塾長ブログ
2020.01.07
今日は七草粥を食べよう!実は日本の伝統的行事は受験など勉強でも重要な事柄。年中行事に対する実践が希薄な今だからこそ子供たちに経験させましょう。
今日は一月七日。
そう、七草粥を食べる日です。
正月、節分など日本の伝統的な年中行事は受験などで非常に重要な学習事項なのです。
一般常識や教養として国語や社会、英語に出てきますし、中学受験では面接で聞かれることもあります。
受験などの出題者は日本の伝統的な内容を扱うのが好きなようです。
学校の授業であまりやらないからこそ、自分たちで年中行事は何がありどんなことをするのか、どうしてそうするのかを知っておかなければなりません。
現代社会では伝統的な風習が薄れてきていますので、家庭が積極的に拘るようにしましょう。
家庭でも意識的に注意しカレンダーを見ながらやっていただきたいし、無理ならば子供と話し合うだけでも違います。
体験があるとないとでは大違いですし、知っているといないとでもかなり違ってきます。
因みにスーパーやデパートなどお店は年中行事を利用してビジネスチャンスを広げようとしているので、意外と年中行事について敏感です。
「正月」「恵方巻」「節分」「土用丑の日」「冬至のゆず湯」など、その時節に合わせてコーナーを設けて特別販売をしています。
子どもと買い物に行ったとき、これらを利用して親子で年中行事について語ったり、家でやってみるのもいいでしょう。
子どもの教養がつくと同時に親子の会話が増えつながりが強くなり、楽しい思い出作りにもなります。
いいことたくさん。
面倒くさい、どうでもいいなんて言わず、是非お勧めしますのでやってみてください。
本日は「七草粥」についてお話したいと思います。
ご存知ですか。
実は一月七日は人日の節句。
元々中国の風習で、この日は犯罪者に対する刑罰を行わない日でした。
また、この日には七種類のあつものを食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草粥となりました。
正月で美味しいものをいっぱい食べ弱った胃を整えると同時に冬に不足しがちな栄養素を取るのです。
そして、無病息災を願うのです。
私も今朝、七草粥を食べてきました。
細かく刻まれていたのでそれほど薬味はありませんでしたが、たまにはお粥もいいもので、おいしくいただきました。
これで元気になって頑張れるといいです。
ところで七草には何があるか知っていますか。
これが問題に出ることもあるので、干支や九九のように呪文みたいに覚えましょう。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、スズナ、スズシロ、ホトケノザです。
七草粥の作り方
1のお米に対して7のお水を加え炊きます。
七草は細かく刻んで下茹でをします。
葉っぱ系のものは茹でてから刻むといいです。
お粥と一緒に食べたとき、違和感がなくなるぐらい柔らかくなるまで茹でましょう。
40分ぐらいお米を茹でるとお粥の完成です。
塩を加え味を調え、七草を加え混ぜましょう。
これで出来上がり。
冷める前に召し上がって下さい。
皆様の一年が健康で良い年でありますように。
2020.01.02
新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。葛西駅そば、個別指導塾葛西TKKアカデミーは今年も皆様の力になりたいと考えています。
新年あけましておめでとうございます。
本年もこれまで同様、一人でも多くの子供たちの力になるべく頑張ります。
早速目の前に入試が迫っています。
受験生には最善を尽くせるように支えていきます。
一般生にも、勉強で困ることのないよう指導していきます。
無料の冬季講習、体験授業、まだまだ受け付けておりますので、お気軽にお問い合わせください。
小規模個別指導塾だからこそ、それぞれの事情に合わせ、授業内容から料金、時間帯まで、柔軟に対応できます。
これが葛西TKKアカデミーの強みです。
今年も葛西駅そば、個別指導塾葛西TKKアカデミーを宜しくお願い申し上げます
2020.01.02
今年一年、多くの方々に支えられてきました。大変ありがとうございました。年明けすぐに受験を控えています。個別指導塾葛西TKKアカデミーはこれまで同様、来年も生徒を第一に考え全力でサポートしてまいります。
本年中は多くの方々に支えれれ、誠にありがとうございました。
まだまだ十分ではありませんが、生徒たちの力になれたことを感謝しております。
常に生徒のことを考え、彼らの勉強したい気持ちを尊重し、親密に関わりながら勉強の指導をしてまいりました。
各家庭の事情や生徒の要望などを踏まえ、できるだけ希望に沿うように尽力しました。
この姿勢は今後も変わりません。
年が明ければ早々に入試があります。
個別指導塾葛西TKKアカデミーの受験生たちも最後の追い込みに入っております。
何とか全員の夢がかなうように、私も全力を尽くす所存です。
来年もまた多くの方々のご愛顧をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
葛西TKKアカデミー
塾長 溝渕 正樹
2019.12.25
今日はクリスマスイブ。「サンタさんっているの?」と聞かれたらどうしますか。私はこんな風に考えます。葛西駅そば、個別指導塾葛西TKKアカデミーは親子の愛情を大切にします。
今日はクリスマスイブ。
楽しみにしている子供も多いでしょう。
子育てをしている親にとって困る質問の一つが、「サンタさんって本当にいるの?」ではないでしょうか。
皆様はどのように答えますか。
私ははっきりと「いるよ。」と答えます。
サンタクロースって何なのでしょうか。
赤い服を着た白いひげのおじいさん?
