塾長ブログ

2021.06.17

いじめの発生しやすい教室って…。

いじめの発生しやすい教室って…。

いじめは私が子供のときからあった問題で未だに解決されていません。
それは問題そのものの複雑さと繊細さに加え、対応する現場の問題、教育に関わる者たちのいじめに対する認識と姿勢など、その要因は多岐にわたって考えられます。

しかし、いじめが多い学校とそうでない学校があるのもの事実。
また、同じ学校でもいじめが起きやすいクラスと起きにくいクラスがあります。
従って、何かいじめを引き起こしやすいファクターがあるのではないかと考えるのは妥当なことでしょう。

当初はいじめる者といじめられる者の二者間の問題と扱われましたが、時代が経つにつれ彼らを含むクラスや部活、友達グループと個人から集団へ、そして環境へといじめに対する研究やアプローチも変わってきました。
その中で、同じ学校でも教室ごとにいじめの起こりやすさが違う点に関して考察したものがありました。

教室は大きく二つのタイプに分けることができるそうです。
一つは、ストレスが多く人間関係がギスギスした教室。
もう一つは、ストレスが少なく人間関係が良好で皆がにこやかに安心して過ごせる教室です。
当然、前者にはいじめが起こりやすく、後者では少なくなります。
両者を分けるものには、たまたま集められた先生や生徒間の相性などという偶然によるものもありますが、教室の運営方法など人為的要因も関わっているようです。

いじめの原因を考えたとき、生徒の持つストレスが原因であるとする説があります。
学校や普段の生活で感じるストレスを発散しようとしたとき、学校という制約の厳しい環境では、その発散方法が限られてくるため、いじめを始め非行や不登校という行為が発生すると考えます。
こんな時、いじめる生徒はいじめを比較的面白いゲームのように捉え、ストレス発散に利用するのです。
ここで注目してほしいのは、他により良いストレス発散方法が見つかると、いじめをする必要がなくなり、やがていじめる人間もいじめをしなくなるということです。

ただ、問題は学校という環境が非常に厳しい制限を生徒に課していることで、いじめをなくすにはいじめ以外のストレス発散方法をそれぞれが見つけると同時に、生徒一人ひとりの個性を尊重し、各々が比較的自由に活動できる雰囲気を教室内に築く必要があります。

どういう教室でいじめが起きやすいかを調査研究したものはたくさんありますが、その中で指摘されることの一つに
「体罰の多い教室はいじめが発生しやすい」というものがあります。

これは先生が体罰をすることで、生徒に暴力や制裁を容認するメッセージを送ってしまっているということらしいです。
肉体的精神的に何らかのダメージを与えることで、その苦痛を嫌って生徒は言うことを聞き、先生が望ましくないと思うことをしなくなるのですが、ここから正義の名の下(何が正義かという点は非常に疑問が残りますが)であれば特定の生徒に対して暴力など苦痛を与えることも許されるのだと生徒は受け取ってしまうのです。

また、体罰自体が生徒により多くのストレスを与えているということも、体罰がいじめのきっかけになる理由の一つになります。
体罰を与える先生は普段から生徒に対して厳しい指導をする傾向が強く、暴力だけでなく、怒鳴ったり、無茶な課題を課したり、理不尽な理屈で生徒を否定したりします。
こうして普段から過剰なストレスにさらされた生徒がその発散のためいじめに走ることが容易に想像がつきます。
更に、このような教室では指導を受けた生徒だけでなく、その周囲にいる生徒もそれを目撃して意欲が低下すると同時に、体罰を受けている生徒と同様のストレスを感じるようになるそうです。

