塾長ブログ
2017.05.28
こんな先生は嫌だ
日々、生徒と付き合っていると、彼らが非常に不満とストレスを抱えていることが分かります。
丁度思春期に当たる彼らは、それまでの子供から大人への過渡期において、様々な矛盾に直面し悩み苦しみます。
今まで単純に正しいとしてきたことが、現実に通らなかったり。
実は悪いとされてきたことをした方が得をしたり。
本音と建て前。
信念が揺らぎ、純粋な子供の明確な善悪が通用せず、大人の汚い現実が見えてきます。
純粋に正義であろうとする生徒は抵抗を試み、しかし大人の力に負けてしまう。
結果、要領よく表面だけ合わせることを覚えたり、失望して生気を失ったり。
疾風怒濤、紆余曲折。
あちこちぶつかって、成長していく時期です。
当然、彼らから愚痴や不満をよく聞きます。
そういうはけ口がないと、心が圧し潰されてしまいますから、聞き役になるのですが。
でも彼らはわがままに文句を言っているわけではありません。
そこには彼らなりの筋があり、正義があるのです。
それを聞かず、無視して押し付けるような大人の対応はやはり不適切でしょう。
それを踏まえたうえで上手に説明、説得できなければ教育とは言えません。
今回は、そんな彼らの先生に対する批判、不満を聞いてみました。
題して「こんな先生は嫌だ」。
後でリストしますが、かなりあります。
一見矛盾しているようなものもありますが、それはその文脈においての意見なので、全体として見るより、一つ一つの場面における見解と考える方がいいです。
もちろん生徒に好かれる先生、優秀な先生もたくさんいらっしゃいます。
しかし、そうでない先生がいるのも事実です。
これは真摯に受け取った方がいいでしょう。
全体をまとめると、生徒が嫌う先生にはいくつかのパターンが見られます。
今回は五つほどまとめました。
実際はまだあります。
これらのパターンを踏まえ、生徒と接するときに気を付けていきたいと思います。
これは先生のみのでなく、広く大人一般が子供に接するときに当てはまると考えてた方がいいでしょう。
1.不公平
多くの生徒が不公平や不当な扱いに怒りを覚えるようです。
「勉強ができる生徒とできない生徒で扱いが違う。」
「差別する。」
「裏表がある。」
「お気に入りを作る。」
人は公平に扱わなければいけないと教わったのに、肝心の先生がそうでない。
気を付けなければいけません。
私が思うにこの問題の根底には、生徒を対等の人間とみて尊敬していない、教える者と教わる者の間に上下関係が存在するという考えがあるのではないでしょうか。
口では平等と言っても、この考えがあるから、実際の行動で違うことをする。
子供たちはきちんと見ています。
しかし、学校という閉鎖された空間は、外部のチェックが入りづらいので、人格尊重を損なったとしても指摘されることは難しい。
だから、不公平は見過ごされまかり通ってしまう。
そうして知らず知らずのうちに、不公平に対して鈍感になっていくのでしょう。
経験から言うと、彼らから学ぶこと、彼らに気づかせてもらうことは非常に多いのです。
むしろ、上下関係を捨てて対等になった方が信頼関係も深まり、生徒との建設的な関係が築け、こちらの精神的にも楽です。
自分が先生だから偉く、子供たちは馬鹿だから見下すような態度は改めましょう。
筋が通らないことに子供は敏感です。
それが現実と教えることも大事です。
でも、問題はどのように教えるか。
教え方まで理不尽である必要はありません。
2.自己中心的
先ほどのこととも関わるのですが、教育において先生は多くの権限を与えられています。
しかし、それを自分のためだけに使えば、それは濫用と言わざるを得ないでしょう。
「生徒をパシリに使う。」
「自慢話をする。」
「なれなれしい。」
「気分屋」
「生徒に八つ当たりをする」
これは他者に対する気遣い、思いやり、つまり、相手の立場に立って考えることができないのが原因でしょう。
立場上、生徒を動かすことができるので、ついつい生徒を道具のように考えてしまうのでしょうか。
相手に感情があるということを忘れてしまう。
これも注意しなければなりません。
相手の気持ちを無視した不用意な行動や発言がどれだけ生徒を傷つけるか。
こちらが冗談でも、相手はそうは思わないということを理解する必要があります。
相手への配慮の欠如が、先生の生徒へのいじめになることに気を付けなければなりません。
そんな先生を生徒は信用しません。
信頼関係がなくなれば良好な人間関係は築けません。
いつでも生徒のことを考え、自分の行動が相手にどんな影響を与えるか考えるに越したことはありません。
相手の気持ちを想像する力、特に繊細な心を持つ、この時期の生徒に接するときは不可欠です。
権限を与えられているということは責任も与えられているということです。
