最近、「物覚えが悪くなった」「思い出したくても思い出せない」という若者が増えています。ひょっとすると「スマホ認知症」かも!

最近、「物覚えが悪くなった」「思い出したくても思い出せない」という若者が増えています。ひょっとすると「スマホ認知症」かも!

スマホが私たちの生活に根付いてずいぶん経ちます。
生活様式が大きく変わったと言っても過言ではないでしょう。

確かに、スマホは便利な道具で人々の生活を豊かにしたという側面は否めないでしょう。
しかし、同時にマイナスの面も多く指摘されています。

今回はそんなスマホとの付きあい方についての注意点をお話したいと思います。

スマホを持っている多くの人がもうスマホから手を離せなくなり、スマホが気になってちょっとでも機会があればすぐに開いてみてしまう。
歩いているとき、友達と話しているとき、勉強しているとき、食事をしているとき。
個人的な時間に限らず、よほど強く禁じない限りはスマホを見ずにはいられない。
スマホなしではもうまともに生きていく自信もない。
そんなスマホ依存症の問題が指摘されています。
スマホは素晴らしい道具ですが、道具である以上上手に使いこなさなければ、そのマイナス面を十分理解した上で活用しなければ、害悪の方が大きくなります。

今回の記憶とスマホの問題も使い方の問題と言えます。
「スマホ認知症」とはスマホを頻繁に使う若い世代を中心に、物覚えが悪くなったり、覚えていたことを思い出せない、とっさに言葉が出てこないなどの認知症のような症状が出ることです。

専門家によると、スマホへの依存やす別のことをしながらスマホをいじるなどの「ながらスマホ」によって脳内に異変が現れるそうです。
スマホは色々なものを調べたりするのに非常に便利なツールで、今や私たちの生活はスマホなしには考えられないと言ってもいいでしょう。
スマホは情報を収集し、集められた多くの情報を脳に入力することができます。
しかし、人間の脳は情報を入力する「インプット」だけでなく、その情報を整理し新たに思考や行動に役立てることができるように処理する「アウトプット」が必要です。
ところが、人間の脳はこの両者を同時に実行することができません。
「インプット」のときはそれに特化した活動を行い、脳は情報整理ができません。
その結果、覚えていたものが思い出せないなどと言うことが起こり、仕事の効率が悪くなります。
また、「インプット」に脳の活動が集中しているということは感情のコントロールもできないということになり、イライラしたり幸福感が感じられなくなったりします。

つまり、人間はただ情報を入力するだけでなく、それらを処理することも必要なのに、スマホの怒涛のような情報の洪水がそれを許しません。
インプットを中断し、情報を整理したり考えたりする時間が必要なのですが、それができないため記憶も定着しなかったり、整理されてないがため思い起こすことがうまくできなかったりします。
こうして「スマホ認知症」が発生するのです。

では、「スマホ認知症」になった場合どう対処すればいいのでしょうか。
先ずは、スマホを手放して物理的に情報入力をできない時間を作りましょう。
例えば、外に散歩に行って周りの自然や景色を楽しむとか。
脳の活動を正常にするためにも、何もしないぼーっとする時間が必要です。
睡眠も重要です。
睡眠中は情報入力が行われないので、その日の記憶を脳が整理し深く定着させます。
短期記憶を長期記憶に帰るのです。
だから、勉強をする生徒も十分な睡眠は必要で、寝ないで勉強するとかえって効率が悪くなります。
ましてや、ゲームやSNSでの交流で深夜まで起きている(時には朝まで)ことは言語道断です。

専門家によると、実は「能動的な情報収集」は問題がないそうです。
自分の「アウトプット」のために意識的に情報を集めることです。
例えば、本や映画を見ることが能動的なアウトプットを意識した行動です。
問題は自分で積極的に情報を集めようと考えず、ただ、だらだらとネットを見たり動画を見たりすることです。
だから、「スマホ認知症」を防ぐためには節度あるスマホの利用時間と意識的な情報収集が大事となります。

今の子供たちは色々な意味で私たちの時代と違い、だからこそ私たちも経験なくアドバイスできないこともたくさんあります。
特に新しいツールは注意が必要です。
益にも害にもなるからです。
だからと言って一方的に禁止するのは賢いやり方ではありません。
多くの利点を失うからです。
最善の均衡点を見つけなければなりません。

これから学校でも一人一端末と言うようにデジタル化が一層進むと予想されます。
今まで誰も経験したことのないことをするときは、あらゆるリスクを想定して対処しなければなりません。
「スマホ認知症」もその一つですが、大事なのはみんなが正しく理解し合意を持ってツールを使えるか(使いこなせるか)ということです。

教育が変わろうとしている現在、これに限らず多方面で混乱が起きています。
確かに文科省の唱えるようになれば、これまでにない画期的な教育で生徒にも多大な利益があるでしょう。
でも、もし理想通りにいかなかった場合はどうするのかにも焦点を当てる必要があります。
しかし、今のことろ文科省はそのような点は現場に丸投げという態度です。
無責任にも思えますが、日本の将来を担う子供たちを真剣に思っているならば、「上手くいきませんでした、すみません」とならないように心を据えて取り組んでほしいです。
失敗のつけが子供たちに来ることだけは絶対にないようにと願うばかりです。

考えよう!「考える」ことは面倒?でも、「考える」からこそ人間であり、特にこれからのAI時代、「考える」ことができなければ生き抜くことが非常に難しくなります。

考えよう!「考える」ことは面倒?でも、「考える」からこそ人間であり、特にこれからのAI時代、「考える」ことができなければ生き抜くことが非常に難しくなります。

勉強を嫌がる生徒の中に、その理由に「面倒くさい」あげる人がいます。
「覚えるのが面倒くさい」「書くのが面倒くさい」「考えるのが面倒くさい」と「面倒くさい」のオンパレード。
でも、「面倒くさい」と言ったらキリがありません。
何もかもが「面倒くさい」になってしまいます。
そうなると、食べること、息すること、寝ること、生きることの全てが「面倒くさい」ということになり、勉強をしなくてもいい理由には到底なりません。

そもそも、勉強は面倒くさいものです。
だからこそ、脳を鍛えることになるのです。
脳細胞を活発に動かすことで脳内ネットワークが広がり、より高度な思考が可能になります。
これも「面倒くさい」が勉強しなくてもいい理由にはなりません。

最後に、「面倒くさい」というのは「できない」ということと同意ではありません。
逆に言うと、手間はかかるが、そうすればできるということです。
だから、それをやらないのは「怠慢」であって、この点からも勉強をしなくていい理由にはなりません。

「面倒くさい」が勉強しなくてもいい理由にはなりえないことを示したところで、本題の「考える」ということについて話してみましょう。

人類は他の動物のような強い牙や爪、自身を守る丈夫な皮膚や殻を持たない代わりに、頭脳を発達させることで生存競争に打ち勝つ道を選びました。
他の動物とは違い、「考える」ということに特化することで生き延びることに成功し、今日まで種をつないできました。
先ほども述べたように、「考える」ということは面倒で時間もかかり、時には莫大なエネルギーを使って無理する必要があります。
しかし、人類がこれまで生存してきたということは、これらの負の面を補って余りある利点が「考える」の中にあるのでしょう。
例えばどんな利点があるのでしょうか。

