塾長ブログ
2021.08.10
お知らせがあります。皆様のおかげで葛西TKKアカデミーが表彰されました。木曜日は自由研究のお助け会をします。


今日は皆様に伝えたいことが二つあります。
一つ目は皆様への感謝、もう一つは以前お知らせした自由研究のお手伝いについてです。
本日、『まいぷれ』より「まいぷれアワード2021」を頂きました。
「学ぶ・スクール」部門において、一年間のPV数(ページビュー数:ウェブでのページを見られた数)が日本一だったそうです。
これもひとえに私の書いた記事を毎日のようにご覧いただいた皆様のお陰であり、心より感謝いたします。
最初、まいぷれに掲載を始め、「どこまで素人の自分が書いたものを読んてもらえるのだろうか」、「いつまで続けられるのだろうか」と不安ではありましたが、とりあえず何でもいいから毎日掲載しようと決めました。
正直、ニュースを書くのは大変です。
普通に書いても1、2時間はあっという間に過ぎてしまいます。
他にもやらなければならないことがある中で、この時間を抽出するのは困難なのですが、可能な限り頑張って書き続けてきました。
時には書きたいことが十分に書けなかったり、時には書きたいのに時間がなかったり。
そして、ネタを考えるのも大変です。
タイムリーなネタがある時はいいのですが、そんなときばかりではありません。
今後、皆様の取り上げてほしいネタなどありましたら、お知られください。
助かります。
私なりに調べ考え書きたいと思います。
ニュースを掲載し続けることは大変ですが、なんとか皆様の助けになるようにと発信してきました。
つまらない、くだらない記事と感じるときもあるかもしれませんが、そこは大目に見てやってください。
そして、今回の受賞はそんな私の記事をたくさんの皆様が注目してくれているのだという証となりました。
これから書いていく大きな励みになります。
私の記事を毎日のようにご覧いただいている方々がいらっしゃると考えると、つらくても頑張ろうと思えます。
特に勉強や子育てにおいて、皆様の疑問に思っていること、困っていることの解決に少しでも役に立てばと願います。
今後も皆様の期待に応えられるように努力したいと存じます。
本当にありがとうございました。
二つ目のお知らせですが、以前にお伝えしましたが、夏休みの課題で一番厄介な自由研究を始め、読書感想文、意見文など、なかなか一人では難しい課題のお手伝いをします。
初日はもうすぐ、8月12日木曜日です。
完全予約制のマンツーマンで行いますから、コロナの心配もありません。
是非、ふるって応募してください。
詳しくは次の通り。
自由工作
8月12日、15日、19日、22日に、個別のワークショップを開きます。
朝10時から夕方16時までやります。
ここでは自由工作をします。
葛西TKKアカデミーで毎年好評の『プロペラカー』『パタパタ飛行機』そして『保冷剤を使った芳香剤』が作れます。
他にも新作の工作を検討中!
間に合えばお知らせします。
『プロペラカー』のリンクはこちら
『パタパタ飛行機』のリンクはこちら
参加費は無料ですが、材料費が500円かかります。
完全事前予約制のマンツーマンで指導しますから、コロナに対しても安心。
所要時間は約30分です。
ご予約、お問合せはメールにてお願いします。
e-mail:tkkac2016@gmail.com
工作以外にも自由研究のご相談や読書感想文のお手伝い、意見文の添削など、夏休みの課題で悩む生徒たちをサポートします。
こちらは随時予約制とします。
ご連絡いただき、日程の空いている時間にお越しいただきます。
こちらは無料で、時間は約一時間を予定しております。
こちらもメールにてご予約、お問合せ受け付けております。
e-mail:tkkac2016@gmail.com
今回は「まいぷれアワード2021」の受賞に伴い、皆様への感謝のお知らせと、葛西TKKアカデミーが毎年行う夏休みの課題のお手伝いのお知らせでした。
とうとう本格的な猛暑になってきました。
家で勉強するのも大変でしょう。
そんなときは冷房の効いた葛西TKKアカデミーで勉強するのもお勧めです。
勉強しやすい環境で、いつでも優しい先生が助けてくれますよ。
夏休みの宿題が終わらないと大問題です。
そうなる前に皆さん、是非、葛西TKKアカデミーまでご一報ください。
2021.08.09
葛西TKKアカデミーの夏休みお助け企画!『自由研究をやっつけろ‼』完全予約制の一対一対応なので安心して自由研究を進められます。
もう夏休みも後半戦です。
学校の課題は順調に進んでいますか。
ワークなどは毎日地道に少しずつでも進めれば何とかなりますが、そうもいかない課題もあります。
自由研究や読書感想文や意見文など、どうすればいいか悩んでいる生徒も多いと思います。
そこで葛西TKKアカデミーが今年もお手伝いします。
自由工作
8月12日、15日、19日、22日に、個別のワークショップを開きます。
朝10時から夕方16時までやります。
ここでは自由工作をします。
葛西TKKアカデミーで毎年好評の『プロペラカー』『パタパタ飛行機』そして『保冷剤を使った芳香剤』が作れます。
他にも新作の工作を検討中!
