もあります。
また、部活では大会やそれに向けた練習もありますが、これではまともな部活動はできないでしょう。
生徒の中には部活での進学を考えている人もいますが、当然彼らには不利になります。

これらの問題点を考えると実行は簡単ですが簡単に話を進めていいものでもないでしょう。
詳細までよく検討し、指摘される問題点をいかにクリアしていくかがカギとなります。
しかし、現実的にはかなり厳しい問題で、やるならどこかでしわ寄せが出るでしょう。
そのしわ寄せを誰が被るのか、きちんと納得して受け入れられるのかという問題も出るでしょう。

2.先端技術を使って授業のスピードを上げる
これは学校で重点的にする内容と学校では簡単に済ませる内容を分けてメリハリをつけた授業を行うというものです。
家庭学習等で生徒が予習を行うことで授業に要する時間を短縮できる。
練習問題や宿題はICTを活用して、生徒それぞれのレベルにあったものを提供することで、生徒の習熟と習得を図りつつスピードを上げて勉強を進めます。
これは学校の年間スケジュールは大きく変えないので社会的影響は少なくて済みます。
しかし、スピードが上がるということはそれだけついてこられなくなる生徒が増える可能性が高いということです。
休校中の過ごし方ですでに生徒間には教育格差が生じていると言われます。
この方法はそれを更に拡大させる恐れがあります。

また、生徒が学習内容をきちんと理解しつつスピードを上げるということは、教員の腕により左右されるということでもあります。
能力のある教員ならいいのですが、そうでない場合、どんどん先に進むだけで誰もついて来ていないということもあり得ます。
特にICTなど最新技術の経験が浅い教員ならば、その力を十分に活用できず、技術的トラブルが起きたときの対応もできず、反って授業以外のところで時間を取られ進度が遅れるのではないかという心配もあります。

授業を駆け足で行うということは、その分家庭学習など生徒に頼る部分も大きくなり、更に新指導要領が目指す探求的にな学びができなくなるということでもあります。
実は今年度から学習指導要領が改定され、これまでの暗記中心知識偏重型の教育から自分から考え探求し問題解決を目指すアクティブラーニングなどを含む「21世紀型」の教育に変わります。
これは小学校から大学まで巻き込む大改革で、それに伴い授業内容やカリキュラムが評価方法など大きく変更されています。
これまで以上に学習活動が濃厚になる中、コロナウイルスの拡大が起こり、そうでなくても教員も未経験でどうなるか手探りの状態なのに、更にスピードアップして本当に全ての学習内容を目的通り終わらせることができるのか疑問です。

3.9月入学
三番目は「9月入学」です。
これはちょうど先日触れたばかりなので、そちらを参考にしていただきたいと思います。
これはコロナ以前から海外の年度と合わせることになり、これまで海外の学校に入学するには年度が違うため半年待たなければならなかったが、この問題を解消できるということになります。
しかし、これを行えば保育園から大学まで全ての生徒児童を半年ずらさなければならず、その混乱は単に学校教育に収まらず、就職など社会全体に及ぶでしょう。
受験生は9月からスタートを仕切り直しできるので、このまま4月入学に合わせた受験よりは楽になり、コロナによる混乱と休校の影響を小さくでき、より公平で公正な受験が可能となるでしょう。
入試は教育改革に伴い大きく様変わりする予定で、初めての入試様式に向けて文科省も準備を続けてきただけに、簡単に変更はしないように思えます。
しかも、コロナウイルスの影響のある今年度だけ行うものではなく、一度変更してしまえばその後もずっと続くものであり、様々な制度上の変更も必要になってきます。
文科省や自治体に今それをやる余裕があるのでしょうか。
コロナウイルスだからと言って、それに便乗するようなやり方で変更すべき問題でもないという指摘もあります。
半年ずらすということは半年分の費用が余計にかかるということでもあります。
(更に、半年卒業が遅れるということは半年分の収入が減るということでもあります。)

4.学習内容の削減
休校が長引きすでに3か月分、状況によってはこれから更に多くの授業内容が停止状態になります。
学校が再び始まっても本当にこれらを取り戻せるかかなり怪しくなっています。
物理的にも休校中の勉強の回収は難しいと思われ、それならば今年度の学習内容は特別にカットするという考えです。
手続等多少の労力は必要になるでしょうが、文科省がどの内容を今年度は省略するか示すだけで実行は比較的楽でしょう。
(やらない分を来年度に回すなどすることで授業内容を取り戻すのに余裕ができます。)
焦って急ぐ必要もなくなるので、生徒も教員もゆとりをもって授業に取り組めます。
しかし、内容のカットは制度上文科省が決断しなければならないことで、各学校自治体が勝手にすることはできません。
今のところ文科省にはこの動きはないように思われます。
また、学習内容によってはカットが難しいものもあります。
特に英語や数学など、積み上げ式の色合いの濃いものはその内容選定は厳しいでしょう。
更に、受験に学習内容の変更を反映されるようにしないと、入試で最も重視される公平性と公正性が確保できません。
また、「ゆとり教育」のときがそうであったように、未修学部分が社会人となったときに不利になることも考えられます。