・目の前の手がかりからまだ見ぬものを想像する
人間には推測する能力があり、これは「考える」という力があるからこそ可能です。
人間は一つの事柄からそのものを認識するだけでなく、そこに様々な要素を加え、目の前のもの以上の認識をします。
例えば洋服一枚とっても、その服の形や色彩を捉えるだけでなく、「格好いい」「どこのブランドだろうか」「どこような着こなしができるかなあ」といろいろ考えを巡らせます。
このように現実の捉えたものそのもの以上の情報を手にしようとします。 
これに経験などが加わると、これからどうなるかなど、未知の部分でさえより確実に推測することができます。
このように「考える」が加わると一つの現実から無限の可能性が生まれるのです。
これはAIにはまだ難しい分野で、だからこそ、これからのAI時代で人間の様々な能力が取って変わられるときに、「考える」と行くことは人間としてその存在価値を維持するためにも重要なものとなります。
しかも、この認識の拡張は個人個人で異なり、多くの人間が集まればより結論として導き出される可能性も増えます。
これはAIにはなかなかできません。

・これから起こることが分かるようになる
先ほど「考える」ことができる人間は目の前の一つの事象から、直接分からない部分でさえ推測することができると言いました。
これを時系列に当てはめれば、これから起こることでさえ分かるようになるという意味です。
そして、この「推測」する力は経験でより強化されるとも言いました。
これには個人的経験もありますが、人類としての経験も人は吸収することができます。
過去の人々の業績の蓄積を私たちは本や伝承で自分の中に取り入れることができます。
勉強にはこういった面もあり、学校の授業などで知識として学べば、当然一人の個人としては物理的に(質的にも量的にも)不可能な経験を積むことができます。
こうして個人を超えた経験が将来予測をより確実にすることができます。
そして、一つの出来事から他の出来事にも適用できる応用性が身に付けば、様々な難局であっても解決に導ける可能性が広がります。
このような応用力もAIにはなかなか持てません。
「考える」ことはAIに対抗する大事な武器です。

・「考える」という頭の中の無限の世界が、現実の世界を押し広げる
現実は限りがあります。
でも、頭の中で「考える」ことには限りがありません。
人間はいくらでも「考える」ことができ、思考の境界線を無限に広げることができます。
この「考える」という無限の行為があるからこそ、私たちは現実にあるこれまでの制限を取り払い、より自由に行動できるようになりました。
それは機械や道具のようなモノだけでなく、民主主義や社会システムのような制度を始めとする無形なものにまで及びます。
「考える」ことで人間は現実に創造し、物質的にも精神的にも豊かにしてきました。
そうして「考える」ことは世界全体を変えるパワーの源になり、これもAIでは生み出すのは難しいでしょう。

・AI時代を生き抜く
今後、AIの発達により世の中の50%以上の仕事がAIにとって代わられると言われています。
これまでのような、「知識を詰め込んで指示されたことだけを忠実に正確にこなす」だけの人間であれば、これらは全てAIの得意とすることなので、彼らの仕事はAIに奪われてしまうと考えられています。
だから、日本政府もこれまでのような教育ではなく、AI時代でも生きていける人材育成を目指し現在教育改革が進行中です。
この件に関しては個人的に議論したいところですが、一つの見方としては筋が通っています。
仮にこれが正しいとすれば、やはり「考える」ことができないと、これからの人間は生き抜くことができません。
当然AIが得意な分野は人間にはかなわないでしょう。
でも、AIが苦手な分野にはまだまだ人間の活躍の余地があります。
AIの普及、ICT化が世界のトレンドで逆らうことができないのであれば、AIとの共存を考えなければなりません。
AIは「与えられた答えの定まっている問題を解く」「情報を処理して最適化する」「情報を検索し処理する」「ルールに従い具体的なことを扱う」などは得意です。
一方、「定義が不明瞭で解答も定かでない問題を扱う」「与えられた情報から新たなものを作り出す」「物事の意味や意義、可能性を見出す」などということは苦手です。
このようにAIが得意なことはAIに任せ、苦手な部分(人間が得意とする部分)にこそ人間の力を集中させれば、全体としての効率が上がり、これまで以上に資源の有効活用が可能となり、より豊かな社会が作られるでしょう。
そして、人間が力を注ぐべきAIの苦手な部分というのは当面人間の独壇場であります。
「考える」はこの分野での活動の根幹をなし、「考える」ことが苦手な人間はこれからどんどん仕事の選択肢がなくなり、生きることが難しくなるでしょう。

このようにAIの発達が現実味を帯びる中、「考える」はこれまで以上に重要な要素となり、これができなければ生存も危うい時代になるのかもしれません。
最後に、「考える」をこれまで述べたように時代の変化に伴う必要としてではなく、人間本来の性質として捉えてみましょう。
いろいろ小難しいことを言いましたが、本来「考える」というのは人間が自然界における生存戦略として取り上げたもので、「考える」という行為を能動的に行わせるために、人間には知的好奇心と知的感動が備えられていると思います。
これを上手に刺激してあげれば、人間はより幸福感を味わうことができます。
これは私の塾を通しての経験の中で何度も出会った場面であり、経験的に間違いないと思います。
「分からなかった問題が解けた」「他の人が気付かなかったことに気づいた」など「a-ha!」と思った瞬間、人間は喜びを感じ、自分に誇りと自信を持ちます。
つまり、「考える」こと自体が日々の勉強のみならず、生活をも潤すのです。
「考える」のが「苦痛」「面倒くさい」と感じる人は、残念なことに様々な理由で、これらの幸福を十分に味わうことができなかったのでしょう。

葛西TKKアカデミーでは「学ぶ喜び」を大切にし、生徒一人ひとりを尊重し、知的感動を与えられるように努めています。
多くの生徒が乱暴な勉強で心身ともに打ちひしがれて、「考える」という楽しい行為を苦しみであり害悪と捉えてしまっていることに非常な悲しみを感じます。
「考える」はこれからの社会で生きるのに必須な能力だけでなく、個人個人の生活を幸福にする鍵でもあります。
どうか「考える」を「面倒くさい」と拒絶するのではなく、その喜びを味わってください。
そのために葛西TKKアカデミーは皆様の力になりたいと望んでいます。

勉強ができない生徒はなぜできないのでしょうか。理由は様々でしょうが、いくつか例を挙げて考えてみましょう。

勉強ができない生徒はなぜできないのでしょうか。理由は様々でしょうが、いくつか例を挙げて考えてみましょう。

よく「うちの子は勉強ができない」などと言いますが、「勉強ができない=知能が低い」と結論付けていませんか。
私のこれまでの経験から、勉強ができない子は知能が低いからできないのではないケースがほとんどです。
問題はそれ以前にあるのです。
ということで、今回はできない原因となるものをいくつか挙げてみたいと思います。

