中学で習うメンデルの遺伝の法則。その中の「優勢の法則」ですが、今年度から用語が変わるそうです。

 葛西TKKアカデミーのニュース

中学で習うメンデルの遺伝の法則。その中の「優勢の法則」ですが、今年度から用語が変わるそうです。

皆さんは中学のとき遺伝の勉強で「メンデルの遺伝の法則」を勉強したことを覚えていますか。
修道院のメンデルという人がえんどう豆を使って交配実験をし、遺伝の基礎となる法則を発見した話は有名です。
彼が発見した「優勢の法則」「分離の法則」「独立の法則」は現在でも通用しますし、多くの中高生が学校で学ぶ項目となっています。

ところで、今回話題になっているのは、メンデルの遺伝の法則の中の「優勢の法則」です。
今年から新しい学習指導要領になり、学校の多くの場面で変化が起こっています。
中学の教科書も新しくなり、その中の理科では「優勢の法則」に関して、これまで使っていた「優勢・劣勢」の言葉が見直され、「顕性・潜性」という言葉に変わります。

「優勢・劣勢」とは何かというと、生物が親から受け継いだ、その形の特徴を生み出すのに遺伝子が大きなファクターとしてはたらきます。
その時、表れやすい形質と表れにくい形質があります。
その表れやすい方の形質を「優勢」、表れにくい方を「劣勢」と呼びます。
例えば、天然パーマの髪とストレートの髪では、天然パーマの方が「優勢」、ストレートの方が「劣勢」となり、親のどちらかが天然パーマの場合、子供の髪質も天然パーマになる可能性が高くなります。
しかし、「優勢」だからと言って、天然パーマの方が優れている訳ではありませんし、ストレートヘアーは「劣勢」だからと言って劣っている訳ではありません。
あくまでも形質の出やすさにおいて「優勢」であり、「劣勢」であるということです。

ところがこの「優勢」「劣勢」の表現が誤解を招くとして随分前から指摘されていました。
まあ、きちんと理解していれば優劣を言っているのではないことは簡単に分かるのですが。
「優性遺伝子の方が優れているから優秀だ」という誤ったイメージを持たせるとかねてより言われていました。
私が中学生のときも、生物の先生に「優勢」「劣勢」という言葉はミスリーディングを引き起こすから変えた方がいいと言われたのを覚えています。

遺伝に関する科学的な考え方は、元々、外国からもたらされたもので、それを訳して日本国内に普及させました。
当然外国語なので日本語に置き換えなくてはならないのですが、当時数々ある訳語の中から「優勢・劣勢」が一般的に中学の教科書で扱われる用語となりました。
(因みに、英語では「adominant」「recessive」となっています)

このような経緯から、「優勢・劣勢」という表現は差別的という批判がかねてよりあり、それがようやく改訂されることです。
「優勢・劣勢」よりも「顕性」「潜性」の方が優劣のイメージがなく、表に出ているか潜っているかという意味なので分かりやすいという意見もあります。
これまで何年、何十年も「優勢・劣勢」で慣れてきたものからすれば違和感があるかもしれませんが、これから勉強する生徒たちにとってはそんなものはなく、他の用語と同じように受け入れられるのではないでしょうか。
ただ、これからお子様と以前の話をするときは「優勢・劣勢」と言わず「顕性・潜性」と言うように気をつけましょう。

学問というものは日々進化し変化することがしばしばあります。
今回の遺伝の話は単純な用語の変更ですが、新しい発見や新しい考え方が生まれると、それまでの科学的常識と思っていたものが、ガラッと変わることもあります。
かつては地球は平らで世界の中心と考えられていたのに、天文学や科学技術の進歩により、今では多くの人がそうではないと考えています。
遺伝などの科学的分野に限らず、社会的理念、歴史的事実など多くのことが何かをきっかけに間違いと分かり、正しいものに変更される。
そして、学校ではこれまでと違う新しい考え方が教えられます。
そうして、世代間の知識も実は少し異なるのです。

もっと身近な例を挙げると、「いい国作ろう鎌倉幕府」なんて覚えていた鎌倉幕府の成立(1192年)が今では「いい箱(1185年)作ろう」になっています。
「仁徳天皇陵古墳」も今では「大仙陵古墳」となっています。
(実は埋葬されているのが誰かははっきりしないため)

このように学問は日々変化し、時には我々が習ったことと今、生徒たちが学んでいることが違っている場合があります。
教える側としては知識を常に最新のものにアップデートしないといけないということです。
家庭においては「お父さん、お母さんが習ったときはこう言っていたんだよ」なんて話して勉強を通して親子の交流を深めるのもいいかも知れませんね。
または、一緒に学ぶということで子供の勉強を促すこともできますね。
知識のギャップを上手く利用して、子供の勉強を進めていくのもよい方法です。

去年の児童生徒の自殺が過去最多になったそうです。その裏にはコロナウイルスが関わっているのでしょうか。

去年の児童生徒の自殺が過去最多になったそうです。その裏にはコロナウイルスが関わっているのでしょうか。

警視庁によると去年の小中高生の自殺が、統計を昭和55年に始めて以来、過去最多になったそうです。
自殺者の内訳は小学生14人、中学生146人、高校生339人でいずれも前年より急増していました。
女子高生の自殺の増加が目立ち、特に8月は令和元年では3人の自殺者に対して令和2年では23人と大幅に増えています。
これらも含めた未成年者の自殺は777人で、その原因はうつ病などの精神疾患に加え、進路の悩みや学業不振が多かったみたいです。

長期休校が終わった6月からは毎月自殺者数が前年を大きく上回っているので、コロナ禍での学校再開が影響しているのではないかと考えられています。

厚生労働省の分析では、コロナ禍で学校が長く休みになったことに加え、外出の自粛が求められる中、家族との時間が増え、学業や進路、家族間の不和などで悩む人が増えたからではないかとみられています。

子供たちに限らず去年の自殺者数は増えており、特に女性の自殺者数の増加が際立っているようです。
つまり、子供や女性などの自殺が増えていることから、現代社会の彼らに対する姿勢や状況が(特にコロナ禍という特殊な状況において)、彼ら社会的弱者に対して厳しく、救いの手を十分に差し伸べていないのではないかと考えられます。

学校の卒業直前に一斉休校となり、これまで親しんだ友達と最後の思い出を奪われ、更に新年度もしばらくは休校が続いたため、新しい人間関係がうまく作れず、友達を作るタイミングを逃して孤立。
先行きが見えない学校生活が怖くて、ストレスから体調を崩し登校できなくなる。
学校に行っても様々な制限や要求をされ、これまでのように学校生活も楽しめない。
年中行事は中止か縮小、普段の友達との遊びや交友もあまりできない。
しかも、休校中の勉強の遅れを取り戻すため、長期休暇が削られ、休日登校もさせられ、通常以上のスピードで勉強をあおられ、このまま学校生活が送れるのか不安になる。
勉強の遅れに加え、他校の生徒との勉強格差でまともに受験が戦えるか自信がなくなり、進学をあきらめる。
コロナウイルスを理由とした新たないじめに悩まされる。

