コロナ禍での学校生活はどうなっている?実際に生徒たちに聞いてみました。

コロナ禍での学校生活はどうなっている?実際に生徒たちに聞いてみました。

東京で新規感染者が1000人を超える。
コロナウイルスの感染はまだ広がっているようです。
今回はデルタ株、通称インド株、が猛威を振るっているようで、感染力の強いデルタ株が一気に増え、これまでのコロナウイルスにとって代わろうとしています。
デルタ株の特徴としてはその感染力の強さに加えて、小中学生などの低年齢層にも感染しやすいというものがあります。
これまでは子供にはコロナウイルスは移りにくいと言われ、高齢者に比べその対策は緩やかなものだったように思います。
しかし、これが低年齢層にも感染するならば、これまで以上にしっかりと厳しい感染防止対策が必要になってくるでしょう。
特に小学生など小さい子供はワクチンも受けられず、その危険度は自ずと高くなると思われます。
実際に小学生でとうとう重症化した人もいるとか。

コロナウイルスが発生し社会問題になって一年半くらいになりますが、学校ではどのようなコロナウイルス対策をしてきたのか、またはしているのか。
どのような学校生活をしているのか。
再び生徒から聞いた話をしたいと思います。

ある都立高校に通う生徒の話です。
緊急事態宣言が出されてから、二日登校しては一回休みと、一度に全学年が揃わないようにしていたそうです。
つまり、休校日を組み合わせて登校日をずらすことで、全体としては毎日二学年しかいないようにしたそうです。
こうしてできるだけ多くの生徒が集まらないようにすることで、感染リスクを抑えようとしたらしいです。
コロナウイルスの感染が収まってくると、二日の登校を三日に変え、三日学校に行っては一日休みになったみたいです。
日常ではマスクの着用をしているそうですが、部活ではマスクを外してよいそうです。
ただし、話をするときはマスク着用しいなくてはなりません。
教室は40人の生徒がいて、ぎゅうぎゅうの状態で、とても十分な生徒間の距離が保てないそうです。
食事は机を合わせてグループを作るようなことはなく、一人ひとりで前を向いてするそうです。
休憩は教室か廊下で過ごし、外で遊ぶことはないそうです。
授業でも実験やグループに分かれての話し合いなど、グループ活動はありません。
感染予防で換気をするため、教室の窓は常に開けっぱなしにしているそうです。
文化祭などの学校行事も中止にされましたが、生徒は「仕方ない」と受け入れているみたいです。

また、別の高校生は次のように話してくれました。
緊急事態宣言で授業数が減ったそうです(特に理科)。
この生徒と話をしたのがちょうど緊急事態宣言が解除されるときだったので、解除されれば通常の授業になると喜んでいました。
しかし、明らかな第五波の拡大により現在はどうなっているのか、まだ聞いていません。
毎日のマスク生活にはもう慣れたみたいで、特に不便や不都合は感じないそうです。
体育はマスクを取っていいらしく、マスクを外して普通にやっているみたいです。
体育祭は簡素化され、学年でやる競技も二つくらい、学年のやる時間が決まっていて、その時間だけ保護者(人数制限あり)が観戦できたそうです。
学年の競技が終わればそれで終了です。
文化祭でも飲食の催しは中止だったそうです。
やはり、ここでも生徒は「仕方ない」と受け入れていました。

最後に去年新中学一年生になった生徒の話です。
彼女が入学した時は一斉休校のときで、新たな中学生活スタートからコロナ対策の通常とは違う学校生活でした。
だから、彼女にとって「普通が何かわからない」と言っていたのが印象的でした。
普通じゃないのが普通になっているので、他の人が言うような「運動会や文化祭がなくて可哀想」という感覚が理解しにくいそうです。
先輩は学校行事などがなくなり、学校生活もこれまでと違ってしまったことを残念に思ったり、辛く思ったりしているようですが、本人は別にそのような感覚はないそうです。
一年生(去年)の学校行事は全て中止だったそうです。
一斉休校があった分、授業数が減ってしまったので、土曜授業でその分を補ったそうですが、これが大変だったと感想を述べていました。
最初のころは時差登校もしていたようですが、今はしていません。
やはり、普段はマスク着用で、給食も一人ひとりバラバラに机を置いて静かに食べているそうです。
休憩時間は外で遊ぶこともできますが、日によって誰が遊べるかが決まっているそうです(全ての生徒が一斉に外で遊ぶことはない)。
体育の時間はマスクを外して構わないそうですが、その時は十分な距離を開けるそうです。
部活もマスクは外してやっているそうです。
教室には消毒と手拭き用の紙が用意してあり、体育館で生徒が集まるときは窓を開けているそうです。
教室では机の間隔はできるだけ離すそうです。
今年に入ってやっと運動会ができたそうですが、見に行ける保護者は一人までで競技数もかなり減らされたそうです。
一応、合唱コンクールも予定されているのが楽しみみたいですが、現在のコロナウイルスの猛威が見られる中、また不自由な学校生活を強いられているかもしれませんね。
彼女はちょうど小学六年生のときコロナウイルスの蔓延となり、最初の緊急事態宣言と突然の一斉休校に直面した代で、卒業式は簡素化され、一人ひとり卒業証書をもらうこともなく、楽しみにしていた一年生から六年生までが一緒になって食べる給食が中止されたのがとても残念だったそうです。
入学式はなく、メリハリもなく新生活が始まった感じだったそうです。

コロナ禍が始まって以来、全ての生徒が私たちの知っている普通ではない学校生活を送っています。
それぞれの生徒がそれぞれのストーリーを持っています。
今回はそんな中のごく限られた話でしたが、学校という外部からは見えにくい組織において、実際に内部にいる者の実体験として話が聞けたことは貴重な機会だったと思います。

彼らに早く当り前の日常が戻ってくることを祈ってやみません。
そのためには我々大人がもっとしっかり考え行動しなければならないと思います。
一部の利権者のことばかり考え、そのため徹底した対策が取れないまま同じことを繰り返すだけでは、大人として恥ずかしいばかりです。
子供たちを、そして彼らの未来を守りましょう。
そして、その中心にある政府は国民全体のことを真剣に考え、責任ある決断と行動をとってほしいです。

葛西TKKアカデミーは非力ではありますが、コロナ禍で勉強に悩み苦しむ子供たちを助けたいと考えています。
コロナ禍で収入が減り、子供に十分な勉強を提供できなくなったなどありましたら、ご相談ください。
可能な限り力になります。
子供たちの勉強したい気持ちを守りたい。
その気持ちだけあれば十分です。
後は葛西TKKアカデミーにお任せください。

文科相が進めていた課外授業の一環としての東京オリンピック観戦ですが、東京都教育委員会は実施しないことを決定しました。

文科相が進めていた課外授業の一環としての東京オリンピック観戦ですが、東京都教育委員会は実施しないことを決定しました。

以前からこの場で議論を重ねていた「生徒によるオリンピック観戦」に関してですが、とうとう教育委員会は全ての観戦を中止することを決めたそうです。

東京オリンピックが」決まって以来、学校教育にもこの機会を生かそうと東京都教育委員会は「東京オリンピック・パラリンピック教育」を進めていました。
オリンピック・パラリンピックに関連付けていろいろな教育を深めていこうという試みで、その総仕上げとして小中学生によるオリンピック・パラリンピック観戦が用意されていました。
しかし、コロナウイルスの感染拡大により、このプログラムがどのようになるのか不明確なままでしたが、オリンピック開催約二週間前にしてようやく中止が決まったようです。