「自分が勉強できないと思い込んでいる」
人間、思い込みと言うのがその行動や思考に大きく影響します。
「自分ができない」と思い込んでしまうと、本当はできる力があるのにできなくなってしまいます。
逆に、「自分はできる」と思い込んでいると、これまでできなかったことができるようになったりします。
よくスポーツ選手は、試合前に自分の勝利した姿をイメージするトレーニングをします。
それもこのことによります。
暗示とも呼ばれるこの作用ですが、多くの勉強ができない子供たちは、これまで勉強が分からないとき散々非難され、自分に自信を失って、「もう自分は何をやってもダメなんだ」と思い込むようになっています。
こうなってしまうと、その暗示を解くのは一苦労です。
だから、一番大事なのは子供ができないとき、すぐにダメな奴とか頭が悪いなどのレッテルを貼って責めるのではなく、根気強く本人が分かるまで付き合ってあげること、そして、常に「頑張ればできるんだよ」と励まし、本人が自分を信じ前向きになれるように支えることです。

因みに、勉強嫌いの子供にも同様のことが言えます。
勉強が嫌いなのは問題が解けないからという子供は非常に多いです。
これも先ほどと同じく、「本人が壁にぶち当たったときの周囲がどのような対応をしてきたか」によって勉強嫌いになるかどうか決まり、一度勉強嫌いになってしまったら、その子を勉強に向かわせるのは大変です。
私がよく言うのは「勉強は好きにならなくてもいいから、嫌いにならないでほしい」ということです。
そのためには予防的に注意して子供と接しなくてはいけません。

親が勉強をみて、自分にとって簡単なことができないとき、ついついイライラして、そのストレスを解消するために子供を避難してしまいますがこれは子供にとっては何の益もありません。
本人のことを思うなら、いくら自分がイライラしてもグッとこらえる心の広さ(長期的視点で考えることができる)と本人を信じ根気強くついてあげてください。
(親御さんも忙しいかもしれませんが、そんなときは第三者に助けてもらうのも一つの手です。)

勉強の楽しさが分からない
小学校に入ったとき、みんな勉強が嫌いではなかったと思います。
それまで憧れていた学校に入り、これからたくさん勉強しようと希望に満ちていたと思います。
しかし、学年が上がるにつれ勉強嫌いが増え、勉強が楽しくないという子供が増えてきます。
大きな原因の一つは上記にもあるように、壁にぶつかったときの対応です。
だから、周囲の人間次第で子供が勉強への興味や喜びを持続させることは可能です。

よく自分の好きなことであれば、大人がびっくりするぐらいなんでも知っている子供がいます。
自分から進んで調べ、積極的に理解し覚え。
勉強も同様であってほしいと思います。
そうすれば、勉強がどんどんできるようになり、その喜びからまた自主的に勉強をするというプラスの相乗効果が現れます。

ここで大事なのは、このプラスの効果を産み出すきっかけです。
それは直接学校の勉強でなくていいです。
例えば、先日ちょうどスーパームーンの月食がありましたが、これを見た感動から宇宙に興味を持ち、そこから理科が好きになるなんてことが考えられます。
つまり、勉強から少し距離を置いたところから攻めてみるのです。
そして、そのためには多くの実体験が効果的で必要になります。
どんな些細なことでもいいから(料理を作る、山登りをする、昔のお城を訪ねる、歴史的映画を見る、ホームステイで外国の人と触れるなど)子供に自分の体を通した体験をさせてあげましょう。
きっとその中に自分が面白いと思えるものが見つかるはずです。
そのためには鉄砲を数多く撃たなければなりませんね。

何をやったらいいか分からない
これもよくあるケースですが、やらなければならないのは分かっているしやろうと思っているのですが、何をどのようにやればいいのか分からないとう場合です。
これは本人だけで解決するのは難しいでしょう。
だから、周りの人間がきちんとしたアドバイスをしてあげることです。
子供と話し合い問題点が何なのかを的確に見つけ出し、その原因にどのように対処すればいいか教えてあげる。
葛西TKKアカデミーのような個別指導の場合、本人の勉強の度合いに合わせて勉強の進度の調整がききます。
中学の数学ができない理由を突き詰めてみると、実は小学生の時の分数だった。
そんなときはすぐに分数の基礎に立ち返り指導できます。
(他の生徒と一緒の集団指導では難しいですね。)
そして、勉強ができない根源的問題が解決すると、みるみる今までできていなかった数学の問題が解けるようになります。

勉強ができない理由は他にもたくさんあり、生徒一人ひとりで違うことがよくあります。
単純に「勉強ができない」と決めつけて、ひたすらプレッシャーを与え続けるのではなく、そのもう一つ前の理由を探しましょう。
本当の問題はそこにあるのです。
そして、そのためには一番に対話を通して子供を理解すること、子供を励まし支え、自分は頑張ればできるという自信を持たせてあげることが大事です。
親が勉強のできない子供をただひたすら怒り非難するのは何の効果もありません。
自己否定に陥り、状況を悪化させるだけです。
そうなると元に戻すのは至難の業です。
そうなるのだけは避けてください。

こちらが一生懸命教えて何とかできるようになってほしいと情熱を傾けるのはいいのですが、それがすぐに結果として出ないからと言って精神的に不安定になってはいけません。
子供の成長速度は様々で、すぐにはできるようにはならないかもしれません。
でも、勉強の本来の目的が彼らの将来のためだとするなら、我々は本人を常に信じ、長い目で見守ってあげるべきです。

子供に言ってはいけないNGワード「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」

子供に言ってはいけないNGワード「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」

子供たちは毎日、周囲の人からたくさんの影響を受け、それを吸収して成長していきます。
時には、大人の何気ない行為や発言をしっかりとらえ、それが子供たちの人間形成に大きく影を落としたりします。
本当に、「そんなことまで聞いていたの」「そんなところも見ていたの」と驚かされることもしばしば。
だからこそ、大人は自分たちの振る舞いや言葉に細心の注意を払わないといけません。

子供に良い影響を与えるものならいいのですが、まだ分別がしっかりしていないこともに対しては見せたり聞かせたりしない方がいいものもあります(もう少し大きくなって物事が分かってきてからならいいのですが)。
その中で今回はこの言葉をNGワードとして考えてみたいと思います。
「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」

子供はまだ経験が浅く、世の中のことをよく知りません。
これから学ぶことが沢山あり、だからこそ、無限の可能性に満ちた存在といえます。
確かに現実は厳しくつらいものかもしれません。
しかし、まだ幼いうちからそれを知り、妙に斜に構えるようにはなってほしくありません。
できれば、夢と希望に満ち溢れた未来を感じさせてあげたい、そんな風に私は願うのです。

しかし、多くの大人や親がこのNGワードを口にします。
自分自身がこれまで生きてきて実感としてそう思うから、正直に何の気なしに言うのかもしれません。
しかし、この言葉が子供にどんな影響を与えるか考えてみてください。
子育てが一気に難しくなるかもしれませんよ。

この言葉を聞いて、子供はどんなことを思うのでしょう。
単純に、「そうか、役に立たないんだったら、勉強する意味はないな。勉強やめよう」と考えるのではないでしょうか。
これは、子供に「勉強をしない」ことに対する免罪符を与えることになり、勉強放棄を正当化させる根拠になります。
そうなれば、いくら親が「勉強しないと将来困るよ」とか、「勉強しないといけないんだから早くしなさい」なんて言っても説得力はなく、言うことを聞かなくなるかもしれません。
勉強嫌いな子供にとっては、まさに伝家の宝刀で、口の達者な子供なら特に、これによって勉強という呪縛から逃れることができるのです。
この言葉を理由にされたら反論できる親は多くはないでしょう。
なぜなら自分(または自分と同じ大人)が自ら言った言葉だから、否定できないし、言葉に対する責任もありますから。