恐らくこれは象徴なんだと思います。
子供たちを愛おしく大切に思い、笑顔にしてあげたい、幸せになってほしいと願う心。
これがサンタクロースだと思っています。
その心の表れとして、その思いを託してサンタクロースが存在すると思います。
だから、赤い服を着た白いひげのおじいさんでなくてもサンタクロースなのです。
その思いは親子の間だけでなく、色々な間柄にも存在し、その表現手段としてサンタクロースがいるのです。
だから、例のおじいさんでなくてもいいのです。
だから、プレゼントを渡されないからと言って、サンタクロースがいないということにはならないのです。
愛情や優しさ、思いやりなどと言う人のものは目に見えません。
でも、私たちはそれらが存在することを知っています。
同様に、赤い服を着た白いひげのおじいさんがプレゼントを持ってきたところを見たことがないからと言って、その存在を否定することはできないのです。
以上のことから、私はサンタクロースがいると答えます。
人々が子供や他の人のことを思う限り、サンタクロースはいるのです。
クリスマスという特別な時間を楽しく大切にお過ごしください。
そして、人と人との愛情を再認識し深め、より強い絆になることをお祈りします。
この愛情があれば子供たちも健やかに育ってくれるでしょう。
そして、葛西TKKアカデミーも全ての子供たちに幸せになってほしいと願い、その力になりたいと真剣に考えています。
それではよい一日をお過ごしください。
2019.12.23
学校でもパソコンが一人一台の時代が来る?!しかし、フランスではある深刻な問題が…。
文科省は新指導要領の中でしょう学校におけるプログラミングを必修化することを決めています。
他にも教育の様々な場面でパソコンやタブレット端末を導入し活用することを目指しています。
全ての生徒に一人一台ずつパソコンを学校で使えるように予算を組んだりしています。
このように現在、学校におけるパソコンの急速な普及が行われています。
確かにパソコンを使うことで教育の幅が広がったり、今までできなかったことができるようになったりします。
しかし、いいことばかりとは限りません。
当然注意しなくてはならないこともあります。
アメリカでは学校の宿題やレポートでタイピングを使うことが非常に多い。
日本のように手書きすることは稀で、特に既定のない限りタイプで大丈夫である。
そのせいかどうかは分かりませんが、アルファベットと言う比較的シンプルな文字を使っているにもかかわらず、彼らの手書きは全く読めないことが多いのです。
文字通り、ミミズがはったような文字なのです。
これを見るといつもアメリカ人は(特に学校の先生は)この文字を理解できるなあと思わずにはいられません。
まあ、字が汚くて読めないのは日本人でもあることですが、今回紹介したいのはフランスの事例です。
フランスのある新聞によると、フランスの生徒たちは鉛筆やペンを持つと疲れたり痛みを感じたりするそうです。
それ以前に鉛筆やペンをきちんと持つことができない子供がクラスの大半を占めているそうです。
授業中に学んだことをきちんとメモする生徒でさえ、自分の字が汚すぎて読み返す気が起きないとか。
このようなこともあり、生徒は書くことを嫌がり、授業内容をプリントで配布する先生が増えているそうです。
元々フランスは母語を非常に大切にし、伝統的書き方、格式を重んじる国で、試験と言えば何時間もかけて文章を書かせる記述式が主流でした。
しかし、このような現状を踏まえ、今では日本のような穴埋め問題も作られるようになってきました。
例えばあるテーマについて与えられたキーワードを使って述べる問題では、生徒の60%がただ言葉を並べたり、だらだらとまとまりのない文章を書くだけだったそうです。
更に、読みやすい字が書けた生徒は全体の三分の一だったそうです。
また、文字の綴りが正しく書けない生徒も大幅に増えているそうです。
フランスでは「ディクテ」とう綴りのテストがあるのですが、1987年に間違いが5個以下だった優秀な生徒は31%でしたが、2015年にはほんの8%にまで落ちてしまいました。
この背景には何があるのでしょうか。
何が原因なのでしょうか。
記事によると国語力の低下であり、さらにその元には手書きの習慣の喪失があると言います。
確かにタイプより手書きの方が授業の内容をよく覚えているという研究はあります。
パソコンばかり使うと学んだことがパソコン内に記録されるだけで、生徒たち自身の中に残らないと指摘する人もいます。
そもそも文字を書く体力がなくなっているという声もあります。
昔はHBの鉛筆が主流でしたが、今では柔らかいBや2Bの鉛筆が日本でも主流となっています。
(柔らかい鉛筆はより少ない力で文字が書ける)
元々言語の伝統を重んじるフランスではアメリカのようにタイピングはあまり使われませんでした。
しかし、そんなフランスでさえこのような状況です。
