塾長ブログ

2021.10.27

コロナの影響でいじめが減少、そして自殺、不登校は増加?!子供たちの精神状態も不安定に。

コロナの影響でいじめが減少、そして自殺、不登校は増加?!子供たちの精神状態も不安定に。

文科省によると、「問題行動・不登校調査」でいじめは前年度より前年度より15.6%減少したそうです。
いじめの件数の減少は7年ぶりで、その要因としてコロナウイルスが指摘されています。
一斉休校で授業日数が減り部活も制限された結果、生徒間のコミュニケーションが減ったことがいじめの減少につながったと分析しています。
「冷やかし、からかい、悪口」と言って一見ふざけている、または軽い気持ちでのいじめが一番多くなっています。
そして、今話題のSNSを通したいじめも過去最多となりました。

その一方で、不登校による欠席をした生徒数も毎年増え続け、こちらも今年が過去最多となっています。
こちらの要因としては、コロナ禍による休校などで日常生活に制限が加えられたことによるストレス、生活リズムの乱れが考えられています。
外出の自粛が求められ、自由に遊びに行けないので家に閉じこもり、暇を持て余してゲームをしたり、動画を見たり、友達とSNSをして、夜遅くまで起きていたり、中には気がついたら夜が明けてしまったなどということになってしまう。
結果、昼夜が逆転し昼間は眠いのに夜は目が冴えて眠れない。
こうやって、昼間に学校に行くことさえ困難となり、とうとう不登校になってしまうなんて例は枚挙にいとまがありません。

学校に行っているときは否応なくいろいろな生徒に会わなくてはならず、中には自分の苦手としている生徒とも会わないといけない。
しかし、幸か不幸かコロナ禍で学校に行く機会が減ると、当然嫌な生徒たちとも会わないで済むので、学校でいじめにあっている生徒には好都合なのかもしれません。
しかし、永久に学校に行かないわけにもいかず、登校しなくてはならない日が来ます。
そんな時、もう体が無意識に反応し、頭ではいかなくてはと思いつつも、頭痛や腹痛が起きて学校に行くことができなくなります。
休んでいいとなると治るのですが、また行くとなると病気になる。
このように不登校となる生徒も多いようです。

コロナ禍で在宅期間が伸びると、親との接触の機会も増え、親子が互いに緊張とストレスを感じることが多くなってきているようです。
それを反映してか、小中高生の自殺は前年度前年度の317人から大幅に増え、415人となり調査が始まって以来最多となりました。
理由は家庭不和や親からの叱責、学業不振、進路の問題などがあり、先ほど述べたように、コロナ禍による家庭での時間(テレワークや自主休校など)の増加が子供たちの自殺を増幅させたのではないかと考えられています。

また、不登校の児童生徒も増え合わせると20万人に迫る勢いで、8年連続して増加しています。
そのうちの55%は90日以上学校に行かない、深刻な状況にあります。
これまでのいじめや学校に馴染めないなどの理由に加え、感染を恐れ「感染回避」を理由に休んでいる生徒も今年はたくさんいます。この感染回避を理由に30日以上学校に行かなかった子供たちは3万人とかなり多くなっています。

学校に行くこと自体が減ったのに加え、例え登校しても人との接触が制限されたりして、子供たちは友達などの人間関係を構築しずらい環境にあり、悩みや苦しみを打ち明けたり共有できる存在がいないのも、子供たちの精神を守り安らぎを与えにくい理由になるでしょう。
これまでのように決まったリズムで生活できず、コロナ禍によりSNSやゲーム、動画などの時間が増え、当然とされる日常生活が過ごせなくなる事例も多く報告されています。

このように、コロナ禍は子供たちの物理的距離を開き、いじめは減少させたが、彼らをより孤独にさせたり、精神的ストレスをリリースさせる機会を減らしたので自殺と不登校は増加したと文科省は考えているようです。

この手の調査は表面に現れにくい問題も多く、その結果をそのままうのみにすることはできませんが、一つの示唆を与えてくれます。
子供たちとの接触においては、コロナ禍が彼らの心や体にどのような影響を与えているかを十分に考慮する必要があるでしょう。

とは言え、ここに出てきている数字は「学校が認知したもの」に限られているので、「認知されないもの」、または「認知されていても隠蔽されたもの、重大と見なされていないもの」があると思って、その修正を加えなければ現実は見えてこないかもしれません。
例えば、SNSの誹謗中傷は本人や大人の知らないところでどんどん進行している可能性があります。

葛西TKKアカデミーは子供たちを守りたいと思っています。
学校の制約下で悩み苦しんでいるならば、葛西TKKアカデミーが安心して彼らの心を開ける場になります。
勉強のことは心配しなくても大丈夫です。
葛西TKKアカデミーが何とかします。
でも、失われてしまえば命は戻ってきません。
その前に何とか思いとどまれるように、希望など与えられればと願っています。
傷ついた心も、癒えるには時間と労力が必要でしょう。
そのような場面でも葛西TKKアカデミーがお役に立てればと考えています。

コロナ禍の状況では、学校で健全な人間関係は築きにくいかもしれませんが、そんな時は気軽に葛西TKKアカデミーにご相談ください。
子供たちのより良い日々のために。

2021.10.16

テストや問題集は自分のできるを確認するため?いえ、自分の何ができないを知るため!このパラダイムシフトが勉強を変える。勉強が苦手な生徒、時間の少ない受験生にお勧め!

テストや問題集は自分のできるを確認するため?いえ、自分の何ができないを知るため!このパラダイムシフトが勉強を変える。勉強が苦手な生徒、時間の少ない受験生にお勧め!

皆さんは勉強でテストや問題集をどうしてすると考えますか。
多くの人は自分が何点取れるか、どれだけ丸がもらえるかを気にします。
自分の実力の確認ですね。
「○○点取った!」「丸が○○個もらえた!」と一喜一憂します。
結果が良ければそれで気分が良くなり満足、悪ければがっかりして悲しんで終わり。
それも一つの見方ですが、このテストや問題集との向き合い方をちょっと変えると、学習が変わってきます。
これは勉強が苦手な生徒、入試で時間のない受験生にお勧めです。

テストや問題集は「何ができるか」を知るためでなく「何ができないか」を知るため
先ほど述べたように、多くの生徒はテストの点数や問題集の丸の数を気にします。
これは今の自分の実力を示す指標になり、周囲の人間もこの指標で生徒を評価するからです。

しかし、勉強はそこで終わりではありません。
勉強は生きている限り続くとも言えますし、短い期間に限ってもゴールはその後にあります。
例え今、良い結果が出せなくても、勝負は一番最後の入学試験と考えるなら、それまでに十分な力をつければいいのです。
逆に、ここで終わってしまえば、それ以上自分の力を伸ばすことができる、最後の最後で泣くことになります。
だから長い目で見て、今の失敗(間違いやできない)を成功(分かる、できる)に導くことが本当の勝利への道となります。

そう考えるなら、テストや問題集は終わりではなく、むしろ勉強の始まり、きっかけだと思ってください。
テストや問題集をすることによって、自分に何が足りないかが分かります。
そうであるなら、その足りないものを集中して勉強すればいい。
やみくもに一から順に全てやらなくてもいいので、勉強としても効率のよい方法となります。
だからこそ、入試を控え時間が残り少ない受験生にもお勧めするのです。

失敗から学ぶというのは、漠然と勉強するより学習効果が高いと言われています。
それは、失敗と言う経験が脳により大きな刺激となり、そこから学んだことはより強い印象として残るからです。
記憶は「回数×インパクト」です。
掛け算の九九や年号など意味の薄い数字の暗記も回数を増やすことで覚えることができます。
また、一度だけでも交通事故のようなトラウマ級の場面を見てしまえば一生忘れることができなくなることもあります。
テストなどでうまくいかなかったという経験も、エピソード記憶となり、脳へより大きな刺激となるので、学習の習得のチャンスです。
だから、間違いから学ぶときは印象が弱くなる前に、できるだけすぐに勉強に取り掛かった方がいいです。