「貧困の再生産」という言葉があります。
教育の価値を理解できず、十分な教育を受けていない親は満足な仕事になかなかありつけず、貧困家庭に陥ってしまう(特に貧富の差が拡大しつつある現代においては、その数も増加傾向にあります)。
日本のような国は、社会的地位の流動には教育が大きく関わってくるのですが、上記のような家庭では、親が教育の価値を十分わかっておらず、子供にしっかりとした教育を受けさせない傾向が強く出てくるそうです。
そうなれば、子供も親と同様に貧困に陥る確率が高くなり、「貧しい家の子供はやはり貧しくなる」という現象が現れてきます。
これが「貧困の再生産」です。
(本来教育は基本的人権の一つであり憲法に保障されているのだから、出自が何であれ、本人が望むなら誰でも十分な教育を受けられないといけませんが、実際はそうではなく、これは由々しき問題ですが、この議論は別の機会に。)

このような家庭環境における親がよく口にする言葉が「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」です。
この何気ない一言が、子供の将来における上昇志向に水を差し、自己肯定感をなくし後ろ向きな思考になるかもしれません。
そして、貧困に陥る可能性が非常に高くなります。
教育、そして子育ては子供の可能性を伸ばしていくものでなければなりません。
しかし、そのような可能性を一気に押しつぶすような、強力な影響を持つ言葉を大人たちはつい言ってしまいます。
本当に気をつけないといけません。

現実を子供に知らしめる親切心と言うかもしれませんが、大きなお世話です(すみません、言い過ぎました)。

そもそも教育とは、将来役に立つか立たないかで割り切る打算的なものなのでしょうか。
いいえ、違います。
方程式や国語文法、英語の仮定法など大人になって使わないからやる必要はないのでしょうか。
教育の目的は学んだことそのものを実社会に出たときに使うことではありません。
様々な側面があり、その手段の一つが学校で習う五教科であったり九教科であったりするのです。

確かに「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」というのは人生の経験を積んできた大人にとって真実の一面であり、教訓だからこそ自分自身そう信じて子供に言うのでしょう。
確かに、現実社会は厳しく小中学校で勉強したことで太刀打ちできるほど簡単ではないでしょう。
「子供の将来のために」と思って勉強をさせている親はたくさんいるでしょう。
しかし、子供は自分の将来がはっきり見えていて、何を勉強しなくてはならないか分かって勉強している者はほとんどいないでしょう。
実際勉強ができる子供は、将来のこと云々ではなく、単純に知的好奇心や知識欲で、もしくはもっとストレートに問題が解けた達成感のようなゲーム的面白さで勉強をしている人が多いです。
それを「将来役立たないから無意味だ」と言われたら、せっかく面白い勉強もつまらなくなってしまいます。

また、勉強するは習ったことそのものを大人になって利用するというよりも、「学ぶ」という過程で知ること身に付けることが生きるうえで重要なことが沢山あります。
つまり、勉強は目的ではなく手段とも考えられるのです。
数学をやりながら論理的説明を理解したり、国語を勉強しながら相手にいかに明確に分かりやすく説明するかということを学んだりです。
問題を解く中で試行錯誤し、「ああでもない、こうでもない」と苦労しながら多面的に物事を見たり考えたり、どういう結果になるか想像や推測したり。
難しいからこそ、もがき考えるうちに忍耐力や根気が育ったり。
実はこのような要素が実際に社会に出たときに不可欠となります。
これこそ勉強の真の目的の一つです。

「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」と言うのは教育を表面的にしかとらえていない発言で、教育の真の意義を知らないのです。
子供たちの生活と心を豊かにしてくれるチケットです。
だから勉強は、こんな声明で価値をなくしてしまうような、そんな薄っぺらいものではありません。
その辺りをしっかり理解していただきたいと思います。

また、同時にこの言葉の持つインパクトを考えると、安易に子供に浴びせかけていいようにも思えません。
人生を長く生きてきた大人が実感を伴って思うことだからついつい口にしがちですが、子供に対していっていいものかよくよく考えてください。

葛西TKKアカデミーでは、ただテストのためとか受験のためではなく、本当に勉強を子供たちが楽しみ、教科書に書いている以上の知恵と教訓、そして学ぶ楽しさを知ってほしいと願います。

明日は何とスーパームーンで月食です。月食は中三理科で習いますが、それより純粋に自然の神秘に触れ心動かしてほしいです。そして知的好奇心を刺激できれば勉強への興味もわいてきます。

明日は何とスーパームーンで月食です。月食は中三理科で習いますが、それより純粋に自然の神秘に触れ心動かしてほしいです。そして知的好奇心を刺激できれば勉強への興味もわいてきます。

明日、5月26日は日本全国で皆既月食(月が全て隠れる月食)が見られます。
18時44分から月が欠け始め、20時9分から28分まで完全に月が地球の影に隠れてしまいます。
天気予報によると全国的に天気も良さそうなので、多くの地域でこの月食が見られるのではないでしょうか。
時間になったら南東の空を眺めてみてください。

更に今回の月食には特別な点があり、それはちょうど月がスーパームーンに当たるということです。
月を始め地球などの惑星もそうですが、公転している天体は実は円を描いて回っているのではありません。
互いの呪力が影響しあい、程度の差はあれ、全て楕円軌道を動いているのです。
だから、地球と月の距離は絶えず変化し、地球に近い時は地球から見た月は大きく見えますし、地球から遠ざかっているときは小さく見えます。
何と見た目の大きさの差は14%にもなるそうで、つまり一割以上も大きさが違ってくるのです。
しかも、皆既月食が起きる時間は、月は比較的低い空に位置しているので、目の錯覚から更に大きく、そして、赤っぽい月の月食が見られるのではないでしょうか。

月食の位置が低いため、高い建物があると隠れて観察できないので、是非見通しのいい場所を事前に確保することをお勧めします。
後はタイミングよく雲が出ないことを祈るばかりです。

月食とは地球の影に月が入って、月の表面上に地球の影が落ちてできる現象です。
日食と違って影が月を隠しているので、暗いところとの境界線ははっきりとはしておらず、完全に隠れてもぼんやりと月が見え、今回のように真っ暗にはなりません。

日食と月食は中学校の理科の時間に扱われる項目で、当塾でもよく説明します。
しかし、机上の勉強では実感もなく、興味もわかないかもしれません。
このような天体ショーを自分で目撃すれば、きっと何か感動でき心に残るものがあるはずです。

このような特別なイベントに限らず、日常においても身の回りのちょっとした自然に目を向けてください。
少し気をつければ、知の感動は日常にあふれています。
何気ない見過ごしていたものに、何か新発見があるかもしれません。
そうでなくても、純粋に花をめでたり、昆虫や動物の不思議さに触れることができれば、もっと知りたいという意欲がわきます。
このように自身の経験が学校の授業と結びつくと、勉強はもっと楽しくなります。

