塾長ブログ
2025.06.07
”捨て問題”はテスト戦略の一つですが注意が必要です
「捨て問題」って聞いたことありますか。
塾でテストの戦略として使う言葉なんですが、しばしば生徒もこの言葉を口にします。
しかし、そのときの「捨て問題」の意味は間違っていることもあるので皆さんも注意してください。
「捨て問題」とは
そもそも「捨て問題」とは何でしょうか。
それは時間に限りのあるテストにおいて、難しい問題に時間を割かれ、本来自分が解ける問題に取り組む時間が無くなることを防止するため、難易度の高い問題、自分の能力をはるかに上回る問題は最初から放棄し、その分の時間を自分の力で何とかできる問題に当てるというテスト戦略です。
本当は全ての問題に全力で取り組み全ての問題に答えるのべきですが、制限時間内で全問解答ができない状況もあります。
そんな中で最大限の点数を得るためにはどうしても問題を選ばないといけません。
では、どのように問題を選択すればいいのでしょうか。
ほとんどの人が解けないような難問は、それができなくても成績順位にはそれほど影響しません(上位を目指している生徒は別ですが)。
なぜなら、みんなができない問題を自分が落としても、他者との点数にあまり差がつかないからです。
それならば、このような問題は最初から手を付けないで、その分の時間を自分ができる問題に割り振って、着実に点数を取っていこうということです。
逆に、みんなができる問題を落としてしまうと、他の多くの人から差をつけられることになり、成績も一気に下がってしまいます。
だから、誰もができる問題は絶対にできなければなりません。
しかも、最初から全問を解くことを放棄している訳ですから、全て解ける受験生に対しては不利な条件で争わなくてはいけなくなります。
ある意味背水の陣を敷くということです。
このように「捨て問題」というテクニックは特定の問題(それによって得られる点数)を犠牲にして、確実に取れるものを取っていこうというものです。
この他にも授業や問題集をやるとき、生徒の目指すレベルや実力を鑑みて、必要ないと判断した時は何問や応用問題をしないで、基礎に時間をかけることもあります。
そうすることで絶対に身に付けておかなければならない勉強を時間をかけてしっかり行うことができます。
これも一種の「捨て問題」と言えるでしょう。
間違った「捨て問題」とは
しかし、「捨て問題」(通称「捨て問」)を生徒たちが口にするときは注意が必要です。
なぜなら、「捨て問題」を誤解して、解く必要のない問題と捉えていることが多いからです。
塾などで「これは捨て問だからやらなくてもいい」と聞き、「捨て問」という言葉を覚える生徒がいます。
このとき、経験の少ない生徒はどの問題が「捨て問」で、どの問題が絶対に解けなくてはいけない問題かを区別できません。
そして、単純にやらなくてもいい問題があるんだと勘違いし、「捨て問」という言葉を使って勉強しない理由にしてしまいます。
その結果、自分が苦手な問題、面倒くさい問題、やりたくない問題、ちょっと難しそうな問題、これらを全て「捨て問」と認定し問題をしない口実にしてしまう。
このように勉強を回避する言い訳として「捨て問題」に生徒が言及する場合は、テストの点数を上げ成績をよくするための戦略としての「捨て問題」とは違い、生徒の勉強を損なう恐れがあります。
やりなさいと言っても「これは捨て問だからやらなくていいんだ」なんて言われたことはありませんか。
これは完全に本人の誤解で、全ての問題を自分の都合で「捨て問」にしていいとわけではありません。
先生が長年の経験に基づき、各生徒の学力や目標を考慮して、どの問題を「捨て問題」にすべきか判断するからこそ完璧ではないにしろ最大の勉強ができるのです。
繰り返します。
本来は全ての問題に取り組むべきですが、状況が許さない場合において苦肉の策として「捨て問題」を決めるのです。
生徒が自分のやりたくない問題を「捨て問題」として、自分が努力しなくてもできる問題しかしなくなってしまった場合、その生徒は困難を乗り越えて自分を成長させるチャンスを自ら放棄していることと同じになってしまいます。
これでは勉強の意味がありません。
勉強は分からないから、できないからこそするものです。
できるものしかしなければいつまで経っても成長も上達もなく、成績が良くなるはずがありません。
勉強は「α+1」
よく勉強は「α+1」と言われます。
αは自分の今の実力、これに1足したぐらいがちょうど学習にはいいというものです。
余りにも自分の今の実力からかけ離れたものはやっても理解できませんが、少し難しいくらいなら無理のない努力で学習を深めることができます。
この「α+1」の問題を「捨て問」と言ってやらなければ、いつまで経ってもαはαのままだし、ましてや楽な問題「α-1」なんてやっていたら成長どころか退化してしまいます。
勉強はやればいいというものではありません。
きちんと正しく丁寧にやらなければなりませんし、面倒くさがって楽をしようとすると自身を伸ばす機会を失い、後々自分がつらくなります。
困難や苦労を乗り越えた先に生徒一人ひとりの成長があり、勉強はそのための手段であり、自分を高める修行における試練だと考えてほしいです。
その点を理解すれば、「捨て問題」を勉強回避の方便にすることがいかに愚かしいか分かるのではないでしょうか。
勉強において、出された問題は本来全てやるべきです。
問題を解くことによって学んだ知識が定着し、より確実な力として様々な事柄に応用が効くようになります。
その結果、自身の能力を向上でき、より多くのことができる(学校の勉強に限らす)大きな人間に成長できるのです。
貪欲に問題に取り組み、自身をどんどん磨き上げるチャンスと捉えてください。
しかし、状況によってはそれが許されないときがあります。
そんなとき、対応策の一つとして「捨て問題」という方法がというわけで、決して最善策というわけではありません。
そして、「捨て問題」の区別は長年の経験がある者でないと適切にできず、生徒が自分の気分や好みで決めていいものではありません。
したがって、先生の指導に基づかないで生徒が行う「捨て問題」は、せっかくの学びのチャンスを不意にし、勉強を深める機会を逃す恐れがあるので十分気をつけましょう。
「捨て問題」と生徒が口にしたときはなぜそれが捨て問題か問いかけ、「捨て問題」の本当の意味を説明し誤解のないように願います。
2025.05.11
GW特別企画TKKピクニックに行ってきました
葛西TKKアカデミーでは通常授業だけでなく、機会を見ては生徒たちと交流し、普段とは違う学習を行える規格も実施しています。
今回はゴールデンウィーク特別企画と称して、希望する生徒たちと一緒に初夏のピクニックに出かけましたので、そのご報告をしたいと思います。
最近は忙しく、遅い報告となってしまいました。
出発!
5月4日㈰10時に葛西TKKアカデミーに集合!