など等、学校問題が生徒を自殺に追いやる理由になりえることは十分理解できます。

一方家庭でも、コロナ禍で親の仕事がなくなり収入がなくなると、大人のストレスも上昇します。
外出自粛で発散もできず、イラついたまま家庭内で家族同士が顔を会させる場面が増える。
結果、子供たちの悪い点ばかり目が言って、ゆとりのないイライラからついつい子供たちに当たってしまう。
このように家族が共にする時間が増えることで反って衝突が増え、家庭問題が子供たちの心を大きく傷つけ、自殺に至るケースもあるようです。

また、逆にコロナ禍で大人は日々の生活に追われ、子供に気を配る余裕がなくなって、子供のSOSを見逃したり、殻らが困っているときに的確にアドバイスをしてあげられなくて、孤独になった子供たちが自殺をしてしまったということも指摘されています。

コロナ禍での収入の激減は家計を圧迫し、子供たちが楽しみにしている習い事を継続させてあげられなくなったり、勉強で助けてくれる塾などをやめなくてはならなくなったりして、やはり不安やストレスを強める要因になっています。
本当はもっと習いたいのに、お金がないから断念しないといけない。
正に、教育という基本的人権が保障できない状況が生まれています。

これは大問題です。

学校と家庭、家族と友人、様々な場面でコロナウイルスは子供たちの希望を奪い不安にさせ、将来が見通せなくなり孤独になってしまって、自分はこの世から消え去るしか救いがないように感じてしまう。
子供たちがこんな風に考えてしまう世の中は不幸ですし、彼らが将来に希望を見出せないような状況は大人としてどうにかしないといけませんが、肝心の大人も自分のことで精一杯で子供たちに手が回らない。

多くの可能性を秘めた生徒たちが命を絶つのは、私としては非常に心が痛いです。
できることなら何とか力になって自殺を食い止めたいと強く考えます。

苦しいのは分かりますが、絶望しないでほしい。
大人たちが子供たちを守れるように、コロナ禍であっても大人も子供も支えらえる仕組みを作ってほしいのですが、肝心の行政はどうも頼りなく、結局個々で対応するしかない。
これは本当によくありません。

コロナ禍はいつになったら終わるのか、全く見通しが立ちません。
これまでも散々疲弊しているのに、政府はまだ国民に負担を強いるこうなことしかできない。
これからも子供たちの自殺が増えることが懸念されます。

今の生活、自分の人生に悩み苦しんでいる生徒、もしくはそんな生徒をお持ちの家庭がありましたら、遠慮なく葛西TKKアカデミーまでご連絡ください。
皆さんの力になる準備があります。
自分は一人ではない、他の人とつながっていて、お互いに助け合って苦難を乗り越える仲間がいることを分かってください。
未来はいつも明るいものと信じて頑張って共に生きていきましょう。

暖かな春がやってきました。花が咲き、緑が芽吹き、虫や動物が現れ始めます。自然に敏感であれば新たな発見もいっぱい。葛西駅そば、個別指導塾葛西TKKアカデミーは季節の変化を感じ取る感覚を大切にします。

暖かな春がやってきました。花が咲き、緑が芽吹き、虫や動物が現れ始めます。自然に敏感であれば新たな発見もいっぱい。葛西駅そば、個別指導塾葛西TKKアカデミーは季節の変化を感じ取る感覚を大切にします。

昼間は結構暑いのに夜は冷える。
しかし、春は確実にやってきています。

私の周りも桜が咲き、その他様々な花が満開です。
冬の間冬眠していた虫や小動物も動き始めます。
少し注意すれば自然の変化に気づくことができます。
そんな小さな発見が日々になんだか幸せを感じてしまいます。
季節の変化を感じられる環境にいることに感謝です。

季節の変化に限らず、日常の何気ない生活の中にも小さな発見がたくさんあります。
そこに喜びや疑問を抱き、探求を深めることは、学びの面白さを実感する良い機会です。

葛西TKKアカデミーでは、生徒たちの些細な疑問や発見(学校の勉強と関係ないことでも)を尊重し大切にします。
小さな塾ですが、入り口に観葉植物を置いているのもそのためです。
生徒たちが入ってくるときに何か変化に気づき興味を持ってほしいと思っています。
「なんか暖かくなって葉っぱが増えてきたなあ。」とか。
正直、もう少し利益が出れば小動物でも飼ってみたいなとも思っています。

このような知的好奇心をくすぐる経験をすれば、学校の勉強でも自主的に取り組めると考えます。
そして、自主的に探究する姿勢は、現在進行している教育改革で行われるアクティブラーニングの要になります。
今までのように知識だけあればいいという教育方針から大きく転換し、身に付けた知識を活用して未体験の問題に対応できる人材育成を文科省は目指しています。
それに伴い教育制度も大きく変わり、学校でも日頃から調査研究そして発表を要求されるようになります。

そのような探求の第一歩は出された条件を正確に分析できる目を持ち、積極的に考え調べる能力です。
これは教えられてできるようになるものではなく、経験が大きくものを言います。
従って、普段から身の回りをよく観察し気づける訓練が必要です。
そういう意味では、自然の変化が分かりやすい日本はうってつけです。

伝統的にも自然を愛で感じ取ってきた日本人には、血の中にそのような感覚が備わっていると言えるでしょう。
忙しさに忘れがちですが、時には立ち止まり、道端にある自然の変化に目を向けるのもいいでしょう。

緊急事態宣言がまた出るようです。その時学校はどうなるのでしょうか。行き当たりばったりの行政にまた振り回されるのでしょうか。

緊急事態宣言がまた出るようです。その時学校はどうなるのでしょうか。行き当たりばったりの行政にまた振り回されるのでしょうか。

緊急事態宣言を解除したばかりだというのに、新規感染者数はうなぎのぼり。
変異株が大阪を中心に猛威を振るっていますが、東京はじめ関東でもウイルスが変異株に変わっているようです。
蔓延防止等重点処置が有効な手立てとならず、再び緊急事態宣言が出されるようです。

