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コロナ禍での学校生活はどうなっている?実際に生徒たちに聞いてみました。

コロナ禍での学校生活はどうなっている?実際に生徒たちに聞いてみました。

東京で新規感染者が1000人を超える。
コロナウイルスの感染はまだ広がっているようです。
今回はデルタ株、通称インド株、が猛威を振るっているようで、感染力の強いデルタ株が一気に増え、これまでのコロナウイルスにとって代わろうとしています。
デルタ株の特徴としてはその感染力の強さに加えて、小中学生などの低年齢層にも感染しやすいというものがあります。
これまでは子供にはコロナウイルスは移りにくいと言われ、高齢者に比べその対策は緩やかなものだったように思います。
しかし、これが低年齢層にも感染するならば、これまで以上にしっかりと厳しい感染防止対策が必要になってくるでしょう。
特に小学生など小さい子供はワクチンも受けられず、その危険度は自ずと高くなると思われます。
実際に小学生でとうとう重症化した人もいるとか。

コロナウイルスが発生し社会問題になって一年半くらいになりますが、学校ではどのようなコロナウイルス対策をしてきたのか、またはしているのか。
どのような学校生活をしているのか。
再び生徒から聞いた話をしたいと思います。

ある都立高校に通う生徒の話です。
緊急事態宣言が出されてから、二日登校しては一回休みと、一度に全学年が揃わないようにしていたそうです。
つまり、休校日を組み合わせて登校日をずらすことで、全体としては毎日二学年しかいないようにしたそうです。
こうしてできるだけ多くの生徒が集まらないようにすることで、感染リスクを抑えようとしたらしいです。
コロナウイルスの感染が収まってくると、二日の登校を三日に変え、三日学校に行っては一日休みになったみたいです。
日常ではマスクの着用をしているそうですが、部活ではマスクを外してよいそうです。
ただし、話をするときはマスク着用しいなくてはなりません。
教室は40人の生徒がいて、ぎゅうぎゅうの状態で、とても十分な生徒間の距離が保てないそうです。
食事は机を合わせてグループを作るようなことはなく、一人ひとりで前を向いてするそうです。
休憩は教室か廊下で過ごし、外で遊ぶことはないそうです。
授業でも実験やグループに分かれての話し合いなど、グループ活動はありません。
感染予防で換気をするため、教室の窓は常に開けっぱなしにしているそうです。
文化祭などの学校行事も中止にされましたが、生徒は「仕方ない」と受け入れているみたいです。

また、別の高校生は次のように話してくれました。
緊急事態宣言で授業数が減ったそうです(特に理科)。
この生徒と話をしたのがちょうど緊急事態宣言が解除されるときだったので、解除されれば通常の授業になると喜んでいました。
しかし、明らかな第五波の拡大により現在はどうなっているのか、まだ聞いていません。
毎日のマスク生活にはもう慣れたみたいで、特に不便や不都合は感じないそうです。
体育はマスクを取っていいらしく、マスクを外して普通にやっているみたいです。
体育祭は簡素化され、学年でやる競技も二つくらい、学年のやる時間が決まっていて、その時間だけ保護者(人数制限あり)が観戦できたそうです。
学年の競技が終わればそれで終了です。
文化祭でも飲食の催しは中止だったそうです。
やはり、ここでも生徒は「仕方ない」と受け入れていました。

