最近学校教育で話題の「考える力」。今回は、この「考える力」を伸ばすために重要な二つの要素に触れてみたいと思います。

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最近学校教育で話題の「考える力」。今回は、この「考える力」を伸ばすために重要な二つの要素に触れてみたいと思います。

昨年度から日本の教育が大きく変わっています。
これまでの暗記中心の教育ではなく、自ら学び調べ、解決に向けたアイデアを組み立て、他者に向けて発信することができる人材育成を目指すようです。
それに伴い教育現場では教材だけでなく教授方法や教育パラダイム、評価方法に至るまで多岐にわたり、変化が起きています。

このような新しい教育の大きなキーワードの一つが「考える力」です。
そして、この「考える力」なしには未来のグローバル社会では生きていけないとまで言われています。
これからの時代は技術や環境がめまぐるしく変化し、常に未知の状況に直面しなくてはならない時代に突入すると考えられてます。
そのような変化の激しい時代ではこれまでの常識や経験が全く参考にならず、自分で考えて判断する力が不可欠となります。
その時、情報を見極め分析し、これから起こることを予想し、多面的に物事を考えると同時に、自分自身の考えも批判的に捉えることができる。
このような力が「考える力」と言えますが、文科省はこの力を養わなければ、ますます激しく混乱する情報化社会では、その変化についていけず、子供たちは自分の充実した人生を送れないと考えています。

つまり、これまでの常識や価値観にとらわれ、決められたこと与えられたしかできないようではダメで、自分の力で自分の人生を創造しながら切り開ける方にならなくてはいけません。

このような考えに立ったとき、これまでの知識詰め込み型の日本の教育では限界があります。
与えられた知識を覚え、型の決まった問題を定められた解法で解くだけでは、十分な「考える力」が育たないのです。

今の時代は、情報はインターネットなどを使えばすぐに、大量に、しかも誰でも簡単に手に入れることができます。
これまでの日本の教育が行ってきたことはパソコンやスマホ、iPadが簡単に肩代わりしてくれます。
それよりも、その集められた情報や知識をいかにつなぎ合わせ活用し、答えが一つとは決まっていない問題を解決できるかの方が重要になってきます。

このような論理的思考、物事の分析、批判的思考、問題発見力と解決力などは日本の学校教育ではあまり扱われていませんでした。
それは単純に○×で収まらない問題で、公平に全体を通して数値化して序列をつけるのが難しいものばかりだからです。
そうして、これら「ソフトスキル」は日本の教育ではないがしろにされてきたわけですが、今、世界の学校教育はむしろ「ソフトスキル」に移行してきています。
答えが分かっている勉強を教えるよりも、社会問題のような答えが明確ではない問題にどのように取り組めばいいか、という面が強調されます。
なぜなら、これらの「考える力」が学校の成績や進学進路に影響するだけでなく、人生の自由や快適さを手に入れる大きなカギになるからです。

では、「考える力」を伸ばすにはどうすればいいでしょうか。
一つは思考の柔軟性です。
これまでの暗記中心の日本の教育はこの柔軟性をむしろ否定しているように見えます。
限定されたことしかしてはいけない。
教科書に書かれた解法以外はやってはいけない。
まだ学校で習っていないことは、例え知っていても教室では使ってはいけない。
子供の思考の範囲を広げるどころか、むしろ狭めることで教える側の評価がしやすいようにできている気がします。
解答は一つでそれ以外は×、価値はない。
そんな教育では創造的で柔軟な発想は生まれません。

しかし、これからの世界はむしろ逆であらゆる状況に臨機応変に対応できることを求められます。
そのためには小さい頃から子供たちの豊かな発想を評価尊重し、自分の考えや意見が否定されない安心感のある環境が求められます。
間違えを受け入れられる余裕があり、むしろ失敗から新たな学びが生まれる。
そのような教育が必要です。

もう一つは自己決定能力です。
子供たちの判断と決断を尊重し認めることです。
大人はついつい間違えや失敗すると分かると、そうさせまいと口や手を出してしまいます。
転ぶ前に支えてあげて怪我を防いであげる。
親としては子供のためと悪気はないのですが、でも転ぶ痛みも知らなくては将来自立し自分一人で生きていかなくてはならないとき困ります。
よほど深刻な事態に陥らない限り、子供たちに失敗をさせることは重要です。

同時に、自分の意思で決めるということは自分の責任を持つことにもなり、そのためには真剣に考え何が最善なのか判断に努めるようになります。
最近の子供は恵まれているのか、面倒なのか分かりませんが、自分の意思をはっきり言わない生徒が増えているように思えます。
自分が意思表示しなくても親や先生がああだこうだと言ってくれる。
自分は言葉を発する必要はなく、首を振るだけでいい。
または、どのような結果になっても自分に影響ないから何でもいい。
または、本当にどういう風にして決めればいいのか分からない。
いづれにしても、本当に自分の考えが表現できず、決断もできない生徒が目立ちます。

しかし、文科相が前提とするグローバル社会では、多種多様な人間が生きており、一人ひとりが異なった人格です。
異なるもの同士が一緒に分かり合うためには、自分の考えは正確に伝えられる能力が必要ですし、はっきりと自分の立ち位置を表明できなければなりません。
そのためには自分できちんと選択できる力を身に付ける必要があります。

実は、選択することは物事をはっきりさせ、あいまいな態度を取らないようにする働きがあります。
転ばぬ先の杖で何でも親が決め与えるのは、子供の選択の機会を奪い、判断力を養うチャンスを奪っているともいえるのです。
だから、可能な限り子供に考えさせ、自分の力で選ばせてあげてください。
自分の選んだものは大切に使うようになるでしょう。
自分が選んだものからは、自分の個性や感性を認識できます。
そして、自分がどのように他人と違うのか分かります。
そして、みんなが違いを認識すれば多様性の許容にもつながります。
「自分は何者か」、「人と違っていいのだ」ということを理解することはグローバル社会で生きるうえでは大切な基盤となります。

以上、なぜ今の日本の教育で「考える力」が注目されているのか、そして、その育成に重要な二つのファクターについて考えてみました。

これから世界的に変わっていく社会に対応するために必要な力とされ、文科省も本腰を上げて(?)その力の育成を目指していくようです。
現在進行している教育改革にはこのような目的があります。
だから、「考える力」が欠かせないのです。

そして、「考える力」を伸ばすのに大切なものを二点取り上げました。
思考の柔軟性と自己決定能力です。
これらは今までの日本の教育では数値化しにくいとの理由で重視されていませんでした。
しかし、教育改革に伴い、これらを始めとする「ソフトスキル」をいかにして現在の学校教育の中に組み込んでいくのかが、大きな課題となります。
(正直、この点に関しては遅々として進んでいないように思われます。)

ただ、「考える力」についてはこれだけでは到底収まりきらないので、引き続き議論をしていきたいと思います。
とりあえず今回はここまで。

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