間に合えばお知らせします。
『プロペラカー』のリンクはこちら
『パタパタ飛行機』のリンクはこちら
参加費は無料ですが、材料費が500円かかります。
完全事前予約制のマンツーマンで指導しますから、コロナに対しても安心。
所要時間は約30分です。
ご予約、お問合せはメールにてお願いします。
e-mail:tkkac2016@gmail.com
工作以外にも自由研究のご相談や読書感想文のお手伝い、意見文の添削など、夏休みの課題で悩む生徒たちをサポートします。
こちらは随時予約制とします。
ご連絡いただき、日程の空いている時間にお越しいただきます。
こちらは無料で、時間は約一時間を予定しております。
こちらもメールにてご予約、お問合せ受け付けております。
e-mail:tkkac2016@gmail.com
コロナウイルスの感染がこれまでにない勢いで広まっています。
夏休みでも思うように過ごせず、子供たちも大変だと思いますが、暑さやウイルスを乗り越えて明るい顔で二学期を迎えられるように祈っています。
そして、面倒な課題は葛西TKKアカデミーがお手伝いしますから、少しでも楽しく充実した夏休みを過ごしてほしいと思います。
2021.08.08
勉強ができなくなってしまった生徒たち。彼らの多くが似たような経験をしていました。
葛西TKKアカデミーでは勉強をしたくてもできない生徒たち、勉強をどうにかしたいけどどうやっていいか分からない生徒たちを多く見てきました。
普通の塾のように教材さえ与えておけば自分で勉強でき、ある程度の結果が出せる生徒とは違い、一筋縄ではいかない生徒をたくさ思い出しますす。
普通の塾なら見放される(例え表立って言われなくても実際にそうされている)生徒でも、本人のやる気さえあれば他のことは度外視してでも受け入れ、何とかしてあげたいと努力してまいりました。
そのような生徒とたくさん出会う中で、彼らが勉強ができなくなってしなった原因、勉強をあきらめてしまった理由には似た点があることが分かりました。
小学校の一年生のときは基本的にみんな勉強が好きです。
憧れの学校に入り、新しく勉強というものができることが喜びでした。
しかし、学年が上がり学習内容が難しくなっていくにつれ、これまではよく理解できた勉強が、簡単に解けた問題ができないようになってくるという現実にぶち当たります。
それは授業で先生の言っていることが分からないとか、宿題の問題がどうしても解けないといった経験から悟ったり、できたつもりでも実際にテストをしてみると点数が悪かったという結果から実感したりします。
そうしてどうすればいいか分からなくなります。
そんなとき、適切に生徒が分かるように説明し導いてくれる人がいればいいのですが、単純に「なんでできないの。」と怒鳴ったり、「頭悪いんじゃないの。」と非難されたりすると、子供たちは救われず、勉強に対する情熱が一気に冷めてしまいます。
そして、「自分はダメな人間だ。」と卑下し、勉強が嫌になっていきます。
子供たちの成長は決して一定ではなく、ある程度の早い遅いはあります。
だけど、日本の場合、一定の年代の生徒は皆一様に同じ勉強ができていないといけないという暗黙の了解があるようです。
だから、そこから少しでも離脱してしまうと不安になり、もう挽回のチャンスはないと感じるようです。
これは親も同じで、自分の子供が一般的な生徒と同じように勉強ができないと非常に焦って、なんとかしようと勉強を教えます。
しかし、子供たちの性質を無視して一方的に押し付けるような教え方では、当然生徒はいつまで経ってもできるようにはなりませんし、親も一生懸命だからこそ、いつまで経ってもできるようにならない我が子に焦り苛立ちます。
そして、ついつい大声を出してしまうと、もう親子関係までもぎくしゃくし何もいいことがありません。
親や先生に「できない子」のレッテルを貼られ、徹底的に心を傷つけられた子供たちは立ち直れなくなり、「いくら勉強をしても非難されるばかりなら、ひたすらつらい思いをするだけなので、もう勉強は諦めて逃げよう。」と考えます。
せっかくできる可能性があるのに、自分から逃避するのです。
それは周囲が生徒たちに希望を感じさせてやれないことが大きな原因の一つと私は考えます。
私の経験から思い出されるのは、こちらが質問した時に「答えたくありません。」と言った生徒です。
彼女はこれまでテストなどで間違える度にさんざん責められ心を痛めました。
自分が間違えることを公にされるのが怖くて、答えないという普通あり得ない選択肢を取るのです。
答えなければ「間違い」とは言われず、自分の体面が保たれると考えるのでしょう。
そうして自分を守ろうとしたのです。
でも、間違えることができない生徒は悲劇です。
なぜなら、人間は間違えの中にこそ学びのチャンスがあるからです。
他にもいろいろ理屈をこねて勉強をしないことを正当化しようとする生徒、しなくてはいけないのは分かっているが、自分は頭が悪いので努力しても無駄、言い換えると勉強ができないのは自分の努力が足りないのではなく、先天的なものだから仕方ないと主張する生徒(大人が「バカバカ」と言ったことを逆手に取ったいいわけですね、だから要因は大人にあります)。
様々な方法で逃げようとします。
でも、彼らは未熟でまだ分からないことも多く、心が十分に育っていないから非常にナイーブなのです。
大人はそこも含めて寛容に彼らに接してあげられるほどの器の大きさが要求されるのではないでしょうか。
しかし、実際はそれができず(親も成長中ですから)親子とも苦しい思いをします。
子育ては楽ではないので、それを含めて子育てと思えるくらいのゆとりが心にあればいいのですが、大人であっても難しいですよね。
そして、不思議なことに、このように勉強ができなくなった生徒ですが、その多くがもう一度頑張ってみようと思うときがあります。
最初、彼らが勉強に迷ったときに適切に対処できなかった場合、これは最後のチャンスです。
ここを見逃さず対応できれば挽回も可能でしょう。
多くの勉強ができない生徒は知能が低くて勉強ができなのではありません。
これまでやってこなかったからできないだけです。
一から根気強く教えれば徐々にできるようになり、場合によっては一気に目が開いて、あっという間に多くの穂コアの生徒を追い越す者もいます。
勉強ができなくなったときも、勉強をしなくてはいけない、やろうと思ったときも、子供たちは何らかの兆し、ヒントを出しています。
それを私たちは見逃さないように注意しないといけません。
言い換えるなら、すぐに感受できるように彼らに寄り添い、常にアンテナを広げてなくてはいけないのです。
そして、その信号をキャッチしたなら、どうか今度は過ちを繰り返さないでください。