今回はお母様一人を含む小学生が中心の総勢9名のピクニックとなりました。
まず妙典駅に移動して、そこから江戸川に沿って河川敷を歩き、篠崎ポニーランドまで向かうコースです。
途中寄り道をしながらゲームをしたり、自然に触れながら工作をしたりと楽しく過ごせるよう計画しました。
妙典駅から篠崎ポニーランドまで、真っすぐ進めば30分ほどの道のりを1時間ぐらいかけ遊びながら歩いていく予定です。
みんなが集まったら葛西駅に移動し、東西線に乗り込みました。
日曜ということもあってか、車内はそれほど混んでいる訳でなく、他の乗客に迷惑を掛けることなく乗れて一安心でした。
地下鉄博物館がある土地柄か、男子生徒たちの中には鉄道マニアがいて、鉄道のうんちくをずっとしゃべっていました。
好きなものを語る子どもたちを微笑ましく思っていると、あっと言う間に妙典駅に着きました。
河川敷
妙典駅を降りてイオン市川妙典店を抜けると公園にたどり着きます。
さらに先に進むとバーベキューのできる一画があり、週末などはいつも人々でにぎわっています。
この日も例にもれずおいしそうなバーベキューの匂いが漂っていました。
そして、そこを過ぎると目の前に江戸川が現れました。
河口近くのこの場所は干満の影響を受けています。
私たちが訪ねたときは干潮に近かったようで、川の水位も下がり川底もかなり出ていました。
このような場所に行くのも珍しいのか、みんな一目散に土手を降りていきました。
まずは落ちている貝殻を拾い始めました。
川の水に触れ、水面に顔を出した石をジャンプしながら伝ったりとはしゃいでいました。
潮が引いたばかり干潟には水たまりも多く、小さな貝やカニが生息していました。
そのことを教えてあげると、子どもたちは私の捕まえたカニや貝を興味深げに見たり触ったりしました。
中には自分で捕まえようとする生徒もいました。
生きているヤドカリも見つけ捕まえてあげると、最初は分からなかったようですが、モソモソ動き出すとようやく理解できたようです。
なかなか自然の中で実際に生き物に触れる機会がないからか、予定以上の時間を妙典の河川敷で過ごしました。
まだまだ道のりはこれからなのですが、特に厳密に守らなくてはならないスケジュールでもないので、生徒たちの状態に合わせて、行程を進んでいこうと思います。
ゲーム、水切り&笹船
まだ出発地点の妙典からほとんど離れていませんが、時間は結構過ぎてしまいました。
とは言え、急ぐ旅でもないもないので、子どもたちの気のすむまで遊ばせながら、のんびり行程を進みたいと思います。
買い込んだ景品用の駄菓子がたくさんあるので、道中ゲームをしながら子どもたちに配るつもりです。
先ほどの場所を離れるためにじゃんけん大会をして区切りを付けます。
単純なゲームですが、景品がかかると子どもたちは大興奮。
素直に盛り上がってくれるので助かります。
江戸川に沿って歩いては道草を食って、気ままにマイペースのピクニック。
再び川辺に降りて水切りをしました。
周りにちょうど良い形の意思がなかったので、子どもたちは上手にできませんでした。
次回のチャレンジに期待しましょう。
また歩いてゲームタイム。
チームに分かれて全員参加のリレーです。
参加してくれたお母様も含めてのリレー。
人数合わせで一人が二回は知らなくてはならなかったのですが、スタート地点に戻っていなかったのでリレーする相手がいないというアクシデント。
こういう不慮の出来事も楽しい思い出です。
しばらく歩くと川沿いに笹が生えていたので、子どもたちを集めて笹船の作り方を教えました。
子どもたちは笹船を作ったことがないようで、作るのに苦戦していました。
確かにこの辺ではこんなことする機会も滅多にないでしょう。
結局私が作った笹船を子どもたちが川に流すという形となりました。
昼食
気がつけばもう正午でした。
「お腹がすいた」と子どもたちが言い始めたので、土手に座ってお昼ご飯にしました。
各自持ち寄ったお弁当をお菓子を食べて一休み。
みんなでワイワイ話しながら自由に食事をしたり、河原でまた遊んだり。
本当ならもう少し先で休憩を取る予定でしたが、かなり遅れてしまいました。
まだ道のりは長い。
でも気ままなピクニックもいいものです。
エネルギーを充填して再出発です。
出来なかったこと
道中、予定では花冠とブーメランを作る予定でした。
しかし、今年はもうシロツメナグサの時期は終わってしまっていたようです。
白いクローバーの花はもう見当たりませんでした。
ということで、今回花冠作りは断念。
同様にブーメラン作りも考えていて、必要な材料と道具は揃えていたのですが、工作をするような広場のような所が見つからず、こちらも諦めました。
スケジュールも遅れ気味だったので、また今度でいいかという判断です。
子どもたちは、歩きながら経験するいろいろなことで精一杯で、これらをやらないことを気にも留めていないようでした。
失望する様子もなかったので、ほっと一安心。
篠崎ポニーランド
そろそろ子どもたちにも飽きがきたみたいで、疲れも相まって歩みが少しずつ遅くなってきました。
寄り道しながらとは言え、もう三時間近く歩いていました。
でも、江戸川の水門を抜ければもうすぐ。
遠くに白い柵が見え、目的地の篠崎ポニーランドと分かりました。
長旅お疲れ様でした。
小学一年生の生徒も最後まで歩きとおしました。
えらい!
到着したときは午後一時前。
午後からのポニーの乗馬が午後一時だったので、結果的にちょうど良い時間でした。
乗り場に一列に並んで、ポニーたちがやって来るのを待ちます。
ゴールデンウィーク中ということもあり、TKK以外の子どもたちもたくさんいました。
ポニーがやってきていよいよ乗馬の始まりです。
小学生までの制限ですが、無料で乗り放題なので何回も子どもたちは乗っていました。
一人ひねくれものがいて「絶対に乗らない」と言っていたのですが、乗馬が始まるとみんなに混ざって並んで、結局6回も乗っていました。
素直じゃないのもかわいらしく感じます。
全員5~6回は乗ったと思います。
心いくまで乗れて満足できたのではないでしょうか。
帰路
気づけば午後2時を回っていました。
長距離歩いたせいか、一人具合が少し悪くなったみたいで、タクシーで帰らせることにしました。
小学生低学年の子たちと一緒に、先に帰路につきました。
残りの生徒たちは私と一緒に来た道を戻りました。
休憩をはさみながら、マジカルバナナをしながら、みんなで笑いながら歩いていました。
行きは随分長かったように思われた行程も、帰りはあっと言うまでびっくりです。
先ほどの妙典のバーベキュー会場に差し掛かり、酔っぱらった見ず知らずの人に絡まれるというアクシデントもありました。
子どもたちでなくて何よりですが、お酒はほどほどに。
妙典駅に着いて、再び東西線に乗って葛西に戻りました。
TKKアカデミーに着くと、タクシー組がもう着いていて、ホワイトボードに落書きをしたり、お菓子を食べたりして待ってくれていました。
生徒からリクエストがあったので、ブーメラン作りもしました。
簡単なのですぐ完成。
そうこうしているうちにお迎えの親御さんが到着し、ピクニックは解散です。
気ままなピクニック。
せっかくのゴールデンウィークなので何か企画をしなければと考えました。
普段できない経験だったのか、生徒たちはみんな目を輝かせていたのが印象的でした。
こんなに楽しいんでくれるなら、今後も機会を見てはイベントを行いたいと思います。
特に来年は葛西TKKアカデミー開校10周年になるので、何か記念になることをしたいと強く感じました。
このような生徒同士、生徒と講師である私、そして親御さんも含めて交流できるチャンスを持つのは非常にいいことだと思いました。
楽しい思い出ができただけでなく、お互いの接し方も変わってきます。
相手をより知ることで信頼が増し、後日談とはなりますが、塾での生徒の勉強に向かう姿勢に変化が見えたように思われます。
このように葛西TKKアカデミーは単に勉強を教える塾に留まらず、交流を深め様々な経験を通して人の成長を促すことができる塾になりたいと切に願う次第であります。
2025.04.04
入学おめでとう!新年度そして新生活で気をつけること