学校という閉鎖された組織の中では責任の追及がされにくく、しかも相手が子供だというと無条件に先生に理があると思われがちです。
常に誠実で、客観的に物事を見る態度で臨まなければ自己中心的になるので自重しましょう。
3.自分を押し付け、生徒の話を聞かない
先生の立場上、常に自分は正しくなければならないと考えるのでしょうか。
例え自分に非があったとしても認められない。
それは生徒にとっても先生にとっても不幸です。
「自分の考えを押し付ける。」
「生徒の話を聞かない。」
「自分の間違えを認めない。」
「自分が全て正しいと思う。」
人は完璧ではありません。
先生も然りです。
先生が間違ったとき、その誤りを素直に認め改めることができるか。
ごまかしたり、強引に認めさせたりしても、生徒は先生の誤りに気づき、内心は分かっています。
自分の誤りを認められない人間を生徒は軽視します。
当然です。
それは反って、先生の威厳を損なうものです。
考えに絶対に正しいということはなく、立場や状況で見方は変わります。
自分以外の考えを認め尊重することも大事です。
もし、自分の考えを通したいなら、それは説明し導き、生徒が自ずから同意するようにしなければなりません。
自分が先生といえども完璧な存在でなく、日々学び成長する人間であると認めた方が、先生としても気が楽だと思います。
4.器が小さい
自分は大人で相手は子供、なのに子供と同様に言い争いをする。
子供の過ちを受け止め、改善のために導く余裕がない。
こんな先生は器が小さい、子供じみているとみなされます。
「小さいことにすぐ起こる。」
「生徒に厳しく、自分に甘い。」
「突然怒り出す。」
「質問に行ったら教えてくれない。」
「実際にはやっていないのに偉そう。」
とにかく小さなことで怒ったりグチグチ言うのは嫌われます。
子供の言葉を真に受けて怒鳴るのも大人げない。
怒るのと叱るの区別がつかず、自分のストレス発散のために子供に大声を出すのもよろしくない。
相手は子供なのだから、当然論争すれば大人が勝つ。
だからこそ子供の言い分を聞いて諭す余裕がほしいとこですが、ムキになって論破することが目的となってしまう。
これは教育でも指導でもありません。
こんな先生には子供も冷めてしまって、関わりたくなります。
子供との接点が失われれば、先生は教師としての責任を果たせなくなります。
すぐに頭に血が上る人は気を付けましょう。
冷静になって、生徒たちのどんな理不尽な要求でも受け止め、対処できるようになりたいものです。
これは生徒の言いなりになるという意味ではありません。
生徒の声を聞いたうえで、大人としての正しい態度が取れるようになるということです。
5.教えるのが下手
生徒が分からないとき、「なんで分からないのか。」という人がいます。
でもこれは生徒の責任でしょうか。
分からせることのできない先生の責任ではないでしょうか。
そして、教師の本分を考えたときこれは致命的です。
「質問をしても答えない。」
「授業中の雑談が多い。」
「授業の進みが遅い。」
「授業を忘れる、なくなる。」
「授業が早い、生徒を置いてけぼり」
授業進度は本来カリキュラムで計画的に作られているはずで、それに従えば早すぎたり遅すぎたりすることはありません。
恐らくそれを無視しているのでしょう。
毎年、それまでの遅れがたまって、三年生の最後は駆け足になっています。
更に、授業も教えるというよりやるという形になっていることがあります。
つまり、生徒が分かったかどうかは関係なく、ただ教科書に書かれている内容に触れただけ。
生徒が分かるような工夫をしたり、どうすれば分かるようになるか反省する態度が欠けているのです。
そして、生徒が理解できないのは自分のせいでなく、分からない生徒が悪いというのは責任転嫁としか言いようがないでしょう。
生徒が嫌う先生一覧(実際に私が生徒から聞いた声です)
差別
お気に入り
すぐ触る
裏表
声がでかい、怒鳴る
小さいことに怒る
声が小さすぎる
自分の考えを押し付ける
自分が全て正しい
授業が早い、生徒が置いてきぼり
パシリにする
不公平
理不尽
生徒の考えを聞かない
質問しても答えない
自分の間違いを認めない
生徒に厳しく自分に甘い
人を馬鹿にする
授業中の雑談が多い
公私混同
授業がつぶれる
字が汚い
授業が分かりづらい
授業の進みが遅い
無責任
時間を無視する
授業を忘れる、なくなる
突然怒り出す
自慢話
雰囲気がうざい
なれなれしい
無視する
くさい
授業中暇なときに関係ないことをする
質問に行ったら教えてくれない
言葉と行動が矛盾
人を傷つけることを言う
親にチクる
しつこい
気分屋
話すたび唾が飛びまくる
話の内容がいつも同じ
挨拶を無視する
生徒に八つ当たりする
「帰れ」とすぐ言う
実際はやっていないのに偉そう