分からないときは自分だけでどうにかしようとするのではなく、誰かに遠慮なく助けの手を伸ばしてください。
子育ては楽ではありません。
みんなで手分けして、上手に負担を減らすことが、親だけでなく子供にとってもストレス低減につながります。
そして、葛西TKKアカデミーはいつでも子供たちを応援していることを覚えておいてください。
勉強は一度嫌いになってしまうと大変です。
なぜなら生徒たちを勉強にもう一度向き合わせるところから始めなければならず、実はこれが非常にエネルギーを必要とするのです。
人間でも一度嫌いになってしまえば、口もききたくなくなりますよね。
そんな状態で人間関係が修復できる訳がありません。
勉強も同じです。
願わくば、勉強が嫌いになる前に手を打ってください。
「勉強は好きにならなくてもいいから嫌いにならないでください。」
これは私がよく生徒たちに投げかける言葉です。
まとめるとポイントは大きく二つ。
一つ目は、勉強ができなくなったときに本人を責めるのではなく、一緒に悩み支えてあげること。
二つ目は、再び本人がやってみようと思ったとき(思えそうなとき)を逃さず、焦らず長い目で見て適切にサポートすること。
多くの勉強に悩む生徒たちを見てきた経験上、この二点が勉強ができない生徒たちを救い出す重要なポイントだと思います。
2021.08.05
質問があったのでお答えします。「宿題はいつやればいいの?どのようにやればいいの?効果的な宿題のやり方は?」
今日はある質問に対して考えてみたいと思います。
「宿題について、いつやるのがいいのですか。そして、どのようにやるのがいいのですか。」
確かに考えてみればよく分からないかもしれません。
やるだけなら(やったという体裁を繕うだけなら)、どうという形でも終わらせさえすればいいのですが、勉強になる、そして効率のよい宿題のやり方となると、ちょっと注意が必要です。
塾をやっていて感じるのが、宿題を直前までやらない生徒が多いということです。
成績の良くない生徒は特にその傾向が強いです。
前回の授業から一週間近くたって問題に取り組んでも、授業で習ったことの多くが忘れられ、従って、せっかく授業で説明していても正解を出すことが難しい。
これでは宿題の効果はありません。
宿題はできれば習ったその日、遅くても次の日にはやってほしいものです。
こうすると記憶も新鮮なので、宿題を解きながらその日に習ったことを思い出されるので、問題もたくさん解けます。
解きながら、その日の授業で起きたことと一緒に思い出す。
人間の記憶は覚えたいものそのものを脈絡もなく覚えるより、何かと関連付けてそれを手掛かりに思い出すようにした方が定着します。
歌を歌うとき、しばらく歌っていないにも関わらず、メロディーに合わせて最初の一節を歌えば、思い出そうと努めなくても次から次へ歌詞が頭の中に出てきて歌える経験をしたことはありますか。
また、年号を覚えるとき、語呂合わせで「鳴くよウグイス平安京」なんて言って「794年」を覚えませんでしたか。
それと同じように、記憶には思い出すきっかけとなる「キュー」と上手に結びつけることがコツです。
学習項目だけでなく授業での出来事を思い出すためにも、習ってすぐに宿題に取り掛かることをお勧めします。
そして、塾の宿題のように週に一回の宿題であれば、次の授業までに二、三回は繰り返してもらえると最高です。
有名な「忘却曲線」の研究にもあるように、物事を覚えるにはすぐに何回も繰り返した方が脳内に定着します。
人間は覚えたつもりでも、実は完全には覚えていなかったりします。
その思い違いや誤りを修正するためにも、時間がある場合は宿題を繰り返しやった方がいいです。
「一度できたから大丈夫」なんて言いますが、意外と同じ問題をやっても全問正解にならないことが多いです。
そして、何回も問題を繰り返し解くためにも、答えは問題集やプリントに直接書き込まない方がいいです。
一度書いてしまうと答えが見えるので勉強の練習としては二度と使えません。
ノートに解答をすれば、元の問題は綺麗なままなので、宿題のときに限らず、後日総復習するときも何度でもその問題を活用することができます。
プリントや問題に書き込んで宿題を提出しなくてはならないときも、できれば何度かノートにやってから、最後に書き込むのが理想的です。
学校のように提出までの 期間が短い時はやむ得ない、一回で我慢しましょう。
それでも、その一回を慎重に丁寧にやれば内容も身に付き、宿題の価値が生まれます。
こうして習ったときに習ったことを着実に一つずつ身に付けていくことが勉強のコツです。
ここで問題が二つ。
一つは、授業から解放されて心が緩み、ちょっと休みたい、すぐに宿題をやる気にはなれないこと。
もう一つは、何回も繰り返すことが面倒くさく、やる前から嫌になってしまうことです。
どちらも理解できますが、でもやる価値は十分にあると私は断言したいです。
授業が終わってホッとしてやるみたい気持ちも分かりますが、そこはもう少し我慢して宿題をしてから休憩しましょう。
やる決心がつくまでは大変ですが、そこを何とか乗り越えて、全ての憂いをなくしてから休むとこれまで以上の安心と安らぎが得られますよ。
そして、繰り返す作業も同じです。
どうしても怠けたい気持ちがありますが、そこを自分でコントロールできるようになると人間としても一つ成長につながります。
どちらも子供一人で成し遂げるのは難しいので、やはり周囲の大人のサポートがあった方がいいです。
このとき、「やりなさい」と強要するのではなく、励まし後押ししてできたらほめたたえることが大切です。
そうして徐々に慣れ、習慣化すれば自然と上手な宿題のやり方が身に付きます。
よくあるダメな宿題のやり方として次のようなことがあります。
ギリギリまで宿題をやらないで、間に合わないから答えを丸写しして提出する。
これは何の意味もありません。
ただその場しのぎでごまかしただけで、何の勉強にもなっていません。
当然何も学んでいないから何も身に付いておらず、結局いつかまた学び直さないといけません。
二度手間です。
しかも、勉強は既習事項を基にして新出事項を習うので、ごまかしを続ければどんどん新しいことも分からなくなります。
この負のスパイラルが進めば進むほど分からないことも増え、やり直さないことも増え、最終的には時間が無くなり受験などでは大きなマイナスとなります。
更に、答えを丸写ししても先生はしっかりそれを見抜いています。
ただ何も言わないのは、そんなことをしても最後に困るのは自分だということを知っているからです。
知らないふりをふりをするのは自己責任だから関与しないということ。
バレていないわけではありません。
安易にその場しのぎでできたふりをするのはやめて、できない自分を受け入れ、その上で一つ一つ丁寧に学んでいくことが重要です。
