塾長ブログ
2016.09.06
中間テストの勉強
中間テストが近づいてきました。
勉強の方ははかどっていますか。
定期テストのポイントは二つ。
まず、提出物は必ず終わらせ、期限を守って出すようにしましょう。
これが成績に直結しますし、出せば評価してもらえるのでお得です。
計画立ててやりましょう。
できればテスト前まで待たず、学校で習ったときにその範囲をした方が、余裕を持って勉強できます。
もう一つは、教科書、ワーク、ノートをしっかり繰り返し確認しましょう。
定期テストは授業の内容が出るので、基本的にこの三つを確実に見直して内容を把握していれば大丈夫です。
他の問題集などをやる前に、学校の教材をやって、授業でやったこと、先生が話したことを思い出しながら勉強するといいでしょう。
そして余裕がある場合にのみ、問題集などで確認、演習をして力を伸ばしてください。
時間はあまり残されていませんが、以上のことに重点を置いて勉強しましょう。
分からないときは遠慮なく葛西TKKアカデミーで質問してください。
全力でサポートします。
塾生でない方も、この機会に当塾を体験してみてください。
2016.09.02
間違えるのに臆病な子供たち
「分からないからやらない。」という生徒がいました。
分からないから色々考えてみるという思考はないようです。
どうしてやってみないのでしょうか。
理由はいくつか考えられますが、私が実際に感じるのは「間違えるくらいならやらない。」というのがあります。
問題はなぜ「間違える」ことの方が「やらない」ことより生徒は恐れているのかということです。
私が思うに、大人たちは「間違える」ことを許してこなかったからでないでしょうか。
間違えれば×、0点。
まるで「間違える」ことは罪のように扱ってはいないでしょうか。
このようにして、生徒は「間違える」ことは悪いこと、やってはいけないことという認識が定着したのではないでしょうか。
だから「間違える」ことに臆病になり、やって「間違える」よりは、やらないで「間違えない」方を選択する。
人間、「間違える」ことは当たりまえ。
なぜなら人間は完璧ではないからです。
人間は「間違える」ことから学ぶのです。
別の言い方をすると、間違えを許さないということは、試行錯誤の機会を奪うということになるのです。
子供の学びを考えたとき、我々は「間違える」ことに対してもっと寛容になっていいのではないでしょうか。
誤りから得た教訓は実感として身につき、説得力のあるものとして生徒の中に残ります。
これが本当の学びではないでしょうか。
全ての過ちが許されるというわけではありませんし、いつまでの許されるべきと言うつもりもありません。
しかし、成長の途上にある子供たちには、もう少し長期的な視点で接してもいいと思います。
結果の点数のみ、合理性から早く答えを導くことを要求される教育では、これは至難でしょう。
でも、そこで失われるものを考えると、果たして何が彼らのためか再考すべきではないでしょうか。
2016.08.30
その後の緑のカーテン
2016.08.28
なぜ勉強しなくてはならないの
「なぜ勉強しなくてはならないの。」と子供に質問されたことはありますか。
そのとき、どう答えましたか。
「テストのため。」「当り前、常識。」「そんなこと考えなくていい。」
どの答えも子供を納得させることはできません。
「テストのため。」と答えれば、子供はテストが終わったら必要ない、意味のないものと勉強を考えてしまいます。
「勉強なんか社会に出たら何の役にも立たない。」なんていうのは、こういう見方からきているのでしょう。
成績というもののためだけに10年以上の時間を費やすのに、この場合、生徒は価値を見出せなくなってしまいます。
ある程度勉強ができて、それなりの成績場残せる子供であれば、達成の可能性がある分、勉強の意味づけになるでしょう。
しかし、そうでない子供は早々に勉強の意味を失い、意欲をなくしてやらなくなる。
やらなければ成績はさらに悪くなり、その悪循環が続くのです。
「当り前、常識。」という答えも無責任で、説得力のないものです。
この「当り前、常識」には「多くの人がやっているから正しい」という独善的なニュアンスが含まれています。
でも、考えてみれば「多数」=「正義」とは限りません。
子供は敏感にそこを感じ取っています。
