塾長ブログ
2022.03.11
なぜ学校で英語が身に付かないのか
中高合わせて6年間、生徒たちは英語を学びます。
今は小5から正式教科になったので8年、しかし、それ以前に英語学習として英語を小学校で触れているので、実際はそれ以上習うことになります。
しかし、その多くの生徒が英語を十分に話せるようになりません。
6年以上も英語を学んで話せないのは、世界的に見ても珍しいです。
言語体系の違いを挙げる人がいますが、言語体系が異なる国の人々も話せるようになっている事実から、それも外れているでしょう。
ではなぜ、日本人は英語が身に付かないのでしょうか。
日本の教育で英語が身に付きにくい理由
結局、日本の英語教育は(他の教科も同様ですが)テストによる評価が目的であり、テストのための手段となっているからです。
勉強の動機づけになっても、身に付け話せるようになる動機付けにはなりません。
英語の授業では、テストで採点しやすいように白黒がはっきりしている文法や記述を重視する。
実践で使う「話す」「聞く」は文面として現れないので軽視する。
これは評価する側の都合による教育で、学ぶ側の都合による教育ではありありません。
テストのための英語なので、テストが終われば意味がなくなる。
だから生徒がその場しのぎの英語しか学ぼうとしない。
定着までいかないから、いつまで経っても身につかないのです。
これが第一の理由でしょう。
上記のような英語学習は楽しくありません。
人間は楽しいことは積極的にやる気になりますが、そうでないこと、嫌なことは自然に避けようとする性質があります。
そして、行動の中に無意識の選別を行います。
この好き嫌いなど感情が基となって行う無意識の選択を「情意フィルター」と呼びます。
これは勉強において特に顕著で、勉強で嫌な経験を積んできた生徒は、自然と勉強に対する嫌悪感や苦手意識が強くなり、無意識のうちに学習を拒む(知識情報として脳に伝わるのを妨げる)ようになってしまいます。
いくら勉強しても身に付かないときは、このように情意フィルターが邪魔をしている場合が多いのです。
テストが目的の勉強は、そこで成果が出なければ全て無意味となり、やりがいのないものになってしまいます。
学習は自己を高めることならば、その途上では成果が出ないのは当然なのですが、現在の日本の教育は生徒が習得するまで待ってはくれません。
途中段階でもテストは行われ、望まなくても悪い結果を突き付けられる。
そうなれば、勉強が楽しくなく嫌になります。
こうして生徒に情意フィルターを植え付け、勉強に壁を作ってしまいます。
これが二番目の理由です。
さらに第三の理由としては、英語習得の過程が言語習得の自然な流れとは違うことでしょう。
学校の英語の授業では圧倒的に「聞く」「話す」という技能の練習が足りません。
でもよく考えてみてください。
聞き取れないものは発音できません。
発音できないものは考えることができません。
人は考える時、頭の中でしゃべっているからです。
また、人間の言語習得を考えても、最初にやるのは聞くこと。
やがて試行錯誤しながら発音をまね、やがて意味を理解するようになります。
「読む」「書く」はその後です。
だからこの手順を踏まないと不自然なのでしょう。
学校の授業は「読む」「書く」に重点を置きすぎて、「聞く」「話す」がないがしろにされています。
これも英語の身につかない理由の一つです。
現在、文科省は学校教育の大きな改革を行っています。
全ての教育がより現実に関連付けられ、そしてこれまでのように覚えればいいではなく、学んだことを利用しつなぎ合わせて、これまでに取り組んだことのない問題、明確に正解と言えるものが一つとは限らない問題(実社会で直面する状況により近い形の問題)を扱えるような人材を育てようとしています。
教育の改革は多岐にわたり、細かい部分にまで至ります。
英語もその中の一つで、小学校からの英語の正式教科化もこのような実践を想定してのことです。
この改革が吉と出るか凶と出るかは今のところ分かりません。
文科省の提言は別としても、現実において日本の生徒が実際に英語を使い何かの目的を遂げる機会は非常に少ないです。
この現実と学校教育の乖離が、彼らの英語に対する不得意を生み出しているのかも知れません。
実際に経験したことであれば、英語も具体的なものとして理解しやすいが、そうでなければ抽象的で捉えにくい暗号のようにしか思えないのも無理はありません。
もしそうならば、本当に日本の英語教育に必要なのは、英語を実践する機会をいかに作り出すかということかも知れません。
そして、失敗に対して寛容になり、生徒たちが安心して試行錯誤しながら英語を学べるようにすることが大事なのでしょう。
つまり、英語が単なる成績をつけるための道具ではなく、生徒たちが多くの人々と交流し、より多くのチャンスをつかんで、自分たちの人生を豊かにできる実践的能力として生徒たちが学んでくれることを望みます。