そして、今回の緊急事態宣言。

大阪の吉村知事は、感染拡大を防ぐためかなり強力な措置にするようで、飲食業はもちろん百貨店やテーマパークも休業要請をする気でいるみたいです。
東京でもゴールデンウィークを中心に宣言を出し、人の流れを止めて、コロナウイルスの拡大を防ごうとしているみたいです。
しかし、生活の保障なしに休業や自粛と言われても、これまでの散々の要請に、もう人々にはそれが出いるほどの余裕がないのではないでしょうか。
政治家の言うことはちぐはぐで明確で有効な対策もなく、国民に負担をお願いするばかりで、国民を助けよう、生活を何とか守ろうという姿勢が感じられません。
人々は疲弊し、信用もしていないので、今回の宣言がいかほどの成果を上げるのか、はなはだ疑問です。

それでは学校はどうなるのでしょうか。

最初の緊急事態宣言では突然の一斉休校で学校は大混乱で、生徒たちへも多くの問題をもたらしました。
前回の緊急事態宣言では休校にはならないものの、学校行事が中止されたり縮小されたり、子供たちの学校生活もいろいろと制限され、とても窮屈でつまらない毎日を送っているのではないかと案じております。

今回の緊急事態宣言を受けて文科相は、一斉休校は真に必要な場合に限ってすべきと述べています。
オンライン授業についても文科省は、学校を閉めるのではなく、対面授業を取り混ぜて実施するのが望ましいとの見方を示しています。

これを受けてのことでしょうか、感染が最も進んでいる大阪では、当初一斉休校ということでしたが、方針を急遽転換し、次のようなとんでもない方針を打ち出しました。

それは「オンラインと対面授業の両立」。
政治家の皆さん、長期にわたるコロナウイルス対策でとうとう頭がおかしくなってしまったのでしょうか。
大阪市によると小学生は、1限、2限は自宅でオンライン学習をし、その後、登校して内容の確認やプリント学習、給食を食べて、午後に授業のある生徒は自宅に戻ってオンライン学習だそうです。
中学生は、午前中は自宅でオンライン学習、その後登校して給食、午後は学校でオンライン学習の内容確認などを行うそうです。
部活は原則休止。

これに対して学校の教員や保護者からは大批判。

通常授業の準備だけでも大変なのにオンライン学習の用意もしなくてはならず、現場の負担はかなり大きくなる。
給食が一番感染リスクが高いのに、わざわざ給食を食べに学校に行くような案に理解ができない。
端末は配布してあるかもしれないが、この1年は後れを取り戻すのが精いっぱいで、端末を使った授業などやってる余裕はなく、それをオンラインで有効に使いこなせるスキルが生徒にも先生にも備わっていない。
オンライン学習の効果は学年が下がるほど薄く、まだ実行できる段階ではない。
二度手間だし、結局、登校するなら変わらない。
まだ、端末が行き届いていないし、利用のためのルールや補償などまだ決めなければならないことも山ほどあるのに、すぐにオンライン学習と言われても無理。

などなど多くの声が出ています。
これも現場との連携を取らず、ただ一方的に中央から方針を示すだけで、具体的な実施方法や対処は現場任せの体質の表れで、これは教育改革に伴う混乱を見ればよく分かります。
行政は本当に真剣に子供たちのことを考え最善を尽くしているのでしょうか。

では、東京はどうでしょうか。

先ず、部活は原則中止です。
(これにはオリンピックがOKでなぜ部活がダメなのかという疑問が多く出ているようです。)
一斉登校を防ぐためオンライン授業や分散登校をすることが考えられているようです。

今のところ、私の知る限りではこの程度しか出てきません。
大阪の様子を見ながら決めていくような感じになるのでしょうか。

緊急事態宣言は4/25~5/11になるようですが、早くどうするか決めないと、いきなり言われては現場が混乱するばかりで、当の生徒や保護者、教員が困ります。
本当にどうするつもりなのでしょうか。
そして、本当に子供たちを守れるのでしょうか。
変異株は感染力が強い上に、若者も重症化するそうです。
いつまでも他人事のような振る舞いはやめて、真剣にコロナ対策に取り組んでください。
ここで力を発揮できないようでは、今の行政は必要ありません。

創造的になろう。そのためにはどうすればいい?子供たちにどんな影響がある?そして、周囲の人間は何に気をつけなければならないか考えてみます。

創造的になろう。そのためにはどうすればいい?子供たちにどんな影響がある?そして、周囲の人間は何に気をつけなければならないか考えてみます。

創造的とはどういうことでしょうか。
単にいろいろなものを作り出せたり、いろいろなことを考えだしたりすることでしょうか。
確かにその通りです。
しかし、そうなるには様々な条件があるように思えます。
今日は、創造性について考え、それが勉強にどのようにプラスの効果をもたらすか見てみましょう。

創造的と言っても、それはしっかりした土台の上に築かれるものではありません。
歌舞伎などの伝統芸能など、伝統が重んじられ一見昔のままで不変のように見えますが、代々受け継いできた者たちが先代の型の上に新たな要素を付け加え常に発展し続けています。
新しく何かを生み出すには、しっかりとした基礎がないといけません。
この基本の「型」をなくして新しいものを作り出すのは「型なし」となり、見るに堪えないものになるでしょう。

勉強でも同じで、基本事項がしっかり身に付いていないと、新しい発想や発見の構築はできないでしょう。
しかし、今の学校教育は基礎的な学習事項を身に付けさせ、それを確認し、より高度な問題を解かせるようにはなっていますが、生徒自身が学んだことを基に創造的に作り出すようにはなっていません。
それは人数の多さや時間的制約、予算の問題などが原因でしょうが、学んだ生徒がゆっくり考え、自信を見つめ直しつつ新しいことを考える余裕はないように思われます。

間違いばかり指摘され、それができなければ人間としての価値がないまで言われることもある。
早く早くとせかされ、じっくり考え頭の中を整理して理解する時間さえ与えられない。
必然的に自分から考えるのではなく、与えられた道筋をいかにうまく歩めるかが大事となっていく。
それができず失敗やミス、嫌な経験が積み重なれば、自分は何をやってもダメだと感じ、困難を克服する気力まで失ってしまう。
実際に、葛西TKKアカデミーの生徒もこのように散々打ちのめされて心に傷を負った生徒が多いです。

少し話がそれてしまいましたが、言いたいことは基礎応用を学ぶまではできても、現在の日本の教育は生徒による創造が難しい環境にあるということです。
そこで文科省が現在行っている教育改革ですが、この点に関しては別の機会でお話します。

では、どうすれば創造力が身に付くのでしょうか。
先ずは、自分の強み長所は何かを考え、そちらに焦点を当てることです。

今の教育は間違いばかり指摘し、弱点を克服させることに重きを置いているように思います。
人間、自分の弱いところには目をそむけたくなるのは当然です。
それを無理やり生徒に見せ、自分がダメなことを認めさせ、苦痛の中で克服せよというのです。
これでは委縮するのも無理ないです。