去年までは盛んに学校でもオリンピック観戦の話が出たりしていたそうですが、今年になり一向に感染が終息しないまま、学校ではこの話が一切出なくなり、保護者の間でもどうなるのかと心配されていました。
学校行事が相次いで中止になる中、感染の危険性に加え熱中症の危険性もあるオリンピックに生徒たちを強制的に観戦させなければならないのか問題視されていました。
現場の教員としてもこのような状況で生徒たちの管理ができるのか疑問視されていました。
そして、多くの生徒はコロナ禍でのオリンピックに関心がなく、保護者も多くが反対していました。
多くの自治体が次々とキャンセルを決めていく中、東京都としてはなかなか決断を出していませんでした。
(いつでも実行できるようにした準備だけは目立たないようにしていたみたいですが。)
しかし、オリンピック組織委員会がオリンピックの無観客開催を決定し、それに伴い「学校連携観戦」も中止にするのが適当と組織委員会が判断したので、子供たちにオリンピック観戦をさせる「学校連携観戦」の全ての中止を決定したそうです。
これで子供たちへの感染リスクが回避されたので一安心ですが、東京都教育委員会はまだパラリンピックでの観戦を画策しているようです。
ニュースによると東京都教育委員会の担当者はこの中止について「子どもたちにとって、今後の人生の糧となる貴重な体験だと思うので、パラリンピックでは何とかして観戦の機会を設けたい」と話しているそうです。

別の記事でも私が触れたように、多くの生徒はオリンピックに興味がなく政府などが述べる一生に一度の貴重な体験とは思っておらず、観戦による感動で人生が一変するようなことも期待していません。
それよりも一刻も早く当り前の日常が戻ってきてほしいという声の方が大きかったです。
多くの生徒がごく普通に経験する学校行事や友達との交流の方が、大人たちの都合で振り回されるオリンピックよりよほど深く心に刻まれると考えているようで、一刻も早くそうなることを願っています。
「子供たちの今後の人生の糧になる貴重な体験」などと自分たちの都合のいいように解釈してごまかしても、子供たちは結構現実を冷静に見ているものです。
コロナウイルスに感染しても誰も責任取らないし補償もしてもらえないのでは、不参加する生徒が出てくるのも当然ですし、学校としても責任持てません。
教育委員会の都合だけで実施しても、果たしてどの程度の参加者がいたのかと疑問に思います。
今回の決定は至極妥当なもので、考えれば誰にでもわかる、当然の結果だと思います。
にもかかわらず利権絡みで一向に正しい判断ができず、今にまで至ってしまったことに驚きを隠せないと同時に、本当に日本の政治はこれで大丈夫かと不安になります。

いずれにしても、今回オリンピック観戦が中止になり、子供たちを感染リスクから守られたのは本当に良かったと安堵しています。
ただ、まだ他の自治体では「学校連携観戦」の中止を決めていないところもあるので、そこが気にかかります。

あいにく曇りのようですが、明日は七夕。日本古来からの年中行事は実は受験でもよく取り上げられます。実際に日常の中で祝い、家族の間を深めるのもいいですよ。

あいにく曇りのようですが、明日は七夕。日本古来からの年中行事は実は受験でもよく取り上げられます。実際に日常の中で祝い、家族の間を深めるのもいいですよ。

明日は七夕。
しかし、天気予報によると梅雨のせいか、どうも曇り空みたいですね。
有名な織姫と彦星のロマンスも、明日はお預けなのでしょうか。
コロナ禍で今年は学校でも七夕を祝うところは少ないかもしれませんね。
せめて家庭で話題にして家族同士の会話をしてみませんか。
こうやって思い出と結びつけることで、子供たちの記憶にも刻まれより理解も深まります。
そして、年中行事は学校の教育の中でも大いに活用されます。
だから、勉強のためにも明日は七夕を楽しみましょう。

実は、七夕に限らず日本の年中行事は入試や学力テストなどでよく出てきます。
国語や社会で問題の話題として、また、常識として聞かれることもあります。

伝統的な年中行事を通して日本的な考え方を知ることは、日本人というものを考え直すよい機会にもなります。
更に、今後ますます活発になるであろう国際交流においても、日本の伝統文化を紹介できることは重要になってくるでしょう。
試験のためという枠に縛られることなく、純粋に多彩な日本の行事を楽しみ、日本人の教養としてその意義を理解してほしいと思います。

また、親子間の会話のきっかけとしても年中行事は役立ちます。
年中行事を通し経験を共有し会話をすれば、親子間の距離も縮まり相互理解も深まります。
いじめなど子供が抱える問題の早期発見にもつながるので、親子の交流のためにも是非年中行事を家族でもやってほしいと思います。
最近はなかなか個人で年中行事をやることも少なくなってきています。
小学校や保育園でイベントとしてやったり、先生から教わったりしますが、せっかく日本人として素晴らしい伝統文化があるのだから、しっかりそれを活用し家庭の円満につなげられるといいと思います。

ただ楽しむのではなく、行事の意味や由来を理解し、日本人としての教養を深めるといいと思います。

因みに七夕はどうして行われるようになったのでしょうか。
7月7日は、あの有名な『織姫と彦星』の話で年に一回、二人が天の川を超えて合うことを許される日です。
そして、この『織姫と彦星』のお話はもともとは中国の民間伝承となっています。
それが奈良時代に日本に伝わり、機織りの上手な織姫にあやかり、手芸や裁縫が上達するようにと願ったのが現在の笹に願い事を書いて結びつける習慣になったようです。
時代が下り、願い事が機織りから学芸の上達に変わり、現在では全ての子供たちが自分たちの夢や願いを星に祈っています。

ところで、織姫星と呼ばれる織女星はこと座のベガ、彦星と呼ばれる牽牛星はわし座のアルタイルを指し、どちらも一等星で夏の夜空に明るく目立つ星です。

日本では7月上旬から見えやすくなり、9月上旬ぐらいまでよく観察できます。
七夕のころだと、20~22時ごろ、東の空の下の方に見え始めます。
この時期は農業に適した季節で、その季節に合わせて明るく輝いてくるので、農業や養蚕などをつかさどる星とも考えられました。
この二つの星にはくちょう座のデネブを加えて、「夏の大三角」と呼ばれ、この辺は理科の勉強で習うかもしれませんね。

七夕に食べるものとして、伝統的なものの一つが「索餅」です。
これは小麦粉や餅粉をひねって揚げたお菓子で、唐の時代に日本に伝わりました。
これを食べるのが習慣のようですが、皆さんあまり食べませんよね。
というか、そんなものがあるなんて知らなかった人が多いのではないでしょうか。
実はこれがどんどん進化していって、現在では「そうめん」を七夕に食べるという地域もあります。
また、「索餅」に似たお菓子として「かりんとう」を食べるところもあります。

このように「七夕」一つとってもいろいろと楽しい会話が生まれるのではないでしょうか。
今まで知らなかった知識としてだけでなく、親が自分たちの子供のころどう過ごしたかなんて話すのも面白いかもしれませんね。
日本の伝統行事を家族で楽しんでください。
そして、子供時代の思い出を豊かにしてあげると、将来きっと役に立つし、強く楽しく生きていけると思います。