4月に入り温かくなったり寒くなったり。
気温の変化に体がついていけない人も多いように見えます。
しかし、桜は少しずつ咲き始め、着実に春らしくなってきました。
4月は新年度になって最初の月。
進学して新一年生になった生徒もたくさんいます。
特に高校大学、そして一部の中学では入学試験を合格して新しい学校に進む生徒がたくさんいます。
皆さん、入学おめでとうございます。
今月から新生活を始める生徒たちに、心よりお祝い申し上げます。
それぞれの学校を卒業し、入学を迎えるまでの間は本当に勉強から解放され、のびのびと羽を伸ばすことができたのではないでしょうか。
勉強を忘れて思いっ切り自由な時間を過ごせるのも、長い学生生活の中でもこの時期くらいでしょう。
思い存分楽しんでください。
苦しい受験勉強を乗り越えてきたのだから、皆さんは十分楽しむ資格があると思います。
しかし、遊んでばかりで気を抜いて何にもしていないと新しい学校に通い始めてから苦労します。
今日は新生活始めるこの時期に注意すべき点を考えます。
やはり勉強
新しい学校では当然勉強の内容もこれまでとはけた違いになります。
しかも、新生活では勉強以外にも学校の過ごし方など新しく覚えなければならないことがいっぱいあります。
あまりの忙しさに心の余裕もなくなり、パニックに陥ることも。
だから、今のうちに少しでも勉強できるところは勉強してください。
教科書を見てよく分からなくても、「へー、こんなことをやるんだ」と知るだけでも大きく違います。
分からないことだらけの新生活に余裕を持って慣れていくためにも、今から始めて勉強の負担を減らしておくことをお勧めします。
また、受験が終わってから一切勉強しなかったという人もいるのではないでしょうか。
そういう人は受験勉強で身に付けたこれまでの学習内容をすっかり忘れてしまっているかも知れません。
全ての勉強がこれまで習ったことを基礎に積み上げられているのならば、忘れたまま新しい学校の授業を受けるのは危険です。
全く理解できずについていけなくなるからです。
だから、新学期が始まる前に最低限の基礎の確認はしておいた方がいいです。
生活リズムの調整
この時期に限らず、長期休暇中は生活が乱れがちです。
学校に行かなくてもいいということで、いつまでも夜更かししたり、起きる時間も昼を過ぎてしまったり、食事なども気まぐれで取って見たりと、生活のリズムが乱れがちです。
学校が始まるとこんな生活は続けられません。
一刻も早く生活リズムを整えて、新生活に適応しないといけません。
時間を整えるだけでなく、食事の不摂生を直し、運動不足を解消し、健康的な生活に戻さないといけません。
新生活は不慣れなことが多く、自分の思い通りにいかないこともたくさんあるので、過剰にストレスがたまります。
乱れたままこのような状況に突入してしまうと、より心身共に負担が増えます。
場合によっては適応できず、登校することさえできなくなることもあります。
せっかく受験を頑張って入った学校なのに、行くことができないなんてもったいないです。
早めに生活習慣を立て直し、新生活へのスムーズな移行ができるように準備しましょう。
新しい学校生活で必要なものはそろっていますか
学校が新しくなると新たに購入しなくてはならないものもあります。
制服やかばんなどは大丈夫ですが、文房具などの細かな備品は意外と気がつかず、揃えるのを忘れてしまったりします。
例えば、同じノートでも小学校と中学校では規格が違っていたり、教科によって全くタイプの違うノートをつかったりします。
前日の夜になって足りないことに気づき、慌てて買いに行かなくてはならなくなるようなことがないように、事前にしっかり考えてリストを作り、チェックしながら早目の用意をしましょう。
足りないからといって直前に買いに行っても、お店にあるとは限りません。
特にこの時期はみんなが同じものを買いそろえるので、品切れになっているところもたくさんあるので気をつけてください。
消しゴム一つを探しに、店を何件もはしごした挙句、結局なかったでは済まされません。
子どもの心理状態にも注意
新学期は希望とワクワクに満ちている生徒もいますが、新しい環境に不安になりおびえている生徒もいます。
そんなときは周囲の人間のサポートが欠かせなくなります。
そのためにも、子どもたちが無意識に出しているSOSのサインに気づけるように注意してください。
「学校に行きたくない」とぐずったり、表情が極端に暗かったりしていませんか。
小さな変化でも見逃さず、速やかに対応できるように、いつも以上にしっかり観察しましょう。
子どもが新しい学校で一番気にすることは、何と言っても人間関係と勉強でしょう。
これから見知らぬ人たちと一緒に生活するのだから、うまく溶け込めるか心配なのも当然です。
今の生徒は学校に入ったらすぐに、LINEグループなどを作って他の生徒たちとつながろうとします。
それほど不安であるということです。
現在はSNSが発達しているので、デジタルネイティブの彼らはこれらのツールを使って必死で、時には自分を押し殺してでも、友達作りにいそしむのです。
次に勉強ですが、生徒たちにとって自分たちの本分である勉強に行き詰まることは大問題であり、自分が新しい学校で今まで以上に難しい勉強についていけるのか悩むのも理解できます。
特に、これまで成績優秀だった生徒が多くの学校から同等に優秀な生徒が集まる新しい学校において、思っていた以上によい成績が修められずに愕然とすることもあるでしょう。
それまでが優秀であった生徒であればあるほど、その苦悩と絶望感は大きいようです。
勉強についていけないと感じ、周囲との差を実感し、プレッシャーとストレスで苦しむこともあります。
自己肯定感が落ち自信もなくなり、無気力になってしまっては大変です。
子どもの心理にどう対処するか
このようなときは叱りつけるのはよい方法とは言えません。
仮に一時的に成績が回復しても、常に「また成績が下がってしまったらどうしようか」という不安と脅迫概念にかられることがあります。
大事なことは、本人に「自分は一人ではなく、安心して全てを打ち明けられる人がいる」と分からせることです。
それは日常のごく些細な一場面、ちょっとした挨拶や笑顔で変わってくるものです。
そして、「自分にはどんなときにも手を差し伸べてくれる」という安心感が生まれれば、現状を受け入れ、冷静に事態を見つめ、解決策を模索できるようになるでしょう。
このときも一人で考えるのでなく、人生の先輩として誰かがヒントを与えてもらえるとよりいいでしょう。
今は時代の変化が激しく環境も大きく異なりはしますが、人間として悩み苦しむことは変わりないのだから、自身の経験を話してあげるのも、彼らにとって何らかの手助けになるはずです。
仮に絶対の解決策が見つからなかったとしても、共に悩みを共有できる人がいるというだけで、子どもたちは安心するはずです。
子どもたちが新年度の壁にぶち当たったとき、我々にはまだ多くのことができると考えましょう。
そう思えば、彼らに対処する方法はいくらでもあるはずです。
今回は新年度ということで、新しい学校生活を迎えるこの時期に注意すべきことを議論してみました。
大人であっても、新しい環境というのは不安なものです。
だからこそ、早めに準備をして最善のスタートを切れるように心がけましょう。
新しい学校は嫌なことや苦しいこともあるでしょうが、それだけでは決してありません。
明るく楽しい部分にも目をやりましょう。
疾風怒濤の青春時代は、苦しいことも楽しいことも子どもたちの血肉となり、将来社会に出たときの芯の強さになります。
何一つ無駄なことはないはずです。
何でもチャレンジしがむしゃらに生きることが許されるのも、きっとこの時代だけだと思います。
新しい生活を有意義に楽しんでください。
応援しております。
2025.03.26
円谷英二「まず『できる』と言う!方法はそれから考える」子どもと接するとき考えさせられる言葉
「まず『できる』と言う。方法はそれから考える。」
これはウルトラマンやゴジラなどを生み、特撮の神様とも呼ばれた円谷英二の言葉です。