失敗は成功の基。
こうして勉強はあらゆることを学びのチャンスにすることが一つのコツです。

自分の置かれた現実に目を背けず前向きに勉強できる強さ
勉強が苦手な生徒は、テストや問題集が終わったら、その開放感ですぐに遊びに行ってしまいます。
でも、テストや問題集を有効に利用すれば、学びのチャンスは非常に大きいのです。
実はできる子は、このことを知っており、失敗から学ぶので自分の実力を伸ばすことができるのです。

とは言え、自分のできないことを直視することはあまり気分のいいことではありません。
できない事実を見ないで、知らないふりでごまかして何もしない方が気が楽です。
しかし、それでは失敗は失敗のままで、何も学べず同じ失敗を繰り返すだけです。
そうならないためにも、自分の置かれた客観的現実を受け入れなくてはいけません。
でも、これは自分で自分の欠陥を認めるようなもので、自尊心(特に思春期の生徒はこれが非常に重要で)を傷つけ辛いので、生徒はなかなかやりません。

だからこそ、周囲のサポートが大きな意味を持ちます。
悪い結果に対して避難しても何の得にもなりません。
かえって勉強をしなくなります。
「間違えれば怒られる」とインプットされれば、「間違えないために勉強する」ではなく「間違えを認めないために答えない」なります(自分のプライドで「できない」だけは認められない、答えなければ「できない」ではなく「言わない」だけで自分のプライドは守られる)。
これでは本人は勉強からますます遠ざかってしまいます。
最初は間違えが沢山あり、勉強しなければならない内容もたくさんあるでしょうが、それは徐々に減り、ある程度やっていくとどんどんできるようになります。
だから、そうなるまで本人の心が折れないようにサポートしましょう。
この苦難を乗り越えてできるようになると自分に自信がつき、逆に自分から進んでこの勉強法を行うようになります。

大事なのは周囲の励まし。
自分にはまだ可能性があると感じさせ、やればできるという自信と確信を持たせることです。
これは周囲の人間の対応で大きく変わります。
テストや問題集を終着点ではなく、むしろ出発点と考えるなら単なる非難ではなく、結果を受け止め、どうしてそうなったか調べ、これからどうしていけばいいかを一緒に考えてあげるべきです。
勉強はよく分からないというのであれば、ここは私のような専門家にお願するのもいいと思います。
親が全てする必要はありません。
適材適所、自分のできる役割をこなせばよく、足りないところは外部に助けを求めてもいいと思います。
本来子育ては親だけがするものではなく、親せきや近所の大人たち、先生やその他の先輩たちなど、多くの人々と協力してやるのがふさわしいと思います。
こうすれば自分一人で子育てのプレッシャーを受ける必要もなくなり、親としても精神的余裕が生まれ、そうなればもっと冷静な判断もできるようになります。

時間のない受験生もテストや問題集を上手に利用し、効率のよい勉強を
今、受験勉強で大変な生徒もいるでしょう。
この時期であればもう基礎固めは完全に終わって、本番に向けた応用問題に取り掛かっていないといけません。
しかし、自分はどうしても不安だという人も多いでしょう。
こんな時、教科書や参考書を開き、最初のページから順番にやっていっては時間が足りなくなってしまいます。
そんな時もこれまでやったテスト、模試、問題集、ワークなど、実際にやった問題集を取り組むのがいいです。
受験生であれば特に、過去問を集中的にやるのが一番。

過去問は実際に入試で出された問題であり、出題者も真剣に考え抜いた良問が沢山あります。
そして、実際に出たということは、またに多様な問題が出るということでもあります(過去に出た問題と同じような問題が出た例はいくつもあります)。
過去問を解くことで勉強をより深めることができるし、そこから学ぶことも多いのです。
そして、過去問をやって事前に失敗していれば、本番では失敗からの教訓を学んでいるので、気づき間違えることはなくなります。
だから、過去問や模試の問題を解くことは、この時期の受験生にはお勧めです。

しかし、よく聞くのは「自分はまだ準備ができていないから、先ずは教科書や参考書をやって、それから確信のために過去問をする」と言う意見です。
でも、もうそんな時期は過ぎ、今は時間との勝負です。
悠長なことはやっていられません。
だから先ほど述べたように、過去問を自分に何ができるかを知る指標にするのではなく、自分に足りないものを見つけ、それを補うためのきっかけにするのがいいです。
こうすればできないところだけ(できているつもりでも実は身に付いていなかったところも分かります)を勉強するので時間の節約になります。
実戦を通して学ぶのです。
過去問を20回やれば、たいていの分野は出尽くすので、全ての範囲のフォローになります。
少なくとも10回(入試問題や模試の最近の3年分)はやってほしいです。
これだけやれば自分の勉強の穴が分かり、後はそこだけ確認すればいいのです。
最初はきついかもしれませんが、ある時期を過ぎるとだんだんできるようになります。
それまで自分を信じ、根気強く頑張ってほしいです。
そして、ここでも周囲のサポートが大きくものを言うので注意しましょう。

このようにテストや問題集に対する考え方を変えると、そこには学びのチャンスがたくさん存在することに気づきます。
結果が悪いということは「学ぶチャンスが多い」ということ。
結果が良いということは「学べるものがない」ということ。
そのように見直し、テストや問題集をやった結果のマイナスをプラスに転じられるような勉強をしましょう。
そうすれば、学習と定着が促進され、生徒たちの実力も延びていくことと思います。

勉強に関して困ったことがあればどんなことでも構いません。
いつでも気軽に葛西TKKアカデミーまでご連絡ください。
一緒になってどうすればいいか考えます。
葛西TKKアカデミーはいつでも、全ての生徒の力になれることを望んでいます。

2021.10.13

記述問題をあきらめないで!実は知らなくても解けるサービス問題もあります。部分点があるかもしれないので、記述で白紙解答はやめましょう!

記述問題をあきらめないで!実は知らなくても解けるサービス問題もあります。部分点があるかもしれないので、記述で白紙解答はやめましょう!

文科省の教育方針が変わり、入試や学力テストなどでも記述問題が非常に増えています。
それも国語だけではなく、五教科全てにおいて記述問題が目立って増えています。
しかし、記述問題を見ただけで、「もうだめだ。できない。あきらめよう。」と思って、問題すら見ずにやめてしまう生徒がとても多いです。

でも、実は記述問題は簡単に答えられるものが多いのです。
そして、選択問題のように0点か100点かの問題とは違い、部分点があります。
特に入試などの1点が合否を左右するような場合、この部分点が大きく結果に響いてくることもあります。
書かず白紙なら0点ですが、書けば1点でももらえる可能性がある。
ならばやらない手はありません。
少しでも結果を出したい、点数を伸ばしたいと考えるならば、記述問題をやりましょう。
しかも、コツさえ分かってしまえば、意外とすらすらと答えられます。

多くの生徒は記述問題が苦手と言います。
でも、それは文を書くことに慣れていないからで、多くの場合はある程度は書けます。
ある程度書ければ部分点がもらえるので、記述問題はそれで十分です(記述問題は満点を狙うのではなく、部分点を狙う問題です)。
そして、中には予備知識が必要なく、あまり深く考えなくても答える問題もあります。
自分の勝手な「記述問題は難しい」と言うイメージだけで、問題も見もしないで飛ばしてしまうのはもったいないです。

先ずはチャレンジしましょう。
そして、問題に慣れましょう。
つまり、テストを受けるまでにポイントをしっかり理解し実際に書きながら練習するのです。
ここで大事なのが「実際に書く」ということです。
多くの生徒は日本語なのだから書くのは簡単と考えています。
面倒くさがって書かない生徒が多いのですが、いざ書いてみると表現や語彙など適切に使われていない場合が多々あります。
母語だと高をくくっていると、意外と書けないものです。