それでは、明日、少しの間でもいいから雲間に天の川が見えて織姫と彦星が会えますようにと祈りつつ、今日は終わりにしたいと思います。

GIGAスクール構想前倒しですでに一人一端末配布済み!?だけど、生徒たちに話しを聞いてみると、何か違うような…。

GIGAスクール構想前倒しですでに一人一端末配布済み!?だけど、生徒たちに話しを聞いてみると、何か違うような…。

コロナウイルス感染拡大に伴い、政府は去年突然の学校の一斉休校を実施しました。
その際、以前からIT化が進み、すでに日ごろからオンライン授業も導入していた私立学校は勉強が滞ることなく進められたのに対し、最新技術の導入が遅れていたほとんどの公立学校は休校期間中完全に学習がストップしてしまいました。
プリントを配って、これまでの既習事項の問題を解かせるのが精いっぱいでした。

この経験を踏まえ、文科省は以前より議論されていた『GIGAスクール構想』を前倒しして、今年度から全ての小中学生に一人一端末配り勉強に活用できるように決定しました。
そして、実際に一人一端末は実現されたようですが、生徒たちの話を聞いてみるとやはり問題があるようです。

今回も生徒との話から現在学校でどのようにIT化がなされているか見てみたいと思います。

生徒たちの話を聞く限り、文科省の言っていた「生徒一人に一端末」は実現できているようです。
少なくとも私が話を聞いた生徒の学校では、生徒一人ひとりが全員何らかの形で端末を利用できるようになっていました。

ただ、端末を配布するのはものさえ揃えばすぐできることなので、比較的ハードルの低い目標ですが、問題は生徒が端末にアクセスできるようになって、実際にどのように教育に活用しているかです。
この点に関しては、やはり思った通りというか、十分とは言い難い実態が見えてきました。

とある中学校ではiPadを全ての生徒に配布しました。
そして、勉強に使うなら家庭に持ち帰ってもよいということになっています。
学校でも先生の指示に従って使うようです。
どのように利用しているかというと、基本的にインターネットでの検索など調べものに使っているのがほとんどのようです。
後、理科では実験動画を見るのに使ったそうです。
課題をするのにも使ったようですが、先生も使いこなせてない様子で、実際にはほとんど使っていないそうです。
アプリを利用して問題を解くこともなかったそうです。
オンライン授業も全くやっておらず、コロナ禍での一斉休校のときのような緊急事態に対応するための準備や練習もしておらず、もしオンライン授業を実施しなくてはならなくなっても恐らくできないでしょう。
iPadが壊れたときなどの対応やルールも決まっていないらしく、本当に授業などで活用する気はないようです。
(文科省に言われたから、やったという形式だけ整えているような感じがします。)

また、別の中学校でも端末の配布は終わり、生徒はインターネットなどで調べものはできるみたいです。
検索などに関して特に決まりはないようですが、検索記録が残るので勉強以外で使った場合はすぐにばれるのではないかと、生徒が言っていました。
こちらもオンライン授業はやっておらず、いざというときに回線がつながるかどうかのテストさえしてないそうです。
アプリを使った問題を解いたり、学習の補助をしたりということもありませんでした。

最後に都立高校の生徒の話です。
この学校では個人で端末(スマホ)を持っていない生徒には学校から支給されたそうです。
チームスというアプリを使ってオンライン授業を五月から5回以上やったそうです。
内容はというと、教室の動画を写して、先生がいつものように授業をしている様子をライブで配信しているだけだそうです。
その後、端末を使って配られる課題をやって終了。
課題を写真で送ることで、課題を済ませた証明としています。
授業では最初に主席の確認をした後、配信中はカメラをつけず、指示がなければマイクもミュートのままです。
つまり、生徒が授業中どのような様子かを先生や生徒同士は確認できません。
「何をやってもばれない」と生徒は言っていました。
これは一度にたくさんの生徒が音声や画像を送ると回線の問題でフリーズなどの問題が発生し授業に支障をきたすためだと考えますが、しかし、先生が生徒一人ひとりの様子や反応を確認できないのは問題ではないでしょうか。
誰がどの程度分かっているのか、本当に真剣に授業に取り組んでいるのか分からなければ、生徒の学習習得状況も変わりませんし、授業態度などの評価にも関わってくると思います。
本来、オンライン授業は双方向であるべきですが、これも実際には行われていないということです。
やはり先生が十分に使いこなせていないとの生徒からの指摘があり、トラブルが起きたときは他の先生を呼んでカバーしているみたいです。

生徒の感想としては、「対面授業の方がいい」と言っていました。
座っているだけで暇だし、質問もしにくいそうです。
最近は授業の配信はせず、課題の配信だけになっているようです。

新指導要領になり、大学入試改革、アクティブラーニング、GIGAスクール構想など学校教育がダイナミックに変わろうとしています。
しかし、『ゆとり教育』を始め数々の新しい試みがそうであったように、文科省はお題目は立派なのですが、それを唱えれば後は現場がどうにかすると考えているのか、具体的に細かいところまでツメがなされず、丸投げされた現場は訳の変わらないまま言われたから体裁だけ整えてやったことにする。
これではうまくいかないのは明らかですが、どうもそこまでの情熱と責任感はないように感じられます。

今回の「一人一端末」も配ってしまえば全て上手くいくと考えているのでしょうか。
教育が新しく変わるとき、政府は常に生徒が改革についてこられるか心配しますが、これまでの教育経験が少ない生徒にとって旧来の教育も新しい教育もどちらでも初めての経験なので、若さによる柔軟性に加え、実は教育の変化にさほど問題なく溶け込むことができます。
むしろ問題は先生の方なのですが、すでに常態となっている多忙さに加え、新規の教育に対応するのは非常に難しいです。
特に高齢の教員はITなどすぐに使いこなすことはできず、設備を整えたところで期待される効果を上げることは容易ではないでしょう。
研修時間も十分に取れず、結局今までの教育をするしかなくなり、教育改革もうまくいかないというのはこれまでの常です。
教員こそ教育が必要なのに、そこをやらないで改革ばかり口走っても混乱が起きるだけです。
政府関係者はこの点をよく理解してほしいものです。
文科相は「上手くいきませんでした」と言えばそれで終わるかもしれませんが、そのつたない教育を受けた生徒たちの不利益は誰が責任を持つのでしょうか。
「責任」とは今の政府に一番欠けているものだと思います。

今回の生徒との会話でも、新しい教育が空回りしているのが垣間見られます。
政府として言い出したのであれば(せっかく構想は立派なのだから)、最後まできちんと責任を持って、生徒たちに明るい未来を見させられる教育を提供してほしいと考えます。

最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その二)

最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その二)

今日は前回途中で終わってしまった「手書き」に関する話の続きです。

日本は世界的に見て教育のIT化に大きく後れを取っています。
それでもコロナ禍があって、ようやく生徒たちに一人一端末の配布を終わらせたようです。
とは言え、これは端末を配っただけで、学校教育においてそれを有効に活用しているかというと、全くそういうことはありません。
この点はまた、生徒と話をしましたので後日お知らせします。

まだ教育のデジタル化が十分にできていない日本ですが、デジタルディバイスを上手く使い日本より何歩も先を進んでいる諸外国では、教育のデジタル化による弊害が報告されています。
その一つが「手書き離れによる教育効果への影響」です。

教育のデジタル化が進むと文章の作成や記録は主にパソコンなどで行うようになります。
当然、自分の手で文字を書くのではなく、パソコンのキーボードをたたくタイピングになります。
しかし、パソコンやダブレット端末を早くから導入している国々では、全ての文章をパソコンで書くのではなく、ある程度はあえて生徒たち自身の手で書くようにさせています。