最後に去年新中学一年生になった生徒の話です。
彼女が入学した時は一斉休校のときで、新たな中学生活スタートからコロナ対策の通常とは違う学校生活でした。
だから、彼女にとって「普通が何かわからない」と言っていたのが印象的でした。
普通じゃないのが普通になっているので、他の人が言うような「運動会や文化祭がなくて可哀想」という感覚が理解しにくいそうです。
先輩は学校行事などがなくなり、学校生活もこれまでと違ってしまったことを残念に思ったり、辛く思ったりしているようですが、本人は別にそのような感覚はないそうです。
一年生(去年)の学校行事は全て中止だったそうです。
一斉休校があった分、授業数が減ってしまったので、土曜授業でその分を補ったそうですが、これが大変だったと感想を述べていました。
最初のころは時差登校もしていたようですが、今はしていません。
やはり、普段はマスク着用で、給食も一人ひとりバラバラに机を置いて静かに食べているそうです。
休憩時間は外で遊ぶこともできますが、日によって誰が遊べるかが決まっているそうです(全ての生徒が一斉に外で遊ぶことはない)。
体育の時間はマスクを外して構わないそうですが、その時は十分な距離を開けるそうです。
部活もマスクは外してやっているそうです。
教室には消毒と手拭き用の紙が用意してあり、体育館で生徒が集まるときは窓を開けているそうです。
教室では机の間隔はできるだけ離すそうです。
今年に入ってやっと運動会ができたそうですが、見に行ける保護者は一人までで競技数もかなり減らされたそうです。
一応、合唱コンクールも予定されているのが楽しみみたいですが、現在のコロナウイルスの猛威が見られる中、また不自由な学校生活を強いられているかもしれませんね。
彼女はちょうど小学六年生のときコロナウイルスの蔓延となり、最初の緊急事態宣言と突然の一斉休校に直面した代で、卒業式は簡素化され、一人ひとり卒業証書をもらうこともなく、楽しみにしていた一年生から六年生までが一緒になって食べる給食が中止されたのがとても残念だったそうです。
入学式はなく、メリハリもなく新生活が始まった感じだったそうです。

コロナ禍が始まって以来、全ての生徒が私たちの知っている普通ではない学校生活を送っています。
それぞれの生徒がそれぞれのストーリーを持っています。
今回はそんな中のごく限られた話でしたが、学校という外部からは見えにくい組織において、実際に内部にいる者の実体験として話が聞けたことは貴重な機会だったと思います。

彼らに早く当り前の日常が戻ってくることを祈ってやみません。
そのためには我々大人がもっとしっかり考え行動しなければならないと思います。
一部の利権者のことばかり考え、そのため徹底した対策が取れないまま同じことを繰り返すだけでは、大人として恥ずかしいばかりです。
子供たちを、そして彼らの未来を守りましょう。
そして、その中心にある政府は国民全体のことを真剣に考え、責任ある決断と行動をとってほしいです。

葛西TKKアカデミーは非力ではありますが、コロナ禍で勉強に悩み苦しむ子供たちを助けたいと考えています。
コロナ禍で収入が減り、子供に十分な勉強を提供できなくなったなどありましたら、ご相談ください。
可能な限り力になります。
子供たちの勉強したい気持ちを守りたい。
その気持ちだけあれば十分です。
後は葛西TKKアカデミーにお任せください。

文科相が進めていた課外授業の一環としての東京オリンピック観戦ですが、東京都教育委員会は実施しないことを決定しました。

文科相が進めていた課外授業の一環としての東京オリンピック観戦ですが、東京都教育委員会は実施しないことを決定しました。

以前からこの場で議論を重ねていた「生徒によるオリンピック観戦」に関してですが、とうとう教育委員会は全ての観戦を中止することを決めたそうです。

東京オリンピックが」決まって以来、学校教育にもこの機会を生かそうと東京都教育委員会は「東京オリンピック・パラリンピック教育」を進めていました。
オリンピック・パラリンピックに関連付けていろいろな教育を深めていこうという試みで、その総仕上げとして小中学生によるオリンピック・パラリンピック観戦が用意されていました。
しかし、コロナウイルスの感染拡大により、このプログラムがどのようになるのか不明確なままでしたが、オリンピック開催約二週間前にしてようやく中止が決まったようです。

