塾長ブログ

2020.05.13

勉強の遅れは卒業までに取り戻せばいい!?最上級生はどうなるの?文科省がまた一つの方針を固めたようです。

勉強の遅れは卒業までに取り戻せばいい!?最上級生はどうなるの?文科省がまた一つの方針を固めたようです。

連日のようにコロナウイルス関連の記事を書いていますが、本日、学校再開に関して新たなニュースが飛び込んできましたので考えてみたいと思います。

そのニュースとは、現在コロナウイルス感染防止のため一斉休校が行われていますが、それに伴い生じた勉強の遅れは複数年で解消することを認める方針を文科省は固めたというものです。

これはどういうことでしょうか。
学校教育には学習指導要領というものがあり、各学年が学ばなければならない内容を示しています。
そして、学校はこの指針に基づき授業を行います。
しかし、コロナウイルスによる休校で現在、授業が行えない状態に陥っています。
学校教育は学習指導要領に従って各学年で学習する内容を習得させなくてはならず、授業がない状態が続くということは年度の残された時間内に全ての履修項目を教えることが困難、または不可能になるということです。

それを解決するために様々な案が出されていますが、どれも一長一短であります。
今回の方針はその選択肢のいくつか(9月入学、履修項目の縮小など)を放棄したことを示しているように思われます。
しかし、文科省の表現では「複数年で後れを取り戻すことも認める方針」であって、明確に9月入学や履修項目縮小を止めるとは言っていません。
全てを明確にせず曖昧なまま時間ばかり過ぎ、渦中にある学校現場や生徒、家庭は身動きが取れないまま不安と混乱が増すといういつものパターンがここでも見られます。
特に受験を考えるなら一刻も早く決めてもらえないと準備が間に合わなくなります。
生徒や保護者には一生の問題で人生を左右されるかもしれないという心配と焦りがあるのに、政府の対応はそのあたりを全く理解していないように思われます。
「いろいろな意見があるが大いに議論して決めていただければいい」という発言は他人事のように聞こえます。
そして、いつものように無茶な指針(目標、ゴール)だけを提示して、その詳細や実践は一切現場に丸投げ。
大学入試改革のときもそうですが、今回も同じことを繰り返すように感じられます。
緊急事態だからこそ、責任逃れのための方便(に思われるようなこと)ばかりではなく、学校教育の長がリーダーシップを発揮し、この未曽有の教育危機を乗り切れるようにかじを取ってほしいです。
正直頼りなさ過ぎて悲しいです。
にもかかわらず権限だけは握っているからこのような文科省の態度では現場は身動きが取れない。
生徒のためと言いつつ自分の保身ばかり考えていると批判されても仕方ないでしょう。

実は今年度から学習指導要領が新しくなり、21世紀型教育と呼ばれる教育に学校が変わっていくはずでした。
これは小学校から大学まで巻き込む戦後教育史上最大の改革と言っても過言ではありません。
(細かいところはここでは述べませんが、これまでにも教育改革について書いた記事がいくつかあるのでそちらを参考にしてください。)
この教育改革は理想的すぎるくらい高度な教育を要求し、その開始は2020年度(オリンピックイヤーだから)という点は当初から決定しており、実際にはその準備や教員の訓練などは十分でないまま見切り発車された形です。
教育改革の是非はこの際置いておいて、今年度から学習内容が大幅に増え、教授法も高度になりまともにやれば時間もかかり、しかも教員にもかなり高いレベルの技能が要求されます。
これまでの学校教育とは別物と言っていいレベルのものです。
それを今年度からやらなければならない矢先に今回の騒動です。
これまで以上の濃い内容の教育をこれまでよりずっと短い期間で修めなければなりません。

今回のニュースは文科省に学習内容の精査厳選は必要なく、履修内容に変更なしという意思を示したとも捉えられます。
本当はそこまで考えていないのでしょうが、世間にはそのようなメッセージで伝わります。
そこまで不慣れな教育にこだわる必要があるのかというのが正直な感想でもあります。
オリンピックも延期されたことだし、きちんと用意ができてから教育改革を行えばいいので、このような緊急事態ではむしろ教育内容を精査にできるだけコンパクトにすることで時間を確保し、生徒への負担を減らしつつ確実な教育を身に付けさせるべきではなかと思います。
いくら高度で理想的でも実践できなければ教育改革も絵にかいた餅です。
文科省の本気度には疑問を感じます。
現に、ICT化は遅々として進まず、公立学校のほとんどが全生徒にタブレット端末やパソコンが行き届いてない状態です。
ここでも口先だけいいこと言って後は現場に放り投げるという無責任さが感じられます。

低学年は複数年で後れを挽回するとして、最上級学年はどうなるのでしょうか。
文科省によると、卒業年次の小6と中3(残念ながら義務教育でない高3については何も触れらえれていません。本当は最も今後の動向をはっきりしてほしい学年であろうはずなのに)は分散登校で優先的に登校させるなどして本年度中に後れを取り戻すように求める。
ここでも「求める」と現場任せで自分たちは相知らずに聞こえます。
本来受験に直接関わり他学年以上に多くの勉強時間を必要とするこれらの学年に、より短い時間で終わらせろと言うのは酷な話です。
学校だけでは無理(体裁だけ整えるなら話は別ですが)で塾など学校以外のサポートにアクセスできる家庭でないと受験には太刀打ちできないでしょう。
コロナウイルスで学校間、地域間、そして家庭の経済的状況で教育格差がすでに生じていると指摘されていますが、それをより大きくし全生徒の学ぶ権利が保障されないという、学校教育が最も重要な点が守られないということが分かっているのでしょうか。
教育の平等性、入試における公平性が傷つけられます。

因みに、学校再開はコロナウイルスが完全に終息してからではなく、感染リスクを避けながらの再開になることを文科省は想定していると「分散登校」などのキーワードから伺いしれます。
分散登校や一学級の人数削減はこれまで以上の教室と教員を必要とします。
教室確保においては公民館や図書館などの学校以外の施設の活用を考えているみたいです。
ただ問題はコロナウイルス感染リスクを抱えたままの学校教育に卒業年次の生徒を優先させるということは、彼らの感染リスクをより高めることになり、受験という大事な時期に病欠または登校停止になる恐れがあるということです。
また、感染症という性質上、感染者が現れれば当然その周囲の人間も登校できなくなり、教室単位、学校単位でまともに受験準備のできていない生徒が発生するのではないでしょうか。
こんなことで本当に受験に立ち向かっていけるのか心配です。
文科省は形だけでも修業させることが大事で、今回の方針ではそこまでは考えていないのではないでしょうか。

長くなってしまいましたが、今回のニュースに関していろいろ考察してみました。
いろいろな所で学校教育が混乱しているのに、そのトップはのんきに見えます。
もっと真剣に子供たちと彼らの将来のことを考えてほしいです。
そうしなければならない自覚すらあるのかと疑います。

現在、この混乱に巻き込まれて不安な日々を送っている生徒及び保護者の方々には、その胸中お察し申し上げます。
私も今回の件に関しては本当に心配で何とかしないといけないと常に考えています。
小さな私塾ではありますが、一人でも多くの子供たちを救いたいと思っています。
絶対に力になります。
困ったときは何なりとご相談ください。
全ての子供たちを応援します。

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