そして、一人で解決できないときは葛西TKKアカデミーに来てください。
いつでも生徒たちの力になる用意があります。
まあ、彼らがごまかしたい気持ち、できない自分を受け入れられない気持ちもよく分かります。
これについても、また別の機会に。
でも、効果のない勉強はしない方がいいと忠告しておきます。
やるなら最大限に、そしてここで決める。
そんな気概で宿題をしてください。
2021.07.15
コロナ禍での学校生活はどうなっている?実際に生徒たちに聞いてみました。
東京で新規感染者が1000人を超える。
コロナウイルスの感染はまだ広がっているようです。
今回はデルタ株、通称インド株、が猛威を振るっているようで、感染力の強いデルタ株が一気に増え、これまでのコロナウイルスにとって代わろうとしています。
デルタ株の特徴としてはその感染力の強さに加えて、小中学生などの低年齢層にも感染しやすいというものがあります。
これまでは子供にはコロナウイルスは移りにくいと言われ、高齢者に比べその対策は緩やかなものだったように思います。
しかし、これが低年齢層にも感染するならば、これまで以上にしっかりと厳しい感染防止対策が必要になってくるでしょう。
特に小学生など小さい子供はワクチンも受けられず、その危険度は自ずと高くなると思われます。
実際に小学生でとうとう重症化した人もいるとか。
コロナウイルスが発生し社会問題になって一年半くらいになりますが、学校ではどのようなコロナウイルス対策をしてきたのか、またはしているのか。
どのような学校生活をしているのか。
再び生徒から聞いた話をしたいと思います。
ある都立高校に通う生徒の話です。
緊急事態宣言が出されてから、二日登校しては一回休みと、一度に全学年が揃わないようにしていたそうです。
つまり、休校日を組み合わせて登校日をずらすことで、全体としては毎日二学年しかいないようにしたそうです。
こうしてできるだけ多くの生徒が集まらないようにすることで、感染リスクを抑えようとしたらしいです。
コロナウイルスの感染が収まってくると、二日の登校を三日に変え、三日学校に行っては一日休みになったみたいです。
日常ではマスクの着用をしているそうですが、部活ではマスクを外してよいそうです。
ただし、話をするときはマスク着用しいなくてはなりません。
教室は40人の生徒がいて、ぎゅうぎゅうの状態で、とても十分な生徒間の距離が保てないそうです。
食事は机を合わせてグループを作るようなことはなく、一人ひとりで前を向いてするそうです。
休憩は教室か廊下で過ごし、外で遊ぶことはないそうです。
授業でも実験やグループに分かれての話し合いなど、グループ活動はありません。
感染予防で換気をするため、教室の窓は常に開けっぱなしにしているそうです。
文化祭などの学校行事も中止にされましたが、生徒は「仕方ない」と受け入れているみたいです。
また、別の高校生は次のように話してくれました。
緊急事態宣言で授業数が減ったそうです(特に理科)。
この生徒と話をしたのがちょうど緊急事態宣言が解除されるときだったので、解除されれば通常の授業になると喜んでいました。
しかし、明らかな第五波の拡大により現在はどうなっているのか、まだ聞いていません。
毎日のマスク生活にはもう慣れたみたいで、特に不便や不都合は感じないそうです。
体育はマスクを取っていいらしく、マスクを外して普通にやっているみたいです。
体育祭は簡素化され、学年でやる競技も二つくらい、学年のやる時間が決まっていて、その時間だけ保護者(人数制限あり)が観戦できたそうです。
学年の競技が終わればそれで終了です。
文化祭でも飲食の催しは中止だったそうです。
やはり、ここでも生徒は「仕方ない」と受け入れていました。
最後に去年新中学一年生になった生徒の話です。
彼女が入学した時は一斉休校のときで、新たな中学生活スタートからコロナ対策の通常とは違う学校生活でした。
だから、彼女にとって「普通が何かわからない」と言っていたのが印象的でした。
普通じゃないのが普通になっているので、他の人が言うような「運動会や文化祭がなくて可哀想」という感覚が理解しにくいそうです。
先輩は学校行事などがなくなり、学校生活もこれまでと違ってしまったことを残念に思ったり、辛く思ったりしているようですが、本人は別にそのような感覚はないそうです。
一年生(去年)の学校行事は全て中止だったそうです。
一斉休校があった分、授業数が減ってしまったので、土曜授業でその分を補ったそうですが、これが大変だったと感想を述べていました。
最初のころは時差登校もしていたようですが、今はしていません。
やはり、普段はマスク着用で、給食も一人ひとりバラバラに机を置いて静かに食べているそうです。
休憩時間は外で遊ぶこともできますが、日によって誰が遊べるかが決まっているそうです(全ての生徒が一斉に外で遊ぶことはない)。
体育の時間はマスクを外して構わないそうですが、その時は十分な距離を開けるそうです。
部活もマスクは外してやっているそうです。
教室には消毒と手拭き用の紙が用意してあり、体育館で生徒が集まるときは窓を開けているそうです。
教室では机の間隔はできるだけ離すそうです。
今年に入ってやっと運動会ができたそうですが、見に行ける保護者は一人までで競技数もかなり減らされたそうです。
一応、合唱コンクールも予定されているのが楽しみみたいですが、現在のコロナウイルスの猛威が見られる中、また不自由な学校生活を強いられているかもしれませんね。
彼女はちょうど小学六年生のときコロナウイルスの蔓延となり、最初の緊急事態宣言と突然の一斉休校に直面した代で、卒業式は簡素化され、一人ひとり卒業証書をもらうこともなく、楽しみにしていた一年生から六年生までが一緒になって食べる給食が中止されたのがとても残念だったそうです。
入学式はなく、メリハリもなく新生活が始まった感じだったそうです。
コロナ禍が始まって以来、全ての生徒が私たちの知っている普通ではない学校生活を送っています。
それぞれの生徒がそれぞれのストーリーを持っています。
今回はそんな中のごく限られた話でしたが、学校という外部からは見えにくい組織において、実際に内部にいる者の実体験として話が聞けたことは貴重な機会だったと思います。
彼らに早く当り前の日常が戻ってくることを祈ってやみません。
そのためには我々大人がもっとしっかり考え行動しなければならないと思います。
一部の利権者のことばかり考え、そのため徹底した対策が取れないまま同じことを繰り返すだけでは、大人として恥ずかしいばかりです。
子供たちを、そして彼らの未来を守りましょう。
そして、その中心にある政府は国民全体のことを真剣に考え、責任ある決断と行動をとってほしいです。