また、「ないものは作ればいい。」とも彼は言っています。
どちらの言葉も子供たちと接するときに非常に考えさせられます。
魔法の言葉
不可能と思われるほど限られた予算と製作期間でも、円谷英二は自身の持てる技術と知恵を総動員し、創意工夫しながら映画『ゴジラ』を完成させました。
今では撮影で当たり前のように使われるクレーンやミニチュア撮影、グリーンバック撮影も彼のアイデアが元になって生み出された技術だそうです。
現在ではあまりにも当然のように使われていて、なしでは考えられないような撮影方法も、当時ゼロから考え作り上げるとなるとどれほど困難か想像に難くありません。
しかし、このような技術も彼が言葉を実行したからこそ、今の私たちはその恩恵にあずかることができるのです。
楽観的で無計画のようにも聞こえますが、先の心配ばかりして一歩が踏み出せないのであれば、いつまで経ってもゴールにはたどり着きません。
まずは自分の立ち位置を決めて、そこから動き出さないといけない。
そして、実際にやってみれば「大したことなかった」なんてことはよくあるのですが、行動を起こすまでは怖くて勇気が出ずにどうしても知りごもりをしてしまう。
特に物事をまだ十分に理解できない子どもたちは、失敗を恐れなかなか挑戦できません。
そんなとき、この言葉は大いに力を発揮します。
ナイーブな子どもたち
人生経験の少ない子供たちには物事がどれほど困難か、人間の可能性がどれほどのものなのか正確に推し量ることは難しいです。
大人が言ってもなかなか確信が持てず尻込みをしてしまい、せっかくできるのにやらないということがよくあります。
特に最近の子供は慎重というか、臆病な点を強く感じます。
子供らしく若者らしく、失敗を恐れず無鉄砲に立ち向かってほしいのですが、自己肯定感が低く自分に自信を持てない生徒が多いように思われます。
または、チャレンジすることを面倒に感じ、その言い訳として自分を卑下する。
怠慢とも言えますが、それが自分の成長の機会を奪い、自分にとってマイナスになるということを理解するのも彼らには難しいようです。
さらに、とにかく失敗したくないという気持ちが強く、「失敗して笑われるくらいなら何もしない方がいい」と考える生徒も多いです。
これは自己へのプライドの高さ(保身)と相関するものとも考えられるでしょう。
これらの理由で、勉強に限らず何においても一歩が踏み出せないナイーブな生徒が増えているように思われます。
考えすぎず気楽にチャレンジ
子ども時代はある程度の失敗なら許される貴重な時期です。
これは若者の特権、未熟だからこそできること。
だから、この時間にいっぱい失敗してほしいと思います。
「失敗は成功の基」、学びのチャンスです。
失敗からたくさんのことが学べ、より人間として高みに至ることができます。
100点なんてつまらない、新しく得るものがないから。
テストの結果なんて悪くてもいい、そこから学んで大きく成長できれば。
つまり、テストや問題を解くのは学びのゴールではなく出発点なのです。
だから、結果だけ見て一喜一憂して終わることが多いですが、そこで終わってはもったいないです。
自分の至らぬ点を把握し、それを改善する機会として有効に活用すればいい。
「分からない」が「分かる」になった瞬間の喜びは何ものにも代えがたく、それを理解すれば「間違い」は怖いものではなく「楽しさ」のきっかけに変わるのです。
最終的にどちらに転んでも、自分次第で自身の糧にできる。
そうであるなら、深く考えずとにかくやってみましょう。
後はなるようになるし、大抵は心配するほどでもなく「こんなものか」と思えることも多いです。
でも、動かなければいつまで経っても何も変化はなく、自分を高める成長はできません。
円谷英二の言葉に勇気をもらい、まずは第一歩を踏み出してみましょう。
大丈夫、心配いらない、うまくいく。
大人の配慮で子どもたちが歩み出せるように
子どもが二の足を踏んでしまう理由に周囲の目があります。
特に自身のプライドを重視する思春期の子どもたちには、これは大きな行動要因になります。
だから、周囲から軽蔑されるかもしれないと自身の失敗を非常に恐れ、「失敗するくらいならやらない方がいい」と考え動かないことは生徒にはよくあることです。
問題が分からないとき「分かりません」と言わず、「言いたくないです」と言った生徒がいたことが思い出されます。
周りの大人は表面だけでなく深くまでしっかり見抜いて、子どもたちを正当に公平に評価しなくてはなりません。
彼らは成長段階発展途上であるということを私たちは忘れがちです。
それでも評価を下さないといけないのが現実ですが、そうならそのときの結果だけで判断し結論付けてはいけません。
そこにある成長の可能性に目を向けないのはいけません。
非難するのではなく、問題点を一緒に考え人生の先輩としての有益なアドバイスを与えてください。
大事なのは子どもたちを単に欠点を指摘することではなく、どうすれば彼らを伸ばせるかということです。
ここも難しいことですが、この点に注意を払いながら思慮深く接することを心がけましょう。
そうすれば子供たちとの間に信頼ができ安心感も生まれるでしょう。
子どもたちの「恐れ」を取り除き、歩み出せる勇気を持てるようにはたらきかければ、失敗を恐れず何事にもチャレンジができ、その経験が彼らを大きく育てます。
人間の強さは常に変化することで、成長して問題を克服できることです。
留まっていては変化できないので、子どもたちが安心して歩き出せる環境と社会づくりが、大人の重要な責務であると考えます。
失敗(間違い)は罪ではない。
子供のうちにいっぱい失敗(間違い)をし、学びましょう。
また、子供の失敗を許せる寛大な社会環境も大切です。
そのためには大人もゆとりがないといけません。
それは大人自身の問題なのですが。
そして、「間違いが怖いものではない」と分かれば、子どもたちは失敗を恐れず挑戦する勇気が持てるでしょう。
ちょっとうまくいかなかったからと自分を小さくしないで、不安に打ち勝てる強さと苦しさに耐えられる力を身に付けてほしいと思います。
そんなときに、この円谷英二の言葉を唱えてみましょう。
隠れていた一歩踏み出す勇気が湧いてきます。
「人生なるようになる、大丈夫」と。
最近の教育界でも「自己肯定感」と言うのはキーワードになっています。
子どもたちが自分を信じ積極的に前進できるよう、葛西TKKアカデミーは努力しています。
ご家庭でもこの言葉を思い出し、子どもたちに勇気が持てるようになれることを願います。
2025.03.19
「アクティブラーニングって何?」これからの日本教育のキーワード!
学校教育は日々変化しています。
その時代時代で教育観が変わり、学習内容、指導方法が大きく変わることもあります。
日本の公教育の場合、特に指導要領改訂のタイミングで大きな変化が起こることが多々あります。
中でも現在の指導要領に代わってからの変化には目を見張るものがあります。
前例を見ないと言っていいほどの大改革と言われていますが、その中の要となるものにアクティブラーニングがあります。
文科省は社会に活躍できる人材育成を目指し、知識偏重の教育ではなく、学んだ知識を用いて答えが一つではない様々な問題に生徒が取り組める教育を目指すことが新学習指導要領から分かります。
この目標達成のために導入されたアクティブラーニングですが、実際どのようなものなのでしょうか。
これを取り入れることで学校教育がどのように変わるのでしょうか。
なぜアクティブラーニング?
例えば数学の方程式を解く問題であれば、誰がやっても答えが同じで決まっています。
しかし、「学校の部活動で部員が活発に取り組むようにするにはどうすればいいか。」という問題は決して答えが一つではないし、決まった正解がある訳でもありません。
でも、このような問題は私たちが生きる中でたくさん直面するものです。
今までの知識偏重の教育は、課題を与えられ解法も与えられて、それを処理するには大いに役立ちます。
しかし、今後はそのような機械的な処理はAIが担うので、人間はそうではない分野で活躍できなければならないと考え、今回の教育改革となった訳です。
アクティブラーニングってどんなもの?
