塾長ブログ
2021.05.29
考えよう!「考える」ことは面倒?でも、「考える」からこそ人間であり、特にこれからのAI時代、「考える」ことができなければ生き抜くことが非常に難しくなります。
勉強を嫌がる生徒の中に、その理由に「面倒くさい」あげる人がいます。
「覚えるのが面倒くさい」「書くのが面倒くさい」「考えるのが面倒くさい」と「面倒くさい」のオンパレード。
でも、「面倒くさい」と言ったらキリがありません。
何もかもが「面倒くさい」になってしまいます。
そうなると、食べること、息すること、寝ること、生きることの全てが「面倒くさい」ということになり、勉強をしなくてもいい理由には到底なりません。
そもそも、勉強は面倒くさいものです。
だからこそ、脳を鍛えることになるのです。
脳細胞を活発に動かすことで脳内ネットワークが広がり、より高度な思考が可能になります。
これも「面倒くさい」が勉強しなくてもいい理由にはなりません。
最後に、「面倒くさい」というのは「できない」ということと同意ではありません。
逆に言うと、手間はかかるが、そうすればできるということです。
だから、それをやらないのは「怠慢」であって、この点からも勉強をしなくていい理由にはなりません。
「面倒くさい」が勉強しなくてもいい理由にはなりえないことを示したところで、本題の「考える」ということについて話してみましょう。
人類は他の動物のような強い牙や爪、自身を守る丈夫な皮膚や殻を持たない代わりに、頭脳を発達させることで生存競争に打ち勝つ道を選びました。
他の動物とは違い、「考える」ということに特化することで生き延びることに成功し、今日まで種をつないできました。
先ほども述べたように、「考える」ということは面倒で時間もかかり、時には莫大なエネルギーを使って無理する必要があります。
しかし、人類がこれまで生存してきたということは、これらの負の面を補って余りある利点が「考える」の中にあるのでしょう。
例えばどんな利点があるのでしょうか。
・目の前の手がかりからまだ見ぬものを想像する
人間には推測する能力があり、これは「考える」という力があるからこそ可能です。
人間は一つの事柄からそのものを認識するだけでなく、そこに様々な要素を加え、目の前のもの以上の認識をします。
例えば洋服一枚とっても、その服の形や色彩を捉えるだけでなく、「格好いい」「どこのブランドだろうか」「どこような着こなしができるかなあ」といろいろ考えを巡らせます。
このように現実の捉えたものそのもの以上の情報を手にしようとします。
これに経験などが加わると、これからどうなるかなど、未知の部分でさえより確実に推測することができます。
このように「考える」が加わると一つの現実から無限の可能性が生まれるのです。
これはAIにはまだ難しい分野で、だからこそ、これからのAI時代で人間の様々な能力が取って変わられるときに、「考える」と行くことは人間としてその存在価値を維持するためにも重要なものとなります。
しかも、この認識の拡張は個人個人で異なり、多くの人間が集まればより結論として導き出される可能性も増えます。
これはAIにはなかなかできません。
・これから起こることが分かるようになる
先ほど「考える」ことができる人間は目の前の一つの事象から、直接分からない部分でさえ推測することができると言いました。
これを時系列に当てはめれば、これから起こることでさえ分かるようになるという意味です。
そして、この「推測」する力は経験でより強化されるとも言いました。
これには個人的経験もありますが、人類としての経験も人は吸収することができます。
過去の人々の業績の蓄積を私たちは本や伝承で自分の中に取り入れることができます。
勉強にはこういった面もあり、学校の授業などで知識として学べば、当然一人の個人としては物理的に(質的にも量的にも)不可能な経験を積むことができます。
こうして個人を超えた経験が将来予測をより確実にすることができます。
そして、一つの出来事から他の出来事にも適用できる応用性が身に付けば、様々な難局であっても解決に導ける可能性が広がります。
このような応用力もAIにはなかなか持てません。
「考える」ことはAIに対抗する大事な武器です。
・「考える」という頭の中の無限の世界が、現実の世界を押し広げる