葛西TKKアカデミーは非力ではありますが、コロナ禍で勉強に悩み苦しむ子供たちを助けたいと考えています。
コロナ禍で収入が減り、子供に十分な勉強を提供できなくなったなどありましたら、ご相談ください。
可能な限り力になります。
子供たちの勉強したい気持ちを守りたい。
その気持ちだけあれば十分です。
後は葛西TKKアカデミーにお任せください。
2021.07.10
文科相が進めていた課外授業の一環としての東京オリンピック観戦ですが、東京都教育委員会は実施しないことを決定しました。
以前からこの場で議論を重ねていた「生徒によるオリンピック観戦」に関してですが、とうとう教育委員会は全ての観戦を中止することを決めたそうです。
東京オリンピックが」決まって以来、学校教育にもこの機会を生かそうと東京都教育委員会は「東京オリンピック・パラリンピック教育」を進めていました。
オリンピック・パラリンピックに関連付けていろいろな教育を深めていこうという試みで、その総仕上げとして小中学生によるオリンピック・パラリンピック観戦が用意されていました。
しかし、コロナウイルスの感染拡大により、このプログラムがどのようになるのか不明確なままでしたが、オリンピック開催約二週間前にしてようやく中止が決まったようです。
去年までは盛んに学校でもオリンピック観戦の話が出たりしていたそうですが、今年になり一向に感染が終息しないまま、学校ではこの話が一切出なくなり、保護者の間でもどうなるのかと心配されていました。
学校行事が相次いで中止になる中、感染の危険性に加え熱中症の危険性もあるオリンピックに生徒たちを強制的に観戦させなければならないのか問題視されていました。
現場の教員としてもこのような状況で生徒たちの管理ができるのか疑問視されていました。
そして、多くの生徒はコロナ禍でのオリンピックに関心がなく、保護者も多くが反対していました。
多くの自治体が次々とキャンセルを決めていく中、東京都としてはなかなか決断を出していませんでした。
(いつでも実行できるようにした準備だけは目立たないようにしていたみたいですが。)
しかし、オリンピック組織委員会がオリンピックの無観客開催を決定し、それに伴い「学校連携観戦」も中止にするのが適当と組織委員会が判断したので、子供たちにオリンピック観戦をさせる「学校連携観戦」の全ての中止を決定したそうです。
これで子供たちへの感染リスクが回避されたので一安心ですが、東京都教育委員会はまだパラリンピックでの観戦を画策しているようです。
ニュースによると東京都教育委員会の担当者はこの中止について「子どもたちにとって、今後の人生の糧となる貴重な体験だと思うので、パラリンピックでは何とかして観戦の機会を設けたい」と話しているそうです。
別の記事でも私が触れたように、多くの生徒はオリンピックに興味がなく政府などが述べる一生に一度の貴重な体験とは思っておらず、観戦による感動で人生が一変するようなことも期待していません。
それよりも一刻も早く当り前の日常が戻ってきてほしいという声の方が大きかったです。
多くの生徒がごく普通に経験する学校行事や友達との交流の方が、大人たちの都合で振り回されるオリンピックよりよほど深く心に刻まれると考えているようで、一刻も早くそうなることを願っています。
「子供たちの今後の人生の糧になる貴重な体験」などと自分たちの都合のいいように解釈してごまかしても、子供たちは結構現実を冷静に見ているものです。
コロナウイルスに感染しても誰も責任取らないし補償もしてもらえないのでは、不参加する生徒が出てくるのも当然ですし、学校としても責任持てません。
教育委員会の都合だけで実施しても、果たしてどの程度の参加者がいたのかと疑問に思います。
今回の決定は至極妥当なもので、考えれば誰にでもわかる、当然の結果だと思います。
にもかかわらず利権絡みで一向に正しい判断ができず、今にまで至ってしまったことに驚きを隠せないと同時に、本当に日本の政治はこれで大丈夫かと不安になります。
いずれにしても、今回オリンピック観戦が中止になり、子供たちを感染リスクから守られたのは本当に良かったと安堵しています。
ただ、まだ他の自治体では「学校連携観戦」の中止を決めていないところもあるので、そこが気にかかります。
2021.07.06
あいにく曇りのようですが、明日は七夕。日本古来からの年中行事は実は受験でもよく取り上げられます。実際に日常の中で祝い、家族の間を深めるのもいいですよ。
明日は七夕。
しかし、天気予報によると梅雨のせいか、どうも曇り空みたいですね。
有名な織姫と彦星のロマンスも、明日はお預けなのでしょうか。
コロナ禍で今年は学校でも七夕を祝うところは少ないかもしれませんね。
せめて家庭で話題にして家族同士の会話をしてみませんか。
こうやって思い出と結びつけることで、子供たちの記憶にも刻まれより理解も深まります。
そして、年中行事は学校の教育の中でも大いに活用されます。
だから、勉強のためにも明日は七夕を楽しみましょう。
実は、七夕に限らず日本の年中行事は入試や学力テストなどでよく出てきます。
国語や社会で問題の話題として、また、常識として聞かれることもあります。
伝統的な年中行事を通して日本的な考え方を知ることは、日本人というものを考え直すよい機会にもなります。
更に、今後ますます活発になるであろう国際交流においても、日本の伝統文化を紹介できることは重要になってくるでしょう。
試験のためという枠に縛られることなく、純粋に多彩な日本の行事を楽しみ、日本人の教養としてその意義を理解してほしいと思います。
また、親子間の会話のきっかけとしても年中行事は役立ちます。
年中行事を通し経験を共有し会話をすれば、親子間の距離も縮まり相互理解も深まります。
いじめなど子供が抱える問題の早期発見にもつながるので、親子の交流のためにも是非年中行事を家族でもやってほしいと思います。
最近はなかなか個人で年中行事をやることも少なくなってきています。
小学校や保育園でイベントとしてやったり、先生から教わったりしますが、せっかく日本人として素晴らしい伝統文化があるのだから、しっかりそれを活用し家庭の円満につなげられるといいと思います。
ただ楽しむのではなく、行事の意味や由来を理解し、日本人としての教養を深めるといいと思います。
因みに七夕はどうして行われるようになったのでしょうか。
7月7日は、あの有名な『織姫と彦星』の話で年に一回、二人が天の川を超えて合うことを許される日です。
そして、この『織姫と彦星』のお話はもともとは中国の民間伝承となっています。
それが奈良時代に日本に伝わり、機織りの上手な織姫にあやかり、手芸や裁縫が上達するようにと願ったのが現在の笹に願い事を書いて結びつける習慣になったようです。