このように生徒指導ということで、生徒に対して無自覚に行き過ぎた先生に当たってしまった場合には注意が必要です。
本来、一人の対等な人間として生徒と接している先生ではそのようなこともないのでしょうが、人間はとかく権威を与えられると自分が強く偉くなったように感じ、自分の思う通りにならなかった時には、相手を見下し自分の正義を信じ切って普段やらないような理不尽なことでもしてしまいます。
これは学校だけではなく、実は大人の社会の中でもあることです。
つまり、子供のいじめがなくならないのは、多少は形が違っていても実は大人たちもいじめをしているからとも考えられるでしょう。
よく「子供は大人の鏡」なんて言いますが、子供は実によく大人を見抜いて感じ取っています。
子供に問題が起きたとき、襟を正すべきは我々大人ということは覚えておいていいと思います。

体罰が常態化した教室では生徒の感じるストレスが増大し、いじめの標的になる生徒も増え、しかも、長期的になる傾向があります。
そして、いじめがどんどんエスカレートし、より深刻になっていきます。
こうして体罰は体罰を与えられた生徒の心や体に傷を負わせるだけでなく、周囲の人間を巻き込んでいじめを起こしやすくします。
「生徒指導」としてみんなの前で辱めを生徒が受けるのを見て、周りの生徒も「先生からしょっちゅう指導を受けるダメな生徒なんだ」と認識し、その生徒をからかい馬鹿にし始め、先生がするように「自分たちもこの生徒ならいじめても許される」と考えます。
当事者の生徒は自尊心を失い、「自分はダメな人間だ、生きていても意味がない、明るい未来や希望なんてある訳ない」と思うようになります。
そして、行き過ぎた生徒指導は最悪の場合、自殺という悲惨な結果になることもあります。

自殺をした生徒を調べてみると、他の生徒の前で叱咤されたり理不尽なことで恥をかかされたりして、「もうここにはいたくない」と感じていることが多いです。
そして、自分の居場所が学校や家庭から失われ、逃げ場がなくなったとき、自殺という最終手段に生徒は出るしかなくなるのです。

このように先生の体罰がその生徒にレッテルを貼り、いじめを助長するのです。

そもそもなぜ先生は行き過ぎた「生徒指導」を行ってしまうのでしょうか。
「生徒がまっとうな人間になるため」「規則を守らせ、社会の規律の大切さを身をもって覚えさせるため」
いろいろなケースがあるので一概には言えませんが、本当に生徒のためなのでしょうか。

「生徒のため」と思い込みつつ、または正当化しつつ、実は先生自身のためだったりします。
「学校では問題を起こしてはいけない」「起きたときは内々に処理し表に出ないようにしなくてはいけない」
いつの間にかこのような不文律が多くの学校でできています。

そのため生徒を自分のコントロールの下に置かなくてはならない。
そのために自分の権威を見せつけるため、特定の生徒を見せしめにして、全生徒に力を見せつける。
その格好の手段が「生徒指導」という名の体罰であったりします。
(そもそもブラック校則という言葉があるように、学校の決まりそのものも理不尽で訳の分からまいもの、時代遅れのものが多くありますよね。)

学校というところは外部からなかなか見えにくい閉鎖空間です。
そのため実態を把握しにくい場所でもあります。
だから、外部にいる保護者などには学校で今何が起きているのか正確には分からず、学校を信頼して子供を通わせるしかありません。
もちろん素晴らしい学校もたくさんありますが、多くの問題を抱えている学校が存在するのも事実です。
今回は先生による体罰がいじめを助長するという話でしたが、もし、これが現実に皆さんの学校でも起きていた場合、子供の命を最優先に守らなくてはいけません。
学校でいじめられ居場所がなくなったとき、周囲の人間とのつながりを断ち切られ孤独になったとき、そして、今の自分の存在意義を見失い未来に希望が見つけられなくなったとき、これまで多くの若い命が犠牲となりました。

葛西TKKアカデミーはこのように将来のある子供たちが悩み苦しみ、そして最悪の選択肢しか残されなくなることを見過ごすことはできません。
そんなときは必ず葛西TKKアカデミーにご連絡ください。
ここが皆さんの居場所になります。
そして、心の支えになります。
いじめに耐えられず、自分がなぜ生きているのか、生きていかないといけないのか分からなくなったときは、ここに来てください。
お願いします。

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