塾長ブログ

2020.10.10

あきらめの早い生徒たち。生徒たちと付き合って気になる言葉に「捨てる」というものがあります。彼らはなぜ簡単に「捨てられる」のでしょうか。

あきらめの早い生徒たち。生徒たちと付き合って気になる言葉に「捨てる」というものがあります。彼らはなぜ簡単に「捨てられる」のでしょうか。

葛西TKKアカデミーに通う生徒たちは必ずしも優等生ばかりではなく、むしろ成績が芳しくなく苦しんでいる者が多いです。
そんな生徒たちと勉強をする中で気になる言葉がいくつかあります。
これは今後、おいおいで触れていきますが、今日は「捨てる」という言葉について考えたいと思います。

よく「捨て問」(捨てる問題)なんて言いますが、どうせやってもできないからやるだけ時間の無駄、だからやらない方がいいという意味で使われます。
しかも、驚くべきことは、生徒の捨てるかどうかの判断が非常に速いこと。
一度やってできなければすぐに捨て問と判断し学習を放棄してしまいます。

「捨てる」ことに関していくつかあります。
第一にどうして早急に「捨てる」と言えるのか。
これは自分には無理ということが理由ですが、十分にやりもしないで第一印象で自分にはできないと決めつけてしまうことです。
自分が嫌なことに対して逃げの正当化になっているのでしょう。
でも、なぜ「捨てる」ことが正しいことになってしまうのでしょうか。

答えの一部は現在の社会的価値観があると思います。
我々は合理性を重視し、効率を優先する。
そうすることで無駄をなくし、生産性を最大限にする。
効率には時間の短縮も含まれているので、すぐに結果が出ないことはやらない方がいい。
更に、以前と違い生活がもので満たされるようになってきた。
服が破れたら繕って使うなんて言うのは、物が不足していた昔のこと。
修理する時間があれば、店で新しいものを購入した方が早い。
古いものは捨てるのが早い。

こうして捨てることに対する罪悪感は消え。
無駄なことはせず、なんても簡単ですぐにできるものが良い。
このような社会的価値観は子どもたちにも浸透し、彼らはこれを利用して、自分の勉強からの逃避をも間違っていないと主張するのでしょう。
だって、社会がそうすべきと言っているのだから。

しかし、勉強は手間のかかるものです。
簡単にできるものだけやるのであれば、勉強の幅は非常に狭まります。
むしろ、分からない問題に挑戦し、試行錯誤、紆余曲折する中で本来の学び以外の発見や気づきがあり、1の学びが2にも3にもなるのです。
そして、その気づきや発見こそ実は学びの喜びなのです。

しかし、現在の社会的価値観が子供たちの学びからの逃避を正当化させると同時に、学びの楽しさも奪っているのです。
勉強がつまらなくなるのも当然です。
学びの理想(本来的な意義)と現実との隔たりに教育の難しさが生じています。
現場で教える者として非常に苦しむところです。
現実に沿って学習を進めることが、場合によっては子どもの学びを弱めてしまうという事実は正しく理解する必要があります。
この矛盾を乗り越えられた時こそ、子供たちにも満足し社会からの欲求も満たす勉強になるのでしょうが、はっきり言って私には明確な答えを出せていません。
教育に携わる限り一生続く問題なのだろうなと感じています。
でも、悩みながらも常に子供たちのことを考え、彼らの幸せな人生に少しでも貢献できるようにあきらめることなく努力したいと覚悟しています。

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