だからそこを答えてほしいのに、「当り前、常識」という言葉で強制的に議論を終わらせ、結局納得できないまま子供を置き去りにすることになります。
もやもやした気分のまま、たちまち子供は興味をなくして、勉強をやらなくなってしまいます。
そもそも、「当り前、常識」≠「永遠、不変の真理」なのです。
ましてや、「そんなこと考えなくてもいい。」は質問に対する答えになっていません。
皆さんならどのように答えますか。
答えられないのは、自分がそのような疑問を抱かなかったから、抱いたことを忘れてしまったからではないでしょうか。
人生でそのような疑問を抱く場面に遭遇しなかったのは幸運でしょうが、子供の勉強を考えるとき準備するに越したことはありません。
絶対の正解はありません。
しかし、子供の問いかけに対し、納得できる説明ができなければなりません。
実は、勉強ができないといわれる子供たちの多くは能力が無いからできないのではありません。
勉強の意義が見出せなくて、価値がわからず、強制されるから嫌いになってやらなくなの場合が多いのです。
つまり、本人ではなく、そうさせた大人たちの責任なのです。
だから、子供のためにも、この重要な疑問の答え、答え方をしっかり考えていきましょう。
当然立場上、私は私なりの回答を用意しています。
しかし、それを教えるだけでは簡単すぎて、あまり意味がありませんし、根本的な解決にはなりません。
まず自分で考えてみてください。
悩んでみてください。
その過程に多くの発見があるはずです。
もし、よい回答がありましたら、どしどしコメントお願いします。
そしてお互いに議論を重ねることによって、われわれもこの質問の本質の理解を深めたいと思います。
2016.08.07
緑のカーテン
2016.08.02
大横綱を振り返って
一昨日、元横綱千代の富士、九重親方が亡くなられたそうです。
突然の訃報に驚くばかりです。
私も子供のころ、テレビで大きな力士を正面から受け、投げ飛ばす横綱の姿を見て憧れたものでした。
正々堂々と取り組み、そして強い。
圧倒的な強さを感じ、私もファンになっていました。
引き締まった肉体、精かんな顔つき、どれを取っても他の力士とは違い、ただただ格好いいと言うしかありませんでした。
だから、千代の富士が引退して以降は、相撲中継も見ることはなくなってしまいました。
しかし、力士としての彼の肉体的には決して恵まれているものではありませんでした。
小さな体、多くの怪我。
それでも破りがたい記録を打ち立て、横綱にふさわしい貫禄と品格を持って、当時の相撲界を引っ張っていました。
それができたのは、自分のマイナスを受け止め克服する強い精神的があったからだこそと思います。
人間、自分の嫌なこと、不利になることはどうしても目をそむけたくなります。
でも、そこから逃げてばかりでは根本的解決にはならず、自分をどんどん小さくしてしまいます。
現実の自分と向き合い、酔いも悪いもすべて受け止めたうえで、どうするか考え行動する。
そこに成長のチャンスがあるのです
頭ではわかっていても、実行するのは容易ではありません。
そういう点で、横綱は尊敬に値します。
自分もそうありたいとつくづく思います。
生徒たちも自分が何をなすべきか、自分がどういう状況なのか、よくわかっています。
ただ、それに向き合い行動する勇気がなかなか出ないのです。
どうしても自分の弱さに負けて、見て見ぬふりをしてみたり、先延ばしにしたり。
でも、それは誰もが持っているものです。
怖いのは当たり前、みんなそう。
弱さを批判するのではなく、それでも勇気を持ってやればできるのだということを教えたい。
そうすれば生徒の勉強への姿勢も変わっていくでしょう。
2016.07.27
胡蝶蘭をいただきました
2016.07.27
夏期講習
今週から夏期講習も始まっています。
暑い一日、家ではなかなか勉強に手がつかないと思います。
そんな時こそ葛西TKKアカデミー!
快適な環境で自習やり放題!
分からないときは先生に質問もできてお得。
夏休みで生活のリズムも崩れがちなので、葛西TKKアカデミーでリセット。
課題もとっとと済ませて楽しい夏休みを過ごしましょう。
塾生でなくても、是非訪ねてきてください。
大歓迎です。
まずは体験し、その良さを実感してください。
- «
- 83 / 83