どうして英語はやる気にならないのか

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生徒の間で「英語はやる気になれない。」という声を聞きます。

どうしてなのでしょうか。

 

たいてい「日本で英語なんて必要ない。」と答えます。

この言葉には二つの解釈があると思います。

 

一つは文字通りの解釈。

実際日本で、英語を使わないという選択をして生きていけなくはありません。

公用語が日本語である以上、それ以外の言語が分からなくても生活できるのが前提です。

 

でもこの考え方には落とし穴があります。

まずは、英語という選択肢を放棄するということは、人生の選択の幅を狭めることになる。

言い換えれば、自分の可能性を広げる機会を自ら捨てているということ。

反対に英語ができればどれだけの可能性が増えることか。

単純に収入を考えてもその差は大きいです。

現実としてこれは間違っていません。

ただ子供たちは社会経験が少ないので、それでどれだけの損失になるか実感しません。

だからこそ大人が上手に子供に分かるように具体で気に説明しなくてはなりません。

この説明が大人の腕の見せ所です。

そこを理解すれば、英語を勉強する意義が出て、取り組むようになるでしょう。

 

もう一つは、その言葉は方便であって、本当の理由は別にあるという解釈です。

「英語をやりたくない。」という気持ちを正当化するための理由付けです。

 

この場合は単に逃げているだけなので、やりたくない気持ちをなくせばいいのです。

とは言え無理やりはいけません。

子供が自主的に取り組むように導かなければいけません。

基本的には英語を学ぶ楽しさ、喜び、達成感と感じさせればいいのです。

でもこれはテストでいい点を取るということではありません。

たいていこのように言う生徒は、英語に対して苦手意識が高く、テストでいい点を取ることをあきらめている、そんなテストの点だけで騙されない生徒です。

テストのための英語が役立たない、意味がないと悟っている子供たちです。

でも心のどこかで、「英語が話せたらいいな。」と思っているはずです。

では、どうすればいいのでしょうか。

テストのための勉強をとりあえず置いておきましょう。

そして、とっかかりやすいことから始めましょう。

 

一般的には音楽や映画がいいでしょう。

「外国人アーティストの歌が歌えたらなあ。」

「この歌詞どういう意味なのだろう。」

「日本語の字幕や吹き替えで見た映画を、その俳優本人の声で聞きたい。」

「YouTubeで話していることを理解したい。」

そんな自主的な動機付けが大切です。

 

「外国人の友達が欲しい。そして日本以外のことを知りたい。」

「友達が外国人と話して楽しそうだから、自分もその輪に入りたい。」

「海外で自分と同じ趣味を持つ人と、いろいろなことを共有したい。」

コミュニケーションの楽しさが分かれば、自分から言葉を使いたいと思うでしょう。

 

こうして英語の楽しさ、実用性が分かってくれば、自分の将来とつなげることは簡単です。

そうして具体的な夢が決まれば、進んで勉強するようになります。

 

つまり、子供たちが英語に興味を持つ機会をいかに提供できるかが問題です。

 

英語は言葉である以上、コミュニケーションができること、相手に伝わり、相手を理解できることが第一です。

しかし、残念ながら日本の学校教育では完璧であることを求められます。

学校で教える文法的に正しい英語以外は全てダメという姿勢。

これが生徒の英語に対するやる気を奪うのです。

しかし、実際の英語の使用では文法通りでない場合もあります。

また、文法的に間違っていても、意思の疎通ができ目的を達成することが可能です。

「文法的に完璧な英語を使えるようになる。」のが目標なのか、「英語を手段といして使え、コミュニケーションを通して目的を達成する。」のが目標なのか。

やはり前者では、子供たちに「英語なんて必要ない。」と言われても仕方ないでしょう。

しかし、学校教育では前者です。

理由は単純で、教える者にとってそれが楽だし、テストで点数を付けるのが簡単だからです。

教える者にとって楽な方法が教わる者にとって楽だとは限りません。

生徒たちの成長が目的ならば、やはり教わる者中心の仕組みに変える必要があります。

日本の学校教育も理想に向けて試行錯誤しているようですが、この根本的視点をもう一度考え直す必要があるのではないでしょうか。

そうすれば授業も大幅に変わるし、生徒の英語に対する考え方も変わるでしょう。

 

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