キーボードを打つだけの方が文章は楽に早く書けます。
なのに、なぜこれらの国々では手書きをわざわざ残して、効率性を落としているのでしょうか。

それは手書きにはタイピングにない教育効果があると言われているからです。
例えば様々な報告によると手書きは、自分の頭の中で整理してから書き出す訓練になるそうです。
また、人間がノートを取るときは、黒板に書かれた情報を単に写し取っているのではなく、板書した状況をエピソード記憶として脳内に保存します。
覚えなければならないものそのものを思い出など他の要素と結びつけることにより、記憶はより深く強く残ります。
人間の脳は何かを関連づけることによって、記憶が思い出しやすくなります。
タイピングは単純なパンチングの繰り返しになるので、この点は弱くなります。

また、手書きは頭の中で書く内容をもう一度復唱しながら書いたり、どういうことかなと考えまとめながら進みます。
つまり、タイピングよりもずっと脳細胞の活動が活発になるのです。
そうして、書きながら頭の中で何度も反芻する勉強はより理解を深め分かりやすくなります。
一方、タイピングはスピードが速い分、脳内でじっくり考えながら書くことができません。
従って、タイピングだけでは深く考えるという練習にはならないのです。

先ほど、記憶を呼び起こすには手書きの方がいいと言いましたが、ある研究によると、スマホやタブレット端末より手書きは創造的な活動にも効果的だそうです。
この実験によると、紙とペンを使ったグループでは、言語、資格、記憶を処理する領域で脳が活発に活動し、紙に付随する写真や余白のメモなどが物理的映像としてより記憶できるそうです。

人間の脳は便利になれば教育効果が薄れます。
最近の教育(教育に限らず社会全体がそうですが)は、生徒に苦労させないことを売りにして、世間的にもそれが歓迎されています。
面倒くさいのは悪で、簡単なのが善と。
しかし、本来勉強は面倒くさいものです。
面倒くさいからこそいろいろ学べるのです。
個人的には、現代の苦労を敬遠する傾向は生徒にとって不幸なことだと思います。
なぜなら、人間の思考の余地が減っているからです。
昔は「若い時の苦労は買ってもせよ」と言ったものですが。

思うようにいかないから、どうすればいいか考え試行錯誤し、粘り強く繰り返し考えることで、脳は鍛えられ思考の成長につながるのです。
分からないときは検索してすぐに解答を見つけ、それを繰り返すだけでは自ら考える力はあまり育ちません。

手書きもそうです。
私は常々、勉強は肉体労働だと言っています。
ただ、目で見て読んで覚えて終わりが勉強ではありません。
手も足も顔も、体全体を使ってより多くの刺激をくみ取って、脳を活性化させた方がより勉強は身に付きます。
特に手が与える脳への刺激は大きく、やはり書くということは大事だと思います。

しかし、今の生徒や教育関係者はできるだけ最小限の仕事で結果(テストの点を上げる)を出そうとします。
確かに一見成績(テストの点)が上がったようになるかもしれませんが、それはテストという定められた問題に対して機械的に答えを返している(反応している)だけで、本当に考えて導き出した答えかどうかは怪しいです。
教育現場でデジタル教材を使えば大丈夫などと言われたときは要注意です。

技術の進歩に伴い学習スタイルも変化します。
しかし、何もかも変えてしまうことがいいとは限りません。
一見便利そうなデジタル教材が、これまでの学習スタイルよりも必ずしもいいとは言えません。
多くの人が経験則として紙とペンを使った方がよく覚えられたと言っていますし、多くの研究で「手書き」の脳に与える学習効果を再認識しています。

ついつい新しいものに飛びついて、それですべて安心と思いがちですが、教育に携わる者としては慎重にそこは見極め、それぞれの長所を上手く組み合わせて、生徒の置かれている環境を考慮しながら、教育方法を考えるのがいいでしょう。
要はバランスかもしれません。
デジタル化が進んでいる世界の教育を見てみると、「手書き」が100%なくなることはないようです。
不便で面倒くさくても、学習においてはその方が人間の脳は心地よいのでしょうか、苦労した方が脳が発達するとは皮肉というか、やはり人間はアナログなんだと改めて感じます。
私はそんな人間臭い、いや、人間味あふれるところが好きで、教育においては大切にしていきたいと思います。

これから日本の教育はどんどん変わり、私たち大人が経験したことのないものになっていくでしょう。
でも、デジタル化にあっても、その根底には人間教育があるんだということを忘れず、「手書き」を始めこれまでの長い教育の歴史の中で培われたアナログな勉強も大切にしていきたいと思います。

東京オリンピックに小中学生を動員!?見栄えをよくするため?拒否はできないの?実際現場ではどうなっているのか生徒に聞いてみました。(その二)

東京オリンピックに小中学生を動員!?見栄えをよくするため?拒否はできないの?実際現場ではどうなっているのか生徒に聞いてみました。(その二)

先日、コロナウイルス感染が危ぶまれる中開催される東京オリンピックにおいて、小中学生が学校教育の一環としてオリンピック観戦に動員されるのではないかというお話をしました。
これまでの経緯を説明し、問題点を指摘して終わりましたので、今回は残りの、当の生徒たちはどう考えているのかお話します。
これは当塾に関係する生徒の話なので人数としては非常に限られていますか、実際の生徒たちの声なので拝聴の価値はあると思います。

オリンピック観戦について学校ではどのように話されているのか
私の聞いた生徒に限って言えば、学校でオリンピック観戦についての話題は一切ないということです。
むしろ、教育委員会が生徒たちにオリンピック観戦をさせようとしているということさえ知りませんでした。
だから、未だに何の準備もしていませんし、これは保護者も同様らしいです。
家庭への配布物にもそんなことは全く書いていないので、このままオリンピック観戦はやらないのではないかと言っていました。

一部の生徒によると、去年まではオリンピック観戦についての話も活発だったが、今年に入ってからは全く話が出なくなったそうです。
また、別の生徒は年間行事予定表には「オリンピック観戦」が書いてあるそうですが、だからと言ってそれについての話は今のところ学校からは一切ないそうです。
これらのことがどういう事情かは分かりませんが、この時期になってもそういった話題が出てこないということは、オリンピック観戦はないのではないかと言っていました。
確かに直前に言われても、本人も保護者も戸惑いますよね。
ただ、「やるにしてもやらないにしても早く決めてほしい」という声も聞かれました。

更に、「万が一、学校でオリンピック観戦が決まったら参加するか」という質問もしてみました。
すると生徒たちは、はっきりと「行きたくない」、「休む」と答えました。
コロナウイルス感染のリスクを考えるなら、例え学校の課外授業だから欠席扱いになるとしても行かないそうです。
そして、これは保護者も同じようで、やはり自分たちの子供をわざわざオリンピック観戦に、感染リスクを冒しでまで行かせたくないという意見が多いようです。

最後に、「オリンピックについてどう思っているか」ということを生徒たちに聞いてみました。
私の聞いた限り、生徒たちは「オリンピックに興味ない」というのが本心のようで、自分たちの生活とはかけ離れたもの、関わりないもの、どうでもいいものという感じです。
「周りの友達もそうなのか」と聞いてみましたが、同じく関心がないそうで、オリンピックの話題が日ごろの会話に上ることはほぼないそうです。
政治家の人が訴えるほど生徒はオリンピックに興味がなく盛り上がっていません。
それよりも早く普通の学校生活に戻してほしいと言っていました。

生徒によるオリンピック観戦に関する動き
このように当事者である生徒たちはそこまでオリンピックに興味を持っておらず、むしろコロナウイルス感染や熱中症の危険あるイベントにわざわざ参加したくないと考えている人が多そうです。
政治家の皆さんがおっしゃる通り「一生の思い出」として、その生徒の人生にポジティブな影響を与えるか非常に疑問です。
万が一のことが起きたときの政府としての責任と対応も明確ではなく、この安心できない状況がより生徒をオリンピック観戦から遠ざけているみたいです。

