塾長ブログ

2023.04.30

発達障害をご存知ですか?教育で注目されているワードです!

 

発達障害をご存知ですか?教育で注目されているワードです!
「発達障害」という言葉をご存知でしょうか。
最近教育において注目されるワードの一つです。

子供が「落ち着きがない」「上手く言葉がしゃべれない」「人の話を正確に理解できない」「注意力や集中力がない」などの問題点が見られたとき、これまでは単に「そういう性格」「頭が良くない」「ふざけている」として本人が悪いと叱りつけたりしたことはありませんか。
自分が考える普通と異なる言動をする子供に対して苛立ち、頭ごなしに怒りをぶつけたりしたことはありませんか。
他の子供と同じようなことができず集団行動が苦手で、先生がいくら教えても勉強についていけない。
当然、学校の成績は芳しくありませんが、それは本人のやる気がないからなどと酷評される。

これまでは上記のような対応が一般的で、問題児として教育においても困った存在、トラブルメーカーとして認識されていました。
そして多くの場合、本人の責任または育て方の問題とされ、当事者や家庭が問題解決の主体と見なされていました。

しかし、最近の研究によるとどうもそういう場合ばかりではないことが分かってきました。
どうもこれは生来のもので、脳の働き方が一般の生徒と違うらしいのです。
このような時、一般的に「発達障害」と考えられるようになり、教育において医学的アプローチができるようになってきました。
因みに、「発達障害」は子供特有のものではなく、多くの大人たちも自分や周囲が「発達障害」と分からないまま、日常を生活しており、仕事や社交なとで問題となっています。

今回は子供の「発達障害」に注目して、いろいろ議論したいと思います。

「発達障害」の種類

1.ADHD(注意欠陥多動性障害)
他の一般的な同年代の子供に比べ、不注意(集中力がなく忘れ物や紛失物が多い)、多動性(じっとしていられず、騒いだり動き回ったりする)、衝動性(我慢ができず、列に並ぶなど順番を守れない)という特徴があり一クラスに二、三人くらいの割合でいると考えられています。
ただし明確にADHDと言えないものも多く、その子がADHDと気づかれることなく大人になってしまう例も多々あります。
その原因は脳内の機能障害で、神経伝達物質が正常に機能せず、これらの症状が現れるそうです。
2.LD(学習障害)
特徴としては、話すことや読むことが苦手で、書くことや計算も得意ではありません。
また、推論することも困難で一般的な「勉強」でなかなか問題が解けません。
症状によって読字障害、書字障害、算数障害と細かく分けられます。
人により症状の現れ方が異なり、気づかれにくいことも多く、診断が非常に難しいです。
脳機能の障害と考えられていますが、その部位や原因はまだ特定されていないそうです。
3.自閉スペクトラム症
コミュニケーションが苦手で言葉や視線、表情や身振りでお互いにやりとりするのが困難です。
自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを読み取るのも得意ではありません。
特定のことに執着したりこだわりが強かったりします。
また、光や音などの感覚が過敏であることもあります。

「発達障害」が導入された意義

これまで勉強ができなかったり、学校で集団行動ができなかったり、先生や親の言うことが聞けない生徒は問題児として扱われてきました。
その原因も、単に頭が悪い、性格や考え方に問題があるとして基本的に本人の問題または、本人をそのようにさせた育て方の問題と考えられてきました。
そして、その対策も強制的に勉強させたり指導したりというもの。
しかし、多くの場合そのような対応は上手くいかず、本人を余計に内向的にさせたり反抗的にさせたりすることもよくあります。
周囲からダメ人間のレッテルを貼られ、落ちこぼれとして学校生活を送らざるを得ない。
または、学校での生活に馴染めないため登校ができなくなることも。

「発達障害」という考え方に対する注意点

教育の放棄!?
このように教育において、期待される平均的なことができない生徒に対する新しい考え方として、「発達障害」という考え方が導入されるようになりました。
前述の通り、このような行動を起こす生徒の中には脳内の働きに問題があり、それを医学的アプローチを以って対処改善するのが良いと考えられるようになりました。
このように教育に医学的アプローチが導入されたことは非常に画期的であり、教育の問題に新たな手法が加わったことは望ましいことでもあります。

ただ、医学的にも未解明の部分も多く、一般の勉強が苦手な生徒と発達障害によって勉強ができない生徒との境界線もはっきりしません。
よって懸念されることの一つとして、勉強ができない、学校生活がうまくできないからと言って、そのような生徒を全て発達障害と見なし、教育的アプローチを放棄し医療に丸投げしてしまうことがあります。
本来は教員や親など教育に携わる人間がそのこと真剣に向き合い、互いに理解しながら改善すべきです。
しかし、これは非常に手間を時間がかかり、時には相互に辛く苦しい思いもします。
そのような大変な仕事が教育ですが、そんな困難から逃げ出す方便に発達障害た使われるのならば、本末転倒です。
本当に障害なのか?
「障害」という言葉を聞くと、非常に大きな問題で人生の希望が一気に消えてしまうような印象を持つかも知れません。
しかし、「発達障害」とはその生徒にとって「障害」なのでしょうか。
先ほど述べたように、一般の生徒と発達障害の生徒を明確に隔てることは難しく、多くはその中間のグレーゾーンに位置しています。
仮に発達障害と診断されてもその中身は千差万別で、中には一般生徒と何ら変わりがなく、ただ勉強が苦手なだけではないかと思える生徒もいます。
何か薬を投与しなくてはいけないという訳でもなく、手術が必要という訳でもありません。
そう考えると「発達障害」というネーミングは誤解を招きかねないので、再考の余地がある気がします。
「障害」と聞くだけで周囲の目も変わるでしょうし、本人の自分に対する認識にも影響があると思います。

また、「発達障害」と診断されたことが本当に障害なのか、それとも様々な個性の一つなのかという疑問もあります。
教育、特に学校という枠組みに上手くはまらないという理由で「障害」と認知するのはいかがなものでしょうか。
全ての生徒をたった一つの仕組みに合わせるのが教育とは思いません。
むしろ、様々な個性を持つ生徒が全て健全に成長できるよう、多様性に合わせた教育が提供できることが肝心だと考えます。
その生徒の持つ特性が学校という制度に合致しなくても、それを障害と見なすのではなく、一つの個性として尊重し生かし伸ばそうと尽力するのが教育ではないでしょうか。
このような視点に立ってみると、実は「発達障害」と呼ばれる生徒たちも大きな可能性の宝庫であると考えられます。
「障害」として非難すれば、その生徒は心に傷を負い委縮して自己否定をし、結果、希望も見いだせなくなるでしょう。
人間生きるのには希望が不可欠です。
しかし、「できない」ではなく「できる」に注目すれば、その生徒も自分に自信がつき、自己肯定感が身に付き、自主的にチャレンジするようになって、明るい未来が見いだせるようになるでしょう。
従って、「発達障害」という言葉のイメージに引っぱられて誤った対応をしないように気をつけなくてはなりません。



教育はとても難しい問題であり、こちらの期待する通りに生徒が答えてくれるとは限りません。
そこに「発達障害」という概念が教育に導入され、医療という新しい手法が使えるようになったことは、より良い教育を目指すうえで非常に有効であると言えます。
しかし、「発達障害」が単に教育の逃げや生徒に対する誤った認識の要因になるようならば注意が必要です。

「発達障害」かと思っても、自分の勝手なイメージで生徒を判断するのではなく、専門家の診断を仰ぎましょう。
そして、正しく「発達障害」に向き合いましょう。
どのような生徒でも自己実現ができるように、適切に支えてあげることが重要です。

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