間違えるのに臆病な子供たち

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「分からないからやらない。」という生徒がいました。

分からないから色々考えてみるという思考はないようです。

 

どうしてやってみないのでしょうか。

理由はいくつか考えられますが、私が実際に感じるのは「間違えるくらいならやらない。」というのがあります。

問題はなぜ「間違える」ことの方が「やらない」ことより生徒は恐れているのかということです。

 

私が思うに、大人たちは「間違える」ことを許してこなかったからでないでしょうか。

間違えれば×、0点。

まるで「間違える」ことは罪のように扱ってはいないでしょうか。

このようにして、生徒は「間違える」ことは悪いこと、やってはいけないことという認識が定着したのではないでしょうか。

だから「間違える」ことに臆病になり、やって「間違える」よりは、やらないで「間違えない」方を選択する。

 

人間、「間違える」ことは当たりまえ。

なぜなら人間は完璧ではないからです。

人間は「間違える」ことから学ぶのです。

別の言い方をすると、間違えを許さないということは、試行錯誤の機会を奪うということになるのです。

子供の学びを考えたとき、我々は「間違える」ことに対してもっと寛容になっていいのではないでしょうか。

誤りから得た教訓は実感として身につき、説得力のあるものとして生徒の中に残ります。

これが本当の学びではないでしょうか。

 

全ての過ちが許されるというわけではありませんし、いつまでの許されるべきと言うつもりもありません。

しかし、成長の途上にある子供たちには、もう少し長期的な視点で接してもいいと思います。

結果の点数のみ、合理性から早く答えを導くことを要求される教育では、これは至難でしょう。

でも、そこで失われるものを考えると、果たして何が彼らのためか再考すべきではないでしょうか。

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