これは理科に限ったことではありません。
どの教科も自身の経験とつながったとき、それは現実のものとなり、より強く心に刻まれ理解も実感を伴って深まります。
大事なのは発見し、実感し、想像することです。
そうして思いを巡らせ、自分なりの解にたどり着いたとき、人間の知的喜びは最高潮になります。
このような経験を沢山すれば、知的好奇心も高まり、勉強が楽しくなるはずです。

個別指導塾葛西TKKアカデミーは常に生徒たちが楽しくなる授業を心がけています。
つまらなくならないように、いろいろ工夫します。
勉強は苦しみではなく、喜びなんだと思えるように努めています。

このように知的好奇心を刺激することは、実は家庭でもできるのです。
親子が一緒に何かする。
料理でも工作でもハイキングでもいい。
不思議だなと思えることはたくさんあります。
どうか皆さん、そのようなチャンスを逃さず、答えを教えるのではなく一緒に考え話し合ってみてください。
そうすれば子供はどんどん学びに飛び込んできますから。

次のスーパームーンでの皆既月食は2033年の10月だそうです。
貴重な夜をお楽しみください。

ゲームが手放せない子供たちが増えています。ゲームの長所と短所は何でしょうか。何に注意するべきでしょうか。

ゲームが手放せない子供たちが増えています。ゲームの長所と短所は何でしょうか。何に注意するべきでしょうか。

スマホやパソコン、iPad、ゲーム機などが浸透するにつれ、これらのツールを使ったゲームにはまる子供たちが増えています。
特にコロナウイルスの拡大に伴い外出の自粛を求められるようになると、家で過ごす時間が増え手持無沙汰にゲームに手を出す子供がたくさんいます。
そして、私たちの子供のころと違って困ったことは、これらのゲームにはキリがない、ここでやめておこうという区切りがつけにくいことです。
そのままゲームを続け中毒性、依存性が増すと、ゲームなしでは生きていけないような、ビデオゲーム症候群に陥ってしまいます。
そして、そのまま生活リズムが崩れ、勉強も疎かになり、健康も害するようになるといけません。

今回はゲームが子供たちに与える影響と、大人として何に注意すべきか考えてみましょう。

最近、親が子供にスマホなどで動画を見せたりゲームをやらせて、そちらに子供が夢中になっている間に自分のしたいことをする場面をよく見かけます。
ゲームに子守をしてもらう訳です。
ゲームさえ与えておけば、子供は黙ってじっとゲームに集中しているので、親としては子供を見る必要が減り、自分のやりたいことができるという訳です。
これは特に若い親に多く、よってゲームをやっている子供も幼児であることが多いです。
つまり、早い子供では小学生になる前からゲームに染まるのです。
そして、早い段階でゲーム依存症になってしまえば、それを子供から取り上げるのは至難の業です。

確かにゲームは上手く使えばいい点もたくさんありますが、やはり、それよりも子供へ与える悪影響を心配する親御さんが多いことと思います。
先ずは、メリットとデメリットを簡単に考えてみましょう。

メリット
ゲームをやることのよい点としては友達関係があげられるでしょう。
同じゲームを通して対話が生まれ、ゲームで競い合うことで盛り上がったりします。
我々が幼いとき、教室で友達とテレビの話で盛り上がったように、ゲームを通じて共通の話題ができるのです。
ということは、逆にゲームをやらないと友達との話についていけないということになりかねません。

また、親も同じゲームをしていれば親子の会話も生まれ、一緒に楽しい時間を過ごすことができます。
ゲームを上手になろうといろいろ考えたり、努力して強くなろう、クリアできるようになろうと頑張ります。
難しい局面でもがんばれば乗り越えられるという経験は子供には良い影響になるでしょう。

デメリット
やはり、一番気になるのは健康への影響でしょう。
過度のプレイは視力を低下させ、手根管症候群など、手や指の関節に障害を与えます。
一時期ポケモンで問題となった「光過敏性発作」を引き起こすことも報告されています。
先ほども触れましたが、生活リズムが崩れ、昼夜が逆転したり、頭痛に悩まされたり、寝不足になったりします。
こうなるとまともな生活を送ることも困難になり、子供の中には学校に行けなくなって不登校になる者もいます。

また、心理的な影響も心配されます。
ゲームの内容によっては、子供の攻撃性が強くなる傾向が指摘されています。
焦燥感やうつが出やすくなったり、社交能力が低下、集中力が長く続かなくなることも問題です。
これがエスカレートすると、もうゲームを手放すことができず、やらないと禁断症状が表れ落ち着きがなくなるゲーム依存症になります。

他にも長所短所があると思いますが、とりあえずここまで。

では、これらメリットを伸ばし、デメリットを減らして良好なゲームとの関係を築くには何に注意すべきでしょうか。

一番大事なことはルールを決めることです。
ゲームを完全に禁止することは親とって簡単かもしれませんが、良い解決策ではありません。
ゲームをやっていい時間帯や長さなど、ゲームをするときのルールを一緒に話し合って、親と子の合意の上でルールを作りましょう。
一方的な押し付けは反発を招くし、親と子で同様のルールを課さないと、親はやっているのに自分はどうしてダメなのかと子供に不公平感が表れます。
思春期の子供には特に不公平感、理不尽は大きな問題です。
家族が揃って食事をするときはゲームを置いて一緒に食事するなど、ゲームをしていい時間と悪い時間、そして場所をきちんと決めましょう。

実は意外にも子供たちはルールをほしがっています。
葛西TKKアカデミーに来る生徒たちも勉強しなければいけないのは分かっているのに、どうしても携帯が手放せなくて困っています。
だから、ルールを作って勉強中は携帯禁止とか、塾にいるときは携帯を預けるという風にしてほしいとリクエストされたことがあります。
子供たちも彼らなりに、スマホなどの弊害を理解しているようです。

後、子供がどんなゲームをしているか把握することも大事。
暴力的なもの、性的なのも、課金を伴うものには注意が必要です。
そして、オンラインゲームなどではインターネットに関するトラブルも怒るかもしれないので、こちらも気をつけなければいけません。
有害サイトにアクセスしないようにフィルタリングを使ったり、クレジットカードや住所などの個人情報が流出が起きないように子供たちにも正しい使い方を共有しましょう。

今の時代、ゲームを始めてしまったら、もうやめさせることはできないと覚悟しましょう。
軽い気持ちで与えてしまいますが、その時はこれから子供がどのようにゲームと付き合えばいいかよく考えないといけません。
そうしなければ、親子間のいざこざの一つになってしまいます。
もちろん、道具である以上、ゲームにも良いところと悪いところがあります。
ゲームを通してストレス発散やリラクゼーション、想像力がついたり、クリアするために創意工夫をする練習にもなります。
しかし、度を越してしまえば、ゲームは害となり、子供の一番重要な勉強の妨げにもなります。

大事なのは節度ある使い方、メリハリです。
そして、それは親が一方的に決めるのではなく、祖互いに話し合い達した合意でなければいけないと思います。

ゲームでこれほど四苦八苦しなければならないのも時代でしょうか。
こんな時代で避けようがないのなら、いかに健全に利用するかを考えなければいけないとは、現代の子供たちも大変ですね。

新学習指導要領で英語がかなり難しくなっています。これまで高校でやっていたことが中学に降りてくる?!

