塾長ブログ
2016.09.20
「凡ミス」、「普通に○○」
最近、生徒に限らないかもしれませんが、気になる言葉があるので触れてみます。
テストの後、「凡ミスばっかりしちゃった。」
遅刻してきて、「普通に遅刻しました。」
どうして宿題やってこなかったかと聞くと、「普通にムリ。」
「凡ミス」といっても、だから減点が免れるわけではないし、遅刻やムリなことは「普通」ではありません。
言葉自体、どことなく矛盾をはらんでいるように聞こえます。
それでも生徒は平気でこれらの言葉を使います。
これらの言葉の背景にはどんな心理があるのか考えてみます。
「凡」も「普通に」も当然、仕方ないことというニュアンスがあるのではないでしょうか。
「だから、これ以上議論しても仕方ない。」
「この問題について話し合うのはもう終わり。」
「自分が悪いのはわかっているけど、もう責めないでほしい。」
という気持ちの表れではないでしょうか。
単純に本人の心の弱さのせいと結論付けてもいいのですが、問題は別にもあると思います。
このような思考は、自己弁護と責任回避のために現実が直視できず、現実への分析と対応ができなくて、人に言われるまで行動ができなくなってしまっていることこそ懸念すべきではないでしょうか。
重症になると、たとい人に指示されても、先ほどの自己弁護と責任回避が再び現れ、結局行動ができなくなる。
本人も現状が悪いことはわかっているし、対策を講じなければならないのもわかっている。
それでも動けないのです。
では、どのように生徒に対応すればいいのでしょうか。
正直、「分かりません。」というのが今の私の答えです。
ただ、これは個人の原因というより社会的風潮、環境の問題ではないのかという気はします。
社会という大きなシステムが、子供たちをそうさせているのではないでしょうか。
子供に限らず、大人もそうなのかもしれません。
この問題の因果についての考察は別の機会に話したいと思っています。
皆さんの貴重なご意見等、聞かせていただけると幸いです。