以上、四つの案について考えてみました。
いずれも長所と短所があり、完ぺきな解決方法はありません。
との痛みは回避しどの痛みは受け入れるかという問題かもしれません。
また、入試を考えると遅くとも夏休み前までには方針を決めないと受験の混乱は必至でしょう。
(一般的に、入試問題は6月くらいまでに内容が検討され10月くらいには印刷されるからです。)

今回、話を一番ややこしくさせた原因は文科省が全国一律ではなく、各自治体ごとに対応を任せてしまったことでしょう。
これにより再開した時に、休校中の勉強の対応だけでなく格差縮小の対応もしなくてはならなくなりました。
地域ごとの状況が違うとい意見は分かるのですが、全ての生徒が同じように進学することを考えると、ここは文科省がリーダーシップを発揮し、早くから全国の学校に同等に、この異常事態にどのように対応していくかを示すべきでした。
今となってはもう遅いのですが、これが非常に残念でなりません。

どのようなシナリオになるのかはまだ分かりません。
これまでの対応を見る限り、政府は対処が遅く思慮も不十分で決断力にもと欠けると言わざるを得ません。
だから、政府の対応を待ってから行動するようでは、結局生徒が一番損害を被ることになります。
そうならないためにも、どのような事態にも対応できる備えをすることが利巧です。
葛西TKKアカデミーはそのために皆様の力になる用意があります。
お金とかいろいろ心配もあるでしょうが、今はそんなことは置いておいて、とにかくご相談ください。
今、ここで何とかしないと子供たちの一生に関わります。
ためらわないで、先ずは行動してください。
葛西TKKアカデミーは助けを求める手を決して離しはしませんから。

家庭学習の勧め。親が教えられなくてもいい、一緒に悩みもがく経験を共有することで、子供は大人が自分たちのことを考えてくれると信頼と絆が深まります。どうしても教えられないときは葛西TKKアカデミーにお任せください!

家庭学習の勧め。親が教えられなくてもいい、一緒に悩みもがく経験を共有することで、子供は大人が自分たちのことを考えてくれると信頼と絆が深まります。どうしても教えられないときは葛西TKKアカデミーにお任せください!

コロナウイルスによる休校が長引く中、学校での勉強ができない状況で家庭学習の果たす役割はますます大きくなっています。
学校が再開するまで待っていたら遅れた勉強が取り戻せなくなる可能性が非常に高くなってきました。
小学校、中学校、高校、それぞれに与えられた時間内に定められた勉強が終わるのか非常に怪しくなっています。
特に最高学年ではもうこれ以上残った勉強を次年度に先送りすることはできないので、最悪切り捨てになるかもしれません。
特に入試を控えた生徒にとって、この時期の遅れは死活問題です。
(この混乱の中、来年度の入試はどうするか文科省からの提示はまだありません。)
「きっと勉強は学校が何とかしてくれる」と信じて勉強を学校に任せっきりでは万が一の時取り返しのつかないことになります。
(そして、実際に間に合わなくなる見込みが高くなっています。)

後で後悔しないためにも、今できることをやらないといけません。
学校に任せるのではなく、自分たちで勉強を進めどのような状況になったとしても対応できるように予防線を張っておく必要があります。
だからこそ、今ほど家庭学習が重要な時はありません。

しかし、保護者の中には、「自分が勉強を教えるなんて無理」という方もいるでしょう。
今日はそのことについて述べたいと思います。
親が家庭で教えるコツとそのことの持つ意義について考えます。

そして、どうしても勉強を教えることが困難な場合は、安心してください、葛西TKKアカデミーが必ずお力になります。
コロナウイルスでも安心なオンライン授業もありますし、小規模個別指導塾なので「3密」にもなりません。

だから、最初から投げ出さず、先ずは家庭学習にチャレンジしてみてはいかかでしょうか。
家庭学習で見せる親のその姿勢が子供に単なる知識の習得以上のメッセージを伝えます。



