塾長ブログ
2021.05.30
最近、「物覚えが悪くなった」「思い出したくても思い出せない」という若者が増えています。ひょっとすると「スマホ認知症」かも!
スマホが私たちの生活に根付いてずいぶん経ちます。
生活様式が大きく変わったと言っても過言ではないでしょう。
確かに、スマホは便利な道具で人々の生活を豊かにしたという側面は否めないでしょう。
しかし、同時にマイナスの面も多く指摘されています。
今回はそんなスマホとの付きあい方についての注意点をお話したいと思います。
スマホを持っている多くの人がもうスマホから手を離せなくなり、スマホが気になってちょっとでも機会があればすぐに開いてみてしまう。
歩いているとき、友達と話しているとき、勉強しているとき、食事をしているとき。
個人的な時間に限らず、よほど強く禁じない限りはスマホを見ずにはいられない。
スマホなしではもうまともに生きていく自信もない。
そんなスマホ依存症の問題が指摘されています。
スマホは素晴らしい道具ですが、道具である以上上手に使いこなさなければ、そのマイナス面を十分理解した上で活用しなければ、害悪の方が大きくなります。
今回の記憶とスマホの問題も使い方の問題と言えます。
「スマホ認知症」とはスマホを頻繁に使う若い世代を中心に、物覚えが悪くなったり、覚えていたことを思い出せない、とっさに言葉が出てこないなどの認知症のような症状が出ることです。
専門家によると、スマホへの依存やす別のことをしながらスマホをいじるなどの「ながらスマホ」によって脳内に異変が現れるそうです。
スマホは色々なものを調べたりするのに非常に便利なツールで、今や私たちの生活はスマホなしには考えられないと言ってもいいでしょう。
スマホは情報を収集し、集められた多くの情報を脳に入力することができます。
しかし、人間の脳は情報を入力する「インプット」だけでなく、その情報を整理し新たに思考や行動に役立てることができるように処理する「アウトプット」が必要です。
ところが、人間の脳はこの両者を同時に実行することができません。
「インプット」のときはそれに特化した活動を行い、脳は情報整理ができません。
その結果、覚えていたものが思い出せないなどと言うことが起こり、仕事の効率が悪くなります。
また、「インプット」に脳の活動が集中しているということは感情のコントロールもできないということになり、イライラしたり幸福感が感じられなくなったりします。
つまり、人間はただ情報を入力するだけでなく、それらを処理することも必要なのに、スマホの怒涛のような情報の洪水がそれを許しません。
インプットを中断し、情報を整理したり考えたりする時間が必要なのですが、それができないため記憶も定着しなかったり、整理されてないがため思い起こすことがうまくできなかったりします。
こうして「スマホ認知症」が発生するのです。
では、「スマホ認知症」になった場合どう対処すればいいのでしょうか。
先ずは、スマホを手放して物理的に情報入力をできない時間を作りましょう。
例えば、外に散歩に行って周りの自然や景色を楽しむとか。
脳の活動を正常にするためにも、何もしないぼーっとする時間が必要です。
睡眠も重要です。
睡眠中は情報入力が行われないので、その日の記憶を脳が整理し深く定着させます。
短期記憶を長期記憶に帰るのです。
だから、勉強をする生徒も十分な睡眠は必要で、寝ないで勉強するとかえって効率が悪くなります。
ましてや、ゲームやSNSでの交流で深夜まで起きている(時には朝まで)ことは言語道断です。
専門家によると、実は「能動的な情報収集」は問題がないそうです。
自分の「アウトプット」のために意識的に情報を集めることです。
例えば、本や映画を見ることが能動的なアウトプットを意識した行動です。
問題は自分で積極的に情報を集めようと考えず、ただ、だらだらとネットを見たり動画を見たりすることです。
だから、「スマホ認知症」を防ぐためには節度あるスマホの利用時間と意識的な情報収集が大事となります。
今の子供たちは色々な意味で私たちの時代と違い、だからこそ私たちも経験なくアドバイスできないこともたくさんあります。
特に新しいツールは注意が必要です。
益にも害にもなるからです。
だからと言って一方的に禁止するのは賢いやり方ではありません。
多くの利点を失うからです。
最善の均衡点を見つけなければなりません。
これから学校でも一人一端末と言うようにデジタル化が一層進むと予想されます。
今まで誰も経験したことのないことをするときは、あらゆるリスクを想定して対処しなければなりません。
「スマホ認知症」もその一つですが、大事なのはみんなが正しく理解し合意を持ってツールを使えるか(使いこなせるか)ということです。
教育が変わろうとしている現在、これに限らず多方面で混乱が起きています。
確かに文科省の唱えるようになれば、これまでにない画期的な教育で生徒にも多大な利益があるでしょう。
でも、もし理想通りにいかなかった場合はどうするのかにも焦点を当てる必要があります。
しかし、今のことろ文科省はそのような点は現場に丸投げという態度です。
無責任にも思えますが、日本の将来を担う子供たちを真剣に思っているならば、「上手くいきませんでした、すみません」とならないように心を据えて取り組んでほしいです。
失敗のつけが子供たちに来ることだけは絶対にないようにと願うばかりです。