塾長ブログ
2016年08月
2016.08.30
その後の緑のカーテン
2016.08.28
なぜ勉強しなくてはならないの
「なぜ勉強しなくてはならないの。」と子供に質問されたことはありますか。
そのとき、どう答えましたか。
「テストのため。」「当り前、常識。」「そんなこと考えなくていい。」
どの答えも子供を納得させることはできません。
「テストのため。」と答えれば、子供はテストが終わったら必要ない、意味のないものと勉強を考えてしまいます。
「勉強なんか社会に出たら何の役にも立たない。」なんていうのは、こういう見方からきているのでしょう。
成績というもののためだけに10年以上の時間を費やすのに、この場合、生徒は価値を見出せなくなってしまいます。
ある程度勉強ができて、それなりの成績場残せる子供であれば、達成の可能性がある分、勉強の意味づけになるでしょう。
しかし、そうでない子供は早々に勉強の意味を失い、意欲をなくしてやらなくなる。
やらなければ成績はさらに悪くなり、その悪循環が続くのです。
「当り前、常識。」という答えも無責任で、説得力のないものです。
この「当り前、常識」には「多くの人がやっているから正しい」という独善的なニュアンスが含まれています。
でも、考えてみれば「多数」=「正義」とは限りません。
子供は敏感にそこを感じ取っています。
だからそこを答えてほしいのに、「当り前、常識」という言葉で強制的に議論を終わらせ、結局納得できないまま子供を置き去りにすることになります。
もやもやした気分のまま、たちまち子供は興味をなくして、勉強をやらなくなってしまいます。
そもそも、「当り前、常識」≠「永遠、不変の真理」なのです。
ましてや、「そんなこと考えなくてもいい。」は質問に対する答えになっていません。
皆さんならどのように答えますか。
答えられないのは、自分がそのような疑問を抱かなかったから、抱いたことを忘れてしまったからではないでしょうか。
人生でそのような疑問を抱く場面に遭遇しなかったのは幸運でしょうが、子供の勉強を考えるとき準備するに越したことはありません。
絶対の正解はありません。
しかし、子供の問いかけに対し、納得できる説明ができなければなりません。
実は、勉強ができないといわれる子供たちの多くは能力が無いからできないのではありません。
勉強の意義が見出せなくて、価値がわからず、強制されるから嫌いになってやらなくなの場合が多いのです。
つまり、本人ではなく、そうさせた大人たちの責任なのです。
だから、子供のためにも、この重要な疑問の答え、答え方をしっかり考えていきましょう。
当然立場上、私は私なりの回答を用意しています。
しかし、それを教えるだけでは簡単すぎて、あまり意味がありませんし、根本的な解決にはなりません。
まず自分で考えてみてください。
悩んでみてください。
その過程に多くの発見があるはずです。
もし、よい回答がありましたら、どしどしコメントお願いします。
そしてお互いに議論を重ねることによって、われわれもこの質問の本質の理解を深めたいと思います。
2016.08.07
緑のカーテン
2016.08.02
大横綱を振り返って
一昨日、元横綱千代の富士、九重親方が亡くなられたそうです。
突然の訃報に驚くばかりです。
私も子供のころ、テレビで大きな力士を正面から受け、投げ飛ばす横綱の姿を見て憧れたものでした。
正々堂々と取り組み、そして強い。
圧倒的な強さを感じ、私もファンになっていました。
引き締まった肉体、精かんな顔つき、どれを取っても他の力士とは違い、ただただ格好いいと言うしかありませんでした。
だから、千代の富士が引退して以降は、相撲中継も見ることはなくなってしまいました。
しかし、力士としての彼の肉体的には決して恵まれているものではありませんでした。
小さな体、多くの怪我。
それでも破りがたい記録を打ち立て、横綱にふさわしい貫禄と品格を持って、当時の相撲界を引っ張っていました。
それができたのは、自分のマイナスを受け止め克服する強い精神的があったからだこそと思います。
人間、自分の嫌なこと、不利になることはどうしても目をそむけたくなります。
でも、そこから逃げてばかりでは根本的解決にはならず、自分をどんどん小さくしてしまいます。
現実の自分と向き合い、酔いも悪いもすべて受け止めたうえで、どうするか考え行動する。
そこに成長のチャンスがあるのです
頭ではわかっていても、実行するのは容易ではありません。
そういう点で、横綱は尊敬に値します。
自分もそうありたいとつくづく思います。
生徒たちも自分が何をなすべきか、自分がどういう状況なのか、よくわかっています。
ただ、それに向き合い行動する勇気がなかなか出ないのです。
どうしても自分の弱さに負けて、見て見ぬふりをしてみたり、先延ばしにしたり。
でも、それは誰もが持っているものです。
怖いのは当たり前、みんなそう。
弱さを批判するのではなく、それでも勇気を持ってやればできるのだということを教えたい。
そうすれば生徒の勉強への姿勢も変わっていくでしょう。
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