塾長ブログ
2019.10.15
自分で考えることのできない子供が増えていると言われています。新指導要領では正解のない問題に取り組み解決できる人材の育成というが…。
よく、最近の子供は自分で考えることができないと言われます。
実際、私が生徒と授業で話すときも、答えが絞られないオープンクエスチョンでは「何を言えばいいのか分からない。」と答える生徒が多いです。
(「リンゴとミカンどっちが好き。」のように答えが限定されているのがクローズドクエスチョンで「好きな果物は何ですが。」のように答えが限定されないのがオープンクエスチョン。)
生徒の想像力のなさが原因ともいわれますが、答えを考える前にあきらめることがしばしばあるようにも思われます。
なぜこうなるのでしょうか。
本来、学ぶことは楽しいことです。
小学生低学年では勉強が嫌いという子供はほとんどいません。
好奇心が旺盛な子供は想像力の塊で、大人が思いもよらない発想で物語を話したり、絵を描いたりします。
しかし、学年が上がるにつれ徐々に創造的な活動が苦手になります。
今の教育は評価が重要視されます。
本来教育は子供の成長を目指し、その総合的な成長を評価すべきなのですが、残念ながら現実にはテストの得点による序列が評価になっています。
結果、音楽や絵画など創造的な活動は重要視されず、テストで点数化しやすい数学などの一般に言われる五教科が大切とされます。
入試手も五教科が基本で、それ以外の科目は受験には余計なもので時間の無駄だが学校でやらなければいけないからただやるだけという考えになっています。
五教科でも作文などの創造的な活動は採点に時間と手間がかかるので、テスト対策としては選択問題などクローズドクエスチョンが答えられるようになることが効率的な勉強となっていきます。
例えは「この文章を読んで主人公の気持ちを考えなさい。」という問題があります。
「こんなの分からないよ。こたえられるものか。」という声が聞こえます。
その通り。
でも、「気持ちを考えなさい」だから自分の考えたことが答えであり、そればどのような考えであっても正解です。
にもかかわらず、決まった一つの答えがあってその通りでないと正解ではないから分からないと言ってしまう。
実際にテストではこの手の問題は選択肢になっていて、「主人公の気持ちに最も近いものはどれか選びなさい。」というような問いになっています。
(「最も」と言うのがキーワードで、これで答えとなる選択肢を一つにします。つまり、良さそうな選択肢が複数あった場合、その中で比較して最も近いというのが判定基準になるのです。)
このように普段から与えられたものの中から選ぶように訓練されているから、当然自分から考えるのは苦手になります。
そしてその状況を作り出しているのは、手っ取り早く数値化して序列をつけるという評価方法なのです。
十分に時間をかけてじっくり考えることは許されず、しかも、全員が素晴らしいはダメで優れたものと劣ったものを作らないといけないのが今の教育です。
効率よく点数を取るためには問題を分析し、出題者の意図をくみ取り答えなければいけない。
そこには自分の意見や考えは必要ないのです。
どこに向かっていこうとも、あらかじめ引かれたレールの上を踏み外さずに進み、与えられたゴールにたどり着くことがよしとして刷り込まれている。
(因みに、自分の作品が入試問題に使われた作者がその問題を解いてみたところ、自分の考えていたこととは違うものが答えとされており、全く良い成績を修めることができなかったそうです。)
小学校から大学まで、いや大人になってでさえ、我々は標準化されたテストで与えられた選択肢の中から出題者の意図をくみ取り、それに合わせた答えを選ぶことを要求される。
確かにそれは序列をつけるうえでは手早く公平で、学習と言う意味でもある程度の成果を上げてきたのは否めません。
しかし、学びと言うのはそれだけでなく、もっと開らかれて自由であるべきだとも思います。
一応、今行われている教育改革では知識偏重ではなく自由な発想と論理的思考から自分なりの答えを導き出せることを目標に掲げています。
しかし、にもかかわらず評価方法は以前のままで、数値化された序列です。
正解のない問題に取り組みと言いつつ、試験には正解が用意されているのです。
これは大きな矛盾なのですが、文科省はそれには触れていません。
目的と手段があっていない場合、これまでの知識偏重で得られていた教養さえ失われるのではないかと危惧しています。
この教育の理想と現実が離れすぎているにもかかわらず、その差を埋める手立てがないまま制度を変えてごり押ししていることが問題と考えています。
今回の教育改革では大人の都合で振り回されている子供の姿がとても可哀想に思えます。
葛西TKKアカデミーではこの混乱した現状を踏まえつつ、子供たちが少しでも学びに対して前向きであるように努力したいと思います。