去年までは盛んに学校でもオリンピック観戦の話が出たりしていたそうですが、今年になり一向に感染が終息しないまま、学校ではこの話が一切出なくなり、保護者の間でもどうなるのかと心配されていました。
学校行事が相次いで中止になる中、感染の危険性に加え熱中症の危険性もあるオリンピックに生徒たちを強制的に観戦させなければならないのか問題視されていました。
現場の教員としてもこのような状況で生徒たちの管理ができるのか疑問視されていました。
そして、多くの生徒はコロナ禍でのオリンピックに関心がなく、保護者も多くが反対していました。
多くの自治体が次々とキャンセルを決めていく中、東京都としてはなかなか決断を出していませんでした。
(いつでも実行できるようにした準備だけは目立たないようにしていたみたいですが。)
しかし、オリンピック組織委員会がオリンピックの無観客開催を決定し、それに伴い「学校連携観戦」も中止にするのが適当と組織委員会が判断したので、子供たちにオリンピック観戦をさせる「学校連携観戦」の全ての中止を決定したそうです。
これで子供たちへの感染リスクが回避されたので一安心ですが、東京都教育委員会はまだパラリンピックでの観戦を画策しているようです。
ニュースによると東京都教育委員会の担当者はこの中止について「子どもたちにとって、今後の人生の糧となる貴重な体験だと思うので、パラリンピックでは何とかして観戦の機会を設けたい」と話しているそうです。

別の記事でも私が触れたように、多くの生徒はオリンピックに興味がなく政府などが述べる一生に一度の貴重な体験とは思っておらず、観戦による感動で人生が一変するようなことも期待していません。
それよりも一刻も早く当り前の日常が戻ってきてほしいという声の方が大きかったです。
多くの生徒がごく普通に経験する学校行事や友達との交流の方が、大人たちの都合で振り回されるオリンピックよりよほど深く心に刻まれると考えているようで、一刻も早くそうなることを願っています。
「子供たちの今後の人生の糧になる貴重な体験」などと自分たちの都合のいいように解釈してごまかしても、子供たちは結構現実を冷静に見ているものです。
コロナウイルスに感染しても誰も責任取らないし補償もしてもらえないのでは、不参加する生徒が出てくるのも当然ですし、学校としても責任持てません。
教育委員会の都合だけで実施しても、果たしてどの程度の参加者がいたのかと疑問に思います。
今回の決定は至極妥当なもので、考えれば誰にでもわかる、当然の結果だと思います。
にもかかわらず利権絡みで一向に正しい判断ができず、今にまで至ってしまったことに驚きを隠せないと同時に、本当に日本の政治はこれで大丈夫かと不安になります。

いずれにしても、今回オリンピック観戦が中止になり、子供たちを感染リスクから守られたのは本当に良かったと安堵しています。
ただ、まだ他の自治体では「学校連携観戦」の中止を決めていないところもあるので、そこが気にかかります。

あいにく曇りのようですが、明日は七夕。日本古来からの年中行事は実は受験でもよく取り上げられます。実際に日常の中で祝い、家族の間を深めるのもいいですよ。

あいにく曇りのようですが、明日は七夕。日本古来からの年中行事は実は受験でもよく取り上げられます。実際に日常の中で祝い、家族の間を深めるのもいいですよ。

明日は七夕。
しかし、天気予報によると梅雨のせいか、どうも曇り空みたいですね。
有名な織姫と彦星のロマンスも、明日はお預けなのでしょうか。
コロナ禍で今年は学校でも七夕を祝うところは少ないかもしれませんね。
せめて家庭で話題にして家族同士の会話をしてみませんか。
こうやって思い出と結びつけることで、子供たちの記憶にも刻まれより理解も深まります。
そして、年中行事は学校の教育の中でも大いに活用されます。
だから、勉強のためにも明日は七夕を楽しみましょう。