「自分は勉強ができないから子供に教えることができない。だから家庭学習なんて無理。」
このようにお嘆きの家庭も多いと思います。
だから、自分が教えられない分は塾で教えてもらう。
それはそれで間違っていません。
親が勉強を見られたら何の問題もないでしょう。
でも、それができないから家庭学習をしないというのは少し違います。
家庭学習には勉強を学ぶ以外の効果があるからです。

家庭学習が持つ最大の強みは親子が時間を共有できることにあります。
同じ問題に取り組み、一緒に悩み、色々話しあって解決に向かう。
この経験を共有することが、親子間の信頼や親密な関係を育てるのです。
これこそが家庭学習の最大の意義だと思います。

分からなくていいのです。
お互いにアイデアを出したり、時には本やインターネットで調べてみる。
解けなければ、塾や学校の先生に子供が聞いて、帰ってから親に説明する。(この説明する行為も子供の習得に役立ちます。)
こうして共通の話題を持つことが、何でも話し合える環境を作ります。
このことは、外部からは分かりにくいいじめなどの学校で子供たちが抱える問題の早期発見につながります。
子供が孤立してしまうと問題はどんどん大きくなり、気づけば取り返しのつかないことになりかねません。
そうしないためにも親子で健全な人間関係を築くことは大事です。

「分からないから自分でやりなさい。」
「先生に聞きなさい。」
と言われると、子供たちは突き放されたような気持ちになります。
面倒かもしれませんが、子供たちに付き合ってあげてください。

コツとしては時間を決めるといいでしょう。
そうすれば、お互いにだらだらを時間をかけることもなくなります。
1時間だけでもいいので、一緒に考えてあげてください。
この経験が先ほど述べた信頼を築くのであれば、十分にやる価値はあります。

できれば小さい時から習慣として家庭学習ができるといいでしょう。
そうすれば、大きくなっても無意識にお互いに何でも話せる関係でいられるからです。

子供は成長に伴い、様々な壁にぶつかります。
そんな時、周りに信頼できる大人がいることが大きな救いになります。
そのための準備として家庭学習をお勧めします。

「やりなさい」と言うだけでなく、一緒に寄り添ってあげてください。

学校再開はどうなる?昨日に引き続き考えてみます。文科省が再開に向けたガイドラインを示しました。小学1年生、小学は6年生、中学3年生優先の分散登校とは何でしょう。

学校再開はどうなる?昨日に引き続き考えてみます。文科省が再開に向けたガイドラインを示しました。小学1年生、小学は6年生、中学3年生優先の分散登校とは何でしょう。

コロナウィルスによる学校の一斉休校から二ヶ月が過ぎ、更に休みは延びそうです。
ウイルス感染が比較的少ない一部の自治体では近々学校再開のようですが、多くの地域では少なくとも後一ヶ月は休校が続きそうです。
当初の見込み以上に休校が長引き、社会的にもこれ以上休みを延ばしていいものか議論されるようになってきました。
文科省はただちにではないが、いずれ学校を再開せねばならず、その時に向けたガイドラインを5月1日に提示しました。
そこには次のようなことが書かれていました。

1.クラスを複数グループに分け、それぞれ別の教室で授業を実施
2.時間帯や日によって登校するクラスや学園を分散
3.小1、小6、中3の3学年の登校日を優先的に設定
4.小さい兄弟の世話をするなどしていた児童生徒が登校日となった際の兄弟の居場所確保
5.調理実習や密集を伴う運動など感染リスクの高い授業を当面見送り
6.給食を弁当方式に変更
7.休んだとしても欠席扱いにならない

いずれも新型コロナウイルス感染を防ぐために、俗に言う「3密」を避ける方策です。
確かに学校はまさに「3密」の環境でまともに学校再開をすればクラスター化し、児童生徒間の感染拡大は目に見えています。
更に現場としても窓を開け換気、まめに校内を消毒、子供や教員のマスク着用、手洗いの励行、対面式の給食を止める、休み時間などの会話を極力避ける、全校朝礼などの行事は必要最小限に短くし校内放送などを活用し生徒が密集しないようにする、いくつかの学校行事の中止などが考えられています。

「コロナウイルスとの闘いが長期化する」という政府の認識に基づき、いつまでも家にこもってじっとしているのではなく、コロナウイルス感染リスクを抑えつつ学校教育を再開する方針に文科省も変わるようです。

