塾長ブログ
2021.11.01
来年度から始まる新教科「公共」って何?
学習指導要領が新しくなり、勉強の内容も入試の方法も大きく変わっています。
新しい変化は勉強に限らず、課外活動や学校生活にまで及びます。
そんな教育改革の時期にコロナ禍が重なり、現場の教師や生徒は大混乱。
そして、この変化は今後も段階的に進みます。
今回は来年度より新たに実施される必修科目「公共」に注目してみたいと思います。
この必修科目「公共」は「現代社会」の廃止に伴い新しく設置されました。
この科目では、社会に出たときに必要となる基本的な知識や現状を知り、現実の社会で直面する課題にどう取り組むかと考えます。
裁判や選挙を授業の中で実際に模して体験し、政治や社会への参加、働く意義、安楽死問題など当事者の立場で捉え多面的に学習します。
このような性質を持つ科目なので、授業の内容もこれまでの知識主体暗記型の勉強とは大きく異なります。
単に用語や経緯、考え方を解説し記憶させるだけではなく、「どうしたらワークライフバランスが取れるか」「政権にはどのような政党の組み合わせが望ましいか」などこれまでの「現代社会」にはなかった思考力が求められる内容や、テーマに基づいて生徒たちが考え議論ができるような内容となっています。
こうして現代社会の課題に取り組み解決できる人材の育成を目指し、自己と社会との関係を理解し主体的に社会に参加し、他者と協力してよりよい社会ができるようにします。
学習活動としては、実際にインタビューをして地域の課題を探り、問題解決に向けて請願書を書いてみるなど実践を伴ったものとなっています。
その際、情報収集や処理、プレゼンテーション作成に当たっては学校のコンピューターなどの設備を利用し、生徒が主体的にICTなどを活用できるようにします。
当然、その際には情報モラルやメディアリテラシーについても指導するようで、高校教育のみならず日本の教育全体で活発に導入が進められているITC教育との連携が期待されています。
このように生徒が主体的に考え、自分たちの意見を発表させる機会が増えることが予想され、それは現在文科省が推し進めているアクティブラーニングの流れとも合致します。
先ほど触れた模擬裁判や模擬選挙など生徒たちに実際に体験させるだけでなく、討論やディベート、プレゼンテーションや外部への発信など、かなり時間のかかる活動も含まれ(特にこのような活動に不慣れな生徒たちがどれだけこなせるかは大きな疑問として残りますが)、きちんと与えられた期間内に全て学習できるのか心配です。
これだけ濃い内容ですので全てに触れることは不可能と思われますので、恐らく学校側がカリキュラムにおいて学習内容の取捨選択をするのではないかと思います。
これらの学習内容の選択に加え、担当教員を始めとする学校側の提供できる教育の質によっても、生徒が何をいかに学べるかが変わってくると考えられます。
つまり、学校によって教育のムラに差ができ、同じ「公共」の単位を取得しても、学校によって生徒が身に付けたスキルに大きな違いが生じると思われます。
教育の平等性と公平性に疑問が抱かれます。
特にアクティブラーニングの導入は教える側の技量によって、生徒の学びにこれまで以上に差が生じることから、生徒の学力が学校で決まるという命題がますます明確になっていく気がします(これは新しい教育全体に言えること)。
また、外部のリソースへのアクセスが可能かどうかでも、生徒が学べる内容に差が生じるでしょう。
このような「公共」の特性を鑑みるに、単純にペーパーテストで答えがあっていればマルという、これまでのような評価法はこの科目には馴染まない気がします。
プレゼンテーションや授業外での活動、個人個人の思考(意見は個人の自由であり明確な正解はない)をどうすれば公平に評価でき数値化できるのでしょうか。
生徒たちの成績を数字をもって決めるという、これまでの古い評価法はそのままで、でも、学習内容はどんどんそれに合わなくなっている。
この矛盾をどう解消するかが一つの課題であり、現在進行中の教育改革の成否に大きく関わる問題だとおもいます。
アクティブラーニングの評価は相対的なものではなく絶対的なものが望ましく、公正な判断のできる裁定者の主観で判断するのがベストでしょう。
しかし、この方法ではどうしても公平性に欠けるという指摘は免れないでしょうし、結局、試験などの序列を要求される教育体系においては上手くいかないでしょう。
結果として、妥協的なものとなり、文科省の掲げる理想には届かず、かと言ってこれまで暗記型教育が担保していた教育水準にも届かないという事態が起こるのではないかと危惧しています。
指導要領の改訂により「公共」の他に「情報Ⅰ」「言語文化」「地理総合」「歴史総合」「総合的な探求の時間」など新しくできた必修科目(選択科目も加えるとかなりの量となります)についても後日触れたいと思います。
「公共」を含め必修となる科目は当然大学入試でも出題される範囲で、そうなるとやはり教育を提供する立場の者はもっとしっかり考える必要があります。
教育は今、激動と混乱の時代を迎えています。
落ち着くまでには数年から何十年かかるかもしれません。
しかし、その間にも多くの生徒が教育を受け、例えそれが不十分な内容であっても、彼らには他に選択肢はないのです。
そして、十分でない教育であっても彼らはそれを基に受験を闘い、将来の人生に向けて歩んでいかないといけないのです。
人の人生を左右する大きな課題、その意味を自覚し文科省を始めとする日本の公教育は、責任ある教育の提供にいそしんでほしいと思います。