塾長ブログ
2017.07.18
埼玉の小学校の男性教諭が小4の児童に「窓から飛び降りなさい。」と言った件について
埼玉県の小学校で男性教諭が4年生の児童に対し
「窓から飛び降りなさい。」と言うニュースがありました。
産経新聞 『小4児童に「窓から飛び降りなさい」 所沢の小学校で男性教諭』
言われた男子児童は翌日から怖くて学校に行けなくなったそうです。
ここに至る経緯は定かではありませんが、指導が不適切であったことは明らかです。
「あなたが好きだけど、みんなを守らなくてはならない。明日から学校に来るな。」
「(34人学級だが)明日から33人で仲良くやりましょう。」
とした自分の発言に対し、この男性教諭は、
「誰かにいわれても、してはいけないことはやってはいけないということを指導する中で言った。」
と言いますが、果たしてこれらの発言で児童がそんな意図を理解できるでしょうか。
大人の私にもこの言葉からは読み取れません。
以前、ここでも触れましたが学校という閉鎖空間において、問題が表面化しにくいことから、教師の接し方が非常に不適切になっているのは事実です。
外部からの指摘がない分、感覚が鈍っているように思えます。
「指導とは何か」を根本的に知らないのか、忘れてしまっているのか。
「指導」という名目であれば、教諭は何をしてもいいのか。
人を育てるということは非常に至難の業です。
叱ることも必要だが、正しく叱らないと子供の心を大きく傷つける。
以前、ここで話しました。
教師の一挙手一投足がその生徒の人生に大きく影響を与えうる。
こんな教師として基本的なことが分からないのでしょうか。
私は生徒と接するとき、常に生徒の立場に立って気持ちを考え、言葉を慎重に選び、相手を否定せず、尊重し理解することを心がけています。
それでも、時に対応を誤ったなと自省するのに、この教諭のやったことは軽率過ぎます。
更にこの教諭はこの児童に対し、以前にも清掃時間に右足を蹴ったこともあるそうです。
先ほどの発言と合わせて、これは「いじめ」以外の何物でもないでしょう。
「いじめ」がいつまで経ってもなくならない理由の一つは、指導すべき大人が「いじめ」を行っているからです。
子供はちゃんと見ています。
子供だからと言って甘く見て、手を抜いてはいけません。
目上とか目下とかではなく、一人の対等な人間として接しなくてはいけません。
今回の件はニュースに載ったから、公の目にさらされることになりました。
しかし、現実には表に出てこない同様のことが学校で起き、多くの子供たちが心を痛めていることを忘れてはいけません。
子供たちが卒業するまで問題が表に出ないように、押さえつけてごまかし時間稼ぎをするような隠蔽体質は変えなくてはいけません。
むしろ問題がない社会は異常で、問題があってもいいではないでしょうか。
大事なのは隠さず問題と向き合うこと。
そうでなければ解決はあり得ません。
学校が解決できない問題があるなら、外に助けを求めていいと思います。
みんなで未来のある子供たちのことを考えようじゃないですか。
子供たちが泣き寝入りをするよりずっと健全です。
学校が激務でいろいろ目が行き届かないのも分かります。
しかし、それは学校側の事情であり、生徒への言い訳にはなりません。
怠慢です。
それならば十分な指導ができるように学校が改善すればいいのです。
仕事として教員をやっている以上、責任を持ってもらわなくては困ります。
子供たちのことをきちんと理解し、適切に指導できる素晴らしい先生方もいます。
尊敬すべき先生かどうかということも、子供たちはちゃんと見抜いています。
「いじめ」や「体罰」、「自殺」などのニュースを聞くたび子供たちを悲しく思い、救ってやれない現実社会に怒りを覚えます。
私がこの塾を始めた理由の一つはここにあります。
何とか子供たちの力になりたいのです。