自分ができること、長所や強みに焦点を当て、それを生かすような教育ができれば、生徒たちは次々と結果を出し、そればプラスの影響を与え、生徒自身がもっと頑張ろうと努力するようになります。
そして、自分に自信がついてくれば、自分の苦手なことにも挑戦する心の余裕ができます。
成功の経験から得た自信をもって、失敗や間違いの恐怖心は弱まり、試行錯誤することも苦でなくなり、やがて自ら問題を克服するようになります。

このように自分に自信が持て、弱点も克服できて自分の能力があげられるようになれば、このことが色々なことに前向きにチャレンジする動機付けになります。
これまで否定的で周りを敵視したり、自分を否定したりする視点はなくなり、新たに広がった視野には喜びや希望、他者への感謝、自分への誇りなど今までと違ったものが感じ取れるようになるでしょう。
広い視点で落ち着いて客観的に物事を考えられるようになります。
そうすれば今まで見えていなかった可能性が自分の周りにたくさん見えるようになります。

この可能性への気づきが創造性の出発点になります。
つまり、プラスの感情(自己肯定感)が不可欠ということになります。
学校での先生の生徒への接し方、親が子に対する言動などは、果たして子供たちの自己肯定感を育んでいるのでしょうか。

子供たちの創造性を妨げているのは恐怖や恥ずかしいという誰もが普通に持つ感情です。
物心ついたばかりの子供たちは何も深く考えず、何でもやりたがり、些細なことでもできた喜びを十分に感じていました。
しかし、すぐに人前に出ることの恥ずかしさ、失敗することの恐怖を覚えるようになります。
そうすると、悪い結果を恐れて何もできなくなってしまい、創造性は育たなくなります。

だから、このような不安や恐怖のない環境をいかに提供できるかが、子供が創造力を身に付けるカギになります。
それは周りの人間のサポートです。
失敗を非難するのではなく、一緒になってどうすれば解決できるが考えてあげる。
小さなことでも成功したことや人のためになったことをすれば褒めてあげる(実は褒めるというのは難しいのです)。
そして、本人が自分からやろうとすることは協力してあげる。
答えを教えるのではなくヒントを与え、目標にたどり着けるようにリードしてあげる。

時にはあえて失敗させるのも大事です。
人間は失敗から学ぶことは非常に多いのです。
失敗を非難するのではなく、許す寛容さをもってください。
目的は子供を責めることではなりません。
失敗から学べるようにサポートしてあげてください。

創造により成功やポジティブな経験が増えれば、前に進む強い動機となり、自分のなりたい姿が見えてくるでしょう。
そして、その目標に向かって自ら自信をもって進める。
当然、未熟な子供たちだから周りの人の支えは必要です。
この支えで子供の成長は大きく左右されます。
より前向きに進めるか、自信を無くして自分をあきらめてしまうか。
だから、彼らの周りにいる私たちは責任があり、その言動には十分注意してください。

最近学校教育で話題の「考える力」。今回は、この「考える力」を伸ばすために重要な二つの要素に触れてみたいと思います。

最近学校教育で話題の「考える力」。今回は、この「考える力」を伸ばすために重要な二つの要素に触れてみたいと思います。

昨年度から日本の教育が大きく変わっています。
これまでの暗記中心の教育ではなく、自ら学び調べ、解決に向けたアイデアを組み立て、他者に向けて発信することができる人材育成を目指すようです。
それに伴い教育現場では教材だけでなく教授方法や教育パラダイム、評価方法に至るまで多岐にわたり、変化が起きています。

このような新しい教育の大きなキーワードの一つが「考える力」です。
そして、この「考える力」なしには未来のグローバル社会では生きていけないとまで言われています。
これからの時代は技術や環境がめまぐるしく変化し、常に未知の状況に直面しなくてはならない時代に突入すると考えられてます。
そのような変化の激しい時代ではこれまでの常識や経験が全く参考にならず、自分で考えて判断する力が不可欠となります。
その時、情報を見極め分析し、これから起こることを予想し、多面的に物事を考えると同時に、自分自身の考えも批判的に捉えることができる。
このような力が「考える力」と言えますが、文科省はこの力を養わなければ、ますます激しく混乱する情報化社会では、その変化についていけず、子供たちは自分の充実した人生を送れないと考えています。

つまり、これまでの常識や価値観にとらわれ、決められたこと与えられたしかできないようではダメで、自分の力で自分の人生を創造しながら切り開ける方にならなくてはいけません。

このような考えに立ったとき、これまでの知識詰め込み型の日本の教育では限界があります。
与えられた知識を覚え、型の決まった問題を定められた解法で解くだけでは、十分な「考える力」が育たないのです。

今の時代は、情報はインターネットなどを使えばすぐに、大量に、しかも誰でも簡単に手に入れることができます。
これまでの日本の教育が行ってきたことはパソコンやスマホ、iPadが簡単に肩代わりしてくれます。
それよりも、その集められた情報や知識をいかにつなぎ合わせ活用し、答えが一つとは決まっていない問題を解決できるかの方が重要になってきます。

このような論理的思考、物事の分析、批判的思考、問題発見力と解決力などは日本の学校教育ではあまり扱われていませんでした。
それは単純に○×で収まらない問題で、公平に全体を通して数値化して序列をつけるのが難しいものばかりだからです。
そうして、これら「ソフトスキル」は日本の教育ではないがしろにされてきたわけですが、今、世界の学校教育はむしろ「ソフトスキル」に移行してきています。
答えが分かっている勉強を教えるよりも、社会問題のような答えが明確ではない問題にどのように取り組めばいいか、という面が強調されます。
なぜなら、これらの「考える力」が学校の成績や進学進路に影響するだけでなく、人生の自由や快適さを手に入れる大きなカギになるからです。

では、「考える力」を伸ばすにはどうすればいいでしょうか。
一つは思考の柔軟性です。
これまでの暗記中心の日本の教育はこの柔軟性をむしろ否定しているように見えます。
限定されたことしかしてはいけない。
教科書に書かれた解法以外はやってはいけない。
まだ学校で習っていないことは、例え知っていても教室では使ってはいけない。
子供の思考の範囲を広げるどころか、むしろ狭めることで教える側の評価がしやすいようにできている気がします。
解答は一つでそれ以外は×、価値はない。
そんな教育では創造的で柔軟な発想は生まれません。

しかし、これからの世界はむしろ逆であらゆる状況に臨機応変に対応できることを求められます。
そのためには小さい頃から子供たちの豊かな発想を評価尊重し、自分の考えや意見が否定されない安心感のある環境が求められます。
間違えを受け入れられる余裕があり、むしろ失敗から新たな学びが生まれる。
そのような教育が必要です。