これは現地で実際に引率しなければならない学校の先生方も同じで(この点に関しては前回の記事の中にあるので参考にしてください)、本音は政府の言うように管理しきれないということみたいです。
実行した時何が起きるか、細かいシミュレーションと対策を考えるなら、現体制で生徒たちをコロナと熱中症から守り、思い出に残るオリンピック観戦を実現することは不可能。
問題発生の可能性は非常に高く、責任を負いきれないというのが、正直な見解でしょう。
このようなイベントが行われるときは、イベント当日だけでなく、その前からかなり細かくしっかり準備しないといけません。
その負担も現場の先生には大きなものです。

実際に、東京周辺の自治体ではこのオリンピック観戦用のチケットをキャンセルするところが増えています。
埼玉では生徒たちに配られる予定のチケット全体の75%がキャンセルとなり、千葉でも半数ほどのチケットがキャンセルとなっています。
理由はコロナウイルス感染や熱中症に対する不安がぬぐえないこと、まだ不確定な部分が多いこと、生徒を別枠としていることなどです。
東京では目黒区が中止を決定していますが、他の自治体はまだそのようなことは発表していません。
自治体として中止の決定はしないのかもしれませんね。
「最終的には学校長の判断」と教育委員会は言っていますが、市町村などが先にキャンセルを明言することで、学校としては非常に助かるところがあると思います。

コロナウイルス感染がまた増えてきています。
減少傾向にあったときは強気なことを言って、感染者上限1万人+αとしていた政府も、無観客もありるみたいなことを言い出し始めました。
この期に及んでなお、日和見主義みたいな態度は現場を混乱させると同時に、政府に対する信用をなおも落とします。
もっとしっかりしてほしい。
子供たちのことだけでなく、本気で国民のことを考えてほしいです。
(自分たちの周りのごく一部の者のことだけでなく)

その点、オリンピック観戦のキャンセルを決めて自治体は英断だったと思います。
本当に子供たちのことを考えているのは誰なのか分かりますよね。

東京オリンピックに小中学生を動員!?見栄えをよくするため?拒否はできないの?実際現場ではどうなっているのか生徒に聞いてみました。(その一)

東京オリンピックに小中学生を動員!?見栄えをよくするため?拒否はできないの?実際現場ではどうなっているのか生徒に聞いてみました。(その一)

東京オリンピックがいよいよ迫ってきました。
コロナウイルス感染がどのようであろうと、日本政府は強行に開催しそうな見込みです。
しかも、感染拡大防止のために無観客というのもいつの間にか、動員観客数の上限を1万人、開会式は2万人としたそうです。
加えてオリンピック関係者及び縁者は観客ではなく運営に携わる人間と見なすため別途扱いとなり、この1万人の枠に入らないそうです。
つまり、実際は1万人以上の観客を入れるつもりらしいです。

そして、今回の話題の動員される小中学生はこの1万人以外の数に入ります。
まあ、一万人とは言え、コロナウイルスのせいで当初よりかなり少ない人数で開催しなくてはならなくなったオリンピックですから、ここに80万人からなる生徒が入ってくれば、主催者としても見栄えが良くなり体裁は整えられますから、この生徒の「オリンピック観戦」参加は魅力的であり、是非とも行いたいものですよね。

ご存知の方も多いと思いますが、教育委員会は小中学生の生徒に学校行事(課外活動)として東京オリンピック観戦をさせることを計画しています。
東京都教育委員会によると、2016年度からオリンピックを気に進められていた『東京オリンピック・パラリンピック教育』の一環で、その活動の集大成として生徒たちによる観戦がありました。
これは学校教育にオリンピックを絡めて、勉強をより興味深くし、人間形成の役に立てようというもの(イベント?)です。
チケット代は都が持ち、東京都教育委員は去年の12月に『東京2020大会における子どもの競技観戦にかかる配券・割当案について』という通知を都内の区市町村教育委員会や都立学校宛てに出しました(元々2019年に出されていたのですが、オリンピックが延期となったため)。
これに伴い、各学校が観戦を希望すれば、無料でオリンピックチケットが届くわけです。

では、本当に生徒たちはオリンピックに参加しないといけないのでしょうか。 
最終的には各学校長の判断で観戦参加を決めるようです。
(この点に関しては、問題があったときの教育委員会の責任逃れのように思えてなりません。)
しかし、校長判断としても、教育委員会から通知があり、当委員会が推し進めている「オリンピック観戦」を各校長は不参加といえるのでしょうか。

そして、観戦参加となればこれは学校の課外活動なので全員参加となります。
参加しない場合は欠席扱いです。
この点も教育委員会によると校長判断で休んだ分を課題提出などを代替とすることで欠席にしないことも認められるようです。
しかし、校長がそう決定しなければ欠席になります。

観戦する場合、現地までは公共交通機関を使って集団で移動するようです。
全ての生徒は教員の管理の下、速やかに行動しオリンピックを楽しみ、終われば集団で帰る。

学校の公式活動となれば、事前に教員による下見が必要ですが、こちらは既に東京都教育委員会により各校の教員が集められ終わっています。
つまり、GOサインが出ればいつでもできる状態になっているのです。

オリンピックを通じて選手たちの懸命に努力する姿や勝利の喜び、スポーツを通じた感動を生徒たちにも味わってもらいたいというのが主旨です。
通常の状況ならそれも然りですが、コロナ禍の中で強行されるオリンピックでは、感染リスクで本人も保護者も、そして教員もそれどころではないでしょう。
これまで当たり前に行われてきた、生徒たちが楽しみにしている学校行事が次々と自粛されている中、大人の都合で特別扱いされて行われるオリンピックを本当に生徒たちは観戦したいのでしょうか。

因みに前の東京オリンピックでも感染者数の少ない競技では生徒たちが教育の名の下、会場に招かれ、オリンピックの見栄えをよくするのに利用されました。
このようなことはよくあることみたいで、今回も同様の理屈でしょうが、前回と違い今回は非常時です。
これもオリンピック関係者によるエゴと思わずにはいられません。

オリンピックをするくらいなら、先ず、生徒たちに当り前の学校生活を取り戻すことに力を入れてほしいのではないでしょうか。
生徒たちは立場が弱く、自分たちではどうにもできないことを悟っています。
「コロナだから仕方ない」と言いつつ現状を受け入れ、厳しい学校生活にも耐えています。
オリンピック会場に行かされる当の生徒たちの気持ちはどこに行ったのでしょうか。
全く考慮されていない。
日本の教育は国の道具であるのかもしれませんが、「人を育てる」と考えるならば、先ずは彼らのことを考え思いやる教育であってほしいです。

保護者としては、まだコロナ禍も終わっていないのに、学校の課外授業でオリンピックだからと言って密な所に自分の子供を送り出すのは必ずしも賛成という訳ではないでしょう。
政府は「安心安全のオリンピック」と言っていますが、その根拠も説明も十分ではなく、親としては感染が心配でしょう。

いくら生徒には重症リスクが低いからと言っても(今流行中のインド株など新しいコロナウイルスは小学生でも感染力が高いとか)、実際に多くの学校でクラスターは発生しており、本人が感染しなくても集団でいれば当然濃厚接触者として生活に制限がかかります。
また、生徒が感染し本人が発症しなくても、ウイルスを家に持ち帰る家族が感染発症ということも考えられます。
この場合、教育委員会はどのように対処し責任を取るか明確ではありません。