実は、七夕に限らず日本の年中行事は入試や学力テストなどでよく出てきます。
国語や社会で問題の話題として、また、常識として聞かれることもあります。

伝統的な年中行事を通して日本的な考え方を知ることは、日本人というものを考え直すよい機会にもなります。
更に、今後ますます活発になるであろう国際交流においても、日本の伝統文化を紹介できることは重要になってくるでしょう。
試験のためという枠に縛られることなく、純粋に多彩な日本の行事を楽しみ、日本人の教養としてその意義を理解してほしいと思います。

また、親子間の会話のきっかけとしても年中行事は役立ちます。
年中行事を通し経験を共有し会話をすれば、親子間の距離も縮まり相互理解も深まります。
いじめなど子供が抱える問題の早期発見にもつながるので、親子の交流のためにも是非年中行事を家族でもやってほしいと思います。
最近はなかなか個人で年中行事をやることも少なくなってきています。
小学校や保育園でイベントとしてやったり、先生から教わったりしますが、せっかく日本人として素晴らしい伝統文化があるのだから、しっかりそれを活用し家庭の円満につなげられるといいと思います。

ただ楽しむのではなく、行事の意味や由来を理解し、日本人としての教養を深めるといいと思います。

因みに七夕はどうして行われるようになったのでしょうか。
7月7日は、あの有名な『織姫と彦星』の話で年に一回、二人が天の川を超えて合うことを許される日です。
そして、この『織姫と彦星』のお話はもともとは中国の民間伝承となっています。
それが奈良時代に日本に伝わり、機織りの上手な織姫にあやかり、手芸や裁縫が上達するようにと願ったのが現在の笹に願い事を書いて結びつける習慣になったようです。
時代が下り、願い事が機織りから学芸の上達に変わり、現在では全ての子供たちが自分たちの夢や願いを星に祈っています。

ところで、織姫星と呼ばれる織女星はこと座のベガ、彦星と呼ばれる牽牛星はわし座のアルタイルを指し、どちらも一等星で夏の夜空に明るく目立つ星です。

日本では7月上旬から見えやすくなり、9月上旬ぐらいまでよく観察できます。
七夕のころだと、20~22時ごろ、東の空の下の方に見え始めます。
この時期は農業に適した季節で、その季節に合わせて明るく輝いてくるので、農業や養蚕などをつかさどる星とも考えられました。
この二つの星にはくちょう座のデネブを加えて、「夏の大三角」と呼ばれ、この辺は理科の勉強で習うかもしれませんね。

七夕に食べるものとして、伝統的なものの一つが「索餅」です。
これは小麦粉や餅粉をひねって揚げたお菓子で、唐の時代に日本に伝わりました。
これを食べるのが習慣のようですが、皆さんあまり食べませんよね。
というか、そんなものがあるなんて知らなかった人が多いのではないでしょうか。
実はこれがどんどん進化していって、現在では「そうめん」を七夕に食べるという地域もあります。
また、「索餅」に似たお菓子として「かりんとう」を食べるところもあります。

このように「七夕」一つとってもいろいろと楽しい会話が生まれるのではないでしょうか。
今まで知らなかった知識としてだけでなく、親が自分たちの子供のころどう過ごしたかなんて話すのも面白いかもしれませんね。
日本の伝統行事を家族で楽しんでください。
そして、子供時代の思い出を豊かにしてあげると、将来きっと役に立つし、強く楽しく生きていけると思います。

それでは、明日、少しの間でもいいから雲間に天の川が見えて織姫と彦星が会えますようにと祈りつつ、今日は終わりにしたいと思います。

GIGAスクール構想前倒しですでに一人一端末配布済み!?だけど、生徒たちに話しを聞いてみると、何か違うような…。

GIGAスクール構想前倒しですでに一人一端末配布済み!?だけど、生徒たちに話しを聞いてみると、何か違うような…。

コロナウイルス感染拡大に伴い、政府は去年突然の学校の一斉休校を実施しました。
その際、以前からIT化が進み、すでに日ごろからオンライン授業も導入していた私立学校は勉強が滞ることなく進められたのに対し、最新技術の導入が遅れていたほとんどの公立学校は休校期間中完全に学習がストップしてしまいました。
プリントを配って、これまでの既習事項の問題を解かせるのが精いっぱいでした。