もう一つは自己決定能力です。
子供たちの判断と決断を尊重し認めることです。
大人はついつい間違えや失敗すると分かると、そうさせまいと口や手を出してしまいます。
転ぶ前に支えてあげて怪我を防いであげる。
親としては子供のためと悪気はないのですが、でも転ぶ痛みも知らなくては将来自立し自分一人で生きていかなくてはならないとき困ります。
よほど深刻な事態に陥らない限り、子供たちに失敗をさせることは重要です。

同時に、自分の意思で決めるということは自分の責任を持つことにもなり、そのためには真剣に考え何が最善なのか判断に努めるようになります。
最近の子供は恵まれているのか、面倒なのか分かりませんが、自分の意思をはっきり言わない生徒が増えているように思えます。
自分が意思表示しなくても親や先生がああだこうだと言ってくれる。
自分は言葉を発する必要はなく、首を振るだけでいい。
または、どのような結果になっても自分に影響ないから何でもいい。
または、本当にどういう風にして決めればいいのか分からない。
いづれにしても、本当に自分の考えが表現できず、決断もできない生徒が目立ちます。

しかし、文科相が前提とするグローバル社会では、多種多様な人間が生きており、一人ひとりが異なった人格です。
異なるもの同士が一緒に分かり合うためには、自分の考えは正確に伝えられる能力が必要ですし、はっきりと自分の立ち位置を表明できなければなりません。
そのためには自分できちんと選択できる力を身に付ける必要があります。

実は、選択することは物事をはっきりさせ、あいまいな態度を取らないようにする働きがあります。
転ばぬ先の杖で何でも親が決め与えるのは、子供の選択の機会を奪い、判断力を養うチャンスを奪っているともいえるのです。
だから、可能な限り子供に考えさせ、自分の力で選ばせてあげてください。
自分の選んだものは大切に使うようになるでしょう。
自分が選んだものからは、自分の個性や感性を認識できます。
そして、自分がどのように他人と違うのか分かります。
そして、みんなが違いを認識すれば多様性の許容にもつながります。
「自分は何者か」、「人と違っていいのだ」ということを理解することはグローバル社会で生きるうえでは大切な基盤となります。

以上、なぜ今の日本の教育で「考える力」が注目されているのか、そして、その育成に重要な二つのファクターについて考えてみました。

これから世界的に変わっていく社会に対応するために必要な力とされ、文科省も本腰を上げて(?)その力の育成を目指していくようです。
現在進行している教育改革にはこのような目的があります。
だから、「考える力」が欠かせないのです。

そして、「考える力」を伸ばすのに大切なものを二点取り上げました。
思考の柔軟性と自己決定能力です。
これらは今までの日本の教育では数値化しにくいとの理由で重視されていませんでした。
しかし、教育改革に伴い、これらを始めとする「ソフトスキル」をいかにして現在の学校教育の中に組み込んでいくのかが、大きな課題となります。
(正直、この点に関しては遅々として進んでいないように思われます。)

ただ、「考える力」についてはこれだけでは到底収まりきらないので、引き続き議論をしていきたいと思います。
とりあえず今回はここまで。

これから暑くなります。コロナ禍でマスクは必要、でも、熱中症も心配。そこで文科省の学校向けマニュアルが示すマスク着用のポイントを見てみましょう。

これから暑くなります。コロナ禍でマスクは必要、でも、熱中症も心配。そこで文科省の学校向けマニュアルが示すマスク着用のポイントを見てみましょう。

コロナウイルスの混乱が始まって一年が過ぎました。
去年の今頃は学校が休校になって、これからどうなるのか全く見通しもつきませんでした。

コロナ禍の中での学校生活も長くなり、生徒のマスク姿も日常になっています。
文科省の方針は感染防止に全力を尽くしつつ学校生活を行うということになっており、そこで文科省は感染防止の具体的対策を示したマニュアルを発表しています。
学校ではマスクをする、生徒同士の間隔をあける、施設をこまめに消毒する、会話は極力避けるなど。

しかし、これから春になり夏になり、どんどん気温は上がっていきます。
既に何日かは暑いなと感じられる日もありました。
今後予想される猛暑に対して、マスクをつけたままだと熱中症の危険が指摘されています。
そこで文科省はどのような対策を示しているのでしょうか。

これから春夏と気温はどんどん上がり、例年通りならば猛暑日なども何日もあるでしょう。
多くの公立学校にはエアコンがなく、例えあったとしても今はコロナウイルスの感染のために窓は開けっぱなしにするのでエアコンは使えそうにありません。
さらに学校にいるときは一日中マスクを着用しなくてはならず、これらの理由で今度は熱中症のリスクが高まると指摘されています。

以上の点を踏まえ、文科省はマスクの着用に関して、次のようなポイントを提示しています。
・暑さで息苦しいときは本人の判断(先生の指示を待たなくてもよい)でマスクを外せる。
・熱中症のリスクが高い場合は、距離の確保が難しくても熱中症の対応を優先。
・登下校中は距離が十分保たれていればマスクを外してもよい。
・しかし、公共交通機関を利用しているときはマスクを着用する。
・マスクの取り外しは活動内容や子供たちの様子を踏まえて現場で臨機応変に対応する。

このように熱中症の危険があるときは熱中症対策を優先するように示しています。
マスク着用は必須ではなくなって場合によっては自ら外してよい。
マスクは飛沫感染を防ぐためのもので、十分な距離が確保でき飛沫感染の恐れがない場合はマスクはつけなくてもいいということになっています。
よって、体育の授業や部活など、体を活発に動かし多くの吸気が必要な時は、条件をきちんと守ってさえいればマスクなしで活動してもよく、熱中症防止を心掛けるようとしています。
また、状況を見ながら現場の判断で柔軟に対応することも示され、必ずしもマニュアル通りのコロナウイルス防止策を行使しなくてもよいということです。

とは言え、生徒や児童が自分でマスクをつけるべきか外すべきかを判断することは難しいかもしれません。
特に低学年の子供たちは臨機応変と言ってもそのさじ加減が分からず、つらくてもひたすら先生の言いつけを守る傾向があります。
変にすれていないので親が「マスク外してもいいよ。」と言っても「先生に言われたから。」と言って外さないこともあるでしょう。
だから、低学年生に対しては学校の先生がどういうときマスクを外していいか具体的に細かく示してくれた方がいいと思います。
また、普段からコロナウイルスだけでなく、熱中症の恐ろしさも家庭で話し合って、熱中症がどのようなものでなぜ危険か、防止するにはどうすればいいかなど、熱中症に対する知識と理解を深めていくもの大事です。