記述問題をするときは頭で考えて「そうか、そうか」ではなく、実際に書くことが重要です。
日常生活の中でもきちんとした文を手で書く機会が減りつつある現在、受験勉強として時間を取ってしっかり自分の手で書いてください。
先にも述べましたが、文字にしてみると意外とうまく書けず、後で読み直してみると(できれば誰かに読んでもらって指摘してもらうといいのですが)意味が全く分からないなんてこともあります。
最初は模範解答を写すだけでも構いません。
そこから「こうやればいいのか。」「こう書けばいいのか。」と考えながら繰り返していると、だんだんコツが分かってきます。

また実際に書く重要性は書き方を身に付けるだけではありません。
以前指摘したように、最近の生徒は書く「力」、能力ではなく本当の体力としての「力」が衰えています。
すぐに疲れて書けなくなる。
力が無いからしっかり書けず、薄くミミズのはったような字になり読むことができない。
書き続けることに耐えられる力が無いので、すぐに疲れ精神的にも嫌になり集中力が続かない。
運動と同じように肉体トレーニングとしての意味合いもあります。

記述問題など文章を書く方法に関しては別の記事で既にふれたことがあるので、ここでは記述問題を答えるコツをいくつか話しましょう。

先ず、記述問題は難しいことを高尚な表現で書く必要は全くありません。
分かり切ったことをつまらない表現形式でシンプルに書けばいいのです。
文学作品のような芸術的な書き方はしなくていいです(解答に芸術点はありません)。
必要な情報を正確に伝えられればいいのです。
本当に「静岡のお茶の生産量が増えた。」とか「日の出の時刻が早くなった。」など、問題が求める内容をしっかり押さえていれば、極めてシンプルな構成の短い文でいいのです。
しかも、特に図表を使った問題は資料から読み取れる明確で単純な事実だけを聞かれることが多いです。
「日本各地のお茶の生産量の変化を示したグラフから読み取れることを書きなさい。」なんて問題であれば、グラフから生産量の変化がどうなのかだけ読み取り、「静岡のお茶の生産量が増えた。」などと書けばいいのです。
問題を複雑に考えすぎない、答え方を難しくしようとしない。
これで答えられる問題が結構あります。
これは図表さえ正しく読み取れれば勉強していなくても答えられるサービス問題で、これは是非取りにいきましょう。

もう一点だけコツを述べましょう。
問題に出てくる図表や資料は意味なく出されている訳ではありません。
何らかの意図があり、出題者は解答者がその意図を読み取り求める解答をしてくれることを期待しているのです。
だから、なぜこの資料があるのかを理解することが大事です。
この資料のどこの部分を使って答えさせたいのか、この資料が解答にどのようにつながっていくのかが分かれば、答えを書くことも簡単です。
例えば、グラフの変化から今後どのようなことが起こると予想できるか、資料のどの部分がきっかけで事件が起きたのか、この実験は何を知りたいから行ったのかなど。
解答者に資料から何を分かってほしいのかを出題者の立場で考えられるようになると、資料を見たときに「あ、これを言ってほしくてこの資料を出したんだな。」と分かってきます。
この部分は慣れも必要なので、やはり記述問題にたくさん当たること(質より量)が大切です。

以上の点を踏まえて、書き方をしっかり身に付け、後は繰り返し練習すれば記述問題は驚くほどできるようになっていきます。
短期に得点を上げたいと考えるなら、記述問題に着目するのもいいかもしれません。

どの問題もそうですが、最初の見た目に騙されてやる前から問題を諦めるのはやめましょう。
やってみると意外と簡単だったということはよくあります。
逆に点数の低い生徒は、戦う前から既に白旗をあげている人が多いように思えます。
頭がいい悪い以前の問題、心構えの問題で、やる前から自分の負けを認めている。
原因はその生徒のメンタル構造によるのですが、この点はまた別の記事で。

記述は難しいとよく言われますが、実は記述はそれほどでもありません。
むしろ勉強で覚えていなくても、資料の読み取りだけでできてしまうラッキー問題であることの方が多いのです。
なぜなら書き方は自由だし、書けば何点かもらえるかもしれないし(完璧な解答でなくてもいい)、図表や資料に書いてあることを素直に読み取れば単純な答えでいい場合もあるからです。
食わず嫌いはやめて、チャレンジしてみましょう。
分かってしまえば、どんどん解けるようになります。

どうしても記述問題に対する勉強の仕方などが分からないときは、葛西TKKアカデミーまでご連絡ください。
喜んでご指導いたします。

2021.10.05

学校が生徒に配布したタブレット端末によるいじめで小6の生徒が自殺した問題について考えます。(その二)

学校が生徒に配布したタブレット端末によるいじめで小6の生徒が自殺した問題について考えます。(その二)

以前お話したこの事件ですが、教育のICT化問題といじめの問題に区別して考える必要があると述べました。
そこで前回はICT運用の観点からこの事件の問題点は何か、防ぐことはできなかったのか検証していきました。
今回は第二弾として、この事件をいじめの問題と捉え、学校の対応などの面から適切であったか考えてみたいと思います。

先ずは事件の概要をざっと見てみましょう。
去年の11月に町田の小学6年生がいじめを苦に自殺をしました。
この小学校は20年前からタブレット端末を導入し授業や家庭学習、課外活動などに積極的に活用していて、日本の教育のICT化の先駆けとなって注目されていました。
しかし、ICTの運用にあたってはほぼ児童任せで、パスワードが全員同じであったり、IDが簡単に分かるなど、セキュリティや使用制限の面では問題が指摘されています(児童たちは容易に暴力的コンテンツやゲームなどにアクセスできました)。
実際にSNS上に特定児童への誹謗中傷が書かれ、しかも誰でも他人のIDを使ってログインできることから、なりすましによる悪意ある発言もあったようです。
今回自殺した生徒も学校配布のタブレット端末使ったSNSへの誹謗中傷が原因の一つと考えられています。
以上のような経緯から、タブレット端末を児童全員に配ることへの疑問が持たれ、GIGAスクール構想にも大きな影を落とすことから、文科省も事態を深刻に受け止め調査に入りました。

タブレット端末の使い方などICT教育の問題としての議論は前回しましたので、今回は主に学校側の対応を中心にいじめ問題として考えてみたいと思います。

このような児童生徒の自殺はこれまでも何度も何度も起き、その都度問題視されてきましたが、未だに改善されているようには見えません。
問題の起きた学校はたいてい自殺の全段階であるいじめの段階で把握していました。
しかし、そのいじめの対応は紋切り型で、例えば当事者同士を教員の前で話し合わせ、加害者が被害者に謝罪(形式的であれ)させて問題解決として終わり。
被害者がどれほどの苦痛を味わい、加害者が本当に自分の行いを理解し悔い改めようとしているかは全くお構いなし。
基本的に外部に知られないように隠蔽に走り、当事者をなだめ卒業するまで表沙汰にならないようにするのに苦心する。
このような対応が頻繁に行われます。
学校は閉ざされた空間になりやすく、外部からは何が起こっているのか非常に見えづらくなっています。
だから、「問題を解決しようとするより、卒業して無関係となるまでなんとか問題を抑え込んでので無罪放免になるのを待つ」方が楽なのでしょう。
下手にまともに受けて外部から責任追及の圧力を受けては昇進にも関わる。
そうやって問題を直視しないで、その場しのぎでごまかしてきたからこそ、いじめとそれを苦にした自殺の問題が今も改善しないのです。

今回の事件もこのような隠蔽、ごまかしが見られました。
そこにICTの利用が絡み、この小学六年生の自殺がより注目されるようになりました。

元々、この女子がいじめにあっていることは自殺の2か月前に当たる九月の段階で学校は把握(校内アンケートで発覚)していたようです。
学校はいじめを行ったとこの女児から名指しされた児童に謝罪をさせて、この問題は解決済みとしました。
そして、この女児がいじめにあっていたという事実は保護者には伝えられなかったそうです。
タブレット端末に彼女への誹謗中傷が書き込まれていたことは、何人かの友人や他の保護者には知られていたようで、学校もこの女児の殺し方と書かれたノートも保管しているそうです。
しかし、肝心の彼女の親には伝えられていませんでした。
親としては普通に問題なく学校に通っていると思っていた矢先の突然の自殺となり、そのショックは計り知れないものと想像できます。