時代が下り、願い事が機織りから学芸の上達に変わり、現在では全ての子供たちが自分たちの夢や願いを星に祈っています。
ところで、織姫星と呼ばれる織女星はこと座のベガ、彦星と呼ばれる牽牛星はわし座のアルタイルを指し、どちらも一等星で夏の夜空に明るく目立つ星です。
日本では7月上旬から見えやすくなり、9月上旬ぐらいまでよく観察できます。
七夕のころだと、20~22時ごろ、東の空の下の方に見え始めます。
この時期は農業に適した季節で、その季節に合わせて明るく輝いてくるので、農業や養蚕などをつかさどる星とも考えられました。
この二つの星にはくちょう座のデネブを加えて、「夏の大三角」と呼ばれ、この辺は理科の勉強で習うかもしれませんね。
七夕に食べるものとして、伝統的なものの一つが「索餅」です。
これは小麦粉や餅粉をひねって揚げたお菓子で、唐の時代に日本に伝わりました。
これを食べるのが習慣のようですが、皆さんあまり食べませんよね。
というか、そんなものがあるなんて知らなかった人が多いのではないでしょうか。
実はこれがどんどん進化していって、現在では「そうめん」を七夕に食べるという地域もあります。
また、「索餅」に似たお菓子として「かりんとう」を食べるところもあります。
このように「七夕」一つとってもいろいろと楽しい会話が生まれるのではないでしょうか。
今まで知らなかった知識としてだけでなく、親が自分たちの子供のころどう過ごしたかなんて話すのも面白いかもしれませんね。
日本の伝統行事を家族で楽しんでください。
そして、子供時代の思い出を豊かにしてあげると、将来きっと役に立つし、強く楽しく生きていけると思います。
それでは、明日、少しの間でもいいから雲間に天の川が見えて織姫と彦星が会えますようにと祈りつつ、今日は終わりにしたいと思います。
2021.07.05
GIGAスクール構想前倒しですでに一人一端末配布済み!?だけど、生徒たちに話しを聞いてみると、何か違うような…。
コロナウイルス感染拡大に伴い、政府は去年突然の学校の一斉休校を実施しました。
その際、以前からIT化が進み、すでに日ごろからオンライン授業も導入していた私立学校は勉強が滞ることなく進められたのに対し、最新技術の導入が遅れていたほとんどの公立学校は休校期間中完全に学習がストップしてしまいました。
プリントを配って、これまでの既習事項の問題を解かせるのが精いっぱいでした。
この経験を踏まえ、文科省は以前より議論されていた『GIGAスクール構想』を前倒しして、今年度から全ての小中学生に一人一端末配り勉強に活用できるように決定しました。
そして、実際に一人一端末は実現されたようですが、生徒たちの話を聞いてみるとやはり問題があるようです。
今回も生徒との話から現在学校でどのようにIT化がなされているか見てみたいと思います。
生徒たちの話を聞く限り、文科省の言っていた「生徒一人に一端末」は実現できているようです。
少なくとも私が話を聞いた生徒の学校では、生徒一人ひとりが全員何らかの形で端末を利用できるようになっていました。
ただ、端末を配布するのはものさえ揃えばすぐできることなので、比較的ハードルの低い目標ですが、問題は生徒が端末にアクセスできるようになって、実際にどのように教育に活用しているかです。
この点に関しては、やはり思った通りというか、十分とは言い難い実態が見えてきました。
とある中学校ではiPadを全ての生徒に配布しました。
そして、勉強に使うなら家庭に持ち帰ってもよいということになっています。
学校でも先生の指示に従って使うようです。
どのように利用しているかというと、基本的にインターネットでの検索など調べものに使っているのがほとんどのようです。
後、理科では実験動画を見るのに使ったそうです。
課題をするのにも使ったようですが、先生も使いこなせてない様子で、実際にはほとんど使っていないそうです。
アプリを利用して問題を解くこともなかったそうです。
オンライン授業も全くやっておらず、コロナ禍での一斉休校のときのような緊急事態に対応するための準備や練習もしておらず、もしオンライン授業を実施しなくてはならなくなっても恐らくできないでしょう。
iPadが壊れたときなどの対応やルールも決まっていないらしく、本当に授業などで活用する気はないようです。
(文科省に言われたから、やったという形式だけ整えているような感じがします。)
また、別の中学校でも端末の配布は終わり、生徒はインターネットなどで調べものはできるみたいです。
検索などに関して特に決まりはないようですが、検索記録が残るので勉強以外で使った場合はすぐにばれるのではないかと、生徒が言っていました。
こちらもオンライン授業はやっておらず、いざというときに回線がつながるかどうかのテストさえしてないそうです。
アプリを使った問題を解いたり、学習の補助をしたりということもありませんでした。
最後に都立高校の生徒の話です。
この学校では個人で端末(スマホ)を持っていない生徒には学校から支給されたそうです。
チームスというアプリを使ってオンライン授業を五月から5回以上やったそうです。
内容はというと、教室の動画を写して、先生がいつものように授業をしている様子をライブで配信しているだけだそうです。
その後、端末を使って配られる課題をやって終了。
課題を写真で送ることで、課題を済ませた証明としています。
授業では最初に主席の確認をした後、配信中はカメラをつけず、指示がなければマイクもミュートのままです。
つまり、生徒が授業中どのような様子かを先生や生徒同士は確認できません。
「何をやってもばれない」と生徒は言っていました。
これは一度にたくさんの生徒が音声や画像を送ると回線の問題でフリーズなどの問題が発生し授業に支障をきたすためだと考えますが、しかし、先生が生徒一人ひとりの様子や反応を確認できないのは問題ではないでしょうか。
誰がどの程度分かっているのか、本当に真剣に授業に取り組んでいるのか分からなければ、生徒の学習習得状況も変わりませんし、授業態度などの評価にも関わってくると思います。
本来、オンライン授業は双方向であるべきですが、これも実際には行われていないということです。
やはり先生が十分に使いこなせていないとの生徒からの指摘があり、トラブルが起きたときは他の先生を呼んでカバーしているみたいです。
生徒の感想としては、「対面授業の方がいい」と言っていました。
座っているだけで暇だし、質問もしにくいそうです。
最近は授業の配信はせず、課題の配信だけになっているようです。
新指導要領になり、大学入試改革、アクティブラーニング、GIGAスクール構想など学校教育がダイナミックに変わろうとしています。
