共通テストを振り返ってみましょう。(その二)

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共通テストを振り返ってみましょう。(その二)

前回は共通テストでの大量の資料をどうにかならないのかというお話でした。
本日は今回実施された共通テストに至るまでの経緯を振り返ってみましょう。

これまで大学入試方法の変更は何度かありました。
でも、そこには「二年前ルール」という暗黙のルールがありました。
これは新しく入試が変わるときは二年前に明確にどのようなものになるかを示すというもので、これにより新制度に切り替わっても受験生は入試の対策をしっかりして受験に臨めたわけです。
もちろん二年前に不備などで提示できなければ導入を遅らせていました。

しかし、今回の入試改革は異例でした。
2020年からの変更が先に決められていました。
新制度の不備や疑問に対する明確な回答は文科省からなく、強行に実施を推し進めてきました。
この点に関しては以前書きましたのでこちらを参照してください。
公平性の問題や家庭の経済的状況での不公平の拡大など、素人目にも問題の多い仕組みとなっていました。

『激震!大学入試での英語の民間試験利用が延期。言いたいことは多々あれど…。』へのリンクはこちら

そして、本番の一年前になってまさかの方針転換。
入試改革の目玉と言うべき英語の民間試験活用、記述式問題の導入、調査書の合否判定での活用、これらすべてが中止となり、それまでこれらの対策をまじめにしてきた受験生たちを落胆させました。
にもかかわらず、二年前ルールを無視して、入試制度の変更は当初の予定通り今年からになりました。
これにはオリンピックイヤーという教育には関係ないイベントが理由になっているとか。
その肝心のオリンピックも延期され根本の理由もなくなったのですが、文科省の面子のためでしょうか、関連する特定の企業への利権問題でしょうか、これまでのように受験生に配慮されることなく、受験生や保護者、先生方の不安を払しょくするためのしっかりとした説明もなく、今年強行されることとなったのです。

直前での変更に現場は混乱し、最初の文科省の指針を信じてまじめに準備してきた受験生には、これまでの努力を無にされたような今回の仕打ちに気力を失い、自分の将来を悲観し、何をやっていいのかすらよく分からない受験をあきらめるものも少なくありませんでした。

しかし、今年の共通テストをめぐる混乱はこれだけに留まりませんでした。
新型コロナウイルスの感染拡大です。
社会的問題となり、昨年三月からの一斉休校は受験生に大きな衝撃と不安を与えました。
受験勉強の大事な時に学校が休みになる、授業が進まなくなり、受験に向けた講座や授業がなくなる、分からないときでも先生に質問できない。
IT化の進んでいた私立高校はオンライン授業で学習を滞ることなく続けられたのに対して、多くの公立高校ではそれができず、せいぜい慌てて作ったプリントを配られる程度。
家計にゆとりがある家なら塾や予備校、家庭教師など、休校分を補えるでしょうが、コロナウィルスで社会活動が大幅に停滞し、仕事がなくなってしまった家庭(特に非正規労働者など)では、収入がなくなり、補習どころか今通っている塾や予備校もやめなければならない事態に陥りました。
ここでも家庭の経済環境で受験生の間に格差が生じました。

この不公平の是正方法として、入試を二月、三月から九月に変更するという案(受験生に十分な準備期間を与え格差を減らすと同時にウイルスが活発な時期の入試を避けようという案)もありましたが、議論はいつの間にか学校の9月入学の議論にすり替えられ、結局どのような話し合いが持たれたかも明らかにならないまま、例年通りの二月、三月の入試となりました。

それからコロナウィルスの第三波が拡大する中、緊急事態宣言が出され入試が本当に安全に公正に行われるのかという話題が広がりました。
政府は感染対策を十分にする点、若者の感染による重症化が低く、もともと入試等状況自体がウイルスの感染が比較的しにくい環境であることなどから、当初の予定通り共通テストが行われました。
文科省としては感染者や濃厚接触者になった受験生のために別室受験や試験日の追加などの対策を講じているので問題ないということでした。
実際に初めての共通テストが行われ、カンニングや終了時間のミスなどはありましたが、コロナウィルスでの問題は報告されておらず、一応テスト自体は無事に終わった形となりました。

ざっと経緯を振り返ってみましたが、本当に今年の受験生は周りに翻弄されてばかりの年となってしまいました。
本来なら他のことに気をかけずに受験のみに集中して自分の実力を上げ、持てる力を全て出し切って悔いのない受験をしてほしかったのですが、今年はそれはかないませんでした。

原因は明らかに文科省にあると思います。
一貫して中央からのトップダウンでの意思決定。
受験生や保護者、現場の学校などの疑問や質問にはまともに答えず、当事者の無理解のまま、ただひたすら自分たちの作ったスケジュールに従って物事を推し進めていく。
そして、ギリギリになっての手のひら返し。
更にコロナウィルスという不測の事態に対しても、十分にリーダーシップを発揮し全ての生徒のために全力を尽くしたかと言うと、残念ながら肯定はできません。

結果、受験生は不安を抱えたまま受験をせざると得ませんでした。
大人の都合で振り回されながらも試験に臨まなければならなかった受験生が本当に可哀想であり、安心を提供できなかった大人として情けなく感じます。
文科省の現実を見ない理念によって、人生を左右する大きな試験を納得できる形で受けられない受験生、または、先行きが分からないまま翻弄されるのに疲れて入試をあきらめた(あきらめざるを得なかった)生徒たち。
この責任はどうなるのでしょうか。

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