自殺が発覚後、両親は学校に情報公開を依頼しましたが、当初は解決済みの問題と受け付けなかったようです。
その後、学校はこの両親に経緯など説明しましたが、肝心のタブレット端末に書き込まれていたという女児への悪口は何者かによって消去されていたそうです。
この点に関しては以前話したようにセキュリティの問題から誰でもSNSにアクセスでき(なりすましが横行)、学校関係者(児童、教員、保護者)の誰かがログインして削除したと思われますが、学校の説明は「ハッキングに遭い、不思議なことに彼女への悪口が消えてしまった」というお粗末なものでした。
システム上、削除された内容の復元は可能だそうですが、パスワードが共有されているので、誰が書いたかの特定まではできないそうです。
自殺してしまった児童が残した遺書が、ことの顛末を知る信頼できるの主な手掛かりと言うのはとても悲しすぎます。

自殺後、学校は女児の死亡について他の児童に明確に説明しませんでしたし、加害者への追及も行いませんでした。
それは今回の事件についえ追及することで加害者の児童も自殺することを恐れたためだそうです。
この点に関しては、被害者を守ろうとしないで加害者を守ろうとするという指摘(いじめの問題が起きたときはよく指摘されること)もありました。
保護者を集めての説明会もあったようですが、自殺した児童の親からそっとしてほしいという希望があった(これは嘘)との理由で死亡したことは伝えましたが、それが自殺とは伝えなかったそうです(今流行っているコロナウイルスによる死亡と考えた保護者もいたようです)。
また、いじめの問題は既に解決済み(実際は解決していなかったのだが)で、児童の自殺といじめの関係はないという説明も今年の三月の保護者会までしてきたようです。
このように学校は自殺とつまびらかにすることを避け、できるだけ先延ばしにしようとした姿勢がうかがえます。

そして、今回メディアを通してニュースが流れた訳です。
「一人一端末」を達成したタイミングでのこのニュースに文科省も調査に乗り出すとしています。
因みに、当時この学校の校長を務めは、教育のICT化の先駆けとしての実績が評価され、現在は区の教育長に栄転されたそうです。

いじめ問題として考えた場合、このように学校の対応は、これまで問題となった他校とさほど変わることはありませんでした。
そこにタブレット端末が絡み、タブレット端末の配布の是非も議論されるようになりました。
多くの意見では配布の中止は行き過ぎだが、何らかの制限、ルール作りやICTの扱いに関する情報モラルの教育の必要性が論じされました。

しかし、教育のICT化が人殺しに使われたのは事実です。
タブレット端末の全員配布、学校のITC化とうたい文句ばかり先走って、中身をしっかり本気で構築していないのが最大の問題点だと思います。
功を焦るばかりに、尊い児童の命を犠牲にしてしまったという自覚が文科省を始め学校教育関係者にどれほどあるのでしょうか(命の軽視は、今回のコロナ禍でも政府の対応の中に見られました)。
このような先端技術は、先生を飛び越して生徒の方が長けている場合が多くあります。
日常業務の多忙に加えてプロではない先生が教育のICT化にどれほどついていけているのでしょうか。
これは直接生徒に関わる現場には深刻な問題です。
よく考え対応していく必要があります。

そして、これまでもそうだったように、いじめと自殺の問題に対して、その場しのぎやごまかしでなく、教育者なら自分の保身よりも先に、本気で生徒と向き合い若い命を全力で守ってほしかった。
毎度のことになりますが、このような悲劇が二度と起きないように願います。

最後に、葛西TKKアカデミーは将来のある子供たちが、自分の人生をあきらめてしまうことを非常に残念で悔しく思います。
非力ではありますが、もしこちらで何らかの力になれるようでしたら遠慮なくご連絡ください。
喜んでご協力致します。
何より命が大切です。

2021.09.30

勉強ができない子の特徴

勉強ができない子の特徴

長い間いろいろな生徒と触れていると、勉強のできない生徒の特長がいくつか見えてきます。
今回はそのような特徴をあげながらお話したいと思います。

1.質問に正しく答えない
よくあるのが質問に正しく答えないということです。
これは答えが間違っているという訳ではなく、こちらの質問で聞かれていることに対して答えていないということです。
例えば、花壇に咲いている花の本数を答えるために、こちらが先ず「チューリップは何本咲いていますか。」と質問します。
そして、咲いているチューリップの本数を答えてくれればいいのですが、いきなり全体の咲いている花の本数を答える。
確かに最終的には全体の本数を答えるのですが、今質問しているのはチューリップの本数だからチューリップの本数を答えてほしいです。
「そんな細かいことどうでもいいじゃないか。」「最終的な解答にたどり着いたのだからいいじゃないか。」という人がいるかもしれません。
でも、実はこの「聞かれたことに答える」と言うのが勉強においては非常に重要になります。
今回の例は非常に簡単なので大丈夫ですが、これから入試など高度な問題に取り組むとき、日頃から聞かれたことに正確に答える癖をつけていないと、問題で何が聞かれているのか分からず、自分の勝手な思考がどんどん進み、頭の中が混乱して問題の意味すら分からなくなってしまいます。
落ち着いて一つの質問に一つの答えを出して、一歩ずつ着実に正解に向かって解き進められるようになればこのようなこともなくなるでしょう。
これは日常の会話の中でも訓練できます。
子供に質問した時、こちらが求めている回答になっているか確認し、なっていなかった場合は注意してあげましょう。
こうすれば会話がかみ合わないことも防げます。
特に慌て者で答えをせく生徒に、質問の二歩三歩答えてしまう傾向が強いです。
じっくり会話ができるように時間のゆとりがある生活を心がけましょう。

2.ノートをきちんと取らない
次によくあるのがノートを取らないことです。
ノートを取るのは勉強の基本で、授業で習ったことを忘れないようにメモし整理し、後で見直してやった内容を確認し定着させます。
少なくとも黒板に書いてあることぐらいはノートに書くと思いますが、勉強のできない子はノートを取らないで、ただ座って聞いているだけ。
それも集中して一言一句逃さないように聞いているならまだましですが、ぼーっと聞いて結局何を話したか全く頭の中に残っていないということがよくあります。
「勉強でノートを取る」と言う基礎的なことができていないのです。
これは知らないという場合もあるでしょうが、多くの場合は面倒くさがって書かないようです。
こちらが言って何とか書かせても、日頃から書くことに慣れていないので、すぐに疲れ、ノートもまとまりがなく、あちこちに飛んだり、じがぐちゃぐちゃで本人ですら読めなかったりします。
これでは何の役にも立ちません。
また、ノートを書くということは学んだ情報を視聴覚だけでなく、手を使ってより多くの刺激と感覚で覚えるので学習内容が頭に残りやすくなります。
また、書くとき頭の中で復唱しながら書くので、先生の言ったことや書いたことへの理解が深まります。
とにかく勉強は肉体労働であり、体全体を使い、より多くの刺激を与えた方が身に付きます。
また、書くことはテストの記述問題でも必要なスキルなので、ノートを取るということはこういう点においてもよい練習になります。

3.余計なことを考えすぎ、すぐに勉強に取り掛かれない
勉強は先ずやること、やらなきゃ始まらない。
しかし、勉強ができない生徒はこの「やる」にたどり着くまでが一苦労のようです。
何も考えず言われた問題を解く、言われたところを読むなどすればいいのですが、それをする前に「なぜ自分は勉強をしなくてはいけないのか。」「友達と○○したいな。」「明日の天気はどうなっているのだろう。」と余計なことばかり考え勉強まで手が回らなくなってしまいます。
「なぜ勉強しないといけないのか。」「勉強にどんな意味があるのか。」などと言うのは特に女子に多いように見えますが、男子にもいます。
これは勉強に対する拒絶反応を正当化すべく行っていることで、明確な答えが出ないのを分かっていてわざと考えているように思えます。
こちらとしては「そんなのどうでもいいから早く勉強しない。」と言いたいところですが、「勉強するに十分な納得のいく理由が示されない限り、自分が勉強しないことは正当化される。」、そういう期待で思考を巡らせているのかもしれません。
非常に厄介で、一緒にまともに考えていたら時間が過ぎ、勉強ができなくなります。
明確な答えがあればそれで問題解決ですが、そうでないなら一度じっくり親子で一緒に話し合う時間を設けることも大事です。