しかし、『ゆとり教育』を始め数々の新しい試みがそうであったように、文科省はお題目は立派なのですが、それを唱えれば後は現場がどうにかすると考えているのか、具体的に細かいところまでツメがなされず、丸投げされた現場は訳の変わらないまま言われたから体裁だけ整えてやったことにする。
これではうまくいかないのは明らかですが、どうもそこまでの情熱と責任感はないように感じられます。
今回の「一人一端末」も配ってしまえば全て上手くいくと考えているのでしょうか。
教育が新しく変わるとき、政府は常に生徒が改革についてこられるか心配しますが、これまでの教育経験が少ない生徒にとって旧来の教育も新しい教育もどちらでも初めての経験なので、若さによる柔軟性に加え、実は教育の変化にさほど問題なく溶け込むことができます。
むしろ問題は先生の方なのですが、すでに常態となっている多忙さに加え、新規の教育に対応するのは非常に難しいです。
特に高齢の教員はITなどすぐに使いこなすことはできず、設備を整えたところで期待される効果を上げることは容易ではないでしょう。
研修時間も十分に取れず、結局今までの教育をするしかなくなり、教育改革もうまくいかないというのはこれまでの常です。
教員こそ教育が必要なのに、そこをやらないで改革ばかり口走っても混乱が起きるだけです。
政府関係者はこの点をよく理解してほしいものです。
文科相は「上手くいきませんでした」と言えばそれで終わるかもしれませんが、そのつたない教育を受けた生徒たちの不利益は誰が責任を持つのでしょうか。
「責任」とは今の政府に一番欠けているものだと思います。
今回の生徒との会話でも、新しい教育が空回りしているのが垣間見られます。
政府として言い出したのであれば(せっかく構想は立派なのだから)、最後まできちんと責任を持って、生徒たちに明るい未来を見させられる教育を提供してほしいと考えます。
2021.06.30
最近気になることが。それは生徒たちの筆圧の弱さ。本当に文字がきちんと書けないのです。そして、手書き文化が失われると勉強にも影響があるらしいですよ。(その二)
今日は前回途中で終わってしまった「手書き」に関する話の続きです。
日本は世界的に見て教育のIT化に大きく後れを取っています。
それでもコロナ禍があって、ようやく生徒たちに一人一端末の配布を終わらせたようです。
とは言え、これは端末を配っただけで、学校教育においてそれを有効に活用しているかというと、全くそういうことはありません。
この点はまた、生徒と話をしましたので後日お知らせします。
まだ教育のデジタル化が十分にできていない日本ですが、デジタルディバイスを上手く使い日本より何歩も先を進んでいる諸外国では、教育のデジタル化による弊害が報告されています。
その一つが「手書き離れによる教育効果への影響」です。
教育のデジタル化が進むと文章の作成や記録は主にパソコンなどで行うようになります。
当然、自分の手で文字を書くのではなく、パソコンのキーボードをたたくタイピングになります。
しかし、パソコンやダブレット端末を早くから導入している国々では、全ての文章をパソコンで書くのではなく、ある程度はあえて生徒たち自身の手で書くようにさせています。
キーボードを打つだけの方が文章は楽に早く書けます。
なのに、なぜこれらの国々では手書きをわざわざ残して、効率性を落としているのでしょうか。
それは手書きにはタイピングにない教育効果があると言われているからです。
例えば様々な報告によると手書きは、自分の頭の中で整理してから書き出す訓練になるそうです。
また、人間がノートを取るときは、黒板に書かれた情報を単に写し取っているのではなく、板書した状況をエピソード記憶として脳内に保存します。
覚えなければならないものそのものを思い出など他の要素と結びつけることにより、記憶はより深く強く残ります。
人間の脳は何かを関連づけることによって、記憶が思い出しやすくなります。
タイピングは単純なパンチングの繰り返しになるので、この点は弱くなります。
また、手書きは頭の中で書く内容をもう一度復唱しながら書いたり、どういうことかなと考えまとめながら進みます。
つまり、タイピングよりもずっと脳細胞の活動が活発になるのです。
そうして、書きながら頭の中で何度も反芻する勉強はより理解を深め分かりやすくなります。
一方、タイピングはスピードが速い分、脳内でじっくり考えながら書くことができません。
従って、タイピングだけでは深く考えるという練習にはならないのです。
先ほど、記憶を呼び起こすには手書きの方がいいと言いましたが、ある研究によると、スマホやタブレット端末より手書きは創造的な活動にも効果的だそうです。
この実験によると、紙とペンを使ったグループでは、言語、資格、記憶を処理する領域で脳が活発に活動し、紙に付随する写真や余白のメモなどが物理的映像としてより記憶できるそうです。
人間の脳は便利になれば教育効果が薄れます。
最近の教育(教育に限らず社会全体がそうですが)は、生徒に苦労させないことを売りにして、世間的にもそれが歓迎されています。
面倒くさいのは悪で、簡単なのが善と。
しかし、本来勉強は面倒くさいものです。
面倒くさいからこそいろいろ学べるのです。
個人的には、現代の苦労を敬遠する傾向は生徒にとって不幸なことだと思います。
なぜなら、人間の思考の余地が減っているからです。
昔は「若い時の苦労は買ってもせよ」と言ったものですが。
思うようにいかないから、どうすればいいか考え試行錯誤し、粘り強く繰り返し考えることで、脳は鍛えられ思考の成長につながるのです。
分からないときは検索してすぐに解答を見つけ、それを繰り返すだけでは自ら考える力はあまり育ちません。
手書きもそうです。
私は常々、勉強は肉体労働だと言っています。
ただ、目で見て読んで覚えて終わりが勉強ではありません。
手も足も顔も、体全体を使ってより多くの刺激をくみ取って、脳を活性化させた方がより勉強は身に付きます。
特に手が与える脳への刺激は大きく、やはり書くということは大事だと思います。
しかし、今の生徒や教育関係者はできるだけ最小限の仕事で結果(テストの点を上げる)を出そうとします。
確かに一見成績(テストの点)が上がったようになるかもしれませんが、それはテストという定められた問題に対して機械的に答えを返している(反応している)だけで、本当に考えて導き出した答えかどうかは怪しいです。
教育現場でデジタル教材を使えば大丈夫などと言われたときは要注意です。
技術の進歩に伴い学習スタイルも変化します。
しかし、何もかも変えてしまうことがいいとは限りません。
一見便利そうなデジタル教材が、これまでの学習スタイルよりも必ずしもいいとは言えません。
