塾長ブログ
2020年05月
2020.05.02
緊急事態宣言が5月末まで延長される見込み。それに伴い休校も延びそうです。いつ再開か見通せない中、「9月入学」が取りざたされるようになってきました。年度開始を変える「9月入学」とは何か考えてみたいと思います。
4日に正式発表となるそうですが、政府はコロナウィルスの感染に伴う非常事態宣言を5月いっぱいまで延長する見込みです。
それに関連して学校の休校もさらに延びそうです。
期日直前になっては延期を繰り返す中、生徒や保護者の間ではいつ終わるとも知れない自粛生活に疲労がたまっているようです。
勉強の遅れや学校生活、進学など様々な心配があり早期の学校再開を望む声と、新型コロナウイルスの脅威を考えると安全が確認されるまでは我慢するしかないという意見が入り混じっています。
そんな中で「9月入学」や「分散登校」が最近話題となっています。
「9月入学」と「分散登校」ついて今日と明日で、どういうものでどんな利点があり問題点があるのか考えてみたいと思います。
「9月入学」はコロナウイルスで学校が一斉休校になった初期から提案は出ていました。
一部の高校生は署名活動を行って「休校を繰り返すより、思い切った延期」を求めていました。
しかし、当初は政府もこれほど長引くとは思わなかったようで、設定された休校期間が終了すればすぐに学校を再開し、そこからいかに迅速に勉強の遅れを取り戻すかという点に議論が集中していました。
でも、現実にいつまで経っても感染の収束が見えず、繰り返される休校の延長に人々の不安も増し、早期の再開は諦めて、むしろ時間を置いてしっかり感染予防、事態の収拾がなされてから学校を始めればいいという考えが広がるようになりました。
なぜ「9月」かというと、欧米の新年度は9月スタートだからで、こうすることで日本と欧米の学校との日程をそろえることで就学がよりスムーズになるからです。
(この海外留学の関連においての「9月入学」は随分前から言われていました。)
例えば、アメリカに留学しようと思うと、日本で4月に卒業した学生はアメリカの年度が始まる9月まで待たなければなりませんでした。
それが年度をそろえることで卒業してすぐにそのまま海外の学校に入学できるのです。
確かに利便性を考えるとこちらの方がいいですし、半年の空白を作らなくてもすみます。
しかし、今回のコロナウィルスの件で「9月」でなければならない理由はありませんし、あくまでも「この際だから9月にしましょう」という程度の意味で9月でなければ絶対にいけないという訳ではありません。
(変化のいいきっかけと言えばそうなのですが、前からあった流れに乗っかったというだけにも見えます。)
ただ、コロナウィルスの脅威が9月に完全に消え学校再開ができる状態になっているのかは誰にもわかりません。
「9月入学」で準備を進めていて、また再開延期となった場合はどうするのでしょうか。
ある専門家は脅威でなくなるには1年半以上かかるという人もいます。
逆に早期に収まった場合、やはり9月まで待たないといけないのでしょうか。
政府は今のところ「9月入学」を選択肢の一つとしてシミュレーションしていると言って、採用にはさほど積極的ではないように思われます。
理由としてはこの変更が学校教育のみにとどまらず、社会全体の仕組みの変更を伴うからで、もう少し慎重に議論したいみたいです。
確かにコロナウィルスの混乱に乗じて決めていい問題ではないかもしれません。
しかし、いつまで経っても再延長が繰り返され、いつから学校が始まるのか明確な目標がなく分からないまま日々を過ごすより、ある程度日程が決まった方が家庭としても社会としてもそれを考慮に入れて考え行動することができるのでいいという意見もあります。
特に受験生とその保護者にとっては、この大事な時期に3月も含めてもう二ヶ月も学校の授業が行われないという異常事態に不安が広がっています。
しかも、休校の度合いは都道府県によってまちまちで、勉強の地域格差が取り上げられ、受験に一番重要な「公平性」の観点から、来年の入試はどうなるのかという心配の声が上がっています。
地域に限らず、公立と私立の学校格差も問題になっています。
私立学校は積極的にオンライン授業を展開し課題もしっかり出して休校中も勉強が途切れないように進めています。
一方、多くの公立学校はオンライン授業に必要な環境整備が非常に遅れ、勉強は停止状態、課題もこれまでの復習が中心で先に進めない状況です。
(政府は必死にオンライン環境を整えようとしていますが、そんなにすぐには整備できないようで、これまでの受験を考えると入試の準備は間に合わないでしょう。)
同じことは家庭環境にもよります。
経済的にゆとりがある家庭は塾や家庭教師など様々な手段で勉強の遅れを取り戻せるでしょうが、そうでない家庭は子供に十分に必要な勉強の機会を当てえることは難しいでしょう。
(特にコロナウィルスのせいで家計が減収となり出費が増えている中で。)
このような教育格差を縮める手段として「9月入学」が注目されています。
こうすれば、みんな同じように準備して来年6月(?)の入試に間に合うということです。
冬のさなかに受験するより、この時期の方が体調を崩したり、気象による混乱も起きにくいのでいいという意見もあります。
もう一つの問題は移行をどのように行うかということです。
4月から9月に入学をずらすということは、4月から9月生まれの生徒はどの学年に入るのでしょうか。
学年を繰り上げるのか、繰り下げるのか。
いずれにしても明確な理由でだれもが納得できるように調整することは難しいと思われます。
