塾長ブログ
2022.04.23
子供たちはどうして綺麗な字が書けなくなってしまうのか
字を綺麗に書くとはどういうことでしょうか。
書道家のような芸術的な文字を書くということではありません。
少なくとも学習においては、自分も含めた読み手が正確に読み取れる文字を書くということです。
実際、字を書くのが雑で、自分の書いた字でさえ読めなかったり、間違って読んだりする生徒もいます。
字がうまく書けない理由は大きく二つあるでしょう。
一つは、うまく書くことの必要性を感じないから。
もう一つは、上達の途中でうまく書けるレベルに達していないから。
前者は、「字を書くことは単なるメモで自分が分かればいい。丁寧に書く暇があったら課題をどんどん解決しなければならない。」と考えています。
メモと捉えているので、他者に見せ読んでもらうことは想定していない。
だから必要最小限の時間で済むように殴り書きになる。
よく高名な学者や作家の文字が読めないというのは、こういう理由だからでしょう。
でも、この姿勢に慣れてしまうと、いざ他者に読んでもらわなければならない文章を書くときに書けなくなってしまいます。
特に課題を提出して評価をしてもらったり、テストで採点をしてもらう必要のある生徒は、これではいけません。
社会人でも同じで、自分のためだけの文字とは別に、他人に読んでもらうための文字を持つことが必要です。
後者は、練習が十分に足りていないからうまく書けない状態です。
つまり、コツがわかり練習すればやがてうまくなるということです。
そもそも学校で字を教わるとき、字を覚え書けるように指導されることはあっても、どのように書けば綺麗な字になるかという指導はされないことが多いと思います。
だから、みんなが我流で書くので、自分のスタイルがうまくできないときは、他者から汚い字を見なされるのです。
こう考えると綺麗に書けなくても仕方ないという気がします。
よって、コツを覚え練習するのが解決法でしょう。
いずれにしても、自分の書いたものを読んでもらうという生徒の立場を考えれば、綺麗に書くということは必要です。
それは将来社会人になっても必要となるでしょう。
なぜなら、文字で人柄を判断されることがあるからです。
ところで、現在の生徒たちの特有な原因があります。
生徒を取り巻く生活環境の変化です。
技術の発達により、現代人(子供も含む)は字を表記する機会は多いですが、書く機会は少なくなっています。
SNSやメールの使用頻度は多く、友達との文でのやり取りは増えていますが、それは全てキーボードで行われます。
自分の手で書いてはいません。
英語圏であれば、課題は手書きではなく、タイピングすることを奨励されます。
しかし、日本の学校で(少なくとも小中学校では)はそれはないでしょう。
なぜなら、漢字の書き取りも評価の一つになるからです。
従って、手書きから逃れることは難しいでしょう。
この環境的要因に、「面倒くさい」と言う多くの生徒が口にするフレーズが絡み、手書きの文章に対する生徒の嫌悪と機会の消失がますます強まってきます。
(因みに、文字だけでなく文章の内容に関しても、この現代テクノロジーの生徒に与える影響は見逃せませんが、これはまた別のときに。)
以上、生徒の字を書くことに関する考察でした。
皆様はどう思われますか。