オリンピック観戦にはワクチン接種も義務付けられているようですが、生徒たちは年齢が達していないためワクチンは受けられません。
無防備なままで、コロナウイルスの渦中に飛び込ませるのでしょうか。

また、会場への移動は公共交通機関を使わなくてはいけないようで、ここでも多くの人と接触しなくてはならず、感染の可能性があります。
(貸し切りバスはオリンピック選手や関係者が移動に使うから生徒の分はないということでしょうか。)
しかも、会場は混雑が予想されるため、一駅前で降りて歩いて移動しなくてはならないようです。

更に、道中も含め観戦には多くの学校関係者でない人たちがいっぱいでごった返すそんな中、一人の教員が何十人もの生徒を管理することができるのでしょうか。
しかも、引率の教員数にも制限があるようで、保護者の引率はありません。
限られた人数で何百人の生徒を数人の教員が猛暑の中、混雑している電車の中、導かなくてはいけません。
時期的に「熱中症」の危険性が高いにもかかわらず、持参できる飲料は750ml。
多くの生徒が熱中症になった場合、学校が対処できるのでしょうか。
集団感染に加え、熱中症と、もしもの時は学校が責任を取らされる(政府はご存知のように責任逃れに長けていますから)ことになるでしょうから、現場の先生としても「オリンピック観戦」は歓迎できる学校行事ではないはずです。

学校としても本音はやりたくないのでしょう。
そして、多くの保護者も子供を参加させたくないでしょう。
しかし、やらざるを得ない。
休ませると欠席扱いになるから、子供を危険にさらしても参加せざるを得ない。

果たして、これは正しい教育の姿なのでしょうか。

申し訳ありませんが、ちょっと本日は長くなってしまったのでここまでとします。
実際に生徒に聞いた話も書こうと思っていたのですが、また別のニュースで書きます。
皆さんも現状をよく知ってほしいと思います。
今の政府はあまりにも信用できず頼りない。
万が一のことが起こって後悔しても遅いのです。
子供のために何が本当に良いことなのかよく考え、皆さんでしっかり判断してほしいと思います。

最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その一)

最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その一)

皆さんが子供のとき、どの濃さの鉛筆を使っていましたか。
鉛筆は芯が基本的に固いものをH、柔らかいものをB、そして、添えられている数字がその度合いの大きさを表します。
私は他の人と同様にHBを使っていました。
しかし、今の生徒はHBを使わないのです。
何と2Bを使っています。
私のころは2Bを使うと、芯が柔らか過ぎて手が真っ黒になってしまうので、美術の時間以外は使っていませんでした。

では、なぜ、今、2Bを使うのでしょうか。
そして、これからITC授業などでますます鉛筆で書く機会が失われると予想されますが、その時、生徒たちの勉強にはどんな影響があるのでしょうか。

何で2B?
先ず、現在学校で2Bが奨励されている理由ですが、それは生徒たちの筆圧が非常に弱くなっているからです。

私も授業で生徒たちが鉛筆でノートを書くのを見ますが、とても力を抜いてノートの表面を軽く滑らせるように書きます。
「止め」や「はらい」など書き方の基本テクニックもなく、鉛筆を持ち上げることもないので、つながった曲線がダラダラ続いているような印象です。
しかも、非常に薄い。
ちょっとこすれれば、すぐに消えて読めなくなるくらいです。
学校の先生も苦労しているようで、テストなどで何を書いたのか分からず、採点ができないほど。
しかも、一画一画丁寧に書いていないので、文字そのものも判別できません。
更に悪いことに、書き順も無茶苦茶なので、バランスも悪く余計読めない。

先生もご苦労様です(他人事ではありませんね)。
文章でなくても、政界に○をつけなさいという問題でさえ、消しゴムで消して残った跡と、生徒が正解と選んでつけた〇の区別がつかないということもあるらしいです。

いまいちピンとこない人は自分のお子様の文やお友達の書いた文字を見てみてください。

生徒たちの文字が薄くなって読めなくなった原因
筆圧の弱さの原因は手の力の低下とみられています。
実際に体育などの体力測定では握力を始め腕力の低下が確認できます。
これは日常生活の中で手を使うことが減ってきているためと考えられています。
例えば、蛇口や瓶など固く閉まったものを開けることが少なくなっています。

それも一つの原因でしょうが、私が注目しているのは生徒たちが文字を書くときの姿勢です。
昔は、「背筋を伸ばして、左手でしっかり押さえて、文字を丁寧に書きましょう。」とよく言われました。
しかし、今の生徒は姿勢が悪くリラックスしすぎて、書くときに力を入れようとしません。
左手はノートを押さえずれないようにするのではなく、頬杖をついています(当然、ここから居眠りになってしまうのですが)。
だから、右手に強い力を入れて書くとノートが動いて上手く書けないので、片手で書いても動かない程度の弱い力で書こうとします。

また、鉛筆の持ち方も筆圧の弱い生徒は違います。
余計な力が入っているというか、鉛筆を握るように持つので、大して書かなくても疲れてしまいます。
腕力の低下に加え、余計な力が入っているので文章を長く書くのが苦手になります。
そして、書くのが面倒と。
「書く」という行為は勉強の一番基本の一つですが、これがきちんとできないので、成績も伸び悩みます。

これらのことは学校での指導の問題ではないかと思います。
先生も昔ほど口うるさう言わなくなったし、おそらく「書く姿勢」や「鉛筆の持ち方」「書き順」などを軽視しているのだと思います。
何でも基本は大事。
小学校に入って本格的に勉強をするようになる時、これらのことを先生はきちんと教え生徒も守っていかないと、結局長い学校生活において常に勉強に支障をきたし後悔することになるでしょう。

更に鉛筆文化を衰退させるトレンド
このように生徒は昔のように力を適切に入れて文字を書くことが減ってきましたが、現在、ある問題が更に生徒の手書き離れを促進させると考えられています。

それは教育のIT化です。
コロナ禍によりまともに学校に行けなくなったとき、子供たちの勉強を守る最後の砦としてオンライン授業が注目されました。
これにより文科省もそれまで計画していた『GIGAスクール構想』を前倒しし、今年度より生徒一人に一台必ず端末を利用できるようにしました。
こういったデジタルツールの導入はこれまでの学校での教授法を大きく変え、それに伴い生徒の学習活動も様変わりすることは容易に想像できます。

パソコンやタブレット端末を生徒に活用させるということは、授業のみならず様々な活動をこれらの端末で行い、もう鉛筆とノートを使うことはありません。
このように学校の近代化が生徒たちの鉛筆文化を衰退させることになります。
分かりにタイピングやタッチペンによる操作になり、書くこと自体が減ります。

ここで鉛筆で書くということがなくなったとして、生徒たちの勉強に影響がなければ何も問題はないのですが、どうも最近の研究によるとそうもいかないようです。
「手書きをしなくなったことで学力の低下が起こる」という発表もあるようです。

本日は長くなってしまったので、この続きはまた書きます。
楽しみにしていてください。

それでは今日はここまで。

いじめの発生しやすい教室って…。

いじめの発生しやすい教室って…。

いじめは私が子供のときからあった問題で未だに解決されていません。
それは問題そのものの複雑さと繊細さに加え、対応する現場の問題、教育に関わる者たちのいじめに対する認識と姿勢など、その要因は多岐にわたって考えられます。

しかし、いじめが多い学校とそうでない学校があるのもの事実。
また、同じ学校でもいじめが起きやすいクラスと起きにくいクラスがあります。
従って、何かいじめを引き起こしやすいファクターがあるのではないかと考えるのは妥当なことでしょう。