では、実際にアクティブラーニングとはどんなもので、どのように子供たちに解答のない問題に取り組むようにさせるのでしょうか。
英語を想定してみましょう。
英語を学ぶのに先生が文法や単語などを基本的には教えません。
代わりに例えば、「発展途上国の人々が教育を受けられるようにすればどうすればいいか」という課題を与えます。
生徒たちは自分たちで「発展途上国の教育の実態」調べます。
そして、自分たちでどうすればいいか話し合います。
最後に英語でプレゼンテーションをします。
この過程で、英文の資料を読まなくてはならなくなれば、自分たちで単語や文法を調べます。
意見交換も英語で行い、自分を英語で表現するにはどうすればいいか考えます。
もちろんプレゼンテーションも英語なので、自分たちで調べ英文の原稿を作ります。
そして、どうしても先生の助けが必要なときは、先生に質問しアドバイスなどをもらいます。
今までのように与えられて覚えるのではなく、自分たちで必要に応じて調べ学ぶのです。
この過程で英語の知識だけでなく、論理的思考や途上国の実情などを学ぶのです。
そして意見交換では相手の意見を要約し正確に理解し、更に相手を説得するにはどうするかというディスカッションの能力も求められます。
こうやって英語の知識と運用能力を身に付けるのです。
アクティブラーニングの課題
これらの事柄を身に付けられるアクティブラーニングは非常に理想的な教育方法に思われます。
しかし、「問題はこれが効果的に実践できるのか」ということです。
アクティブラーニングにおいて教師の役割は知識を与えるというより、生徒が活発に学ぶように促すことです。
これには豊富な知恵と知識と多くの経験が必要です。
なぜなら、生徒の状況は一様ではないので状況に応じて臨機応変な対応が求められますし、授業を盛り上げるために時には冗談や笑いのネタなども言えないといけません。
課題も様々なのでどんな問題でも対応できる幅広い教養が必要です。
経験がないと、機転を利かせ生徒のモチベーションを高め、自分からやる気にさせるのも難しいでしょう。
また、生徒の行動に頼る部分が多いので、狙い通りの内容を身に付けさせるのも難しく、学習時間も今まで以上にかかるでしょう。
限られた時間で指導要領に書かれている全ての要項を習得できるかどうかは、生徒を暗示的に目的に向かって導けるかどうかという指導者の技量にかかる部分が大きいのです。
しかし、そもそも基礎的知識を身に付けさせるだけでも今まで精一杯だったのに、更にそれを使って論理的に展開し課題に取り組むまで持っていけるのでしょうか。
また、それぞれの生徒で異なる学力や性格、姿勢などをどのように評価すべきなのでしょうか。
よくあるのが、どうしても人前で発表するのが苦手で何も言えない、もしくは発表するのが面倒くさい、そんな生徒をどのように見なすかです。
相手の意見を面白いと思う、自分の考えを言うのが楽しくなる。
これは生徒の問題というより、そのような気持ちに生徒を導けるかという先生の問題とも捉えられます。
いかに生徒の知的好奇心を刺激し、授業を活気づけられるかによって、生徒の学びも大きく左右されます。
そう考えると生徒の勉強に向かう姿勢も先生の指導によるところが大きく、生徒の評価が低いということは先生の指導が悪いということもできます。
そもそも欧米などで実践されているアクティブラーニングですが、日本のように40人もの大人数で試みた例はありません。
ご存知のように無効のクラスはせいぜい20人程度で、このようなきめ細やかな教育をこんな大人数のクラスに適用させてうまくいくのかは、実は誰にも分らないのです。
先ほど述べた教員の経験の問題に加え、アクティブラーニングを行う環境も考える必要があると思います。
これまでの教育とは大きく違う教育になるのだから、それにふさわしい環境を整える必要があるのです。
ようやくオンライン授業用のWifiや端末などが公立学校でも揃ってきましたが、十分に使いこなせて活用できているかというと、そうとも言い切れません。
不十分な学習環境で果たしてアクティブラーニングを実施しても大丈夫なのかと心配にもなります。
他にもアクティブラーニングを実践するにおいてクリアすべき課題はたくさんあります。
上手くいけば非常に有効な教育方法ですが、そうでなければ結局基礎知識すら身に付かないリスクがあります。
そして、そのリスクは一人ひとりの生徒や先生によるところが大きく、下手をすれば個人差をより広げる教育になりかねません。
言い換えれば、学ぶ側も教える側もアクティブラーニングの意図をよく理解して授業を受けないと、その意義は薄れてしまうのです。
以上の点に注意してアクティブラーニングを有効に活用し、子供たちの学力向上につながってほしいと願います。
2025.02.10
内田樹さんの『学ぶ力』を読んで:学びをより高める極意!
仕事柄、様々な文章を読むことが多いです。
そんな中、「なるほど、確かにそうだ」と気づかされたり、「そんな面白い考え方があったか」と感心させられることも非常に多いです。
このような自分にとっての新発見の機会にめぐ前れていることは、とても有難いことと常々感じます。
そこで今回は、私が「なるほど」と感じ、皆さんとも共有したい文章をご紹介したいと思います。
「学ぶ力」
以前、中学二年生の国語を指導したときに、内田樹さんの『学ぶ力』という文章に出会いました。
そこでは「学力」について議論されていたのですが、内田さんの言及する「学力」とは一般的な意味で使われている者とは異なるものでした。
この文章の要点をまとめると、およそ次の通りです。
まず、ここで言う「学力」とは、学校のテストの点数などで示される指標に基づくものではなく、「学ぶことのできる力(学ぶ力)」であり、自分の能力をどれだけ伸ばすことができるかという力です。
具体的にこの力を、学ぶことに対しどれくらい集中し夢中になれるかという度合いを測るために使われるものと述べておられます。
これは一般的に言われる学力と違い、個人的で他人と比べるべきものではないということです。
つまり、点数などで他人と比較できるものではなく、自身の中で昨日と比べどれだけの変化があったか、長い人生においてどれだけ成長したかという時間的変化においてのみ意味を持つものだそうです。
さらに筆者は「学ぶ力」を伸ばすための条件に付いても言及しています。
第一の条件は、「無知の自覚」です。
これは自分の学びがまだ足りていないと自覚があるかということです。
自分の足りなさを痛切に自覚してこそ、学ぼうという姿勢が生まれます。
第二の条件は、自分に教えてくれる「師」という存在を自主的に見つけようとすることであり、「あ、今人が私の師だ」と直感できることです。
ここで気を付けなければならないことは、この「師」という存在は学校の先生でなくても構わないということです。
直接会ったことのない亡くなった人でも、街行く人の中にも、さらには書物の中にでさえ、「師」となり得るものがあるのです。
最後の条件は、教えてくれる人をその気にさせることです。
これには学ぶ側の「無垢さ」「開放性」が必要で、学ぶときの「お願いします」という真っすぐな気持ち、「師」を見上げる真剣なまなざしとなって現れます。
この三つの条件をまとめると、「私は学びたいのです。先生、どうか教えてください。」と素直にはっきり口に出せる人が「学力のある人」と言えるそうです。
教える立場の人間として
子どもたちに教える立場の人間として感じるのは、勉強ができないと言われる子どもたちはほとんどの場合、知能が低いわけではないということです。
勉強ができない原因は知能ではなく、勉強に向き合う姿勢や考え方であることが非常に多いです。
ものごとに対する集中力、与えられたことを根気強く最後までやり遂げる忍耐力、相手の気持ちや意図を理解し行動する対応力など、学力テストでは測ることができない「非認知能力」と呼ばれるものが最近は注目されています。
これは「学習するために必要な力」として学力を高める土台となるものです。
そして、今回の「学ぶ力」もこの点に言及しているとも考えられます。
特に第三の条件である「教えてくれる人をその気にさせる」は非常に共感できる点です。
先生と言ってもなので、自分が一生懸命教えていることに対して、真剣なまなざしを送り頑張ろうとしている生徒には「より力になりたい」と思うものです。
逆に、何かと言って文句を言ったり不要な反論をしたりして、限られた授業時間を無駄に費やす生徒には、教える側としてもやる気が削がれるというのが正直なところです。
もちろん、プロとしてすべきことはしますがモチベーションが大きく変わります。
生徒としては無自覚なのかも知れませんが、このような抵抗が自身にとって大きな損失になっていることが分からないので、この文章を読んで考え方を改めてくれればと願うばかりです。
もちろん先生に対して媚びへつらえという訳ではありません。
素直に勉強に取り組み、少しでも多くのことを学ぼうとしてくれるだけでいいのです。
特別なことは必要ありません。
自ら頑張ろうという生徒は、教える側からすれば非常に健気で愛おしい。
だからこそ、少しでも力になりたいと思う。
そういう気にさせるものがあれば、人並み以上のことを教えてもらえる機会に恵まれるようになるという点で大いに賛同できます。
結果として、自身をより高め、能力を向上させることができます。
そういう意味では、筆者の言う通り学力を上げる大きな条件であると実感できます。
確かに「教えてくれる人をその気にさせる」は学びを深める極意のように思えます。
常に生徒と接し教えている身としては十分すぎるくらい心当たりがあり、内田さんの文章に納得してしまいます。
特に勉強が嫌いな生徒こそこの文章を読んで勉強にいそしんでほしいのですが、残念なことになかなかそうならないのが現実です。
勉強への不要な拒絶と反抗が、自分の首を絞めているのに気づけないのはもったいないです。
それは多くの大人が勉強に意義をうまく伝えられないからかも知れません。
経験の浅い若者は、大人が説明しても実感として理解できないものです。
エネルギーに満ちて可能性を多く持っている若者は、その活かし方を知らない。
でも、経験から知恵を少なからず身に付けたときには、可能性は小さくなり情熱も弱くなっていく。
なんと皮肉なことでしょう。
だからこそ、自分も彼らの「師」と足りえるように努めなければならないと身を引き締めると同時に、子どもたちも勉強を嫌がることなく純粋に学びを楽しみ自身の成長につなげられるように、周囲の人間はよく考えて行動しないといけないなと考えさせられました。
2025.01.31
都立高校推薦入試合格おめでとう!