現実は限りがあります。
でも、頭の中で「考える」ことには限りがありません。
人間はいくらでも「考える」ことができ、思考の境界線を無限に広げることができます。
この「考える」という無限の行為があるからこそ、私たちは現実にあるこれまでの制限を取り払い、より自由に行動できるようになりました。
それは機械や道具のようなモノだけでなく、民主主義や社会システムのような制度を始めとする無形なものにまで及びます。
「考える」ことで人間は現実に創造し、物質的にも精神的にも豊かにしてきました。
そうして「考える」ことは世界全体を変えるパワーの源になり、これもAIでは生み出すのは難しいでしょう。
・AI時代を生き抜く
今後、AIの発達により世の中の50%以上の仕事がAIにとって代わられると言われています。
これまでのような、「知識を詰め込んで指示されたことだけを忠実に正確にこなす」だけの人間であれば、これらは全てAIの得意とすることなので、彼らの仕事はAIに奪われてしまうと考えられています。
だから、日本政府もこれまでのような教育ではなく、AI時代でも生きていける人材育成を目指し現在教育改革が進行中です。
この件に関しては個人的に議論したいところですが、一つの見方としては筋が通っています。
仮にこれが正しいとすれば、やはり「考える」ことができないと、これからの人間は生き抜くことができません。
当然AIが得意な分野は人間にはかなわないでしょう。
でも、AIが苦手な分野にはまだまだ人間の活躍の余地があります。
AIの普及、ICT化が世界のトレンドで逆らうことができないのであれば、AIとの共存を考えなければなりません。
AIは「与えられた答えの定まっている問題を解く」「情報を処理して最適化する」「情報を検索し処理する」「ルールに従い具体的なことを扱う」などは得意です。
一方、「定義が不明瞭で解答も定かでない問題を扱う」「与えられた情報から新たなものを作り出す」「物事の意味や意義、可能性を見出す」などということは苦手です。
このようにAIが得意なことはAIに任せ、苦手な部分(人間が得意とする部分)にこそ人間の力を集中させれば、全体としての効率が上がり、これまで以上に資源の有効活用が可能となり、より豊かな社会が作られるでしょう。
そして、人間が力を注ぐべきAIの苦手な部分というのは当面人間の独壇場であります。
「考える」はこの分野での活動の根幹をなし、「考える」ことが苦手な人間はこれからどんどん仕事の選択肢がなくなり、生きることが難しくなるでしょう。
このようにAIの発達が現実味を帯びる中、「考える」はこれまで以上に重要な要素となり、これができなければ生存も危うい時代になるのかもしれません。
最後に、「考える」をこれまで述べたように時代の変化に伴う必要としてではなく、人間本来の性質として捉えてみましょう。
いろいろ小難しいことを言いましたが、本来「考える」というのは人間が自然界における生存戦略として取り上げたもので、「考える」という行為を能動的に行わせるために、人間には知的好奇心と知的感動が備えられていると思います。
これを上手に刺激してあげれば、人間はより幸福感を味わうことができます。
これは私の塾を通しての経験の中で何度も出会った場面であり、経験的に間違いないと思います。
「分からなかった問題が解けた」「他の人が気付かなかったことに気づいた」など「a-ha!」と思った瞬間、人間は喜びを感じ、自分に誇りと自信を持ちます。
つまり、「考える」こと自体が日々の勉強のみならず、生活をも潤すのです。
「考える」のが「苦痛」「面倒くさい」と感じる人は、残念なことに様々な理由で、これらの幸福を十分に味わうことができなかったのでしょう。
葛西TKKアカデミーでは「学ぶ喜び」を大切にし、生徒一人ひとりを尊重し、知的感動を与えられるように努めています。
多くの生徒が乱暴な勉強で心身ともに打ちひしがれて、「考える」という楽しい行為を苦しみであり害悪と捉えてしまっていることに非常な悲しみを感じます。
「考える」はこれからの社会で生きるのに必須な能力だけでなく、個人個人の生活を幸福にする鍵でもあります。
どうか「考える」を「面倒くさい」と拒絶するのではなく、その喜びを味わってください。
そのために葛西TKKアカデミーは皆様の力になりたいと望んでいます。