新学習指導要領で英語がかなり難しくなっています。これまで高校でやっていたことが中学に降りてくる?!

新学習指導要領になり、生徒たちにはこれまでと違って、かなり高度な学習が要求されることになりました。
全ての教科でこれまでの教わるという勉強から更に一歩進んで、学んだことを使って自分で考え表現するということまでやらないといけなくなりました。
文科相の提示する新しい学習はかなり野心的なところもありますが、実際に文科省が想定する通りに生徒たちの勉強が深まれば、それは良いことだと思います。
ただ問題は、「目標は高らかにうたっているが本当にできるのか」ということでしょう。
この点に関しては様々な意見が飛び交っているようですが、今日は英語に絞って学習項目がどのように変わったのか(高度化したのか)見ていきたいと思います。

教育改革に伴い、新学習指導要領では小学校3、4年生で英語に触れる英語活動が始まり(これまでは5、6年生)、5、6年生では英語が正式な教科として(通知表に成績として評価される)勉強することになっています。
英語活動では英語に慣れ親しむことで、英語に興味関心を持たせ学びたいと児童たちが思えるようにすることを目標としています。
正式教科となる5、6年生の英語では、これまでの「聞く」「話す」に加え「読む」「書く」も勉強するようになります。
この段階で600~700語の単語を学びます。

中学に入るとこれまでのような英語の勉強に加え、「自分の考えや気持ちなどを伝える」対話が重視されるようになります。
更に課題を与えられ、これまで学んだ語彙や表現を実際に使う活動も行われます。
これまで1200語程度だった単語も1600~1800語と大幅に増えます。

英語学習のスタートが低学年化されたことに伴い、学習内容のいくつかは、これまで上級の学年がやっていたことが降りてきます。
例えば、これまで中二で習ったbe動詞の過去形が中一に降りてきたり、中三で習っていた二つの目的語を取る動詞が中二に降りてきたりしています。
これまで中二の後半で習っていた受け身の表現が中盤ですでに現れたり、中三で習う現在完了形が中二での既習事項となったりと、学習内容がどんどん前倒しになっています。

このように学習内容がこれまでと比べ、どんどん高度化しているのですが、驚くべきは、これまで高校で習っていた現在完了進行形や仮定法なども中学で触れるようになるということです。

当然高校の英語もディベートやディスカッション、プレゼンテーションを生徒たちはするように求められ、授業は基本的に英語で行われるようになります。
身に付けなければならない英単語数も、高校卒業時点でこれまでの3000語から4000~5000語と増加しています。

当然大学受験もこれらを踏まえたものとなり、将来的には「読む」「書く」「聞く」に「話す」も加えた四技能で入試が行われると文科省は述べています。

これまで教育実習でも英語を扱ってこなかった小学校の先生は、突然英語を教えなければならなくなるわけですが、それも先生方が中学校で習ったようなやり方ではなく(文法読解中心)、生きた英語を児童たちが使えるように指導しなくてはなりません。
同様に中学高校でも、新学習指導要領が求める英語教育はアクティブラーニングを始め、多くの先生方が経験したことがない、または理解が十分に及ばないものとなっており、実際にできるかはなはだ疑問であり、学校によってその実践の度合いがかなりバラバラになっています。
このような英語教育ができるには、留学や海外での生活、終業経験などを通してかなり実践的な英語力を習得していないと難しいでしょう。
現に文科省が英語教員に求める英語力は英検準1級程度と言われ、実際にそこまでのスキルが備わっていない教員はかなりいると考えられます。
英語が高度化するのに対して、生徒たちは柔軟性があるからそれなりに対応できますが、新しい英語教育についていけないかもしれないという問題は実は先生側なのかもしれませんね。
そうでなくても多忙を極める教員という仕事で、全く新しい制度に合わせて教育スタイルを変え、その上自分の英語力もアップしなければならないというのは物理的にもかなり困難な気がします。

これは文科省が目標や理念ばかり強調し、肝心の現場への理解、トレーニング、フィードバックなどを怠った結果、そのしわ寄せが生徒、教員を含む現場に来ているということではないでしょうか。

学校によって学習内容がまちまちなのに、入試では同一のものを求められる。
つまり、生徒は自分の学校の提供する英語教育の質によって、平等な教育を受けられないことになり、そして、その成果が如実に進学という形で表れることを意味します。
これは教育において大問題ではないかと考えます。

例え学校での教育が不十分でも塾などの私教育で補えるかもしれませんが、家計が豊かでなければそんな高額な手段は使えません。
各家庭の経済格差が拡大しつつある現状では、勉強をしたくてもできないという生徒たちが多く生じることは想像に難くありません。
ここは葛西TKKアカデミーが最も問題視する点で、だからこそ葛西TKKアカデミーのミッションは「学びたい意思があれば全ての生徒に手を差し伸べ、彼らの教育を支える」なのです。

また、英語教育の移行に関してもう一つ問題がありますので、最後にその点に触れて終わりたいと思います。
新学習指導要領に沿って、今年度から英語の教科書も一新し、その学習事項も新学習指導要領に即したものになりました。
しかしその移行において、全ての学年で一度に新しくしてしまったので、学習項目によっては、生徒がまだ習っていないのに、既出事項として新しい教科書では扱われていることになっています。
例えば、先ほども述べたように現在完了形はこれまで中三で習うので、新中三年生はまだ教わっていないのですが、新しい教科書では中二で学ぶこととなっているので、中三の教科書では何の説明もなく現在完了形が出ています。
新教育課程への移行も新一年生からにして、他の学年は旧教育課程を継続すれば連続性が保たれるのですが、そのようなこともお構いなしで今年度から一気に変えてしまったことには疑問を感じます。
そして、この習わずに過ぎてしまった学習の穴をどのように学校がフォローしてくれるのか、個人的に心配しています。

英語に限らず他の教科も同じですが、特に移行の時期においては色々問題が起こるものです。
もし、そのようなことで困っていましたら遠慮なく葛西TKKアカデミーに連絡ください。
葛西TKKアカデミーは全ての学びたい生徒の味方です。
勉強したいという意思があれば他は何も心配しなくて大丈夫です。
費用を始め時間、内容、何でもご相談にのりますから安心してください。

夏にはまだ早いですが、もうすでに日中は暑くなってきました。これからの季節、暑さに負けずに勉強するには

夏にはまだ早いですが、もうすでに日中は暑くなってきました。これからの季節、暑さに負けずに勉強するには

今年は梅雨が早いらしく、来週あたりから雨が増えてくるようです。
夏には少し早いですが、もうすでに日中は25℃を超える日もちらほら。
例年のように猛暑に向かっていく中で勉強するのは一苦労ですね。

今年も去年に引き続きコロナウイルスによる混乱が落ち着かず、感染防止のためにマスクの着用が生徒たちにも求めらます。
しかし、マスクは呼吸を難しくし、体内のガス交換を妨げる作用もあり、子供たちの熱中症の危険性が高まります。
文科省でもコロナウイルの感染防止をしながら、熱中症にも消えつけるようにガイドラインなどを出していますが、子供たちには過酷な夏となりそうです。

