塾長ブログ
2017.05.25
大学入試改革 英語四技能(特に「話す」)を評価するとは
2020年から大学の入試制度が変わります。
それに向けて学校教育は様々な準備をしています。
試験内容もいろいろ変わる予定ですが、今回はその中でも英語に関して考えてみたいと思います。
中でも目に付くのは、今までの記述読解とリスニングのテストに「話す」が加わること。
(言語には四技能があって「読む」「書く」「聞く」「話す」から成り立つ)
「グローバル化に対応したコミュニケーション能力の育成と評価」として、異文化コミュニケーションできる、発信能力のある人材が必要との観点から導入されたようです。
ただ具体的にどのように「話す」を評価するのかはよく分かりません。
高校の授業評価や英検などの民間のテストを利用する案もあるそうです。
また、全国学力テストでは情報端末に英語の質問に回答したものを録音しそれを民間に評価してもらうそうです。
果たしで全国から集まる生徒に対し、全員に音声回答させ、短時間で公平に評価できるのでしょうか。
採点はどのような基準で行うのでしょうか。
採点者がそれぞれの主観で採点するなら、それは公平性に欠けます。
発音という目に見えないものに、どのように明確な基準を設けて判断するのでしょうか。
また、「話す」を評価に入れるということは、学校ではそれに対する授業を行わなければなりません。
他の技能と違い「話す」はフリーライドが難しい技能です。
つまり、他人がやるのを見て、それを参考に自分の能力にしていくことが難しいのです。
発音は一人一人が実際に声に出さないと上達しません。
会話も相手がいて、その相手の返事に応じて自分も答えられないといけません。
教室のような大人数での授業には向いていないのです。
この難問を現場はどのように解決すればいいのでしょうか。
問題は山積で本当に大丈夫なのかと不安です。
期限は決めれれていて、結局間に合わず、その場しのぎの対応になって、文部科学省の掲げる目標が骨抜きになるのではないでしょうか。
なんだか「ゆとり教育」のことを思い出さずにはいられません。
私が思うに一番の問題は、「コミュニケーションを形式を満たすこと」と勘違いしていることではないでしょうか。
恐らく今まで通り、出題者が設定した通りの解答をした生徒が高評価を受けることになるのではないでしょうか。
どれだけその型にはまっているかで判断する。
確かにそうすれば点数は付けやすい。
例えば、発音がどれだけネイティブに近いか。
恐らく、このネイティブというのもアメリカ人、せいぜいイギリス人かオーストラリア人の英語でしょう。
でも、実際の英語はもっと多様で発音や表現もかなりバリエーションがあります。
グローバル化と言いつつ、結局一部の母語話者に合わせることを重視しているのです。
これはグローバル化と根本的にマッチしていない。
それに学校で教える会話やコミュニケーションは、実際の英語生活においては非常に限定的である。
いくら学校で教わったことが分かっても、実際の英語生活では全く役に立たない、分からない。
習ったことを使おうとしても使えない、使う機会がない、まったく別の状況が発生している。
海外生活を経験したことある人ならよくあることでしょう。
更に、たとえ英語が理解でき話す能力があったとしても、話す内容がなければ、結局黙ったままになってしまう。
近なのでは積極的に英語の技能を活用し、主体的に考え表現できる人材になるのでしょうか。
コミュニケーションとは何か、言語を学ぶとはどういうことか。
これら根本的命題にはっきりと答えを出してからでなければ、結局理想論で失敗に終わると思います。
コミュニケーションとは授業でやるようなきれいごとではありません。
それぞれが思惑を持ち、様々な戦略を張り巡らし、個々の目的を達成するために行うものです。
それは状況や文脈で無限に変化し、その変化に対応しつつ、自己の利益が最大限になるように拡大できなくてはいけません。
そんな型にどれだけはまるかというのがコミュニケーションではありません。
それは生きているのです。
そうであれば評価の仕方も教授の仕方もこれでは全く駄目です。
例えば生徒に課題を出して、それをいかに達成できるかを見る。
単に短いフレーズが言えるかではなく、相手との相互作用の中でいかに相手を理解し、そして説得して目を達成できるかで見るべきです。
そこではきれいな文法で完璧な発音などは、大して問題ではない。
身振り手振りでいいんです。
目的を達成できれば。
みんなが同じ解答でなくていいんです。
以上の点を踏まえれば、この「話す」技能が入試テストといかに相性が悪いか分かります。
文部科学省は、そして学校はどのように対応するのでしょうか。
私がざっと考えただけでも、これだけの問題点を指摘できます。
問題の予防と発生した時の対応は整っているのでしょうか。
現場は混乱なく自信を持って新制度を導入できる状況になるのでしょうか。
お手並み拝見です。
ただし一つ忘れてほしくないことは、うまくいかなかったとき一番の被害をこうむるのは生徒だということ。
そして、その責任をどのように取れるのかということ。
ゆとり教育を受けた世代は「ゆとり世代」などと言われ、世間の人間的評価が低く見られています。
レッテルを貼られているわけです。
改革結構、理想も結構。
ただしやるからには万全の準備をして、必ず成功すようにしてください。
多くの子供たちが犠牲にならないようにしてください。