この経験を踏まえ、文科省は以前より議論されていた『GIGAスクール構想』を前倒しして、今年度から全ての小中学生に一人一端末配り勉強に活用できるように決定しました。
そして、実際に一人一端末は実現されたようですが、生徒たちの話を聞いてみるとやはり問題があるようです。

今回も生徒との話から現在学校でどのようにIT化がなされているか見てみたいと思います。

生徒たちの話を聞く限り、文科省の言っていた「生徒一人に一端末」は実現できているようです。
少なくとも私が話を聞いた生徒の学校では、生徒一人ひとりが全員何らかの形で端末を利用できるようになっていました。

ただ、端末を配布するのはものさえ揃えばすぐできることなので、比較的ハードルの低い目標ですが、問題は生徒が端末にアクセスできるようになって、実際にどのように教育に活用しているかです。
この点に関しては、やはり思った通りというか、十分とは言い難い実態が見えてきました。

とある中学校ではiPadを全ての生徒に配布しました。
そして、勉強に使うなら家庭に持ち帰ってもよいということになっています。
学校でも先生の指示に従って使うようです。
どのように利用しているかというと、基本的にインターネットでの検索など調べものに使っているのがほとんどのようです。
後、理科では実験動画を見るのに使ったそうです。
課題をするのにも使ったようですが、先生も使いこなせてない様子で、実際にはほとんど使っていないそうです。
アプリを利用して問題を解くこともなかったそうです。
オンライン授業も全くやっておらず、コロナ禍での一斉休校のときのような緊急事態に対応するための準備や練習もしておらず、もしオンライン授業を実施しなくてはならなくなっても恐らくできないでしょう。
iPadが壊れたときなどの対応やルールも決まっていないらしく、本当に授業などで活用する気はないようです。
(文科省に言われたから、やったという形式だけ整えているような感じがします。)

また、別の中学校でも端末の配布は終わり、生徒はインターネットなどで調べものはできるみたいです。
検索などに関して特に決まりはないようですが、検索記録が残るので勉強以外で使った場合はすぐにばれるのではないかと、生徒が言っていました。
こちらもオンライン授業はやっておらず、いざというときに回線がつながるかどうかのテストさえしてないそうです。
アプリを使った問題を解いたり、学習の補助をしたりということもありませんでした。

最後に都立高校の生徒の話です。
この学校では個人で端末(スマホ)を持っていない生徒には学校から支給されたそうです。
チームスというアプリを使ってオンライン授業を五月から5回以上やったそうです。
内容はというと、教室の動画を写して、先生がいつものように授業をしている様子をライブで配信しているだけだそうです。
その後、端末を使って配られる課題をやって終了。
課題を写真で送ることで、課題を済ませた証明としています。
授業では最初に主席の確認をした後、配信中はカメラをつけず、指示がなければマイクもミュートのままです。
つまり、生徒が授業中どのような様子かを先生や生徒同士は確認できません。
「何をやってもばれない」と生徒は言っていました。
これは一度にたくさんの生徒が音声や画像を送ると回線の問題でフリーズなどの問題が発生し授業に支障をきたすためだと考えますが、しかし、先生が生徒一人ひとりの様子や反応を確認できないのは問題ではないでしょうか。
誰がどの程度分かっているのか、本当に真剣に授業に取り組んでいるのか分からなければ、生徒の学習習得状況も変わりませんし、授業態度などの評価にも関わってくると思います。
本来、オンライン授業は双方向であるべきですが、これも実際には行われていないということです。
やはり先生が十分に使いこなせていないとの生徒からの指摘があり、トラブルが起きたときは他の先生を呼んでカバーしているみたいです。