そこで今日は、暑さに負けず勉強する工夫を考えてみましょう。

夏バテや熱中症など、暑さによって身体機能が衰え体内の水分が不足すると、脳内の血流の循環が悪くなり、集中力が続かなくなり、勉強もはかどらなくなってしまいます。
夜も暑く寝付けない日々が続くと睡眠不足になり、更に勉強の効率が上がりません。
特に受験生は勉強のストレスなどで十分に休息が取れていないのに、加えて暑さによる体調の悪化は勉強をより困難にします。

暑さ対策の原則は温度を下げることです。
クーラーと扇風機を上手く組み合わせて、室温を25℃くらいに保てるといいでしょう。
それが難しい時は首の頸動脈に濡れタオルや保冷剤(熱さまシート)などを当てると、体温が下がります。

また、食事も気をつけたいところです。
だるいからと言って食事を取らないと、暑い気候に対処する体のエネルギーが不足し、余計に体調が悪くなってしまいます。
そして、冷たいものばかり食べるのもよくありません。
内臓を冷やし消化吸収機能がうまく働かず、十分な栄養が取れなくなってしまいます。
むしろ暖かいものを食べた方が発汗作用により、体温を下げるには効果的です。

真夏の太陽の下での運動は熱中症になる危険性がありますが、かと言って、室内でじっと机に向かって座るのもよくありません。
血液循環が滞り、十分な酸素が体内、特に脳に行き渡らなくなります。
ある程度勉強したら、室内でストレッチなど、軽い運動をすることをお勧めします。

最後に、早朝勉強法をご紹介します。
一日のうち最も熱くなる13時から16時は勉強を止めます。
昼食を取ったらお昼寝をして、リラックスする時間にします。
その分、暑さがそれほど厳しくない午前中や日の出前に勉強をするのです。
暑さの中の労働を避け、同時に頭をリフレッシュします。
この方が、無理して暑さの中勉強するより効率がいいです。
個人的にこの方法はお勧めです。

私はじっさ、学生のときは に次のような生活をしたことがあります。
夜、夕食を終えて20時か21時くらいには寝ます。
そして、3時か4時くらいに起きて勉強するのです。
やはり早寝早起きの習慣は気持ちをシャキッとさせます。
騒音もなくシーンとしているので、勉強に集中しやすい。
そのまま昼まで勉強するのです。
意外と効率よく学べた経験があります。
食事の後、すぐ寝てしまうので消化も良く、食後の眠気と闘いながら勉強するということもなくなります。
睡眠時間も十分に取れ体の調子も非常に良かったです。

猛暑の勉強はとてもつらいです。
それでも勉強はしなければなりません。
いろいろ工夫して、日本特有の蒸し暑い気候を乗り切れるよう頑張ってください。
応援しています。

熱中症に限らず、勉強で困ったことがあれば、いつでも葛西TKKアカデミーにご相談ください。
お待ちしております。

説明上手になろう!新学習指導要領に伴い、レポートやプレゼンテーションなどで自分の研究や考えを他者に伝える機会が増えてきます。

説明上手になろう!新学習指導要領に伴い、レポートやプレゼンテーションなどで自分の研究や考えを他者に伝える機会が増えてきます。

教育改革に伴い、学習指導要領も新しくなりこれまでとは授業も勉強内容や方法、評価も大きく変わる予定です。
これまで以上に探求や研究、調査が授業で行われるようになり、生徒が自分の調べて分かったことを発表する機会も増えると想像できます。
これまでのように習ったことを暗記して、テストではそれらをいかに思い出せるかよりも、習ったことを活用して、いかに新たな課題に取り組み結論を導き出せるかが重視されます。

従って、自分のやってきたことや考えを上手く表現し、相手に正確に伝えられるようにならなければいけません。
しかし、これは聞けばすぐできるというものではありません。
普段から気をつけて実際に経験を重ねないと身に付かないものでもあります。
そこで、きちんと相手に自分の言いたいことを伝えるためのポイントをお話します。
それをもとに実際にレポートやプレゼンテーション、日常での説明に活用していただければと思います。

人と話をしているとき、「この人、何が言いたいのかよく分からないな。」と感じたことはありませんか。
また、逆に「自分は一生懸命説明しているのに、どうして相手は分かってくれないんだろう。」ということはありませんか。
これらは共に説明の仕方が問題なのかもしれません。
ここで、下手な説明の代表的なものを見てみましょう。

到達点が分からない
話を聞いて、「いろいろ話しているけど、結局この人は何を伝えたいのだろう。」と言うときは、聞き手がどこに話が向かっているのか分からないということがあります。
やたら長く話しているけど、話があちらこちらに飛んで、どこに向かっているのかが全く分からない。
聞いているものとしては、ゴールが見えず説明の中で迷子になってしまいます。

いつまで話すのか分からない
前のこととつながりますが、だらだら話すだけでいつ終わるのか全く見当がつかないというのも、分かりにくくなるポイントです。
何をどれだけ話すか前もって分かれば、聞き手も心構えができ安心して聞くことができます。
心に余裕があれば、しっかり理解することができます。

余計なことが多い
これも前述のことと関係ありますが、本当に伝えるべきこと以外に、関係ないこと、どうでもいいことが加われば加わる
ほど、内容がごちゃごちゃになり分かりにくくなります。

必要な説明が少ない
また、逆に相手にきちんと分かってもらわないといけないこと、相手が理解しにくいだろうなということには十分説明が必要です。
自分が分かっているから相手も分かっているとは限りません。
そこを考慮しないと聞き手を置いてきぼりにして、自分の説明についてこられなくなってしまいます。

言いたいことが多すぎる
これも「余計なことが多い」に関わりますが、あれもこれも言いたい、伝えたいと思って、全て一度に話そうとする人がいます。
でも、これは聞き手にとっては、大切なことが沢山ありすぎて焦点が定まらず、「結局何が言いたいの。」と疑問を抱かせて終わりです。
いろいろ言いたい気持ちは分かりますが、できれば一つに絞りましょう。
その方が相手によく伝わります。
残りは機会を改めて言えばいいです。

以上のことは、私が生徒の作文や記述の解答などを読むときにもよく目にします。
生徒はこのような、的確な説明に慣れていないので最初はどうしてもまとまりのない分かりにくい文章を書いてしまいます。
だから、指導するときはこれまでの経験をもとに、どのように書けば明確で簡潔で分かりやすい文章になるかを教えます。

要は分かりにくい説明の逆のことをすればいいのですが、一番のポイントは書き手である自分の立場で書くのではなく、読み手、聞き手の視点で書くということです。
先ほども述べましたが、自分が分かっているからと言って相手も分かっているとは限りません。
だから、説明するとき、文章を書くときは常に相手の立場になって、本当にこれで自分の考えが伝わるか検討してください。

このことをしっかり踏まえて、分かりやすい説明の型を紹介します。

先ずは結論から述べる
最初に結論、自分の言いたいことをはっきり言いましょう。
こうすれば着地点がはっきりするので、伝えたいことがストレートに伝わります。
そして、どこに向かっているのかという不安もなくなり、説明の中で迷子になることもないでしょう。
目標を明示することで自分の考えもかなりすっきり簡潔になり(これだけ分かってもらえればいい)、これは説明する側にも利点となります。