当初はいじめる者といじめられる者の二者間の問題と扱われましたが、時代が経つにつれ彼らを含むクラスや部活、友達グループと個人から集団へ、そして環境へといじめに対する研究やアプローチも変わってきました。
その中で、同じ学校でも教室ごとにいじめの起こりやすさが違う点に関して考察したものがありました。

教室は大きく二つのタイプに分けることができるそうです。
一つは、ストレスが多く人間関係がギスギスした教室。
もう一つは、ストレスが少なく人間関係が良好で皆がにこやかに安心して過ごせる教室です。
当然、前者にはいじめが起こりやすく、後者では少なくなります。
両者を分けるものには、たまたま集められた先生や生徒間の相性などという偶然によるものもありますが、教室の運営方法など人為的要因も関わっているようです。

いじめの原因を考えたとき、生徒の持つストレスが原因であるとする説があります。
学校や普段の生活で感じるストレスを発散しようとしたとき、学校という制約の厳しい環境では、その発散方法が限られてくるため、いじめを始め非行や不登校という行為が発生すると考えます。
こんな時、いじめる生徒はいじめを比較的面白いゲームのように捉え、ストレス発散に利用するのです。
ここで注目してほしいのは、他により良いストレス発散方法が見つかると、いじめをする必要がなくなり、やがていじめる人間もいじめをしなくなるということです。

ただ、問題は学校という環境が非常に厳しい制限を生徒に課していることで、いじめをなくすにはいじめ以外のストレス発散方法をそれぞれが見つけると同時に、生徒一人ひとりの個性を尊重し、各々が比較的自由に活動できる雰囲気を教室内に築く必要があります。

どういう教室でいじめが起きやすいかを調査研究したものはたくさんありますが、その中で指摘されることの一つに
「体罰の多い教室はいじめが発生しやすい」というものがあります。

これは先生が体罰をすることで、生徒に暴力や制裁を容認するメッセージを送ってしまっているということらしいです。
肉体的精神的に何らかのダメージを与えることで、その苦痛を嫌って生徒は言うことを聞き、先生が望ましくないと思うことをしなくなるのですが、ここから正義の名の下(何が正義かという点は非常に疑問が残りますが)であれば特定の生徒に対して暴力など苦痛を与えることも許されるのだと生徒は受け取ってしまうのです。

また、体罰自体が生徒により多くのストレスを与えているということも、体罰がいじめのきっかけになる理由の一つになります。
体罰を与える先生は普段から生徒に対して厳しい指導をする傾向が強く、暴力だけでなく、怒鳴ったり、無茶な課題を課したり、理不尽な理屈で生徒を否定したりします。
こうして普段から過剰なストレスにさらされた生徒がその発散のためいじめに走ることが容易に想像がつきます。
更に、このような教室では指導を受けた生徒だけでなく、その周囲にいる生徒もそれを目撃して意欲が低下すると同時に、体罰を受けている生徒と同様のストレスを感じるようになるそうです。

このように生徒指導ということで、生徒に対して無自覚に行き過ぎた先生に当たってしまった場合には注意が必要です。
本来、一人の対等な人間として生徒と接している先生ではそのようなこともないのでしょうが、人間はとかく権威を与えられると自分が強く偉くなったように感じ、自分の思う通りにならなかった時には、相手を見下し自分の正義を信じ切って普段やらないような理不尽なことでもしてしまいます。
これは学校だけではなく、実は大人の社会の中でもあることです。
つまり、子供のいじめがなくならないのは、多少は形が違っていても実は大人たちもいじめをしているからとも考えられるでしょう。
よく「子供は大人の鏡」なんて言いますが、子供は実によく大人を見抜いて感じ取っています。
子供に問題が起きたとき、襟を正すべきは我々大人ということは覚えておいていいと思います。

体罰が常態化した教室では生徒の感じるストレスが増大し、いじめの標的になる生徒も増え、しかも、長期的になる傾向があります。
そして、いじめがどんどんエスカレートし、より深刻になっていきます。
こうして体罰は体罰を与えられた生徒の心や体に傷を負わせるだけでなく、周囲の人間を巻き込んでいじめを起こしやすくします。
「生徒指導」としてみんなの前で辱めを生徒が受けるのを見て、周りの生徒も「先生からしょっちゅう指導を受けるダメな生徒なんだ」と認識し、その生徒をからかい馬鹿にし始め、先生がするように「自分たちもこの生徒ならいじめても許される」と考えます。
当事者の生徒は自尊心を失い、「自分はダメな人間だ、生きていても意味がない、明るい未来や希望なんてある訳ない」と思うようになります。
そして、行き過ぎた生徒指導は最悪の場合、自殺という悲惨な結果になることもあります。

自殺をした生徒を調べてみると、他の生徒の前で叱咤されたり理不尽なことで恥をかかされたりして、「もうここにはいたくない」と感じていることが多いです。
そして、自分の居場所が学校や家庭から失われ、逃げ場がなくなったとき、自殺という最終手段に生徒は出るしかなくなるのです。

このように先生の体罰がその生徒にレッテルを貼り、いじめを助長するのです。

そもそもなぜ先生は行き過ぎた「生徒指導」を行ってしまうのでしょうか。
「生徒がまっとうな人間になるため」「規則を守らせ、社会の規律の大切さを身をもって覚えさせるため」
いろいろなケースがあるので一概には言えませんが、本当に生徒のためなのでしょうか。

「生徒のため」と思い込みつつ、または正当化しつつ、実は先生自身のためだったりします。
「学校では問題を起こしてはいけない」「起きたときは内々に処理し表に出ないようにしなくてはいけない」
いつの間にかこのような不文律が多くの学校でできています。

そのため生徒を自分のコントロールの下に置かなくてはならない。
そのために自分の権威を見せつけるため、特定の生徒を見せしめにして、全生徒に力を見せつける。
その格好の手段が「生徒指導」という名の体罰であったりします。
(そもそもブラック校則という言葉があるように、学校の決まりそのものも理不尽で訳の分からまいもの、時代遅れのものが多くありますよね。)

学校というところは外部からなかなか見えにくい閉鎖空間です。
そのため実態を把握しにくい場所でもあります。
だから、外部にいる保護者などには学校で今何が起きているのか正確には分からず、学校を信頼して子供を通わせるしかありません。
もちろん素晴らしい学校もたくさんありますが、多くの問題を抱えている学校が存在するのも事実です。
今回は先生による体罰がいじめを助長するという話でしたが、もし、これが現実に皆さんの学校でも起きていた場合、子供の命を最優先に守らなくてはいけません。
学校でいじめられ居場所がなくなったとき、周囲の人間とのつながりを断ち切られ孤独になったとき、そして、今の自分の存在意義を見失い未来に希望が見つけられなくなったとき、これまで多くの若い命が犠牲となりました。

葛西TKKアカデミーはこのように将来のある子供たちが悩み苦しみ、そして最悪の選択肢しか残されなくなることを見過ごすことはできません。
そんなときは必ず葛西TKKアカデミーにご連絡ください。
ここが皆さんの居場所になります。
そして、心の支えになります。
いじめに耐えられず、自分がなぜ生きているのか、生きていかないといけないのか分からなくなったときは、ここに来てください。
お願いします。

勉強に集中できない。子供の勉強をかき乱すパターンとその対処法を考えます。(その二)

勉強に集中できない。子供の勉強をかき乱すパターンとその対処法を考えます。(その二)