本日、1月31日は都立高校の合格発表の日でした。
葛西TKKアカデミーでも二名の生徒が挑戦し、推薦入試に向けた対策講座でこれまで頑張ってきました。
そして、本日二人とも見事合格の連絡が入ってきました。
本当にすばらしい。
うれしいかぎりです。
心からおめでとうと申し上げます。
これもひとえに生徒たちの努力の賜物です。
本人の頑張りがなければ決してなしえないことでした。
そういう意味では、彼らは堂々と自信を誇れる存在であると言えます。
上々の結果
これまでも何度か触れてきた通り、推薦入試は倍率も高く、試験内容も明確な正解が一つしかない5教科の一般入試と違い、小論文や作文、面接や討論など、受験生には馴染みの少ないものばかりなので対策しづらく、別の意味で難しい試験です。
また、各学校の校長が推薦する生徒たちが受ける試験なので、みんな成績の優秀な生徒ばかりです。
そのような状況でが合格を目指すわけですから、至難の業といっても過言ではありません。
葛西TKKアカデミーでは、文章の書き方から面接の振る舞い、回答の仕方など試される意義と目的も含めこと細かく説明してまいりました。
そうして理論を確立した上で、実戦を積み重ねるという方法で指導してまいりました。
同じ推薦入試を受ける葛西TKKアカデミーの塾生同士、お互いに見あって批評することで、自分の短所に気づき、他者の長所に学び自分にも取り入れるというやり方で、相互に技術を高めあってきました。
そうして臨んだ今回の推薦入試ですが、いい意味で予想を裏切られました。
先ほども述べた通り、推薦入試は狭き門であり、よほど大丈夫であろうと思える生徒でさえ落ちることがあります。
だから、今回の結果は非常に嬉しい誤算でした。
二人とも合格とは上出来です。
あまりにも嬉しいので今回ここで共有させていただくことにしました。
残りの一般受験の生徒も頑張れ!
今回の推薦入試の合格と受験生が志望校に決まったことはとても良い流れができていると感じます。
これで残りの一般入試の受験生も合格してくれれば何も言うことなしなのですが、こればかりはふたを開けてみないと分かりません。
とにかく先のことをとやかく考えても仕方ないので、入試直前の数週間を目の前の課題にしっかり取り組み、その積み重ねが合格につながるのだと信じて、毎日一歩ずつ勉強に励んでほしいと思います。
ここで気を抜かないように!
以前お話したことがありますが、合格した生徒はくれぐれも気を緩めないでほしいと思います。
確かにこれまでの苦労が報われ困難から解放されたのだから、羽目を外したい気持ちも分かりますし、自分たちの努力に見合う分だけ楽しい思いをしてもいいと思います。
しかし、気をつけてほしいのは、これで全て終わりではないということです。
いや、むしろこれからが始まりなのだということ。
推薦や私立に合格し早々と受験勉強を終了した生徒によくあることなのですが、受験が終わったからといって完全に勉強を忘れてしまい、遊びまくる生徒がよくいます。
でも、このような人が高校に入ってから苦労します。
高校の勉強は当然中学の勉強が基礎となっているので、その中学の勉強を忘れてしまうと、高校の新学期が始まったとたん落ちこぼれてしまう場合が非常に多いのです。
中学のとき優秀で推薦入試を合格した生徒が、高校が始まると意外と振るわなくなるのは、このような事情があるからです。
そうならないためにも勉強の習慣は継続し、むしろこのゆとりのある期間をチャンスとして利用して、これまでの中学の勉強を充実させ高校の勉強を先取りし、より他の生徒に差をつけるくらいになってほしいと思います。
また、未だに多くの受験生は受験勉強に頑張っているので、彼らへの配慮もお忘れなく。
もし逆の立場だったらと考えれば分かりやすいと思います。
浮かれる気持ちは分かりますが、彼らへの敬意と配慮も十分にお願いします。
何はともあれ、生徒が希望する進路に進めることは非常に喜ばしいことであります。
みんな本当によくやりました。
これでこれまでの厳しい日々から解放され一息つけます。
とりあえず今日はゆっくり休み心も体も整えて、希望満ちる新生活に向かって新たな一歩を歩み出してほしいと思います。
このようにこれまで苦楽を共にしてきた生徒が自分の望みをかなえ、更なる人生に向かって進んでくれることが分かると、私自身の苦労も報われたような気がして嬉しくもあります。
皆さんは素晴らしい生徒です。
今後の皆さんの人生が輝かしいものになることを祈っています。
そして、非力ではありますが、まだ私にできることがあればいつでも遠慮なく相談してください。
いつでも力になる用意があります。
2025.01.11
今日は鏡開き!飾ってあった鏡餅を食べて霊力を取り込み無病息災!
