塾長ブログ
2019.02.17
東京都が高校入試にスピーキングテストを導入することを発表しました。
2020年から変わる学校教育に伴い、先日東京都は2022年春入学のための都立高校の入試からスピーキングテストを導入することを発表しました。
以前から言われてきたことですが、正式に方針決定みたいです。
2022年春と言えば、今の小学六年生が受験するときです。
小学校の英語の導入は始まっていて、今の小学生高学年は授業でもう英語を学んでいるんですね。
しかも、「読む」「書く」「聞く」「話す」の四技能が中心となり、読み書き中心だった親御さんの世代とは大きく違った内容になっています。
この改革は、教育改革によるこのような英語の成果を見極めると同時に、教える側の能力向上の動機付けの意味もあるようです。
大学受験と同じように、「スピーキングテスト」は民間との提携でおこなれます。
その際にはタブレット端末やマイク付きヘッドフォンを使って回答を音声録音する方式になります。
採点に時間がかかることが想定されるので、テストは一般の高校入試よりもずっと早く11月から12月の週末に指定会場(大学など)で行われます。
生徒がテストを受けられるのは一回限りで、費用は都が負担します。
今年中学三年生を対象にプレテストを行い、テストの適格化を図るそうです。
テストで一番問題となるのが公平性で、一部の生徒に有利にならないように配慮しないといけません。
大学受験でもそうでしたが、高校受験にも民間のスピーキングテストを導入となると、家庭環境、特に経済的差がテスト結果に大きく影響する可能性があります。
幼い時から英会話スクールなどに通わせられる家庭の子供はどうしても有利になります。
これまでもそうでしたが、英語ができる子とできない子に大きく二極分化する傾向がより強調されると思われます。
できない子はどんどん落ちこぼれてします。
そして、これらの力の差が大きい子供たちを同一教室で教えなければならない先生の、教室運営能力が試されます。
AIや訓練を積んだ採点者が採点するようですが、明確で公平にしようとマニュアル的な採点であれば、決まった解答が正解となり、教育改革の本来目指す「答えのなり問題にこたえられる人材育成」という趣旨とかけ離れてしまいます。
かと言って、採点者の裁量を大きくしてしまうと、採点者によってテスト結果に大きな差ができる子とも懸念されます。
そもそも「スピーキングテスト」で何を測るのかを問うのも難しいところです。
ネイティブのような発音をするのが正しいのでしょうか。
決められた質問に定型的な決まった答えを言うのが正しいのでしょうか。
実践的英語を考えると、これらは少し的を外しているような気がします。
大事なのがコミュニケーション能力だとするならば、現実には教科書にあるような決まった形でコミュニケーションがなされない場合が多いので、対応ができない場合が多くなると思います。
やはり、短い時間で大量の受験生の英語力を判断するのは難しいでしょう。
正確に評価したいのであれば、一人ひとり時間をかけ精密に判断すべきです。
いくら英語がネイティブのような発音で流ちょうに話せても、会話の中でとっさの判断で自分の考えを相手にわかるように発信するというのは別問題です。
日本人の英語が話せないというのは、発音や質問に対する回答より、コミュニケーションの中での発信力の欠如が問題になっていると思います。
何を話せばいいのか分からなければ、話せないのと同じです。
文科省の目指すところはここと思いますが、ちょっとテストの形式と合わない気がします。
学校ではプレゼンテーションや相互の会話、ディベートを通じてとっさの判断でジョークを交えるなどのコミュニケーション能力の向上が大事です。
生きた英語力を身に付けるには学校の限られた時間で、しかも一度に40人という大クラス問うのは非常に難しい条件です。
また、本当にそのような力をテストしたいのであれば、課題達成型にしたほうがいいでしょう。
例えば、日本にやってきた観光客に東京案内をし、彼らが満足して帰国できるか試すのです。
評価は実際の課題達成度と観光客の感想と満足度で測る。
下手な日本語英語でも構わまいから、自分なりに工夫しとっさの判断で柔軟に英語で対応できるかどうかを測った方が、文科省の意図に合致するような気がします。
これを実際に入試で行うのは予算的にも現実的でないのはわかっていますが、このくらいやらないと測れないということを強調したいと思います。
いずれにしても、学校教育においては今、大きな変化が起こっています。
当然混乱が生じるわけですが、生徒たちがその混乱によって不利益を被らないように切に願うばかりです。
文科省は「うまくいきませんでした」で済むかもしれませんが、子供たちの一生に影響する問題です。
責任をもってしっかり教育改革を行ってほしいと考えます。