塾長ブログ

2022.06.19

勉強が面倒くさいのは当り前!面倒くさいは勉強しない口実にはなりません!

勉強が面倒くさいのは当り前!面倒くさいは勉強しない口実にはなりません!

子供に何か指示した時、「面倒くさい」と言われて拒否されたことはありませんか。
その時、きちんと面倒くさくてもやらないといけないことを説明できたでしょうか。
特に勉強したくないとき、子供たちはよくこのセリフを言うような気がします。
そこで今回は子供の「面倒くさい」をキーワードに、議論をしてみたいと思います。

なぜ勉強は面倒くさいのか

勉強は面倒くさいもの。
「面倒くさい」と感じる心理的な話もありますが、それはまた別の機会に致します。
今回は勉強の目的に注目して考えてみます。

「なぜ勉強は面倒くさいのか」
それはそうできているからです。
勉強の目的を考えたとき、勉強は面倒くさくないといけないのです。

面倒くさく困難な時こそ人間は考えるのです。
問題に挑戦し試行錯誤しながら、脳へ多くの刺激を与えます。
その刺激は脳細胞のネットワークを広げ複雑化させ、より高度な思考ができるようになります。
だから勉強はわざと面倒くさく作られているのです。
面倒くさくて当たり前です。

適度な面倒くささ

簡単で既にできることであれば、脳は発達する必要がありません。
でも、問題が難しすぎて自分の能力をはるかに超えるときも、脳はなかなか発達しません。
どうやっていいか思いもつかない、理解の範疇を超えている場合は人間諦めてしまいますから。
脳の成長のためには適度な困難さが不可欠です。

一般によく言われるのが「α+1」です。
αは現在の自分の力で、これに1プラスしたくらいの難易度で勉強を進めていくと、脳も無理なく課題をこなし成長することができます。
学校の教育体系はよくできたもので、このような「α+1」の積み重ねによって生徒たちの能力が育つように工夫されてできています。

しかし、この「+1」も生徒によって様々で、多くの生徒にとって「+1」であることが、ある生徒にとっては「+10」くらいになるかも知れません。
そういう時はサポートが必要です。
生徒が分からない内容にぶつかったとき、周囲がいかに助け「分からない」を解消して次の学習内容に進められるかが大きなカギとなります。
生徒が勉強嫌いになる原因の大きなものとして「分からない」を放置し、どんどん勉強がついていけなくなるというものがあります。
だから、周囲も生徒の様子をよく注意して観察し、分からないときは迅速に対応してあげることが必須です。
対応が遅くなればなるほど問題も大きくなり、手遅れになってしまいます。

「面倒くさい」は単に勉強を回避するための言い訳?

よく勉強嫌いの生徒は「なんで勉強しなくてはいけないの」とか「こんなこと意味ないよ」などと理屈をこねて、納得のいく勉強の意義を大人に求めようとします。
そうでなければ勉強する意義がないと。
普通答えられません。
本人たちもそれを知っていて、あえて聞いてくるのです。
本心は勉強をしないための言い逃れです。
(この点についてはいつかまた議論します。)

このような言い逃れに「面倒くさい」が利用されることがあります。
現在の世の中は効率が重視され、手間のかかることは敬遠される傾向があります。
皆さんも何かにつけ「面倒くさい」と不平不満を口にしたことはありませんか。
そして、時には「面倒くさい」理由にやらなかったりしたことはありませんか。
子供たちは大人の言動をよく見ています。
大人たちのこのような言動から「面倒くさい=悪」と理解し、「悪」はいけないことだから面倒くさい勉強も「悪」。
このように論理を展開し、「だから、『面倒くさい』と言えば勉強をしなくて済む十分な理由になる」と結論付けます。
いつもやらない理由を聞くと「面倒くさい」と言う生徒がいますが、彼らはこのように考えているようです。
そこに我々大人の日頃の何気ない言動が影響していると考えると、子供たちのことをとやかく言う前に、自分たちの発言や振る舞いを見直し、気をつけて改める必要があるでしょう。

「面倒くさい」=「しなくてよい」ではありません

しかし、ここで生徒が大きく誤解していることは、「面倒くさい」=「しなくてよい」ということではないということです。
どんなに面倒くさくても、しなければならないことはしないといけません。
学校の勉強はしなくてはいけないことであり、「面倒くさい」と言う理由で免除されるものではありません。
むしろ、面倒くさいからこそ、余計に時間をかけて取り組まないといけないのですが、なかなかそれを分かろうとしないことが多いです。
(受け入れてしまえば、せっかくの自分に都合のよさそうな言い訳をなくしてしまうので。)

日常的に多くの大人が「面倒くさい」を理由にして様々なことをやらないのを目の当たりにしているので、「面倒くさい」=「しなくてよい」と言う公式が正しいと考えます(人間は自分の望むように物事を見ます)。
しかも、実際にこの公式が自分のやりたくないことに対する言い訳として通用してしまったとき、彼らは勉強のみならずあらゆる拒絶に利用します。
ここで心配なのは、このような自分勝手が大人の世界で通用しないこと。
面倒くさかろうがそうでなかろうが、社会に出たらやらなければならないことはやらないといけません。
その時、この生徒は大変苦しむと思います。
勉強だけでなく、子育てという点からも「面倒くさいことはしない」という癖は直してあげた方が本人のためであります。

「面倒くさい」という言葉を発する生徒はたくさんいます。
しかし、上記のように歪曲した考え方で生徒が使っているときは注意が必要です。
きちんと説明し、どんなに面倒くさいことでもやれる耐性をつけないと、将来社会人として大変苦労するでしょう。
周囲の大人たちも、嫌なことで「面倒くさい」を理由にやらないような振る舞いは控え、自分が自分を律することができる見本となりましょう。
大人は子供の良い手本となれるように努めてください。
子供は良くも悪くもしっかり見て学んでいますから。

少なくとも勉強に関しては、「面倒くさい」でやらない理由にはならないことを理解させてあげましょう。

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