塾長ブログ
2021.07.05
GIGAスクール構想前倒しですでに一人一端末配布済み!?だけど、生徒たちに話しを聞いてみると、何か違うような…。
コロナウイルス感染拡大に伴い、政府は去年突然の学校の一斉休校を実施しました。
その際、以前からIT化が進み、すでに日ごろからオンライン授業も導入していた私立学校は勉強が滞ることなく進められたのに対し、最新技術の導入が遅れていたほとんどの公立学校は休校期間中完全に学習がストップしてしまいました。
プリントを配って、これまでの既習事項の問題を解かせるのが精いっぱいでした。
この経験を踏まえ、文科省は以前より議論されていた『GIGAスクール構想』を前倒しして、今年度から全ての小中学生に一人一端末配り勉強に活用できるように決定しました。
そして、実際に一人一端末は実現されたようですが、生徒たちの話を聞いてみるとやはり問題があるようです。
今回も生徒との話から現在学校でどのようにIT化がなされているか見てみたいと思います。
生徒たちの話を聞く限り、文科省の言っていた「生徒一人に一端末」は実現できているようです。
少なくとも私が話を聞いた生徒の学校では、生徒一人ひとりが全員何らかの形で端末を利用できるようになっていました。
ただ、端末を配布するのはものさえ揃えばすぐできることなので、比較的ハードルの低い目標ですが、問題は生徒が端末にアクセスできるようになって、実際にどのように教育に活用しているかです。
この点に関しては、やはり思った通りというか、十分とは言い難い実態が見えてきました。
とある中学校ではiPadを全ての生徒に配布しました。
そして、勉強に使うなら家庭に持ち帰ってもよいということになっています。
学校でも先生の指示に従って使うようです。
どのように利用しているかというと、基本的にインターネットでの検索など調べものに使っているのがほとんどのようです。
後、理科では実験動画を見るのに使ったそうです。
課題をするのにも使ったようですが、先生も使いこなせてない様子で、実際にはほとんど使っていないそうです。
アプリを利用して問題を解くこともなかったそうです。
オンライン授業も全くやっておらず、コロナ禍での一斉休校のときのような緊急事態に対応するための準備や練習もしておらず、もしオンライン授業を実施しなくてはならなくなっても恐らくできないでしょう。
iPadが壊れたときなどの対応やルールも決まっていないらしく、本当に授業などで活用する気はないようです。
(文科省に言われたから、やったという形式だけ整えているような感じがします。)
また、別の中学校でも端末の配布は終わり、生徒はインターネットなどで調べものはできるみたいです。
検索などに関して特に決まりはないようですが、検索記録が残るので勉強以外で使った場合はすぐにばれるのではないかと、生徒が言っていました。
こちらもオンライン授業はやっておらず、いざというときに回線がつながるかどうかのテストさえしてないそうです。
アプリを使った問題を解いたり、学習の補助をしたりということもありませんでした。
最後に都立高校の生徒の話です。
この学校では個人で端末(スマホ)を持っていない生徒には学校から支給されたそうです。
チームスというアプリを使ってオンライン授業を五月から5回以上やったそうです。
内容はというと、教室の動画を写して、先生がいつものように授業をしている様子をライブで配信しているだけだそうです。
その後、端末を使って配られる課題をやって終了。
課題を写真で送ることで、課題を済ませた証明としています。
授業では最初に主席の確認をした後、配信中はカメラをつけず、指示がなければマイクもミュートのままです。
つまり、生徒が授業中どのような様子かを先生や生徒同士は確認できません。
「何をやってもばれない」と生徒は言っていました。
これは一度にたくさんの生徒が音声や画像を送ると回線の問題でフリーズなどの問題が発生し授業に支障をきたすためだと考えますが、しかし、先生が生徒一人ひとりの様子や反応を確認できないのは問題ではないでしょうか。
誰がどの程度分かっているのか、本当に真剣に授業に取り組んでいるのか分からなければ、生徒の学習習得状況も変わりませんし、授業態度などの評価にも関わってくると思います。
本来、オンライン授業は双方向であるべきですが、これも実際には行われていないということです。
やはり先生が十分に使いこなせていないとの生徒からの指摘があり、トラブルが起きたときは他の先生を呼んでカバーしているみたいです。
生徒の感想としては、「対面授業の方がいい」と言っていました。
座っているだけで暇だし、質問もしにくいそうです。
最近は授業の配信はせず、課題の配信だけになっているようです。
新指導要領になり、大学入試改革、アクティブラーニング、GIGAスクール構想など学校教育がダイナミックに変わろうとしています。
しかし、『ゆとり教育』を始め数々の新しい試みがそうであったように、文科省はお題目は立派なのですが、それを唱えれば後は現場がどうにかすると考えているのか、具体的に細かいところまでツメがなされず、丸投げされた現場は訳の変わらないまま言われたから体裁だけ整えてやったことにする。
これではうまくいかないのは明らかですが、どうもそこまでの情熱と責任感はないように感じられます。
今回の「一人一端末」も配ってしまえば全て上手くいくと考えているのでしょうか。
教育が新しく変わるとき、政府は常に生徒が改革についてこられるか心配しますが、これまでの教育経験が少ない生徒にとって旧来の教育も新しい教育もどちらでも初めての経験なので、若さによる柔軟性に加え、実は教育の変化にさほど問題なく溶け込むことができます。
むしろ問題は先生の方なのですが、すでに常態となっている多忙さに加え、新規の教育に対応するのは非常に難しいです。
特に高齢の教員はITなどすぐに使いこなすことはできず、設備を整えたところで期待される効果を上げることは容易ではないでしょう。
研修時間も十分に取れず、結局今までの教育をするしかなくなり、教育改革もうまくいかないというのはこれまでの常です。
教員こそ教育が必要なのに、そこをやらないで改革ばかり口走っても混乱が起きるだけです。
政府関係者はこの点をよく理解してほしいものです。
文科相は「上手くいきませんでした」と言えばそれで終わるかもしれませんが、そのつたない教育を受けた生徒たちの不利益は誰が責任を持つのでしょうか。
「責任」とは今の政府に一番欠けているものだと思います。
今回の生徒との会話でも、新しい教育が空回りしているのが垣間見られます。
政府として言い出したのであれば(せっかく構想は立派なのだから)、最後まできちんと責任を持って、生徒たちに明るい未来を見させられる教育を提供してほしいと考えます。