塾長ブログ
2019.04.06
新元号が発表されてから『万葉集』が空前の売れ行きとか。何はともあれ、古典に親しむきっかけになるといいですね。
先日、新元号が『令和』と発表されました。
いよいよ今月で『平成』も終わりかと思うと感慨深いものがあります。
ところで、この『令和』が元号として初めて中国の古典でなく、日本の『万葉集』から取り上げられたということで、今、本屋では『万葉集』関連の本が飛ぶように売れているようです。
新元号をきっかけに、元となった『万葉集』に関心を持った人がいかに多いか分かります。
書店では売り切れや品薄状態となり、ネットでも売り上げを急激に伸ばし、売り切れが続出とか。
出版社も緊急に重版を決定していますが、実際に刷り上がるまでには時間がかかり、しばらくは手に入りにくい状況が続きそうです。
ブームと言ってしまえばそれまでですが、これをきっかけに子供たちにも古典に親しんでもらいたいと思います。
学校では、古典は外国語の文章みたいでよく分からないものと思う生徒が多いようです。
単語を覚えたり文法を覚えたり、やっていることは英語と変わらず、外国語がもう一つ増えたみたいな感じ方を多くの生徒がしています。
英語と同じように、テストで点数を取るための手段であれば古典はつまらないものになるでしょう。
しかし、古典を書いた人は子供たちを苦しめるために書いたわけではなく、現代と同じように「何か人に伝えたい。」「気持ちや感情を共有したい。」というような目的で書いたはずです。
だから、今SNSでライトノベルを楽しむように、本来なら古典も楽しめるはずです。
ただ違いは、時代を経ることで言語が変化してしまったために、そのままでは分からない部分があるというだけです。
しかし、言語の違い・変化はあれど、人の心は共感でき、時代を超えて同じ日本人として理解できる部分は非常に多いのです。
個人的には、この共感を楽しみ、先人の考えを自分のものとして取り込めれば、きっと子供たちの人生に役立つし、より面白くなると思います。
だから、読むのは現代語訳版で解説付きでもいいと思います。
内容を分かってほしいです。
もちろん原文で理解できれば、より直接的で力強く心に触れるものがあるでしょうが、最初の一歩はそれでいいと思います。
楽しめれば知的欲求は刺激され、探求心が強まり自分から学びたいと思うはずです。
本当に古典は楽しいですよ。
ところで『万葉集』はご存知ですか。
三大和歌集として『古今和歌集』『新古今和歌集』と共に学校で学んだのではありませんか。
その中で最も古いものが『万葉集』で7世紀から8世紀に編纂された、日本最古の歌集です。
収められた歌は4500以上にものぼり、一般の人で全て読んだことのある人はほぼいないのではないでしょうか。
和歌の体裁も完成しておらず、お馴染みの五七五七七になっていないものもたくさんあります。
また、詠み人も貴族だけでなく、庶民や兵士、中には大道芸人も含まれているそうです。
また、誰が作ったのか分からない「詠み人知らず」の歌も半数ほどあり、この歌集が作者を基準に編纂されたものでなく、純粋に歌の良さで選ばれたことが想像できます。
自然をたたえるものや恋愛の歌だけでなく、子供をいとしく思う親の気持ちを歌ったり、旅先で詠んだもの、死者を惜しむものなど内容も非常にバラエティーに富んでいます。
『古今和歌集』と『新古今和歌集』がプロである貴族の歌集で、アーティストの素晴らしい芸術にすごいなと驚嘆させられるのに対し、『万葉集』の歌は素人の作った素朴なものが多く、「ああ、分かる。」と共感できる歌が多いように感じられます。
だから、『万葉集』の方がより身近で分かりやすいと思います。
因みに、新元号のもとになったのは「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の次の部分です。
『初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。』
天平2年(730年)の正月13日に、大宰帥の大伴旅人邸の梅園に山上憶良や下僚ら約30人が集まり催された「梅花の宴」の宴席で詠まれた32首(また後日6首が唱和された)の序文で、「…時は良き新春正月、外気は快く風は和らいで、梅は佳人の鏡台の白粉のように白く咲き、蘭は香袋のように香っている。…」という意味らしいです。
このことから九州の大宰府もにぎわっているとか。
いずれにしても、新元号の影響は様々な所で続きそうです。