いきなり学年を上げられたり下げられたりしても生徒は当惑すると思います。
同級生がいきなり先輩や後輩になるというのは大きな戸惑いになります。
(部活などを始め学校では先輩後輩関係が未だに強く学校生活に影響していますから。)
一つの案として2020年度は移行に伴い1年5か月にするというものがあります。
こうすることで足並みをそろえようというもので、9月にまだコロナウィルスが残っているとしても今ほどの脅威ではないだろうから、そこから休校しても一ヶ月ぐらいで、これなら勉強の遅れも比較的楽に取り戻せるだろうということです。
ただこれは決まっていることではないので、学校の現場が準備をしても無に帰するかもしれません。
これまでも学校の先生方は政府の方針に従って課題や再開時の準備をしていました。
しかし、これまでの政府の動向はいつも直前で決定し、これまでの準備は無駄になり、急に決められた新たな指針の基づく準備がしっかりできないという問題があります。
これが現場に強い不信感を抱かせています。
いつも政府の見解はあいまいで、なかなかこちらの求めていることに答えてくれません。
そして、あやふやなまま時間が過ぎ、決定がなされたときは手遅れ。
だからいつも後手後手。
こんな国難だからこそ、政府にはしっかりリーダーシップを取ってもらって国民に安心と希望を持たせてほしいのに、どうも現政権には責任逃れと面子の維持が大事で国民生活は後回しになっているように見えます。
(特に海外の先進国の対応と比べるとこれは否めません。)
個人的には「9月入学」でも早期再開を目指すでもいいですが、未来を担う子供たちのことを第一に考え、自分たちが彼らの将来を大きく左右するのだという自覚をもって、最善の判断を下してほしいと思います。
全体未聞の大混乱、子供たちは様々な面で損害を被っています。
学校生活におけるいろいろな行事など、彼らの貴重な青春が奪われているのです。
勉強もそうですが、彼らの人生という面からも手厚いケアと将来に向けた十分な保証が求められると考えます。
2020.05.01
書籍紹介『五分シリーズ』(河出書房新社)外出自粛だから本を読もう。五分で読めるから本が苦手でも大丈夫。たくさん読めば読解力が身に付き、考える力が育ちます。
コロナウイルスで外出ができず、家で時間を弄ばしている生徒がたくさんいます。
せっかく時間があるのだから本を読んでみてはいかがでしょうか。
本を読めば勉強の基礎になる読解力が身に付きます。
とは言っても、読書が苦手という人にお勧めなのが、河出書房新社の『五分シリーズ』です。
オンラインで購入ができますし、スマホやi-padがあれば電子書籍で読むことができます。
とてもお手軽で面白い話ばかり。
最近の生徒たちは本を読まなくなったと言われます。
しかし、実際には昔に比べ小中学生の読書量は増えているそうです。
その理由は「朝の読書活動」で、これは文科省が2001年に掲げた「朝の読書活動の推進」に基づき、多くの小中学校で実践されています。
この通称「読活」のお陰で、小中学生の読書量が増えたとのことです。
学校において取り組みは様々ですが、だいたい朝の10分から15分程度を使って生徒たちに読書をさせています。
このような背景もあり、学級図書として短い時間で読める短編の読み物の需要が高まっているようです。
このシリーズは5分で読めるというコンセプトで、一冊に10本ほどの短編集となっております。
何百ページもあると、その量に圧倒されなかなか手がつきませんが、これならば途中でやめても中途半端になりませんし、非常に取り掛かりやすくなっています。
内容も「感涙」から「衝撃」まで幅広く、好みに応じて選ぶことができます。
もともとはweb投稿コンテストへの投稿物でしたが、非常に人気が出て書籍としても扱えるようになったそうです。
新人作家が中心とはいえ、内容のいいものばかり集められ、意外などんでん返しがあったりして面白いです。
SNSが普及している現在、生徒たちの言語活動は非常に限定的で、毎日同じメンバーと同じ内容のコミュニケーションを繰り返すようになっています。
昔なら、そのようなツールはないので嫌でも様々な人と触れ合わなくてはならず、自然と多様な考え方に触れ理解力と表現力が養われてきたものでした。
しかし今はそうではなく、私も現場で生徒たちを教える時、これらの能力が非常に低下してきているのを感じ、危惧しております。
どのような形であれ、様々な言葉に触れる機会を作る必要があります。
なぜなら言語は直接思考と結びつき、言語の貧困はそのまま思考力の貧困につながるからです。
取り掛かりやすい者から読書を始め、やがてその面白さに引き込まれ、どんどん本を読んでもらえることを期待します。
非日常的な物語は刺激的で、生徒たちの想像力を培うのにも役立ちます。
それは与えられたものを正確に読み取る力に加え、自己表現、自ら創造する力にもなります。
現在、文科省は知識偏重の学習ではなく、学んだことを活用し始めから答えの定まっていない問題まで対処できる人材の育成を目指しています。
それが今、着々と進められている教育改革の基盤の一つです。
これに対応できない生徒は、今後の勉強や受験において非常に困ります。
そうならないためにも、この『五分シリーズ』は考える力を養い、より高度な学びへの入り口として最適かと考えます。
せっかくの休みを有効に活用し、自分を磨き上げるためにも『五分シリーズ』を活用してみてはいかがでしょうか。
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