1月11日は鏡開きの日です。
これまでも折に触れて日本の年中行事についてお話してきました。
今回は「鏡開き」についてお話しようと思います。
正月になる鏡餅を飾る家庭も多いことと思います。
また、商店や会社でも福を呼び込もうと、鏡餅を飾っているところがたくさんあります。
ところで、鏡餅はいつまで飾っておくのがいいのでしょうか。
一般には鏡開きの日までと言われています。
地方によって多少差異はありますが、基本的に1月11日となっています。
鏡開きの由来
正月に神様をお迎えするとき、その神様が家での居場所として鏡餅を飾るようになりました。
だから、神様が鏡餅に宿っている間は餅を食べてはいけないのです。
カピカピになってひび割れてもグッと我慢です。
1月11日になってお餅を割って、神様をお送りしてから、神様の依り代となりその力を宿した餅を食べることによって、その力を授かることができると考えられています。
こうして新しい一年も家族が無病息災であることを祈るのです。
鏡開きの起源は戦国時代の風習によるそうです。
「具足祝い」と言って、正月に刀や武具の前に鏡餅を供え、それを下ろして食べたそうです。
ただし、この「具足祝い」は本来正月二十日にやっていたそうです。
しかし、三代将軍徳川家光が1月20日に亡くなったため、関東では11日に鏡開きが行われるようになりました。
鏡開きのやり方!意外と多いNG
鏡開きは、鏡餅を木槌や手で割ります。
伝統的な鏡餅であれば、正月から飾っている間に硬くひび割れていきますので、思ったより簡単に砕けます。
もし乾燥が不十分でなかなか割れないときは、鏡餅を半日ほど水につけ、電子レンジで温めて柔らかくしてから、手でちぎるという方法もあります。
このとき絶対にやってはいけないことは、刃物で餅を切ることです。
これは、もともと武士の風習なので、切腹を連想させる刃物を使うことはよくないとされ、手や木槌などで割るようになりました。
また、「切る」が「縁を切る」につながるともされ、包丁などで決して切ってはいけません。
「割る」という言葉も縁起が悪いとされるので、末広がりを連想させる「開く」という言葉を使います。
だから、「鏡割り」ではなく、「鏡開き」なのですね。
さらに、せっかく神様が宿って霊力をいただいた餅ですから、これを残すこともNGです。
有難い力をいただいて、一年の無病息災を祈るわけですから、たとえ小さなかけらと家でも残さず全部いただきましょう。
このように、意外とやってはいけないことが多いので、鏡開きのときは気をつけてください。
どうやって食べる?
こうやって鏡餅を開いて食べるわけですが、どのようにしてお餅を食べればいいのでしょうか。
普通は雑煮にして食べますが、魔よけの意味を持つ小豆と一緒にお汁粉にして食べるのも伝統的な食べ方です。
細かくかけらになったお餅は揚げて揚げ餅やかき餅にすると美味しいです。
塩だけでなく、いろいろなスパイスを試して味のバリエーションを楽しみましょう。
最近はお持ちのアレンジレシピも増え、ピザなど洋風の食べ方もお勧めです。
ということで、今回は「鏡開き」について話しました。
歴史のある日本では年中行事もたくさんあり、その由来や意味を知らべてみるのも面白いものです。
日本文化をより深く知ると同時に、家庭での楽しい思い出作りと、親子の交流のきっかけにもなります。
また、学習という点から考えてみると、年中行事は中学高校の入試試験で出てきたり、学校の授業の一環として話題になることもあります。
だから、年中行事を知り理解することは、教育という観点でも大事となります。
まだ家に鏡餅が置きっぱなしになっていませんか。
このように「鏡開き」について話し、子どもと一緒に餅を実際に割って、雑煮やお汁粉をいただいてみてはいかがでしょうか。
きっとお腹もふくれて、親子で楽しい時間が過ごせると思います。
2025.01.03
テストの結果が出ない生徒はどこまで勉強しないといけないか分かっていないのかも
英語などの検定試験や入試、それから定期テストに向けて、一所懸命を勉強している生徒も多いと思います。
葛西TKKアカデミーでも多くの生徒がテストに向けた勉強を頑張っています。
しかし、いくら勉強しても点数が上がらない生徒がいます。
原因はいろいろあると思いますが、もしかしたら自分がテストまでにどの程度できるようになっていないといけないのかを、正しく把握していないせいなのかもしれません。
私も試験対策等で生徒を指導していますが、中には「勉強の仕方が違うな」、「それでは勉強が不十分だな」と感じることもよくあります。
そこで今回は、テストの結果が出せない生徒の勉強について考えたいと思います。
「学習」から「習得」へ
一般に勉強においては二つの段階があると言われています。
第一の段階は「学習」です。
別の言い方をすると「知る・覚える」ということです。
まず、新しいことがあるのに気づき、それが何なのかを知らなくてはなりません。
自分で調べるにしても、教えてもらって学ぶにしても、新しい学習内容を理解する必要があります。
そして、そのことを記憶し自分の知識の一部にしなくてはなりません。
多くの生徒はこれまでが勉強と思い込んでいます。
しかし、本当は違うのです。
「学習」の次の段階である「習得」までやらないと、本当に試験や実生活で役に立つ勉強とは言えないのです。
「習得」は何かというと、学んだことを利用して試験問題を解いたり、活用して生活の中で発生した課題に対応できる段階です。
「学習」して知っていても、生徒たちがそれを使えるかというと、必すしもそうではありません。
実際に問題を解くとき、教わった手順に従って答えを見つけ出せるのか、または、これまで学んだことを全て活用し、組み合わせて解決の道が見いだせるのか。
そこまで勉強はやらないと、試験で結果の出せる勉強にはなりません。
ちょうど自転車に乗るのと同じです。
幼いころに自転車を乗る練習をしたことのある人は多いと思います。
最初、自転車の乗り方の説明を受けて理解しても、実際には乗れません。
理屈は分かっても、それを身に付け使いこなせるとは限らないのです。
「自転車の乗り方を知る」のが「学習」である、「その乗り方を身に付け実際に乗りこなせるようになる」のが「習得」です。
経験値を上げる→実際にやるしかない
ここで大きくものを言うのは「経験」です。
「学習」したことが本当に分かって、それを活用して問題を解けるかどうかは、実際にやってみないと分からないのです。
先ほどの自転車の例で言うならば、乗り方が分かっていても乗れるとは限りません。
実際に乗って、本当にできるかどうか確認しないといけません。
乗れなければ、乗れるようになるまで何度も練習が必要になります。
勉強も同じです。
「学習」で学んだこと(インプット)が、本当に問題を解くときに使えるか(アウトプット)、確認と練習が必要です。
多くの生徒はインプットばかり重視して、そこで終わってしまうのです。
「覚えれば使える」というのは大きな誤りなのですが、それを理解していないのです。
多くの場合、「分かったつもり」で実は「分かってはいない」ので、テストのときに結果につながらないのです。
よって、本当に「学習」を経て「習得」のレベルに達するように練習問題をたくさん解いて、「経験値」を増やしてください。
また、「学習」レベルでよく分からなかったことも、練習を通じて自ずから分かるようになることもあります。
問題を解いていくうちにだんだんとパターンが見えてきて、解法が自然と身に付くこともあります。
あるとき、いきなりひらめいたり気づいたりして一気に理解が進むこともあります。
このように経験を積みながら理解するということもあります。
「学習」を強化するためにも、問題をたくさん解いて経験を増やさなければなりません。
「できる」だけでなく「早く効率よくできる」しかも「正確に」
また、スポーツで練習を繰り返せば上達するように、勉強でも練習をすれば問題が効率よく早く解けるようになります。
経験値の低い生徒はこれができないため、時間が限られている試験やテストにおいて、時間内に解くことができないのです。
恐らく時間さえかければ生徒たちは解けるのかも知れません。
テスト勉強で悩み悩んでようやく問題が解けても、それはテストの本番では意味がありません。
時間制限があるのですから。
いつまでも考えることが許されていない状況もに、テンポよく時間をかけないで答えられるくらいにまでなっていないと、問題も解けず点数も上がりません。
だから、「知っている」だけではダメで、効率よく早く問題が解けるようになるには、繰り返し練習をしてうまくなる必要があるのです。
問題を見て瞬時に解法が浮かび、すぐに解けるようになるまで勉強しないと、テストや試験では役に立たないということです。
そして、注意すべきことは「早ければいい」という訳ではないということ。
よく「早さ」ばかり求めて、勉強がいい加減という生徒が見られます。
急いで早く終わらせたいばかりに、適当な勉強をするのです。
