塾長ブログ
2022.01.29
教育のデジタル化が手書き文化を衰退させる
日は前回途中で終わってしまった「手書き」に関する話の続きです。
日本は世界的に見て教育のIT化に大きく後れを取っています。
それでもコロナ禍があって、ようやく生徒たちに一人一端末の配布を終わらせたようです。
とは言え、これは端末を配っただけで、学校教育においてそれを有効に活用しているかというと、全くそういうことはありません。
この点はまた、生徒と話をしましたので後日お知らせします。
まだ教育のデジタル化が十分にできていない日本ですが、デジタルディバイスを上手く使い日本より何歩も先を進んでいる諸外国では、教育のデジタル化による弊害が報告されています。
その一つが「手書き離れによる教育効果への影響」です。
教育のデジタル化が進むと文章の作成や記録は主にパソコンなどで行うようになります。
当然、自分の手で文字を書くのではなく、パソコンのキーボードをたたくタイピングになります。
しかし、パソコンやダブレット端末を早くから導入している国々では、全ての文章をパソコンで書くのではなく、ある程度はあえて生徒たち自身の手で書くようにさせています。
キーボードを打つだけの方が文章は楽に早く書けます。
なのに、なぜこれらの国々では手書きをわざわざ残して、効率性を落としているのでしょうか。
それは手書きにはタイピングにない教育効果があると言われているからです。
例えば様々な報告によると手書きは、自分の頭の中で整理してから書き出す訓練になるそうです。
また、人間がノートを取るときは、黒板に書かれた情報を単に写し取っているのではなく、板書した状況をエピソード記憶として脳内に保存します。
覚えなければならないものそのものを思い出など他の要素と結びつけることにより、記憶はより深く強く残ります。
人間の脳は何かを関連づけることによって、記憶が思い出しやすくなります。
タイピングは単純なパンチングの繰り返しになるので、この点は弱くなります。
また、手書きは頭の中で書く内容をもう一度復唱しながら書いたり、どういうことかなと考えまとめながら進みます。
つまり、タイピングよりもずっと脳細胞の活動が活発になるのです。
そうして、書きながら頭の中で何度も反芻する勉強はより理解を深め分かりやすくなります。
一方、タイピングはスピードが速い分、脳内でじっくり考えながら書くことができません。
従って、タイピングだけでは深く考えるという練習にはならないのです。
先ほど、記憶を呼び起こすには手書きの方がいいと言いましたが、ある研究によると、スマホやタブレット端末より手書きは創造的な活動にも効果的だそうです。
この実験によると、紙とペンを使ったグループでは、言語、資格、記憶を処理する領域で脳が活発に活動し、紙に付随する写真や余白のメモなどが物理的映像としてより記憶できるそうです。
人間の脳は便利になれば教育効果が薄れます。
最近の教育(教育に限らず社会全体がそうですが)は、生徒に苦労させないことを売りにして、世間的にもそれが歓迎されています。
面倒くさいのは悪で、簡単なのが善と。
しかし、本来勉強は面倒くさいものです。
面倒くさいからこそいろいろ学べるのです。
個人的には、現代の苦労を敬遠する傾向は生徒にとって不幸なことだと思います。
なぜなら、人間の思考の余地が減っているからです。
昔は「若い時の苦労は買ってもせよ」と言ったものですが。
思うようにいかないから、どうすればいいか考え試行錯誤し、粘り強く繰り返し考えることで、脳は鍛えられ思考の成長につながるのです。
分からないときは検索してすぐに解答を見つけ、それを繰り返すだけでは自ら考える力はあまり育ちません。
手書きもそうです。
私は常々、勉強は肉体労働だと言っています。
ただ、目で見て読んで覚えて終わりが勉強ではありません。
手も足も顔も、体全体を使ってより多くの刺激をくみ取って、脳を活性化させた方がより勉強は身に付きます。
特に手が与える脳への刺激は大きく、やはり書くということは大事だと思います。
しかし、今の生徒や教育関係者はできるだけ最小限の仕事で結果(テストの点を上げる)を出そうとします。
確かに一見成績(テストの点)が上がったようになるかもしれませんが、それはテストという定められた問題に対して機械的に答えを返している(反応している)だけで、本当に考えて導き出した答えかどうかは怪しいです。
教育現場でデジタル教材を使えば大丈夫などと言われたときは要注意です。
技術の進歩に伴い学習スタイルも変化します。
しかし、何もかも変えてしまうことがいいとは限りません。
一見便利そうなデジタル教材が、これまでの学習スタイルよりも必ずしもいいとは言えません。
多くの人が経験則として紙とペンを使った方がよく覚えられたと言っていますし、多くの研究で「手書き」の脳に与える学習効果を再認識しています。
ついつい新しいものに飛びついて、それですべて安心と思いがちですが、教育に携わる者としては慎重にそこは見極め、それぞれの長所を上手く組み合わせて、生徒の置かれている環境を考慮しながら、教育方法を考えるのがいいでしょう。
要はバランスかもしれません。
デジタル化が進んでいる世界の教育を見てみると、「手書き」が100%なくなることはないようです。
不便で面倒くさくても、学習においてはその方が人間の脳は心地よいのでしょうか、苦労した方が脳が発達するとは皮肉というか、やはり人間はアナログなんだと改めて感じます。
私はそんな人間臭い、いや、人間味あふれるところが好きで、教育においては大切にしていきたいと思います。
これから日本の教育はどんどん変わり、私たち大人が経験したことのないものになっていくでしょう。
でも、デジタル化にあっても、その根底には人間教育があるんだということを忘れず、「手書き」を始めこれまでの長い教育の歴史の中で培われたアナログな勉強も大切にしていきたいと思います。