4.授業の勉強で終わりと思っている
勉強は授業でやればそれで終わりで、後は勉強しなくてもいいと思っているようです。
だから、家に帰ればもう勉強はしない。
宿題も提出という体裁だけ整えて、自力で解かないで答えを写す。
しかし、授業でやった内容は一発で完全に習得できるものではありません。
学年に上がれば上がるほどそうですが、未だに小学校低学年のような感覚で、授業以外で勉強をする必要はないと考えます。
だから、次の授業までに前回学んだことがほとんど(全く?)記憶に残っていません。
勉強は積み重ねなので、前述のことをマスターしなければ先に進めないという基本的なことが分かっていない(分かっていてもそうできない)のです。
結局前回習ったことが「ゼロ」だから、もう一度やってもやはり授業だけでは身に付かず「ゼロ」のまま。
なので、何回やっても最初のところから先に進めず、いつまで経っても勉強のできないままです。
今回習った内容は次の授業までにきちんと覚える。
これの積み重ねが大きな差を生みます。

5.自分はできないと思い込んでいる
勉強できない子は自分を信じていない子が多いようです。
自分はできないんだから勉強しても無駄。
でも、これは実は勉強しない口実だったりするのです。
自分が勉強できないのは生まれながらの能力のなさが原因で、いくら頑張ったところでできないのだから勉強する意味がない。
だから勉強はしなくてもいいと自分を正当化して、勉強をやらなくてはならない圧力から逃れようとするのです。
しかも、この論法であれば勉強できない原因は自分の持って生まれた才能のなさであり、自分自身のせいではないと言えるので、あえて自分ができると信じないのです。
信じてできるようになってしまうと、今以上に勉強させられると恐れているのです。
しかし、一見正しそうに見えるこの理屈ではいくつかの矛盾点もあり、本当は正当化できないのですが、この点に関しては別の記事にて。
自分はできないと言い張って、それを口実に勉強から逃避したいので、自分を信じないようにしていると考えます。
厄介なことは、単純に信じないのではなく、自主的に信じていない点です。
前者であれば、小さな成功経験を積ませれば自信がついて、やがて自主的に勉強に取り組めるようになり、成績も上がるでしょう。
しかし、後者であれば、よほどのことがない限り、「頑張れば勉強ができるようになる」ことを受け入れさせるのは困難です。

以上、勉強ができない生徒の特長を五つご紹介しました。
もちろん、他にもありますが、今回はここまで(また機会があればいずれ)。
いずれも正すには骨が折れる代物です。
でも、生徒の心理をよく理解して個別に対応するしかないでしょう。
全ての生徒に効く特効薬はありません。
一人でどうにかしようとするとどうしても限界があるので、様々な人の意見などを参考にして指導に当たるのがいいです。
なぜなら、より多くの選択肢の中からいろいろ試して、より最適な対応策を見つけられるからです。
その際は葛西TKKアカデミーも考慮に入れていただけるとありがたいです。

2021.09.28

学校が生徒に配布したタブレット端末によるいじめで小6の生徒が自殺した問題について考えます。

学校が生徒に配布したタブレット端末によるいじめで小6の生徒が自殺した問題について考えます。

二週間ほど前のニュースになりますが、学校の配布したタブレット端末を使っていじめが起こり、それが原因で小6の女子が自殺したというものがありました。
折しも、コロナ禍による休校などの事態に備えるため、今年度から児童生徒全員に一人一端末配布を宣言し、形の上では宣言を達成した(ただ配るという意味では実現していますが、有効に使いこなし教育に生かされているかどうかは別の問題です)ときでのニュースです。
タブレット端末を全員が持ち、オンライン授業が可能となれば何が起きても勉強を滞らせることがなくなると高をくくっていた矢先のニュースに、文科省も慌てて調査を開始すると明言しました。

この事件は、今回のタブレット端末配布よりもずっと前に起きたこと(去年の11月)であり、直接の関係はないという点に注意してください。
しかし、自殺が起きた町田の小学校はICT先進校として名をはせていた学校です。
他校より先んじた学校でICTを使ったいじめによる自殺が起きたということは、一人一端末を終えた今、このような事件はどの学校にも起こり得ると考えなくてはなりません。
従って、他人事ではなく自分のこととして、学校関係者は考えなくてはなりません。

そこで今回議論するわけですが、この件に関して私は教育のICT化の問題いじめの問題とに区別して考える必要があると思います。

先ずは教育のICT化について。
文科省はこれまで教育のIT化を急ぎましたが、学校の先生方はこの分野の専門家ではなく、技術的にも知識的にも長けている訳ではありません。
現場で使う指導者の訓練を十分に積み、ある程度のスキルを獲得してから実践に移すべきですが、文科省はタブレット端末の配布を急ぐあまり、それをやってきませんでした(十分な準備もせずに新しい技術や教授法を導入して失敗するというのはこれまでも頻繁にあるパターンですが)。
半ば素人のような先生方がいきなり実践を求められてもうまくいくはずはなく、その利用にいくつかの穴があってもおかしくありません。
これはICT先進校でも同じで、今回の事件もICTを軽く見過ぎた学校の運用に問題がありました。

学校の裏アカウントなど、SNSを通したいじめというのは以前から問題になっていました。
昔と違い、IDとパスワードを持つメンバーしかアクセスできないSNSというツールはいじめを外部から見つけにくくしました。
時には当人が知らないうちに、メンバー内での悪口などが広がり、本人が理由も知らないまま仲間外れにされたり、気づかないうちに評判を落とされたりするなどの形で現実世界に現れることもあります。
また、同じメンバーシップを持つ仲間の間でも、一人の人物への集中的ないじめが起きることもあります。
このようにSNSは便利な道具ではあるのですが、扱い方によっては子供たちの心を傷つける凶器にもなるのです。
スマホやiPadは家庭によって持つ持たないに分かれていましたが、学校教育のICT化は全ての生徒にこの凶器へのアクセスを可能にするのだという認識が事件の起きた小学校では足りなかったようです。
そして、この点が今回の自殺の大きな根本的原因の一つとなりました。

一般的にICTなどを利用する際は他の人が不正にアクセスできないように、IDとパスワードを設定します。
そして、これらは高度な個人情報として厳重に管理されなければなりません。
しかしこの学校では、IDは組番号+タブレット端末の番号、パスワードは全員同じという状況だったようです。
これでは簡単に他人の端末にアクセスできます。
実際にこの事件でも、いじめをした生徒が他の生徒になりすましをして、この児童に誹謗中傷を投げかけていたようです。
しかも、投稿した内容が発覚するのを恐れたのか、何者かがログインしてコメントが削除されていたそうです。
このIDとパスワードの問題はITを扱うものなら基礎中の基礎であり、学校の管理はお粗末であったというしかないでしょう。

では、この問題は未然に防ぐことができなかったのでしょうか。
いじめ自体が防げるかというと難しい問題ですが、少なくとも学校のタブレット端末を使ったSNSによるいじめは防げたと思います。
生徒や児童が持つスマホやタブレット端末からSNSを通したいじめというのは既に社会的にも認識されています。
学校関係者なら当然認識してなくてはなりません。
もしそうでないのならば、この学校のいじめ対策は不十分です。
子供たちは最初ゲーム感覚で個の生徒に対するいじめをしていたようです(いじめた本人はいじめではなく軽いおふざけと考えたいたようです)。
しかし、それが一人の同級生を死に至らしめた。
いじめに対する教育の問題でもありますが、もっと現実に起きているインターネットやSNSで自殺者が出たニュースや人生を台無しにしたニュースを取り上げるなどして、子供たちに自分たちの使っているツールが便利なだけでなく、恐ろしい凶器にもなることを理解させなくてはなりません。
また、子供たちは大人たちが思っている以上にこのような新しい道具を使いこなしてしまうので、学校の先生方の上をいくような使い方をすることも覚えておく必要があるでしょう(例えば、授業中にこっそりチャットしたり)。