以前、生徒たちの集中を削ぐものについて対策等をお話しました。
今回もその続きとして同様に、生徒が勉強に集中して打ち込めない要因をいくつか探ってみましょう。

友達と一緒に勉強
よく友達と一緒にすることがあるでしょう。
これはお互いがお互いの勉強を尊重し、相手を邪魔しないように自分の勉強を進めていくならば非常に効果のある勉強法です。
相手の勉強に集中する姿勢ば自分にも影響を与え、自分も頑張らなくてはと奮起する。
分からないときは教えあうことで、勉強を助け合うと同時に、教えるということは実は自分が本当に分かっているのかの確認にもなるのでとてもいいことです。
互いが緊張感を持って勉強に取り組み、困ったときは助け合う。
これができれば友達との勉強は最善の勉強法の一つと言えるでしょう。

しかし、この勉強法には注意が必要です。
お互い心許せる友達なので、ちょっと気が緩んで軽い気分転換に始めたおしゃべりが、いつの間にか火がついて盛り上がり、勉強を放りっぱなしで何時間も気づいたら過ぎていた。
こうなってしまうと、友達といることが勉強の足を引っ張ることになります。
相手がいるので場合によっては相手にあわせないといけなく、自分のペースで勉強ができないという問題点も出てくるかもしれません。
片方が集中が切れて話しかけてくると、自分の集中力が例え続けられても、友達のために中断せざるを得なくなるかもしれません。
そして、最後には自分はまだなのに、相手のペースで勉強が終了になることもあるでしょう。

相手にもよりますが、最初にルールを決めるのがいいでしょう。
「相手が勉強に集中しているときは、勉強の質問以外声を掛けない」とか「何時から何時まではとにかく勉強に集中する」とか。
それができないようであれば、あえて友達の誘いを断って、自分一人で勉強する方がいいと思います。
そこは平然と割り切っていいと思います。
自分の勉強が掛かっているのだから。

自分の集中の限界を超えた
人間には集中できる時間に限界があると言われています。
一般的には1時間から2時間と言われています。
これは本人がしようと思えばということでしょう。
嫌々勉強をしている場合、この集中できる時間は極端に減ってしまいます。
いくら本人が頑張ろうと思っても2時間を超えるとさすがに体力的にも集中を続けるのは難しくなるでしょう。
そんなときに無理やり勉強しても、注意が散漫し頑張っても一向に頭には入ってきません。

そんなときは気分を切り替えるためにも休憩を取りましょう。
休憩だからと言っても、そこで遊んではいけません。
せっかく体をやるめるための休憩中に、結局からだが休まらないからです。
LINEなどのSNSもやめましょう。
これも頭を休めることにならず、しかもSNSは友達とつながってしまえば相互に返信を続け終わりがなくなり、もう勉強には戻れなくなります。
また、勉強で使っているイス以外に座らない方がいいです。
休憩だからと言って別の部屋に行って座って落ち着いてしまったら、なかなか腰が上がらなくなってしまいます。
ベッドなどで横になるなんてもってのほかです。
休憩場所は今自分のいる席か、ストレッチで体を伸ばすなら、その場に立ったままでやりましょう。

軽くストレッチをし、遠くの景色を見て目を休め、心を落ち着けさせ、頭をリフレッシュさせましょう。
休憩は10分ぐらいがいいと思います。
これくらい休めば集中力も回復するはずです。
これ以上休むと、今度は緊張の糸が切れ、勉強へのやる気が弱くなり、勉強に戻れなくなります。
1時間程度やっては10分休むと繰り返すと、全体として長く集中力を保つことができます。

ちょっと小腹がすいて…
勉強をするとお腹がすきます。
実は人間の脳は他のどの器官よりもエネルギー消耗が激しいのです。
だから、長く勉強するとお腹がするのは当然です。
では、その時、食事はどのようにするのがいいのでしょうか。

先ず避けたいのは、食べながらの勉強です。
食べながら勉強するとどうしても注意力が散漫になり集中できません。
もちろん、勉強も頭に入ってきません。
勉強した「つもり」になって、しっかりと理解はできていないので、後で何をやったかよく覚えておらず、結局二度手間になってしまいます。

だから、もし食事をするのであれば、勉強を一度中断ししっかりお腹を満たしてから再開してください。
その時は決して満腹になるまで食べてはいけません。
血が消化に回され、頭の方にまで回ってこず、結果として眠気に襲われてしまいます。
そうなったときは思い切って30分でも1時間でも眠ってしまいましょう。
そうすれば体も消化に集中でき、目を覚ました時、再び勉強に集中できる準備が整います。
メリハリをつけて勉強するのは、効率のよい勉強の基本です。

別のことを考え始めた
問題を解いているときに、手を止めてしばらく考えてみるというのはよくあることです。
しかし、そのしばらくの間に気づいたら他のことを考えていたなんて経験はありませんか。
問題を考えているつもりでも、いつの間にか注力が散漫になり、違うことを頭の中で考えてしまう。
難しい問題は特にそうですが、もし別のことを考え始めているようでしたら、その問題はいったん保留にして別の問題に取り掛かってみるといいかも知れません。

また、考えをまとめる時は頭だけでするのではなく、ノートなどにメモをしながら考えた方がいいです。
手を止めるとそれにつられて脳の働きも止まってしまう。
そうして、いつの間にかぼーっとしてしまうものです。
そうならないためにも、ノートに書きながら手を止めないようにしましょう。
こうすると考えが視覚化できるので、より分かりやすくなり、考えもまとめやすくなります。

集中するために、それ以外のことはリラックスできるように環境を整える人もいるでしょう。
これは悪いことでは決してありませんが、リラックスしすぎもよくありません。
ある程度の緊張感がないと気持ちが緩んで勉強に集中できなくなります。
例えば、制服のまま勉強してみたり、いつもと違う場所で勉強してみるのもいいでしょう。
勉強する姿勢も大事です。
背中を丸め机に突っ伏して勉強をしたり、頬杖をついて勉強をしたりすると、緊張がゆるんで眠くなります。
背筋をまっすぐ伸ばし、左手でしっかりノートを抑えながら勉強すると、体の緊張感も保たれるので勉強への集中力も続きます。
このように緊張感も勉強に集中するには必要です。

どうしても集中できないときはどうすればいいでしょうか。
何か本人にとって重大なことが起こって、勉強に集中できないとか。
そんなときは無理やり勉強しても大した効果はありません。

それならば、一層のことその気になる案件を解決してから勉強に戻った方がいいでしょう。
気分転換に昼寝をするとか散歩するとかでもいいでしょう。
でも、自分一人で勝手にフラフラすると勉強に戻るのが困難になることがあります。
だから、もし勉強を中断し気持ちを切り替えるために勉強以外のことをするならば、周囲の人にいついつになったら勉強に戻ると具体的に宣言するといいでしょう。
こうすれば自分の責任もあるので、問題解決後も勉強に戻ってきやすくなりますし、そうしなければならないという緊張感からまた集中することも容易になります。

こうやって気になることを抱えながら中途半端に勉強をするくらいなら、メリハリをつけてやるときはやる、やらないときはやらないと勉強した方が成果は上がります。

勉強を集中してやることは簡単ではありません。
周囲の環境や本人の意思など、様々な要因が絡まって勉強を阻害することもあります。
いろいろ試して自分に一番合った勉強法を見つけるのが最善と思います。
どうしてもよく分からないときは、葛西TKKアカデミーまで気軽にご相談ください。
自分の経験も踏まえていろいろアドバイスができると思います。

ちょうど中学校では定期試験を控えているところもあるみたいです。
勉強は大変ですが頑張ってください。
助けが必要ならばいつでも葛西TKKアカデミーに声を掛けてください。
お待ちしております。