生徒の感想としては、「対面授業の方がいい」と言っていました。
座っているだけで暇だし、質問もしにくいそうです。
最近は授業の配信はせず、課題の配信だけになっているようです。

新指導要領になり、大学入試改革、アクティブラーニング、GIGAスクール構想など学校教育がダイナミックに変わろうとしています。
しかし、『ゆとり教育』を始め数々の新しい試みがそうであったように、文科省はお題目は立派なのですが、それを唱えれば後は現場がどうにかすると考えているのか、具体的に細かいところまでツメがなされず、丸投げされた現場は訳の変わらないまま言われたから体裁だけ整えてやったことにする。
これではうまくいかないのは明らかですが、どうもそこまでの情熱と責任感はないように感じられます。

今回の「一人一端末」も配ってしまえば全て上手くいくと考えているのでしょうか。
教育が新しく変わるとき、政府は常に生徒が改革についてこられるか心配しますが、これまでの教育経験が少ない生徒にとって旧来の教育も新しい教育もどちらでも初めての経験なので、若さによる柔軟性に加え、実は教育の変化にさほど問題なく溶け込むことができます。
むしろ問題は先生の方なのですが、すでに常態となっている多忙さに加え、新規の教育に対応するのは非常に難しいです。
特に高齢の教員はITなどすぐに使いこなすことはできず、設備を整えたところで期待される効果を上げることは容易ではないでしょう。
研修時間も十分に取れず、結局今までの教育をするしかなくなり、教育改革もうまくいかないというのはこれまでの常です。
教員こそ教育が必要なのに、そこをやらないで改革ばかり口走っても混乱が起きるだけです。
政府関係者はこの点をよく理解してほしいものです。
文科相は「上手くいきませんでした」と言えばそれで終わるかもしれませんが、そのつたない教育を受けた生徒たちの不利益は誰が責任を持つのでしょうか。
「責任」とは今の政府に一番欠けているものだと思います。

今回の生徒との会話でも、新しい教育が空回りしているのが垣間見られます。
政府として言い出したのであれば(せっかく構想は立派なのだから)、最後まできちんと責任を持って、生徒たちに明るい未来を見させられる教育を提供してほしいと考えます。

最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その二)

最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その二)

今日は前回途中で終わってしまった「手書き」に関する話の続きです。

日本は世界的に見て教育のIT化に大きく後れを取っています。
それでもコロナ禍があって、ようやく生徒たちに一人一端末の配布を終わらせたようです。
とは言え、これは端末を配っただけで、学校教育においてそれを有効に活用しているかというと、全くそういうことはありません。
この点はまた、生徒と話をしましたので後日お知らせします。

まだ教育のデジタル化が十分にできていない日本ですが、デジタルディバイスを上手く使い日本より何歩も先を進んでいる諸外国では、教育のデジタル化による弊害が報告されています。
その一つが「手書き離れによる教育効果への影響」です。

教育のデジタル化が進むと文章の作成や記録は主にパソコンなどで行うようになります。
当然、自分の手で文字を書くのではなく、パソコンのキーボードをたたくタイピングになります。
しかし、パソコンやダブレット端末を早くから導入している国々では、全ての文章をパソコンで書くのではなく、ある程度はあえて生徒たち自身の手で書くようにさせています。

キーボードを打つだけの方が文章は楽に早く書けます。
なのに、なぜこれらの国々では手書きをわざわざ残して、効率性を落としているのでしょうか。

それは手書きにはタイピングにない教育効果があると言われているからです。
例えば様々な報告によると手書きは、自分の頭の中で整理してから書き出す訓練になるそうです。
また、人間がノートを取るときは、黒板に書かれた情報を単に写し取っているのではなく、板書した状況をエピソード記憶として脳内に保存します。
覚えなければならないものそのものを思い出など他の要素と結びつけることにより、記憶はより深く強く残ります。
人間の脳は何かを関連づけることによって、記憶が思い出しやすくなります。
タイピングは単純なパンチングの繰り返しになるので、この点は弱くなります。