「計算で書かないで暗算をする」「なんとなくそれっぽいことを書く」などです。
ここで「自分の学習が不十分で、習得のレベルまで達していない」と理解して、もう一度一段階前から取り組めるといいですが、テストや試験で結果を出せない生徒たちはこれを怠る傾向があります。
また、いくら問題を解くのが早くても、解答が正しくなければ意味がありません。
まずは時間をかけてでも正確で丁寧に問題を解くことです。
スピードは練習すれば後からついてきます。
いくら早くても最初雑だったものを丁寧に正確にするのは至難の業です。
ここも練習を通して経験値を上げることが重要になります。
経験値が上がれば難問も解けるようになる
さらに、経験値が上がれば難問もより解けるようなります。
いきなり初見の問題に出会って、その答えをゼロから考えて見つけ出せと言っても、多くの生徒にとってそれは非常に難しいことです。
しかし、事前に多くの問題に当たり経験を積んでいれば、その蓄積の中に似たような問題があるかも知れません。
そんな経験があればそれが大きなヒントとなり、解法への糸口になるでしょう。
定期テストなどでは、恐らく「学習」「習得」レベルまでが期待されるでしょうが、入学試験や検定試験ではそれだけではなく、さらに上のレベルまで要求されます。
そんなときも経験が豊かであれば、問題が解ける可能性も高くなります。
だからこそ、このような試験において基礎の確認が終われば、経験値を増やすために「質より量」の勉強をお勧めします。
どうして練習をしないのか
このようにもっとアウトプットに重点を置いた勉強をして経験値を上げればいいのですが、成績の上がらない生徒たちはそれをしません。
どうしてでしょうか。
まず、「分かったつもり」だから「自分は出来ている」と思い込んで、練習をしないことが挙げられます。
「分かっている」と思いうから「する必要はない」と考え練習をやらないのです。
では、対処法は何でしょうか。
根本は本人の認識に関する誤解なので、自分ができていないことを自覚させることです。
実際に問題を解かせて、どれだけできていないかを示すのがいいでしょう。
ここで注意しないといけないことは、プライドの高い生徒は実は自分が分かっていないことを自覚しているのだけれども、それを明確に指摘されると自尊心が傷つけられるのを恐れ、そもそも問題を解こうとしないということです。
こういう場合は厄介ですが、自分の弱いところもさらけ出せるくらいの信頼関係を普段から築くことが大事です。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」という言葉が示すように、一時のプライドのためにその後の人生を大きく損なうことのないように諭す必要があります。
もう一つ、「面倒くさがりの心理」があります。
生徒たちはよく「面倒くさい」と口にします。
そして、「面倒くさい」と言えばやらなくて済むような考えがあるようです。
面倒くさいことをやらないのが合理主義のように思えますかもしれませんが、それは単なる怠慢です。
面倒くさくても、やらなくてはならないことはやらないといけません。
この点を誤解し、勉強しないでいい口実にしているようですが、全くの的外れです。
勉強は本来「面倒くさい」ものです。
その「面倒くさい」ものに直面し、試行錯誤、創意工夫し問題を解決するからこそ、脳や心の発達があるのです。
人間の脳は体と違い、何もしなくても成長するものではありません。
困難を乗り越える中でいろいろ考え、思考が深まり、育っていくものなのです。
「面倒くさい」と言ってその場しのぎの安易な判断で練習をせず経験を逃せば、それは翻って自分の不利益になることを十分に承知してほしいです。
テストや試験の点数が伸び悩んでいる生徒は、「どの程度まで勉強しないといけないのか」がよく分かっていない可能性があります。
確かに勉強はしていますが、十分ではないのです。
「一度覚えたから大丈夫」「一度解けたから大丈夫」と思ってそれ以上勉強しないので、テストや試験に対応できるまでの実力が付いていないことに気づいていないのです。
だからこそ、面倒くさがらず問題をたくさん解いて、真に理解しているか確認し、学習内容のより一層の定着を促し、さらに経験値を積むことで限られた時間内でもテンポよく解けるまで勉強しないといけません。
そうすれば、学んだ知識を正しく効率よく使いこなすことができ、テストや試験の点数もぐんぐん伸びることでしょう。
多くの生徒はインプットばかりに目がいって、アウトプットが疎かになりがちです。
しかし、結果の出る勉強にはアウトプットこそ重要だということに念を押したいと思います。
楽をして脳の発達はありません。
困難に直面して脳への刺激を増やすことで初めて可能です。
だから、苦しくても地道に頑張ってください。
そうすればきっと良い結果になって現れるはずです。
2025.01.01
新年あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとうございます。
2025年がスタートしました。
みなさまはどのような思いでこのときを迎えられましたか。
去年に引き続き、葛西TKKアカデミーは本年も生徒たちの支えになれますように、全力で頑張りたいと思います。
葛西TKKアカデミーの2025年は
いよいよ新年になりました。
去年に引き続き、皆様には葛西TKKアカデミーをご愛顧いただけますように、心からお願い申し上げます。
とは言え、葛西TKKアカデミーは特に何か変わる訳ではありませんが、これまで通り一人ひとりの生徒に向き合い、全ての生徒が明るい未来を歩めるように尽力したいと考えております。
年明け早々に共通テストが実施されます。
葛西TKKアカデミーでも今年は大学受験生が一人います。
国立大学を目指しているので、この第一の試練を無事通過できますように奮闘中です。
共通テストに関してはある程度の目途が立ってきたので、現在は本試験に向けた勉強を行っています。
また、同じく1月には高校受験の推薦入試もあります。
こちらも2名ほどチャレンジする予定です。
推薦入試は非常に狭き門であり、優秀な生徒でさえ落ちることがしばしばです。
結果はどうなるか分かりませんが、二人とも推薦入試に向けた対策講座を受けています。
小論文の書き方から面接まで、実戦を通して準備を進行中です。
その後、2月は高校入試の学力テストが行われます。
長い受験勉強の成果を発揮するときです。
葛西TKKアカデミーからは3人の生徒が今年は受験します。
全員持てる者の全てを出し尽くし、決して悔いのない受験をしてほしいと思います。
「やるべきことはやった、後は天命を待つだけ」と言えるくらいに出会ってほしいと期待します。
そして、入試のシーズンが終われば、新しい年度が始まります。
みんな進級し、新しい学校、新しいクラスでまた勉強です。
気持ちを切り替え、この一年を無事に過ごされるように祈っています。
葛西TKKアカデミーでは当座の予定などはありませんが、これまでと同じく生徒を支え、楽しい企画を通じて生徒たちが勉強に向き合えるように頑張ります。
ところでへび年ってどんな年?
ところでへび年ってどんな年なのでしょうか。
一般的には、「新しい挑戦や変化、成長、変革を象徴」する年だそうです。
これらは蛇の脱皮するイメージから生まれたようで、「復活と再生」も意味します。
よって、皆様も何か新しいことにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
蛇は恩を忘れずに必ず返す生きものと言われており、昔から豊穣や実りをもたらす神としてあがめ奉られてきました。
そういうところから日本全国国は蛇を祀る神社がたくさんあります。
山口県岩国市の白蛇神社なとはその代表格ではないでしょうか。
先ほど述べた「再生と復活」のイメージから、長寿や強い生命力につながる縁起のいい動物とされています。
よく「蛇の脱皮した皮を財布に入れておくと金運がアップする」などということは、皆さん聞いたことがあるのではないでしょうか。
このように、これまでの努力が実(巳)のる年とも言われるへび年は、これまで積み重ねてきた努力の結果を出す年とも言えるでしょう。
そして、新しいことに恐れずチャレンジしてみる年でもあります。
皆様もこれまでやったことのないことに挑戦してみてはいかがでしょうか。
2025年が始まりました。
この新しい年に期待と不安で心躍らせる人はたくさんいると思います。
葛西TKKアカデミーも新たな出会いにワクワクしております。
どのような縁でどのような人に巡り会うのでしょうか。
辛いことや苦しいこともありますが、少しでも前向きになって、未来ある子どもたちの光になれますように頑張ります。
今年も葛西TKKアカデミーをよろしくお願いいたします。
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