まずは、これまでの全校生徒全員による完全な休校ではなくガイドラインにあるようにグループを小さくし、登校時間をずらすなどすることで空いた教室を使って、生徒を分散させ授業を行うようです。
登校する学年やクラスを日時によってずらし登校日を確保します。
スペースや教員が確保できない学校は小学1年生、小学6年生、中学3年生を優先的に登校日を設けます。
小学1年生は学校そのものが未経験で他の学年より教員による対面での学習支援が必要で、小学6年生と中学3年生は卒業や進学が迫っているから他の学年より優先されるそうです。
飛沫感染を避けるため可能な限り発話は避け、音楽の授業では歌唱は行わず音楽鑑賞が中心となります。
体育も接触や密集が起きやすい運動は止め、給食も配膳の過程での感染を防ぐため弁当容器になるそうです。

このような対策を文科省は示しましたが、学校再開の決定はあくまでも地域の自治体の判断にゆだねるとのことです。
緊急事態宣言は全国規模で行われる見込みなのに対して、学校再開は地方任せという状況に各自治体では困惑を隠しけれないようです。
学校教育という全国の生徒が受ける制度に対して、地域格差が生じてしまうことに対する反発、国の責任逃れという意見も見られます。
いくら学校再開後に勉強の遅れを取り戻すように時間を確保すると言っても、休校は6月半ばまでが限界という声も聞かれます。
つまり、コロナウイルスが収まらないからと言っていつまでも休校を続けるわけにはいかず、続けるならば学校制度そのものの抜本的見直しが必要になるうことです。
それならばなおさら早期の決断が求められるのですが、緊急事態宣言が足かせとなって明確に判断ができない状況になっています。



このように文科省は学校再開を念頭に向けた方向にかじを切ったように思われますが、示されたガイドラインに関していくつかの批判があるのも事実です。
一番の批判は現場の問題です。
このようにグループを細かく分け、生徒を分散させて登校させるということは、それだけ人手が必要になるということです。
ガイドラインには登校日と明記されていますが、授業を行うとは書かれていません。
それでも授業の実施が前提なのでしょう。
だとすれば、一クラスを三つに分ければ行う授業数も三倍になります。
当然それらの授業を行うには教員が三倍必要になると考えるのが普通でしょう。
果たして、これだけの人材を確保できるのでしょうか。

また、生徒体を小分けに登校させるということは、それだけ授業に必要な時間が増えるということです。
そうでなくてもすでに一斉休校から多くの授業時間が失われています。
それを取り戻しながら更に授業数も増やさないということは物理的に可能なのでしょうか。
時間確保が十分でなければ当然進度は遅くなります。
本当に卒業までに必要な勉強を全て終わらせられるのか疑問です。

もちろん実施するとなると現場の教員への負担が非常に大きくなります。
タイミング悪く今年度から教育改革で学校の授業内容が大きく変わります。
小学校の英語やプログラミング、アクティブラーニングなどこれまでとは大きく異なる授業が求められています。
不慣れな授業に学校の先生も十分準備ができているとは言い難く、うまくはいかないだろうから余計にゆとりある教育が求められるのに、今回の事態はそれをすっ飛ばしてしまいました。
内容が増えた分授業数や時間割もいっぱいいっぱいで、学習内容を維持したまま分散登校、遅れの挽回は現実的に無理なのではないかと思います。
(形式的にやったという事実だけを作りたいのならできるでしょうが、生徒の学びを考えるならばいい加減な形だけの教育はしてほしくありません。)

最後に、優先する学年を文科省が表したということに対しての批判もあります。
以前、大学入試で民間の英語検定を入試の一部に組み入れるとしていたことに公平性と平等性の点から大きな反対が起き、結局来年の共通テストから民間試験の導入は外されました。
教育は全ての生徒が等しく持つ権利であり、それに差をつけることは憲法に違反するというものです。
今回のガイドラインも同様に優先すべき学年を決めることで、教育を受ける権利に反するのではないかということです。
確かに小学1年生、小学6年生、中学3年生も大事ですが、他の学年も同様に大事ではないかということで、今回の件はひいきや差別につながるのではないかという考えです。

以上のような問題点がガイドラインに対して指摘されています。



一斉休校になり自宅学習と外出自粛が続く中、学校も家庭もかなり疲弊してきています。
出口の見えない災難に誰もが不安になってストレスもたまっています。
できれま早くこの状況から脱し、通常の生活に戻りたいものですが、今の政府の対応を見ると、それはなかなか望めそうにありません。

勉強に関して言えば、学校が何かをしてくれるまで待つのではなく、自分たちで自己防衛をしないといけないと考えます。
そうでないと事態はどんどん悪化し、最終的には手遅れになるかもしれません。
もちろん各家庭で事情は違います。
しかし、全ての子供たちに教育の機会を十分に与えることは大事です。
葛西TKKアカデミーが皆さんの力になります。
状況が厳しいからと諦めないで、先ずはご相談ください。

難しい状況ですが、頑張って乗り越えましょう。