説明する内容・要点の数を明らかにする
自分の考えを説明する根拠や例なども、最初からいくつあるか相手に伝えてしまいます。
そうすることで、聞き手はこれから何が話されるか分かるので、安心して聞くことができます。
話しても自分が何を話すか分かるので、気分が楽です。
そして、一つずつ要点を話していけばいいのですが、その時、つなげる言葉「そして、あるいは、ところで、従って、第一に、第二に、最後に」などが上手に使えると、より分かりやすい説明になります。

捨てる勇気と思いやる優しさ
自分目線だけで説明すると、どうしてもいろんなことを話したくなってだらだらと冗長になってしまいます。
論点も定まらず相手に伝わらないでは意味がありません。
だから、時には一番言いたいこと一つに絞って、他に言いたいことは別の機会に置いておいて、今回は捨てるという勇気が必要です。
同じことを言葉を変えて繰り返していないか、余計な修飾語が入っていないか、常にチェックし余分なものは削ぎ落すようにすると、文章も短く簡潔になって分かりやすくなります。
だからと言って、何でも捨てていいわけではありません。
必要な説明は確実に含まれる必要があります。
この辺りのさじ加減は難しいですが、これも経験を積めば分かるようになるので心配しないでください。

以上、上手に説明するためのポイントを書きましたが、実践すれば他にも気をつけなければならない点が分かると思います。
もう少し具体的にお話したいのですが、そうすると長くなるので興味のある方は葛西TKKアカデミーまでご連絡ください。

「説明する力・表現する力」は今の学校教育が重視する点の一つで、これは社会に出てから実用的で必要な能力です。
学校の勉強のためだけでなく、将来の自分のためにも、生徒には説明上手になってほしいと思います。

新しい学習指導要領はこれまでよりずっと高度な内容となり、その目標は困難なものとなっています。
生徒の皆さんには大変でしょうが、困ったときはいつでも葛西TKKアカデミーが力になります。
五教科の内容だけでなく、このようなプレゼンテーションなどに関しても気軽にご相談ください。

長文問題が解けるようになろう!長文問題が苦手な生徒は自分で思い込み、勝手な解釈をしているからかもしれません。

長文問題が解けるようになろう!長文問題が苦手な生徒は自分で思い込み、勝手な解釈をしているからかもしれません。

生徒の中で長文問題が苦手な人は非常に多いです。

そもそも長い文章を読むことに慣れておらず、「文章を読まなくてはならない」というだけで嫌になり、やる気が失せる生徒が非常に多いです。
(かく言う私も読むことは苦手でしたが。)
読む前から気分で気力が削がれ、読むという苦痛の時間を耐え忍ばなければならなくて問題を解くどころではないというのも理由の一つになるでしょう。

また、「日本語は母語だから簡単に分かる」という傲慢から、国語の勉強を疎かにしている生徒も多いです。
国語の勉強といえば漢字を覚えるくらいで、実際、何をやればいいのか分からないという生徒がたくさんいます(親御さんも同様に考えている方が多いようです)。
実は何を勉強していいか一番分からないのが国語ともよく言われています。

そこで、本日は長文を読んで解釈が間違っているからテストの結果が悪くなるというお話をしたいと思います。

私が国語の指導をするときよく言うのが「素直に読む」ということです。
これは書かれている言葉、文、文章をそのまま受け止め理解するということですが、これがなかなか難しいのです。

人間は世界を見るとき、自分の見たいものを見たいように見て、客観的に全てを見ている訳ではありません。
これは不必要な情報をのぞき、効率よく脳を活動させるという、長い人類の歴史の中で培われてきた能力なのでしょう。
しかし、だからこそ主観の隙をついて錯覚を起こしたり、だまされたりします。

文章を読むときも、実は同様で、自分の主観(意見や感想)を入れずに読むことは難しいです。
それを取り除いたら、ただ読むだけの作業になり、結局、読みはしたが何が書いてあったのかさっぱり頭に残っていないということになります。
これも問題です。

では、どうすればいいのでしょうか。
普段の余暇のための読書であれば自由で別にいいのですが、問題を解くために長文を読むとなるといくつかの注意が必要です。

テストの問題と言うのは誰が考えてもそれが正解であると納得できるように作らないといけません。
数学などであれば、一つの問題に正答は一つと明確に分かります(解法が決まっていて誰がやっても同じ答えになるからです)。
しかし、国語の場合、特に記述問題はそうですが、解釈や表現で答えが無限に出てくる可能性があります。
これではテストになりません。

そうならないために国語のテスト問題には隠れた大前提があるのです。
それは、「問題を解くには、書かれている文章の範囲から考えなければならない」ということです。
どういうことかと言うと、例え常識的に「泥棒は悪いことでやってはいけない」となっていても、文章中に「時には泥棒も正当化できる」と書いてあれば、「泥棒は全くやってはいけない」という考えは間違えになります。
常識や自分の主観で物事を判断し、解答してはいけないのです。
この点がよく生徒が国語の長文問題(他教科でも同様ですが)を間違える原因の一つで、逆に出題者はそれを見越してひっかけ問題を作ります。

よって、長文を読むときは自分の常識や主観的な感想は持ち込まないようにしましょう。
書かれている言葉を文字通り理解し、自分の意見と違っても批判してはいけません。
出題者は生徒の意見を聞いてはいません。
いかに文章を正確に捉え、的確に問題に答えられるかを知りたいのです。

では、どうすれば自分の解答が自分の主観ではなく、問題文に従った答えだと判断できるのでしょうか。
それは、答えを出したときに、「問題文のここに書いてあるから、これが答えです」と言えるかどうかです。

先ほども述べたように、問題文の中で考えるというくくりをなくしてしまえば、国語は得てして無限の正解を導き出してしまう傾向があり、これに歯止めをかけなければ一つの正解とならず、テストが成立しません。
テストが終わった後、テストの解答と解説を受け取ると思いますが、基本的に国語の長文問題の解説にはどこそこに書いてあるという説明が多いと思います。
国語の問題に関してはこれしか万人が納得する答えにすることができないのです。
だから、逆に言えば自分の答えを出したときに、「それは文中のここに書いてあるからだ」はっきり言えれば、その答えは正解に違いありません。

つまり、国語の問題を解くときに「ここに書いてあるからこれが答えだ」と言う根拠を文章中に見つけられるかどうかで正答率が変わってきます。
そして、これはコツさえつかめば本当はそれほど難しくないのです。
(長くなりますから、このコツと言うのはまた別の機会でお話します)
このことに注意して問題を読み、沢山解いて練習すると驚くほど長文問題が解けるようになります。

最近はなかなかじっくりと小説など長い文章を読む機会がなくなってきているように思われます。
これはSNSやインターネット、塾や習い事、部活など、生徒たちの日常が忙しすぎてゆとりがなくなってきているからかもしれません。
だからこそ、長文問題はそのコツを正しく理解しないと、読むのが苦痛な上に何をどう答えていいかさっぱりわからないということになります。

葛西TKKアカデミーでは長文を読むコツを教えます。
実際に多くの生徒たちが、以前にもまして長文が解けるようになっています。
もし、国語で(特に長文問題や記述問題で)お困りならば、是非ご連絡ください。
きっとお役に立てると思います。

葛西TKKアカデミーは全ての生徒の力になりたいと考えています。
勉強は大変でしょうが、頑張ってください。
応援しています。