今回はこの事件を教育のICT化の観点から考えてみました。
教育のITC化はこれまでの日本の教育にはないことなので、試行錯誤の面は否めないでしょう。
しかし、今回の事件に関して言えば、ICT先進校にも関わらず、ICTに対する認識が甘かったと言わざるを得ません。
ICTが学校に急速に普及し、全ての生徒児童がタブレット端末を手にしています。
しかし、その使用に関しては明確なルール作りが進んでおらず、このような負の面に対する教育も進んでいません。
この非常に危うい状況をいち早く改善し、誰もがICTによって恩恵のある教育が受けられるように、教育関係者は本気で取り組まなければならないと考えます。

この事件をいじめの問題として捉えた議論はまた後日致します。

2021.09.13

先日話した、都立高校入試でスピーキングテストが導入されるという件。そこに問題点はないのでしょうか。

先日話した、都立高校入試でスピーキングテストが導入されるという件。そこに問題点はないのでしょうか。

先日お話しましたが、東京都では今年度の次の受験生から、都立高校の入試にスピーキングテストを加える方向で準備を進めているようです。
計画通りであれば、最初のスピーキングテストは来年秋に実施されます。

ご存知だと思いますが、実は大学入試でもスピーキングテストを導入しようという動きがありました。
文科相もギリギリまで実施するとしていましたが、直前になって方向転換、テストの導入を延期しました。
それまで多くの保護者、生徒、学校関係者からスピーキングテストを大学入試に加えることに対する疑問、質問に答えず、日程だけ決めて実施を狙っていましたが、突然の延期に生徒を始め現場は実施よりもかえって混乱しました。
そうでなくても精神的に追い詰められる大学入試なのに、入試制度の改変、コロナ禍、学校の一斉休校で比べ物にならないくらいの不安とストレス、プレッシャーを受けていた受験生。
スピーキングテストの混乱は彼らを輪をかけて苦しめました。
これも全て生徒のことを真剣に考えず、己の思惑を優先する思慮の浅い大人たちによって起こされたことであり、本当に昨年度の受験生には同情します。

そして、今回実施されようとする都立入試におけるスピーキングテストは大丈夫なのでしょうか。
大学入試の経験から考えるならば、生徒や保護者、教育現場からの反対の声が強くなり、その問題点がメディアなどを通して世間に共有されればギリギリの中止もあり得ない話ではないでしょう。

ただ、現状を見る限りそのような世間の動向は表立っておらず、現実的には中止の可能性は少ないと思われます。
これは東京都だけの問題であり、国民レベルで議論されないからと言うのが理由の一つだと思われます。
また、そもそも都立高校の入試でスピーキングテストが導入されるということを知らない人が多いのも理由になるでしょう。
大学入試に比べて圧倒的にニュースなどの話題にはなっていません。
現在の政府はかなり強気な態度をとっているので、世論のよほど強い反対がない限りは中止はなく、スピーキングテストを押し切ると予想されます。

では、実際に実行可能か考えてみましょう。
大学入試と比べると都立高校の入試は当然規模が小さくなります。
大学入試の受験者数が100万人を超えるのに対して、都立高校入試の受験者数は3万~4万人程度です。
規模が小さい分、準備及び実施に必要な人員は少なくて済むでしょうし、機材なども少なくて済むので大学入試よりも簡単と言えるかもしれません。
会場も都内に限られるので、試験会場の確保も比較的容易となりえるでしょう。

しかし、入試という性質上、試験をただやればいいという訳にはいきません。
誰もが試験とその結果を十分妥当と見なせるものにしなくてはなりません。
そう考えてみると、話は変わってきます。

一番の問題点は公平性です。
大学入試でのスピーキングテストの中止の最大の理由が、公平性が十分確保されていると世間が認識していないことでした。
採点はあくまでも採点者の裁量によるもので、同じ解答でも採点者によって点数が分かれます。
同様のことが都立高校入試のスピーキングテストにおいても起こるのではないかと懸念されています。
マークシートのような選択問題などと違って、正誤が明確ではなく採点者の判断で点数が変わってくることは避けられません。
1点、2点で合否が分かれるような重要な試験において、どの採点者に当たるかという運の要素が強いということは、公平性に欠けると考えられますし、多くの保護者、受験生はその点が心配だと思います。

これに対して実施主体であるベネッセは、採点者は徹底したトレーニングを積んでおり、評価も複数の採点者で行うので公平性に問題はないとしています。

ただ、この「徹底したトレーニング」とはどのようなものか、実際にどのように行われているかは不明です。
この採点の拠点はフィリピンにあるそうですが、外部の者に実態はなかなか見えてきません。
誰が採点するのかも具体的には分かりません。
大学入試のスピーキングテストでは、ベネッセは採点にアルバイトを当てることにしていましたが、これが大きな批判を受け、テストの中止につながっています。
果たして、今回のテストでもそれなりの資格のある人材によってなされるのか。
3万人の採点なので相当数の人材が必要と考えられますが、果たして確保できるのでしょうか。
できなければ、当然アルバイトも考えられます。
でも、今回は採点の拠点が海外なので、私たちがそれを知ることは難しいでしょう。
それに、タブレット端末などで録音した音声を拠点に送って採点するわけですが、実施して期日に間に合わないようであれば当然公平性より期限が優先されることは考えられ、一貫して全員が同等の採点を受けるかどうかも疑問です。
プレテストでも採点は行われましたが、本番は規模が断然違うので本当に公平に採点できるのか分かりません。

東京都教育委員会は「公平な採点について確認済み」としているようですが、それは東京都教育委員会が実際に現地へ行って確認したわけでなく、ベネッセを通して「採点の公平性に問題はない」と聞いただけです。

次に問題なのは安全性です。
新型コロナウイルスが蔓延している中、今年の受験シーズンに入学試験は行われました。
しかし、現在のコロナウイルスはその時よりも感染力が高いもの、若者でも感染し重症化するより強力なものとなっています。
コロナ禍が来年どうなっているかは今のところ不明です。
次々と新しい株が生まれ感染の波が収まりません。
もし、現在のような状況で受験生がスピーキングテストを受けるならば感染に対する対策が必要です。

そして、このテストが音声を録音するものであるということを考慮すると、感染予防も特別なものになるでしょう。
普通の試験会場のような環境であれば、声を出せば飛沫が広がり感染の危険性が高くなるでしょう。
個別に仕切られたとしても、受験生が録音するときに録音機器など飛沫が飛ぶでしょうから、徹底した消毒が必要となってきます。
そのような手順でテストを実施するのかよく分かりませんが、かなりの工夫が求められるでしょう。

因みに、これまで行われたプレテストはどうだったかと言うと、クラスを半分に分け、それぞれ15分間、窓が閉められた教室で受験生は一斉に声をあげて録音していたそうです。
感染予防としてマスクの着用はなされたようですが、文科省の衛生管理マニュアルの「感染症対策を講じてもなお感染のリスクが高い学習活動」に相当するそうです。

もう一つ指摘されている問題点は、特定企業の営利のために入試が利用されているのではないかということです。
このスピーキングテストは東京都とベネッセの協働で行われることになっていますが、実際はシステムの構築から実施運営までベネッセが主体となっています。
テストを作るのはベネッセなので、テストで良い点を取るにはベネッセが販売している問題集やテキスト、通信教材などをやった方がいいと考えるのは妥当です。
そうでなるならば、ベネッセはスピーキングテストにおいて他の企業より優位な立場で営利追及、独占ができます。

また、テストを受けるにはベネッセIDが必要で、発行に当たっては個人情報の登録も要求されます。
以前、個人情報流出問題があったベネッセなので、個人情報の登録は拒否したいと思っても、情報提供しなければテスト申込みを承諾しないそうです。
つまり、テストを受けるためにはベネッセに個人情報を出さなければならないのです。