これから暑くなって、勉強には厳しい季節になります。
コロナウイルス対策をしながら大変だと思いますが、頑張ってください。
葛西TKKアカデミーには快適な環境で勉強ができる空間があります。
どうかこちらも利用してください。
厳しい状況で頑張る子供たちを応援し、支えてゆきたいと考えています。
いつでも気軽にお問い合わせください。

デジタル教科書導入、そのメリットとデメリット(その二)

デジタル教科書導入、そのメリットとデメリット(その二)

前回お話したデジタル教科書について、今回はその続きです。
デメリットや課題を考えてみましょう。

デメリット

1.健康への影響
今、一般的に保護者の方などにデジタル教科書について伺うと一番心配なのはやはり、健康に当てる影響のようです。
確かに使うとなると、毎日合わせて何時間も使い続ける訳ですし、万が一子供たちの体に悪影響があるとすると、それは重大な問題です。
特に成長期の子供は様々な影響を受けやすく、親御さんが不安に思うのも無理はありません。

最近はSNSやYouTube、ビデオゲームなどパソコンやスマホのスクリーンをずっと見続けることが多くなっており、これらのデバイスが発するブルーレイが睡眠を妨げるなど健康への問題も指摘されています。
以前、視力低下などテレビが子供に与える悪影響が問題となったことがありましたが、今はその当時以上に、子供たちの目を酷使しています。
テレビ番組には一応終わりがあり、やめるきっかけがあるのに対し、YouTubeやSNSなどには明確な終わりがなく、本人が本当に気をつけないと永久に続けられるからです。

また、イヤホンなどを使うのであれば、聴覚に与える影響が問題になります。
最近はブルートゥースなどで四六時中耳にデバイスをしている大人をよく見かけます。
一人で大声で周りの目を気にせず話している人もいますが、耳にイヤホンジャックをつけっぱなしにすることにより、難聴になったり、中耳炎、耳の中にカビが発生するなどの事例も報告されているようです。

文科相はこれらの問題を深刻に考え、デジタル教科書の使用を授業時間の半分までという制限を課したのですが、先日、この制限を撤廃することを発表しました。
子供たちへの明確な悪影響が確認されていないからということらしいですが、それならば悪影響がないということも確認されておらず、大事なのはしっかり調査し明確な科学的根拠に基づく使用を決めることです。
しかし、今の文科省はそのような考えはなさそうです。
安全が保障されていないのに、期限だけは決めて変更しないみたいです。
内容を十分検討することなく、期限だけは頑なに守り現場に心配と混乱を巻き起こす、最近の文科省におなじみのパターンです。
しかし、このことが生徒や保護者にどれほど不安を与えているのか理解できていないのかもしれません。

2.莫大な費用
次に問題となるのはお金の面です。
「一人一端末で、滞りないアクセス環境」と大見えを切ってはいるものの、全ての生徒に端末を配布し、Wi-Fiを大容量にして、誰もがスムーズに利用できる環境を整えるというのは大変な事業です。
コロナウイルスの影響で予定より前倒しで、学校のデジタル環境の整備を行うようですが、その予算、工程はまだ明確ではありません。

もちろん税金で賄うのですが、それだけで足りるのでしょうか。
当然、環境を整える初期費用だけでなく、利用し続けるにはメンテナンスやアップデートなど持続費用も掛かります。
それも税金で賄うのでしょうか。
それとも生徒に負担させるのでしょうか。
もしそうならば、経済的に苦しい家庭の子供は利用できずに教育の権利が守られないということはないのでしょうか。
公平性と正当性が問われます。

これだけの大規模な予算を投じる訳だから、利用環境は整えましたが実際は使っていませんよなんてことは許されません。
しかし、現実にこうなる可能性は非常に高いような気がします。
これまでも教育現場に新しいツールやメソッドなど新規の事項を導入するとき、教育現場では不慣れな新しいことをするより、自分が慣れ親しんでしかも信頼のできる教育方法を取る先生は非常に多いものです。

巨額を投じた新しいツールが十分に活用されずに埃をかぶったままになることだけはないように願いたいものです。

3.本当に紙の教科書やプリントと同等以上の学習効果があるのか
こちらもまだ実践や検証が少なく、明確なデータがそろっていないのではっきりとは言えませんが、確かにこれまでの本や紙のプリントとデジタル教材では学習効果に違いを感覚的に指摘する声は非常に多いです。
私もパソコンや携帯、タブレット端末などで文献を読んだりすると読みにくいな、使いにくいなと感じることが多々あります。
画面が小さくて見にくい。
確かに文字を拡大したりはできますが、画面自体には制限があるので、全体を大きくすることはできません。
個人的にはこれが与える心理的影響は大きく、使いにくいなとしばしば感じます。
ページを飛ばしたり、ざっと流して必要な情報を探すときも、どことなく手間を感じます。
書き込みをするときも、余白に自由に書き込んだり、付箋を貼ったりした方が楽で分かりやすいく使いやすい気はします。
この手軽さは、デジタル教科書を擁護する人は同じだと言いますが、どうも違うような気がします。

これは旧世代の人間の感想なのかもしれません。
デジタルネイティブの生徒たちなら何の問題もないかもしれません。
ここは今後の調査が求められます。

しかし、勉強に関して言えばやたら便利で楽になり、苦労がなくなるのは良いことではないように思われます。
人間の頭脳は困難に直面し、試行錯誤して徐々に学んでいくものです。
簡単に分かったものは印象に残らず簡単に失われてしまうのではないかと心配します。
しかも、画像などで情報や知識は簡単にたくさん得られるのですが、実感を伴った真の知恵としての勉強はあまり身に付かないのではないのでしょうか。
また、便利すぎて反って分からなくなることもあります。
インターネットにあふれる情報からどうやって選択をしていけばいいのか、生徒たちが反って混乱するの懸念の一つです。

いずれにしても、これからの問題なので現段階では何も言えませんが、これまで以上の教育効果を出すにはどうすればいいか、十分に活用するにはどうすればいいか、常に振り返りながら検討を重ねる必要があります。

4.子供たちの使用の制限はどこまで、壊したときはどうするのか
タブレット端末などを使うデジタル教科書はこれまでのものと違い高価な教材です。
しかし、子供たちが使うのだからトラブルが発生したり壊れたりするのは当然です。
その時、子供たちは弁償しないといけないのでしょうか。
そうでないのであれば誰が補償するのでしょうか。

