フランスパリのノートルダム大聖堂の火災が世界に衝撃を与えました。ノートルダム大聖堂はどうしてそんなに重要?

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昨日、ノートルダム大聖堂の火災のニュースが飛び込んできました。
あの荘厳な教会が炎に包まれ焼け落ちる様はフランスのみならず世界中に衝撃と悲しみを与えました。

この大聖堂は世界史や美術などの教科書にも紹介されているので、見たことのある方は多いと思います。
本日はこのニュースに関連して、ノートルダム大聖堂について解説し、フランス人にとってどのような存在であったか考えてみましょう。

ノートルダム大聖堂は天高く目指すゴシック建築の代表的な建物で、西暦1163年に建築が始まりおよそ2世紀をかけて完成されました。
ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」を意味するようで、つまりキリスト教の聖母マリアを示しています。
フランス革命時に襲撃を受け破壊され、以降、近代思想により宗教を批判する市民によって何度も破壊と略奪が繰り返されました。
廃墟となった大聖堂に意義を与えたのは、あの『ああ、無情』で知られるヴィクトル・ユーゴ―でした。
彼の書いた『ノートルダム ド パリ』 では大聖堂を聖職者や権力者の力の象徴ではなく、ジプシーの少女や鐘突き男にとっての居場所として書きました。
これがノートルダム大聖堂を市民に身近な存在として定着させました。
そして、荒れ果てていた大聖堂を修復しようという機運をフランス人の間で高め、19世紀中ごろに政府によって復興がなされました。

1991年には周辺地域と合わせてユネスコ世界遺産に登録され人々に親しまれていました。
1804年にはナポレオン・ボナパルトの戴冠式が行われたり、歴史的な式典も数多く行われました。
更に芸術の分野では『ノートルダム ド パリ』の舞台となり、『ノートルダムの鐘』として演劇やディズニーアニメにも取り上げられたので馴染みのある方も多いと思います。
内部には歴史的にな美術品が多くあり、中でもその美しいステンドグラスは世界中の観光客を魅了しました。

ノートルダム大聖堂の火災は世界に大きな衝撃を与え、焼け落ちる様子はフランスの人々の心を引き裂きました。
古い歴史を持ち、多くのフランス人に親しまれ愛されてきた大聖堂です。
パリの町はこの地点を中心にできており、まさにフランスを象徴するものでした。
この建物はフランスという国を体現したものと人々は感じ、だから、この火災が起きたとき「フランスそのものが燃えた。」と彼らは表現しました。
多くの人々はショックを受け、燃え盛る聖堂を見ていました。
彼らの間で「アベマリア」が歌われ、祈りがささげらえたのは、聖母マリアによる軌跡を期待したものだそうです。

世界中の首脳がフランスに哀悼の意を伝え、フランスのマクロン大統領はいち早く再建を発表し、多くの富豪は大聖堂再建のための寄付金を送りました。
これらの反応からも、フランスにとってノートルダム大聖堂がいかに不可欠なものかが分かります。

栄枯盛衰、諸行無常。
この世に不変なものはなく、形あるものはいつかは壊れる。
しかし、時には人の思い入れがこの事実を否定しようとします。
いつまでも失いたくない心。
自分たちを象徴するもの、すなわち自分たちの分身であるなら尚のこと。
それほどノートルダム大聖堂はフランスのみならず世界中の人々の心に深く刻まれていたのです。
今回の衝撃と悲しみは日本人である私には想像を絶するものと察します。
少しでも早く再建され、人々の心にこの大聖堂が輝くことを祈ります。

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