ベネッセは個人情報は年度末までに消去する方針ですが、これらの情報に基づいて販促、営業ができます。
受験生の個人情報は業界にとって大きな価値のあるものなので、ここでも ベネッセの営利のために利用されないか疑問です。

いづれにしても、大学入試もそうですが、今回の教育改革においてベネッセが学校教育に落とす影が非常に大きくなっているのを感じます。
文科省は子供たちの未来を照らす教育を本気で考えるべきであり、民間癒着とまで言えるかどうかは分かりませんが、特定企業の利益のために子供たちの人生を掛けた試験、教育を利用しないでほしいと切に思います。
(本来教育は営利とはかけ離れたものであるべきで、だからこそ公共性の高いものとして存在すべきです。)

学校で「話す」技能をどのように教えるのかという問題もあります。
教室では日本語英語で教えている先生も多く、本当に正しく教えるならば、音声学や社会学、文化など学校の先生のトレーニングも必要です。
でも、おそらくこれらはなされず、生徒によっては十分な教育を受けずに(準備もままならないまま)本番のテストに放り込まれるのでしょう。
一方で、きちんと英語が教えられる先生の下で指導を受けた生徒は当然テストでも有利になります。
ここでも公平性の問題が出てきます。

都立高校入試における「スピーキングテスト実施」に関する問題点を指摘してみました。
他にも問題点があるでしょう。
でも一番の問題は、このスピーキングテストについて世論が盛り上がっていないこと、世間に知られていないことだと思います。
そうでなければチェック機能が働かず、政府の勝手な都合で話が進み、最終的に生徒たちや社会的弱者が大きな損害を被ることになりかねません。

良し悪しはそれぞれの考えなのでいいです。
スピーキングテストを行うこと自体は別に悪いことではないと個人的に思います。
問題はその方法です(今の教育改革を見ると目的はいいのですが、実践手段が疑問であることが多い)。
従って大事なのは、実際にスピーキングテストが行われる前に、他人任せにしないでみんなで議論し、どうすれば受験生にとって最も有益かを考えることだと思います。

2021.09.09

定期テスト直前、この週末が最後のチャンス!葛西TKKアカデミー恒例、塾無料開放!塾生でなくても参加可!一緒にテスト勉強しましょう。

 葛西TKKアカデミーのニュース

定期テスト直前、この週末が最後のチャンス!葛西TKKアカデミー恒例、塾無料開放!塾生でなくても参加可!一緒にテスト勉強しましょう。

いよいよ中間テストが目前に迫ってきました。
来週が中間テストの中学校が多いようです。
ということは、この週末がまとまって勉強できる最後のチャンスとなります。
この機会を有効に利用して、テストで良い成績を修めましょう。

そこでお馴染み、葛西TKKアカデミーの「塾無料開放」!!!
誰でも(葛西TKKアカデミーの塾生でなくても)無料で塾が利用できます。
自由に自習ができ、分からないところはもちろん葛西TKKアカデミーの先生に質問できます。
しかも無料なのだから、利用しない手はありませんよ。
どうか皆さんふるってご参加ください。
きっといいことがあります。

ご利用の際は、事前にメールをいただけると幸いです。
e-mail:tkkac2016@gmail.com

葛西TKKアカデミーで勉強してよい結果を出しましょう!!!

そこで、葛西TKKアカデミーでは恒例の『テスト前、塾無料開放』を行います。
全ての中学生のために塾を開放しています。

葛西TKKアカデミーに在籍していなくても構いません。
気軽に来て、勉強してください。

家ではなかなか勉強しづらいと思います。
ここなら集中してできるでしょう。

いらした全ての中学生の勉強のサポートを行います。
5教科全てに対応し、指導します。
何でも遠慮なく質問してください。

しかも無料!!!

「学校で習ったけどよく分からなかった。」
「休んで抜けてしまった。」
「分かっているつもりだけど、確認したい。」
「学校の課題をする場所がほしい。」
「だいたい分かったから、もっと練習問題を解きたい。」

など思っている生徒は是非訪ねてください。
皆さま大歓迎です。

学校帰りに立ち寄って、勉強してから帰っても構いません。
土日は昼からテスト対策を行います。
事前にメールいただければ、どなた様でも利用可能です。
e-mail:tkkac2016@gmail.com

葛西TKKアカデミーを利用して、テストでいい成績を残しましょう。
この機会をお見逃しなく。

葛西TKKアカデミーで学校の課題を終わらせよう
課題はきちんとやらないといけません。
理解を深めるのはもちろん、実は提出物は成績(平常点)の大きな部分を占めるので、もし遅れたり出さなかったりすると成績が大幅ダウンしてしまいます。
いくらテストの点が良くても提出物が出ていないと大幅減点になりますよ。
かと言ってその場しのぎの答え丸写しはダメですけどね。
課題を軽んじることなく、早いうちから取り組み、提出日には出せるように、余裕をもって計画し終わらせましょう。

そして、定期テストの大半は学校のワークや教科書の問題です。
だから、課題をしっかりやっていれば、それだけでかなり高得点が取れることが予想できます。
だから、きちんとやって、分からないところ、間違ったところは解決して、ワークや教科書の問題を繰り返しやって、完ぺきにできるようになれば安心です。

とは言っても、家ではなかなか集中して勉強できないのではないでしょうか。
ゲームやテレビ、携帯やYouTube。
誘惑が多すぎて、勉強が手につかない。

そんな人は是非葛西TKKアカデミーへ。
誰でも無料で利用できます。
もちろん、葛西TKKアカデミーの塾生でなくても大丈夫。
勉強しやすい環境が整っているので、自分でコツコツ課題をやれますし、分からないときはいつでも先生に質問し、教えてもらいましょう。

2021.09.06

都立高校入試でスピーキングテストが導入されるのをご存知でしたか。2022年度の入試より実施?

都立高校入試でスピーキングテストが導入されるのをご存知でしたか。2022年度の入試より実施?

以前にも触れたことがあるのですが、東京都は都立高校の入試の中に、英語のスピーキングテストを導入することを計画しています。
当初は来年の入試から導入予定でしたが、コロナウイルスのこともあり、今のところ現中学二年生の入試から実施されることになっています。

東京都教育委員会によると導入の理由は、これまで「読む」「書く」が主体でそれに「聞く」を含めた英語の評価を「話す」も加えた四技能とすることで、生徒の実践を含む英語力の向上を目指すためのようです。

試験は秋にESAT-Jという東京都中学スピーキングテストを行い、この結果が都立高校入試の英語の得点の一部として換算されます。
東京都は民間のベネッセコーポレーションと提携し、ベネッセが中心となって現在準備が進行中で、その内容はGTECというベネッセ自身が実施しているスピーキングテストそのままだそうです。

具体的なテスト内容として、現段階では次のようになっています。

テストは四つのパートから成り、パートAは、カードに書かれた短い英文を読みます。
全部で2問あり、解答時間はそれぞれ30秒。
発声して答える前に30秒の準備時間があるので、この間に英文に目を通して、読む内容を確認したり、心の中で読む練習ができます。
本当に書かれてある英文が正しく読めるかどうかだけのテストです。

パートBでは図やイラスト、簡単な掲示物やチラシなどのビジュアルマテリアルを利用した問題になります。
全部で4問あり、そのうち3問はカードに関する質問に答える問題です。
解答時間は10秒で、その前に準備時間が10秒あるので、準備時間にできるだけマテリアルの内容を把握し、必要な情報がどこにあるかを確認できるといいです。
時間が短い分、質問に対する答えも簡潔なものになっているので、比較的答えやすいかもしれません。
例えばマテリアルを見ながら、明日の天気は何か答えるような問題です。
最後の1問はカードを基に受験生にミッションが与えられます。
自分の持っている英語力を駆使して、目的を達成するには何と言えばいいか答えなくてはいけません。
例えば、自分のほしい買い物をするには店員に何と言えばいいか答えます。
こちらも同様に、準備時間、解答時間共に10秒となっています。