多くの人が経験則として紙とペンを使った方がよく覚えられたと言っていますし、多くの研究で「手書き」の脳に与える学習効果を再認識しています。
ついつい新しいものに飛びついて、それですべて安心と思いがちですが、教育に携わる者としては慎重にそこは見極め、それぞれの長所を上手く組み合わせて、生徒の置かれている環境を考慮しながら、教育方法を考えるのがいいでしょう。
要はバランスかもしれません。
デジタル化が進んでいる世界の教育を見てみると、「手書き」が100%なくなることはないようです。
不便で面倒くさくても、学習においてはその方が人間の脳は心地よいのでしょうか、苦労した方が脳が発達するとは皮肉というか、やはり人間はアナログなんだと改めて感じます。
私はそんな人間臭い、いや、人間味あふれるところが好きで、教育においては大切にしていきたいと思います。
これから日本の教育はどんどん変わり、私たち大人が経験したことのないものになっていくでしょう。
でも、デジタル化にあっても、その根底には人間教育があるんだということを忘れず、「手書き」を始めこれまでの長い教育の歴史の中で培われたアナログな勉強も大切にしていきたいと思います。
2021.06.29
東京オリンピックに小中学生を動員!?見栄えをよくするため?拒否はできないの?実際現場ではどうなっているのか生徒に聞いてみました。(その二)
先日、コロナウイルス感染が危ぶまれる中開催される東京オリンピックにおいて、小中学生が学校教育の一環としてオリンピック観戦に動員されるのではないかというお話をしました。
これまでの経緯を説明し、問題点を指摘して終わりましたので、今回は残りの、当の生徒たちはどう考えているのかお話します。
これは当塾に関係する生徒の話なので人数としては非常に限られていますか、実際の生徒たちの声なので拝聴の価値はあると思います。
オリンピック観戦について学校ではどのように話されているのか
私の聞いた生徒に限って言えば、学校でオリンピック観戦についての話題は一切ないということです。
むしろ、教育委員会が生徒たちにオリンピック観戦をさせようとしているということさえ知りませんでした。
だから、未だに何の準備もしていませんし、これは保護者も同様らしいです。
家庭への配布物にもそんなことは全く書いていないので、このままオリンピック観戦はやらないのではないかと言っていました。
一部の生徒によると、去年まではオリンピック観戦についての話も活発だったが、今年に入ってからは全く話が出なくなったそうです。
また、別の生徒は年間行事予定表には「オリンピック観戦」が書いてあるそうですが、だからと言ってそれについての話は今のところ学校からは一切ないそうです。
これらのことがどういう事情かは分かりませんが、この時期になってもそういった話題が出てこないということは、オリンピック観戦はないのではないかと言っていました。
確かに直前に言われても、本人も保護者も戸惑いますよね。
ただ、「やるにしてもやらないにしても早く決めてほしい」という声も聞かれました。
更に、「万が一、学校でオリンピック観戦が決まったら参加するか」という質問もしてみました。
すると生徒たちは、はっきりと「行きたくない」、「休む」と答えました。
コロナウイルス感染のリスクを考えるなら、例え学校の課外授業だから欠席扱いになるとしても行かないそうです。
そして、これは保護者も同じようで、やはり自分たちの子供をわざわざオリンピック観戦に、感染リスクを冒しでまで行かせたくないという意見が多いようです。
最後に、「オリンピックについてどう思っているか」ということを生徒たちに聞いてみました。
私の聞いた限り、生徒たちは「オリンピックに興味ない」というのが本心のようで、自分たちの生活とはかけ離れたもの、関わりないもの、どうでもいいものという感じです。
「周りの友達もそうなのか」と聞いてみましたが、同じく関心がないそうで、オリンピックの話題が日ごろの会話に上ることはほぼないそうです。
政治家の人が訴えるほど生徒はオリンピックに興味がなく盛り上がっていません。
それよりも早く普通の学校生活に戻してほしいと言っていました。
生徒によるオリンピック観戦に関する動き
このように当事者である生徒たちはそこまでオリンピックに興味を持っておらず、むしろコロナウイルス感染や熱中症の危険あるイベントにわざわざ参加したくないと考えている人が多そうです。
政治家の皆さんがおっしゃる通り「一生の思い出」として、その生徒の人生にポジティブな影響を与えるか非常に疑問です。
万が一のことが起きたときの政府としての責任と対応も明確ではなく、この安心できない状況がより生徒をオリンピック観戦から遠ざけているみたいです。
これは現地で実際に引率しなければならない学校の先生方も同じで(この点に関しては前回の記事の中にあるので参考にしてください)、本音は政府の言うように管理しきれないということみたいです。
実行した時何が起きるか、細かいシミュレーションと対策を考えるなら、現体制で生徒たちをコロナと熱中症から守り、思い出に残るオリンピック観戦を実現することは不可能。
問題発生の可能性は非常に高く、責任を負いきれないというのが、正直な見解でしょう。
このようなイベントが行われるときは、イベント当日だけでなく、その前からかなり細かくしっかり準備しないといけません。
その負担も現場の先生には大きなものです。
実際に、東京周辺の自治体ではこのオリンピック観戦用のチケットをキャンセルするところが増えています。
埼玉では生徒たちに配られる予定のチケット全体の75%がキャンセルとなり、千葉でも半数ほどのチケットがキャンセルとなっています。
理由はコロナウイルス感染や熱中症に対する不安がぬぐえないこと、まだ不確定な部分が多いこと、生徒を別枠としていることなどです。
東京では目黒区が中止を決定していますが、他の自治体はまだそのようなことは発表していません。
自治体として中止の決定はしないのかもしれませんね。
「最終的には学校長の判断」と教育委員会は言っていますが、市町村などが先にキャンセルを明言することで、学校としては非常に助かるところがあると思います。
コロナウイルス感染がまた増えてきています。
減少傾向にあったときは強気なことを言って、感染者上限1万人+αとしていた政府も、無観客もありるみたいなことを言い出し始めました。
この期に及んでなお、日和見主義みたいな態度は現場を混乱させると同時に、政府に対する信用をなおも落とします。
もっとしっかりしてほしい。
子供たちのことだけでなく、本気で国民のことを考えてほしいです。
(自分たちの周りのごく一部の者のことだけでなく)
その点、オリンピック観戦のキャンセルを決めて自治体は英断だったと思います。
本当に子供たちのことを考えているのは誰なのか分かりますよね。