塾長ブログ
2016.08.28
なぜ勉強しなくてはならないの
「なぜ勉強しなくてはならないの。」と子供に質問されたことはありますか。
そのとき、どう答えましたか。
「テストのため。」「当り前、常識。」「そんなこと考えなくていい。」
どの答えも子供を納得させることはできません。
「テストのため。」と答えれば、子供はテストが終わったら必要ない、意味のないものと勉強を考えてしまいます。
「勉強なんか社会に出たら何の役にも立たない。」なんていうのは、こういう見方からきているのでしょう。
成績というもののためだけに10年以上の時間を費やすのに、この場合、生徒は価値を見出せなくなってしまいます。
ある程度勉強ができて、それなりの成績場残せる子供であれば、達成の可能性がある分、勉強の意味づけになるでしょう。
しかし、そうでない子供は早々に勉強の意味を失い、意欲をなくしてやらなくなる。
やらなければ成績はさらに悪くなり、その悪循環が続くのです。
「当り前、常識。」という答えも無責任で、説得力のないものです。
この「当り前、常識」には「多くの人がやっているから正しい」という独善的なニュアンスが含まれています。
でも、考えてみれば「多数」=「正義」とは限りません。
子供は敏感にそこを感じ取っています。
だからそこを答えてほしいのに、「当り前、常識」という言葉で強制的に議論を終わらせ、結局納得できないまま子供を置き去りにすることになります。
もやもやした気分のまま、たちまち子供は興味をなくして、勉強をやらなくなってしまいます。
そもそも、「当り前、常識」≠「永遠、不変の真理」なのです。
ましてや、「そんなこと考えなくてもいい。」は質問に対する答えになっていません。
皆さんならどのように答えますか。
答えられないのは、自分がそのような疑問を抱かなかったから、抱いたことを忘れてしまったからではないでしょうか。
人生でそのような疑問を抱く場面に遭遇しなかったのは幸運でしょうが、子供の勉強を考えるとき準備するに越したことはありません。
絶対の正解はありません。
しかし、子供の問いかけに対し、納得できる説明ができなければなりません。
実は、勉強ができないといわれる子供たちの多くは能力が無いからできないのではありません。
勉強の意義が見出せなくて、価値がわからず、強制されるから嫌いになってやらなくなの場合が多いのです。
つまり、本人ではなく、そうさせた大人たちの責任なのです。
だから、子供のためにも、この重要な疑問の答え、答え方をしっかり考えていきましょう。
当然立場上、私は私なりの回答を用意しています。
しかし、それを教えるだけでは簡単すぎて、あまり意味がありませんし、根本的な解決にはなりません。
まず自分で考えてみてください。
悩んでみてください。
その過程に多くの発見があるはずです。
もし、よい回答がありましたら、どしどしコメントお願いします。
そしてお互いに議論を重ねることによって、われわれもこの質問の本質の理解を深めたいと思います。