また、手書きは頭の中で書く内容をもう一度復唱しながら書いたり、どういうことかなと考えまとめながら進みます。
つまり、タイピングよりもずっと脳細胞の活動が活発になるのです。
そうして、書きながら頭の中で何度も反芻する勉強はより理解を深め分かりやすくなります。
一方、タイピングはスピードが速い分、脳内でじっくり考えながら書くことができません。
従って、タイピングだけでは深く考えるという練習にはならないのです。

先ほど、記憶を呼び起こすには手書きの方がいいと言いましたが、ある研究によると、スマホやタブレット端末より手書きは創造的な活動にも効果的だそうです。
この実験によると、紙とペンを使ったグループでは、言語、資格、記憶を処理する領域で脳が活発に活動し、紙に付随する写真や余白のメモなどが物理的映像としてより記憶できるそうです。

人間の脳は便利になれば教育効果が薄れます。
最近の教育(教育に限らず社会全体がそうですが)は、生徒に苦労させないことを売りにして、世間的にもそれが歓迎されています。
面倒くさいのは悪で、簡単なのが善と。
しかし、本来勉強は面倒くさいものです。
面倒くさいからこそいろいろ学べるのです。
個人的には、現代の苦労を敬遠する傾向は生徒にとって不幸なことだと思います。
なぜなら、人間の思考の余地が減っているからです。
昔は「若い時の苦労は買ってもせよ」と言ったものですが。

思うようにいかないから、どうすればいいか考え試行錯誤し、粘り強く繰り返し考えることで、脳は鍛えられ思考の成長につながるのです。
分からないときは検索してすぐに解答を見つけ、それを繰り返すだけでは自ら考える力はあまり育ちません。

手書きもそうです。
私は常々、勉強は肉体労働だと言っています。
ただ、目で見て読んで覚えて終わりが勉強ではありません。
手も足も顔も、体全体を使ってより多くの刺激をくみ取って、脳を活性化させた方がより勉強は身に付きます。
特に手が与える脳への刺激は大きく、やはり書くということは大事だと思います。

しかし、今の生徒や教育関係者はできるだけ最小限の仕事で結果(テストの点を上げる)を出そうとします。
確かに一見成績(テストの点)が上がったようになるかもしれませんが、それはテストという定められた問題に対して機械的に答えを返している(反応している)だけで、本当に考えて導き出した答えかどうかは怪しいです。
教育現場でデジタル教材を使えば大丈夫などと言われたときは要注意です。

技術の進歩に伴い学習スタイルも変化します。
しかし、何もかも変えてしまうことがいいとは限りません。
一見便利そうなデジタル教材が、これまでの学習スタイルよりも必ずしもいいとは言えません。
多くの人が経験則として紙とペンを使った方がよく覚えられたと言っていますし、多くの研究で「手書き」の脳に与える学習効果を再認識しています。

ついつい新しいものに飛びついて、それですべて安心と思いがちですが、教育に携わる者としては慎重にそこは見極め、それぞれの長所を上手く組み合わせて、生徒の置かれている環境を考慮しながら、教育方法を考えるのがいいでしょう。
要はバランスかもしれません。
デジタル化が進んでいる世界の教育を見てみると、「手書き」が100%なくなることはないようです。
不便で面倒くさくても、学習においてはその方が人間の脳は心地よいのでしょうか、苦労した方が脳が発達するとは皮肉というか、やはり人間はアナログなんだと改めて感じます。
私はそんな人間臭い、いや、人間味あふれるところが好きで、教育においては大切にしていきたいと思います。

これから日本の教育はどんどん変わり、私たち大人が経験したことのないものになっていくでしょう。
でも、デジタル化にあっても、その根底には人間教育があるんだということを忘れず、「手書き」を始めこれまでの長い教育の歴史の中で培われたアナログな勉強も大切にしていきたいと思います。