また、インターネットのアクセスには注意が必要で、思春期の生徒たちに不適切なサイトなど、その使用は無制限にしない方がいいのですが、その線引きはどのようにするのでしょうか。
同様にデジタル教科書を始めとするデバイスの使用を、生徒たちにどこまで許すのでしょうか。
先日、試験的にタブレット端末を生徒に与え授業で使ってみたという話を聞きました。
生徒はすぐに使い方を覚え、先生以上に使いこないしていたようです。
その中の一人の女の子が、自分のペットを撮影編集し非常に体裁のよい動画としてSNSに投稿したのですが、これは学校の勉強には直接関係ないことであり、許可された使い方でないからと注意されたそうです。
しかし、これは本当に不適切な使い方だったのでしょうか。
本人が積極的に考え創造したものを、学校の勉強と直接関係がないからと単純に切り捨てていいものでしょうか。
彼女の素晴らしい才能の発芽を否定したように私には感じられ残念です。

先生が柔軟に生徒たちを見て対応できる裁量を認めることも必要に思われますが、果たして現場の先生が本当に適切に判断できるかと言うと、そうも思われない気がします。
どこまでの使用を生徒たちに認めるのかというのは本当に難しい問題です。

本当はまだ書くべきことはあるのですが、少し長くなってきたので今日はここまでとします。
また、この件に関しては投稿します。

教育が大きく変わり混乱しています。
そこで様々な問題が発生するのは仕方ないことではありますが、最低限生徒たちの学ぶ権利をしっかり守って取り組んでほしいと思います。
そして、何よりこの改革が生徒を第一に考えてのことであること。
一部の人々の利権のために利用されているのではないことを願っています。

新学年が始まりました。しかし、こんな子はいませんか。こんな子は学校生活でも一苦労するかも。今から改善しましょう。

新学年が始まりました。しかし、こんな子はいませんか。こんな子は学校生活でも一苦労するかも。今から改善しましょう。

新学年が始まりました。
特に新一年生は今までとは異なる学校で戸惑うことも多いでしょう。
そして、中には大人にとって当たり前、どうってことない些細なことができずに困っている生徒がいます。
そのうちできるようになるさと甘く考えてはいけません。
このような小さなことが実は子供の心理に大きく働きかけ、場合によっては「学校に行きたくない。」と、不登校の原因にもなります。
今回はそのような、特に初めて学校生活を経験する新小学一年生にとって悩みになりそうな、大人にはなんてことないが見過ごすと問題になりそうなことを三つ考えてみましょう。

1.学校のトイレに行けない
保育園や幼稚園に通っていた生徒なら、それらの施設ですでに先生方が考慮して訓練を受けさせられているかもしれません。
しかし、そのような経験がなく、ずっと家庭で過ごして他の生徒と生活をした経験のない生徒にはよくある問題です。
初めての集団生活で、そうでなくても周りの生徒との付き合い方がよく分からないのに、トイレのようなプライバシーの極みのような事柄に関しては、なかなか恥ずかしくてどうすればいいのか分からない。
他の人に見られたら笑われるのではないかと、学校にいる間はトイレには一切行けない生徒がいます。
授業中に「トイレに行きたいです。」と言えなかったり、多くの人が共同で使う学校のトイレが汚く感じられていくことができない生徒は実は多いのです。

ずっと我慢して、学校が終われば猛ダッシュで帰る生徒。
時には我慢がしきれず漏らしてしまう生徒も。
そうして、それがきっかけで馬鹿にされ、学校に行きたくなくなる。
このようなトラウマ的経験をしてしまうと、学校生活を送るのも難しくなってしまいます。
トイレはこのように精神的に大きなプレッシャーになるばかりではなく、現実的に健康を害することもあります。

実は最近では、大人でも公衆トイレに行けない人は多いです。
これもこのような学校での経験が元になっているのかもしれません。
大人になってある程度慣れてくれば大丈夫ですが、子供のうちはそうもいきません。
より良い学校生活を送るには何らかの方法で改善すべきでしょう。

対策としては、デパートや図書館など公共施設のトイレから少しづつ慣らしていくといいかも知れません。
そして、公共の場でのトイレに抵抗がなくなってきたら、友達や親せきなどの家で、自分から「トイレを使わせてください。」など、トイレに行きたいことを他者に伝える練習が必用になるでしょう。
こうして、自分の家以外でのトイレ経験を増やすことで、学校のトイレも使えるようになるでしょう。

因みに、学校(特に古い学校)の中にはトイレがとても汚く、大人でさえ使うのをためらってしまうところがあります。
子供の健康のためにも、トイレの汚すぎる学校がトイレを改築し、みんなが気持ちよくトイレを使えるような環境にすることも大事でしょう。

2.忘れ物が多い
幼稚園や保育園では家庭と園が密に連絡を取り合い、親や先生が忘れ物はないか気にかけて、子供のためにいちいちチェックすることもできました。
しかし、小学生になり生徒数も増え、持ち物も増えてくると、学校が全ての生徒に目を配ることはできなくなり、親もたくさんある持ち物から何をもっていかなくてはならないか分からなくなります。
だから、自分の持ち物は自分で管理することが必要になってくるのですが、それがなかなかできない生徒がいます。

ここでも保育園や幼稚園の経験がない生徒はどうすればいいか分からないケースが多いようです。
このような子供には準備の仕方を教える必要があります。

何をどうすれば持ち物が分かるのか、親が一緒になって教えてあげるのです。
恐らくやり方さえ分かれば、忘れ物もなくなってくると思います。
小学一年生のうちは持ち物や宿題など、先生が生徒に連絡帳に書かせると思います。
子供と一緒に連絡帳を見て、宿題は何をしなくてはいけないか、明日、何も持ってこなければならないかチェックしましょう。
当然、保護者への連絡事項があることもありますので、連絡帳は毎日見なくてはいけません。
そして、日課表を見て、明日は何の授業があるのか確認し、宿題やワーク、ノートを入れましょう。
体育や図画工作など特別なものが必要になる教科は特に注意しましょう。
これ以外に、学校からの手紙もよく見て、特に学校行事などカレンダーに書き込んでおいて、明日、何があるか、そしてそれには特別な準備が必要か、常に分かるようにするといいです。

こうして子供が一人で持ち物の準備ができるようになってからも、「明日の準備はできた。」「今、学校で何やっているの。」などとコミュニケーションを取りながら、忘れ物がないように注意を促すのも有効です。
できれば、学校の先生や友達の保護者などとも連絡を密にしながら、明日、学校で何が必要か、情報交換するのもよい方法です。

一つ申し上げたいのは、生徒が自分で準備できるようになるまでは手伝いながら分からせるという意味で、いつまでも親が子供のフォローをしなくてはならないということではありません。
いつかは独り立ちして、自分のことは自分でできるようにならなくてはいけません。
ここで話していることは、あくまでも自立の前段階における補助、訓練だと考えていただきたいです。

3.いつまでもじっとしていられない
これも生徒にはよくあることです。
いつもソワソワして落ち着きがない。
他のことばかりに気を取られているから、勉強に集中できない。
これも困った問題です。