パートCは4コマイラストの問題です。
この4コマのイラストを見て、英語で何が起こっているか答えなくてはいけません。
30秒の準備時間の後、40秒の解答時間が与えられています。
準備時間の間にどのようなストーリーかイラストから読み取って答えてください。
解答としては、各コマ一文ずつの英語で答えられるといいのではないでしょうか。

最後のパートDでは、質問が書かれたカードが与えられるので、それを読んで英語で答えます。
ここでは質問に対しての自分の意見とその理由が求められます。
例えば、「あなたが学校の一番好きな行事は何か、その理由も答えなさい」のような問題です。
こちらは準備時間が1分、解答時間が40秒となっています。
こちらも準備時間内で自分の意見をまとめておく必要があります。

以上が、現段階での試験内容になります。
例えばパートA、パートBは英検3級の二次試験に出てくる形式ですし、パートC、パートDは英検準2級以上の二次試験の形式になっています。
ただ、受けるのが幅広い学力差のある中学三年生なので、試験の難易度はかなり下げてあります。

これもコツさえ分かっていれば、それほど難しくないと感じています。

実施に当たっては、それぞれの決められた試験会場で、タブレット端末などにヘッドフォンマイクを通して音声を録音する形になるようです。

テストの評価方法ですが、ベネッセが現在実施しているGTECそのままであるなら、次のようになると考えられます。

GTECのスピーキングテストでは、「問われたことに対して明確に応えているか」という点と「より効果的に伝えられているかという観点(「語い」「文法」「発音」「流暢さ」の4つ)で評価をしているそうです。
録音された音声データを海外にいる英語話者によって採点しています。
公平性は、海外の採点者を毎回徹底的に訓練することと、一つの音声データを複数名の採点者によって評価することで保持されると考えているそうです。

今のところ、このようなテストになるらしいです。
そして、この試験のトライアルであるプレテストはもう、既に行われていて、これに基づいて問題内容、難易度、実施会場の選定や設備の充実と向上が図られます。

プレテストの結果を見ると受験生に関する次のことが指摘されています。
コミュニケーションの達成度についてはパートBの正答率が非常に高く、逆にパートCは正答率が低くなっています。
解答すべき内容がはっきりしていて、語句単位で答えられる問題が正答率がよくなっています。
一方で、場面に応じて表現したり状況を伝えたり、理由を説明したりする問題は苦手のようです。
言語使用に関しては、語彙や表現に限界があるものの、それらを接続語を使って話せる受験生が全体の7割以上に上っています。
発音に関しては、発音や抑揚などに問題がある受験生が多いが、それはコミュニケーションに支障をきたすほど深刻ではないとの評価が出ています。

以上が現在予定されている都立高校入試に導入されるスピーキングテストの概要となります。
皆さんはどのように感じましたか。
都立入試にスピーキングテストを試験に導入することに関する議論は後日行います。

予定通りに事が進めば、今の中学二年生以降の生徒は都立高校入試でスピーキングテストを受けることになります。
これまでの3技能でも英語が苦手は生徒には大変でしたが、これに「話す」力まで入試に要求されると、英語力の格差がより合否に影響するようになるでしょう。
こうなるとますます日々の勉強が大事になります。
やることが多くなった分、習ったときに習ったことを確実に身に付けることが肝要です。
いい加減な勉強をしていると、これまで以上に取り返しがつかなくなります。
特に「話す」と言う技能は、分かったからと言って(発音など)すぐにできるものではありませんから。

文科相が始まって以来、文科省の要求は増し、生徒の学習内容は一段と増え、難易度もこれまで以上になっています。
コロナ禍で不自由な環境の中、更に勉強の負担が増えています。
本気で勉強に取り組む生徒とそうでない生徒の差はますます開くでしょうし、また、生徒に新しい教育に対応できる学校とそうでない学校との差もますます開くでしょう。
誰もが学べる教育から遠のいていく気がしています。

いずれにしても、東京都教育委員会が決定し邁進している現状において、私たちは何ができるのか(これでいいのか悪いのかも含め)考え、早目に手を打つことが受験に合格する一つのポイントになると考えます。

2021.09.04

子供の新型コロナウイルス感染、後遺症はあるのでしょうか。少し調べてみました。

子供の新型コロナウイルス感染、後遺症はあるのでしょうか。少し調べてみました。

コロナウイルスにより世界が混乱して早二年になろうとしています。
これまでは低年齢層にはあまり感染しない、感染しても重症化しないと言われ、子供の感染症対策はそこまで厳しくありませんでした。
しかし、デルタ株が発生して以降、弱年齢層の感染がけた違いに増え、学校でもクラスターがあちこちで発生しています。
ワクチンが与える影響が不明のため、幼い子供たちはまだワクチンを受けられません。
感染しても現在の医療状況ではまともな治療が受けられる保証はどこにもありません。
そんな中で開始された二学期。
自治体によっては休校にしたり、分散登校、オンライン授業の活用といろいろ手段を講じているところもあります。

そこで今回はコロナウイルスが感染した時の子供たちへの影響について調べてみたいと思います。

新型コロナウイルスが発生してまだ二年足らずなので、コロナウイルスよる後遺症がどのようなものか明確でない部分も多いです。

感染後、自分の体に何らかの異変が起きたという報告はいくつかされています。
後遺症の主な症状としては、倦怠感、筋肉や関節の痛み、頭痛、不眠、呼吸障害、動悸など100以上の症状が言われています。
また、後遺症の中でも最も多いものとして、頭の中に霧がかかったようにぼうっとする「ブレインフォグ」があります。
感染後の脳への炎症が原因と考えられていますが、感染後の思考力や集中力の低下、短気記憶障害、鬱の発症など注視する必要があるでしょう。
その症状はどんどん増え続けて今では100種類以上と言われますが、実際に個々のケースにおいて、それらが本当に新型コロナウイルス感染によるものかどうかよく分かっていません。
ただ、子供の新型コロナウイルスの後遺症の特徴として、その症状が長期にわたることがあげられています。
大人に比べ、倦怠感などの後遺症が一ヶ月以上続く割合が高いのです。

これまで子供の感染例が少なく、後遺症についても大人ほど残らないと言われていましたが、デルタ株が流行して以降、感染者は増え、子供の後遺症も大人と同様の症状が報告されています。
大人の場合と同じく、子どもの新型コロナウイルスの後遺症は、感染で中等症以上になった場合だけでなく、軽症や無症状だった場合にも見られるようです。
つまり、後遺症に関しては感染した時の年齢や重篤の度合いなどとは相関関係がないようです。

ただ、子供の場合、自分の症状について表現する力が乏しかったり、ストレスなどその他の原因による症状と区別しにくいことなど、明確にコロナウイルスの後遺症と言いづらいものが多く、子供の後遺症に関する研究が進んでいないのも事実です。

とにかく新型コロナウイルスについては、まだ流行が始まってから日が浅く十分な研究が進んでいないにも関わらず、その社会的影響が大きいことで、よく分からないことだらけだから対策も取りずらいという点が厄介な所です。
更にワクチンを接種していても感染する「ブレイクスルー」が次々と報告されており、現在最も有効な武器とされたワクチンでさえ頼りにならない状況です。

とは言え、ワクチンを打っていないよりは危険性が下がることも言われており、これまでの基本的感染防止対策であった、マスクの着用、密を避ける、まめな手洗いと消毒なども全く役に立たないわけではないので、子供を守るためにも我々は今できることに最善を尽くすしかありません。
そして、医療施設の充実など個人では手に負えない部分は国や自治体、企業などが連携をとりながら有効な対策をしていくしかないでしょう(残念ながらこの点については政治的理由などから上手くはいっていないようですが)。
つまり、民間と公共の連携、私と公の連携です。

つまるところ、予防以上の対策はないので、そこに私たちは尽力するしかないでしょう。
そして、万が一感染してしまった場合の対応(医療キャパの増大など)を急務として、少しでも早くみんなが安心して暮らせる社会を取り戻せるように願います。

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