塾長ブログ
2025.02.10
内田樹さんの『学ぶ力』を読んで:学びをより高める極意!
仕事柄、様々な文章を読むことが多いです。
そんな中、「なるほど、確かにそうだ」と気づかされたり、「そんな面白い考え方があったか」と感心させられることも非常に多いです。
このような自分にとっての新発見の機会にめぐ前れていることは、とても有難いことと常々感じます。
そこで今回は、私が「なるほど」と感じ、皆さんとも共有したい文章をご紹介したいと思います。
「学ぶ力」
以前、中学二年生の国語を指導したときに、内田樹さんの『学ぶ力』という文章に出会いました。
そこでは「学力」について議論されていたのですが、内田さんの言及する「学力」とは一般的な意味で使われている者とは異なるものでした。
この文章の要点をまとめると、およそ次の通りです。
まず、ここで言う「学力」とは、学校のテストの点数などで示される指標に基づくものではなく、「学ぶことのできる力(学ぶ力)」であり、自分の能力をどれだけ伸ばすことができるかという力です。
具体的にこの力を、学ぶことに対しどれくらい集中し夢中になれるかという度合いを測るために使われるものと述べておられます。
これは一般的に言われる学力と違い、個人的で他人と比べるべきものではないということです。
つまり、点数などで他人と比較できるものではなく、自身の中で昨日と比べどれだけの変化があったか、長い人生においてどれだけ成長したかという時間的変化においてのみ意味を持つものだそうです。
さらに筆者は「学ぶ力」を伸ばすための条件に付いても言及しています。
第一の条件は、「無知の自覚」です。
これは自分の学びがまだ足りていないと自覚があるかということです。
自分の足りなさを痛切に自覚してこそ、学ぼうという姿勢が生まれます。
第二の条件は、自分に教えてくれる「師」という存在を自主的に見つけようとすることであり、「あ、今人が私の師だ」と直感できることです。
ここで気を付けなければならないことは、この「師」という存在は学校の先生でなくても構わないということです。
直接会ったことのない亡くなった人でも、街行く人の中にも、さらには書物の中にでさえ、「師」となり得るものがあるのです。
最後の条件は、教えてくれる人をその気にさせることです。
これには学ぶ側の「無垢さ」「開放性」が必要で、学ぶときの「お願いします」という真っすぐな気持ち、「師」を見上げる真剣なまなざしとなって現れます。
この三つの条件をまとめると、「私は学びたいのです。先生、どうか教えてください。」と素直にはっきり口に出せる人が「学力のある人」と言えるそうです。
教える立場の人間として
子どもたちに教える立場の人間として感じるのは、勉強ができないと言われる子どもたちはほとんどの場合、知能が低いわけではないということです。
勉強ができない原因は知能ではなく、勉強に向き合う姿勢や考え方であることが非常に多いです。
ものごとに対する集中力、与えられたことを根気強く最後までやり遂げる忍耐力、相手の気持ちや意図を理解し行動する対応力など、学力テストでは測ることができない「非認知能力」と呼ばれるものが最近は注目されています。
これは「学習するために必要な力」として学力を高める土台となるものです。
そして、今回の「学ぶ力」もこの点に言及しているとも考えられます。
特に第三の条件である「教えてくれる人をその気にさせる」は非常に共感できる点です。
先生と言ってもなので、自分が一生懸命教えていることに対して、真剣なまなざしを送り頑張ろうとしている生徒には「より力になりたい」と思うものです。
逆に、何かと言って文句を言ったり不要な反論をしたりして、限られた授業時間を無駄に費やす生徒には、教える側としてもやる気が削がれるというのが正直なところです。
もちろん、プロとしてすべきことはしますがモチベーションが大きく変わります。
生徒としては無自覚なのかも知れませんが、このような抵抗が自身にとって大きな損失になっていることが分からないので、この文章を読んで考え方を改めてくれればと願うばかりです。
もちろん先生に対して媚びへつらえという訳ではありません。
素直に勉強に取り組み、少しでも多くのことを学ぼうとしてくれるだけでいいのです。
特別なことは必要ありません。
自ら頑張ろうという生徒は、教える側からすれば非常に健気で愛おしい。
だからこそ、少しでも力になりたいと思う。
そういう気にさせるものがあれば、人並み以上のことを教えてもらえる機会に恵まれるようになるという点で大いに賛同できます。
結果として、自身をより高め、能力を向上させることができます。
そういう意味では、筆者の言う通り学力を上げる大きな条件であると実感できます。
確かに「教えてくれる人をその気にさせる」は学びを深める極意のように思えます。
常に生徒と接し教えている身としては十分すぎるくらい心当たりがあり、内田さんの文章に納得してしまいます。
特に勉強が嫌いな生徒こそこの文章を読んで勉強にいそしんでほしいのですが、残念なことになかなかそうならないのが現実です。
勉強への不要な拒絶と反抗が、自分の首を絞めているのに気づけないのはもったいないです。
それは多くの大人が勉強に意義をうまく伝えられないからかも知れません。
経験の浅い若者は、大人が説明しても実感として理解できないものです。
エネルギーに満ちて可能性を多く持っている若者は、その活かし方を知らない。
でも、経験から知恵を少なからず身に付けたときには、可能性は小さくなり情熱も弱くなっていく。
なんと皮肉なことでしょう。
だからこそ、自分も彼らの「師」と足りえるように努めなければならないと身を引き締めると同時に、子どもたちも勉強を嫌がることなく純粋に学びを楽しみ自身の成長につなげられるように、周囲の人間はよく考えて行動しないといけないなと考えさせられました。