塾長ブログ
2017.03.31
教育困難校
先日高校受験が終わり、当塾でも中学三年生を高校に送ったばかりです。
どの家庭も希望の高校に入学できて喜んでいます。
しかし、入学できたからと言いて喜んでばかりはいられません。
卒業した生徒に言ったのですが、確かに受験で自分の希望する選択はできましたが、本当に大事なことは選択した後どうするかです。
彼らは恐らく受験から解放されてほっとして、今、遊びまくっていることでしょう。
実は高校について気になることがあります。
それは教育困難校という言葉です。
以前、中学での学級崩壊が話題となっていました。
高校でも少し異なりますが、勉強が難しい状況が起きているのです。
一部の生徒が授業を妨害し、先生が授業を行えない、生徒が勉強を受けられないというのもあります。
しかし他にも、生徒たちが授業を受ける意思がない、授業を放棄して聞いていない、寝ているというのもあります。
私が以前教えて都立高校に通っていた生徒がこんなことを言っていました。
「学年や年度によっても違いますが、教室の何割かの生徒は授業中も先生の言うことを聞かず寝ています。よくできるクラスなら少ないですが、多いクラスならば5割くらい、平均すると3割くらいは授業を聞いていません。」
彼は中堅の上の方の都立高校に通っていましたが、現役で高校にいる生徒が言っているのだから間違いないのでしょう。
これらは偏差値では分かりません。
偏差値が多少あっても教育困難校はあるのです。
以前、優秀な高校だったから安心とも言えません。
徐々に教育困難校になりつつあるところもあります。
先ほどの生徒のアドバイスとしては、公開授業に行くことだそうです。
そうすると、いくら繕ってもいろいろなところに見えてくるそうです。
個人的に心配なのは、せっかく手にした自分の勉強の機会を放棄しているということです。
もともと勉強嫌いだからやりたくないのは分かりますが、勉強をする権利がどんなに重要か分からないから簡単に放棄するのでしょう。
勉強を嫌いにさせた大人の責任であるし、勉強の重要性を語り理解させられない大人の責任でもあるのでしょう。
学歴が必ずしも幸せに直結しない。
学力偏重の弊害から、勉強を否定し、それ以外の価値に重きを置く風潮。
これは間違ってはいないのですが、これを逆手に取って勉強から逃避する言い訳になっているならば本末転倒です。
大人がうまく説明できないから、勉強を価値のないものと見なすことによって、勉強をしない自分を正当化するのは問題です。
そして、一部の生徒が勉強を放棄して、それを大人が放置すると、他の生徒もすぐに影響され勉強を放棄する。
特に生徒に限らず人間は空気に流されやすいものです。
結果、勉強をする生徒の方が異端に思われ、彼らもまた勉強放棄しなければならないようになってしまう。
発端となる一部の生徒は中学のときにすでに勉強についていけなかった生徒が多いようです。
ついていけない理由は様々で、単純に勉強嫌いでやらなかったと決めつけることはできません。
いじめや体調面の理由、最近特に増えているのは経済的理由です。
そういう点を十分に考慮して対処してこなかった大人のせいで、彼らはこうなってしまったのです。
いつも思うのですが、お金のことで勉強したいのにできないのは本当に理不尽です。
この塾を作った理由の一つはここにあります。
個人経営の小さな塾だからこそ融通を聞かせ、たとえお金がなくても勉強の機会を奪われることのないようにしています。
お金のせいで勉強は十分にできないなんて可哀そうだし、将来のある子供たちにあってはならないと思います。
その他の理由も同様で、子供の勉強する権利を守るのが葛西TKKアカデミーの目的の一つです。
少々話がずれてしまいましたが、中学生のお子様をお持ちでこれから高校受験を控えているという家庭は、教育困難校という点も踏まえて進学する高校を選んでください。
せっかく入ったけど、後で後悔するということのないように。
選択も大事ですが、選択した後いかに行動するかが実はもっと大事なのですから。