学校では、授業以外にも朝礼や終礼、様々な場面でじっと席について座っていなくてはならないことが多いのです。
そして、この同じ姿勢でじっとしているというのは、実はとても体力のいることなのです。
だから、じっと座っていられない生徒の改善法の一つは体幹を鍛え体力をつけることなのです。
ケンケンなど普段の遊びの中にも体幹の訓練になるものがありますし、習い事でスポーツを習えば当然それも鍛えることになります。

また、人の話を集中して聞く練習も大事です。
パズルや読書、工作やお絵描きなど、子供が好きなことで集中できるものを見つけましょう(YouTubeやテレビゲームは除いた方がいいかもしれません。)。
自分で考え工夫して何かを作り出す、情報からいろいろなことを考え想像するなどといく活動が伴う方が集中しやすいかもしれません。
子供が一人で夢中になって黙々とやっているのであればそれでいいですし、そうでなければ、「これはどうなの。」などと言って子供が打ち込めるように促すことも大事です。

更に、毎日一定の時間、瞑想をするのもよい方法です。
小さいうちは難しいかもしれませんが、親と一緒にならできるでしょう。
瞑想して集中力を高める訓練をすると同時に、心を落ち着かせイライラや不安を解消する効果もあります。

学校はいろいろなものがあり、友達もいるのでなかなか集中しにくい環境ではありますが、それでも集中して長時間席について勉強できる生徒もいるので、決して無理なことではないともいます。
すぐにはできないかもしれませんが、最初は5分や10分など三時間時間からスタートし、徐々に延ばしていくのがいいと思います。
慣れてくれば自分の好きなことだけでなく、学校のワークや読書などの自分のしなければならないことでもできるようになるでしょう。

これらのようにちょっとしたことでも、生徒にはなかなかできないことが沢山ありあます。
それらを軽視して放っておくと、後で取り返しのつかないことになるかもしれません。
ちょっとしたことが子供たちのコンプレックスになるかもしれません。
大人たちは子供たちをよく観察し、ちょっとしたことでも気づき、子供たちが苦手としていること、困っていることを克服できるようにサポートしてあげる必要があります。
これらを克服できれば、学校生活がより楽になり、自分に自信もつきます。
心にゆとりが生まれれば、学校生活も楽しくなり、勉強にも身が入るようになるでしょう。
子供たちの小さな落とし穴を見逃さず、しっかりフォローしてあげましょう。

デジタル教科書導入、そのメリットとデメリット(その一)

デジタル教科書導入、そのメリットとデメリット(その一)

以前話しましたが、文科省はこれまでの学校教育を大きく見直し、ICT化などのハードの面、教育方法や評価法などのソフトな面の両方で改革を進めています。
先日はGIGAスクール構想についてお話しましたが、その中のデジタル教科書について考えてみたいと思います。

文科相によると、デジタル教科書は2024年度の本格導入を目指すようで、これまでの紙の教科書とどのような位置づけで利用するのかはまだ議論が残っているそうです。
元々25年度だったのですが、コロナ禍で導入年度を早めたようです。

それから、デジタル教科書が児童生徒に与えるマイナスの影響を考慮して、授業内でのデジタル教科書の使用時間は半分にするとかしないとか。
特にデジタル教科書が視力に与える負担からの視力低下に対する世間の懸念は強く、これらをどのように配慮するかはこれからの議題のようです。
負の影響がどの程度あるのかも把握せずにデジタル教科書の2024年度の導入だけ先に決めて、それから検討するなんてまるで大学入試における英語の民間検定導入のときと全く同じで大丈夫かと不安になりますね。
こうやって期限だけ先に決めて中身を整備してないものだから、現場の学校を始め生徒自身や保護者など、多くの人にまた混乱と不安をもたらすのではないかと案じています。
要はすることだけ決めて、まだ具体的で詳しい点は決めていないということです。

デジタル教科書の踏み込んだ議論はまたの機会にするとして、ここではデジタル教科書のいい点と悪い点を簡単に見ていきましょう。

メリット

1.子供たちが興味を持ちやすいコンテンツと操作性
元々子供たちは新しいものに対する順応性が高く、全く新しいデジタル教科書でさえすぐに使いこなせるようになるでしょう。
そして、大人以上に早く操作を覚え、時には使いながら新しい発見をしつつ、このデバイスを使えるようになるのは想像に難くありません。
そんなタブレット端末などデジタル機器に興味津々の子供たちの教科書が変われば喜んで食らいつくに違いありません。
実際に、タブレット端末などを使って授業をしてみた結果、子供たちの評判は良かったようです。
内容も子供たちが興味を持ちやすいように工夫され、しかも画像を拡大したり、色々な色のペン機能を使って書き込みをしたりできるので、より積極的にデジタル教科書と向き合うようになります。
この自分から進んで向き合う姿勢が、勉強の理解を深めるとの感想も聞かれます。

2.紙の教科書ではできなかった機能
先ほど述べたようにペン機能で書き込んだり、写真や画像テキストを拡大できるほか、動画を見たり、インターネットなどを通して多くの情報を収集できます。
更に、数学の図形などでは、図形を自分の思いのままに動かし、あらゆる方向から見て、空間認知能力を高めることも出kます。
何度も何度も再現できるので、英語の発音など分かるまで繰り返すことができます。
発表などで自分の資料をみんなと共有し、言葉だけでなく視覚的にも表現できるので発表も分かりやすくスムーズにできます。

3.物理的に教材が減り、負担が減る
全ての教科書が一つの端末に入っているので、何冊も教科書を運ぶ必要がなくなり、小学生の重いランドセル問題を始め、生徒たちの身体的負担が減ります。
プリントも先生がいちいち紙で刷って配布する必要がなくなり、印刷物を準備する時間が減って先生の負担も減ると同時に、紙の削減にもなるのでエコでもあります。
小テストも端末を通して行えば、集計がすぐにできクラス全体の理解度の把握もできますし、個人のテスト結果も全て自動的に記録されるので、先生が記録する手間が省けます。
そして、それを見て先生が個人の指導に役立てることもできます。

このようにデジタル教科書は、生まれたときからスマホやインターネット、SNSに囲まれ使いこなすデジタルネイティブの子供たちの関心を引くには持ってこいです。
これまでの紙の教科書にはできない機能が沢山あり、それらを活用することによって効率的かつ有効的な学習が期待できます。
デジタル端末を利用すれば、生徒の学習情報がそのまま記録され、彼らの理解度などの状況把握が簡単になります。
そして、これらの情報をもとに生徒一人ひとりの指導を見直し、個別に合った教材を提供できますし、フィードバックを生徒や保護者にすることもできます。

このようにメリットが多いデジタル教科書ですが、当然デメリットなどマイナスの面も指摘されています。
こちらは次回お話しようと思います。