ITが進む現在、ゲーム機やスマホの普及、パソコンやタブレット端末の一般化により、好き嫌いに拘らずこのような状況は広がり、生徒たちは記述力が(文字通りの体力と言う意味においても)奪われているようです。
日本の予備校の先生も鉛筆が正しく持てる生徒が減ったので、わざわざ「正しい鉛筆の持ち方習得コース」を設けているほどです。
大学受験での記述式の対策で、綺麗な字が書けなけれ当然採点に不利になりますし、早く書けないと十分な解答ができません。
「書く」なんてできて当然と思われた技能でさえ、今は授業をしないといけない時代になったのです。
私は小論文の指導なども指導しますが、やはり記述に関するこのような問題はひしひしと感じます。
昔は書いて覚えるなんて普通の勉強方法でしたが、今ではかったるい面倒くさい勉強法として敬遠されているみたいです。
文字を書かせるとすぐに疲れたという生徒はたくさんいます。
私が学生だった頃は、授業で習ったことは少しでも漏らさないように必死でノートにメモしていたものですが、今ではこちらから書きなさいと言わないと書きません。
大学の講義でも板書は全て携帯の写メで済ませるようです。
時代の変化に伴い「書く」という習慣が失われつつあるのです。
勉強ってただ写すだけではないのですが。
与えられてそれを手元に保存するだけではないのですが。
政府はパソコンを一人一台と言っていますが、これは注意が必要です。
便利なのは決して悪いことではありませんが、勉強においては苦労があった方がよりしっかりと身につくように思われます。
導入前に学ぶということは何かしっかり考える必要があります。
簡単に手に入るものは、手から離れるのも簡単です。
2019.12.12
秋になると恒例の『国語に関する世論調査』が発表されます。今年はどんな言葉が出てくるのでしょうか。(その2)
少し間が空いてしまいましたが、先日触れた「国語に関する世論調査」の結果についての続きです。
毎回多くの人々が注目するのが、言葉の意味がどのように捉えられているかの部分です。
毎年特定の言葉について調査され、言葉が持つ本来の意味と実生活で使われている意味の乖離に驚き、興味深い結果に関心を寄せざると得ません。
これまでも「姑息」「失笑」「にやける」「割愛」などがありましたが、大多数が本来の意味とは違った意味で使用し、むしろこちらの意味の方が本来の意味より一般的になってしまっているということがしばしば分かります。
言葉は変化するもので昔と違っていくのは仕方ないことです。
だから本来の意味と実際に広く使われている意味のどちらが正しいかという議論は非常に難しいところですが、変化の事実は把握できます。
先ず、今回取り上げられた「憮然」「御の字」「砂をかむよう」の三つの言葉の意味について。
「憮然」は本来の意味とされる「失望してぼんやりとしている様子」と答えた人は28.1%で、「腹を立てている様子」だと思っている人の割合が56.7%でした。
次に「御の字」は本来の意味とされる「非常にありがたい」と答えた人が36.6%で、「一応、納得できる」と思っている人が49.9%でした。
最後に「砂をかむよう」は本来の意味である「無味乾燥でつまらない様子」と答えた人が32.1%で、「悔しくてたまらない様子」と答えた人が56.9%でした。
いずれも本来とは違う意味の方が主流になっており、特に「憮然」と「砂をかむよう」に関しては本来の意味と実際の使用の差が大きくなっています。
この乖離に関して文化庁は「どれも正しい」と言う立場を取っています。
国が言葉に正しい意味を定義したわけではなく、言葉自体も年々変化するものだからと言う立場での見解です。
この調査の目的はその変化を捉えることであり、正誤の判別をすることではありません。
ただ人々の間で言葉の意味の捉え方に違いがある時は、コミュニケーション上不都合が起こるかもしれないということを警笛しているだけだそうです。
確かに言葉は変化するものであり、一般に言われている「正しい」と言う言葉も何年後かには「間違っている」言葉になるかもしれません。
実際に広辞苑には本来とは違う意味の方もは載せてある場合があります。
その時突然多く使われるような流行語も、ブームの後ある程度使用が維持されれば広辞苑に載ることもあります。
そうなると一つの意味、言葉にとらわれ過ぎるのも問題かもしれません。
日本人にとって日本語とは何なのでしょうか。
言葉の伝統を重んじるフランスでは「正しい」フランス語という考え方が強く、学校でも厳しく文法や語彙の教育を行っています。
移民に対しても積極的にフランス語の習得を求めます。
一方、日本はこの辺の感覚が疎い気がします。
外国人に対する日本語教育の支援がいまいち活発でなく行き届いていないのは、その表れと言えるかもしれません。
逆に言うと言葉に対しておおらかなのかもしれません。
実際、国際的に比較しても言葉の変化の激しさは日本語が群を抜いています。
たった数十年前の新聞でさえ比べると、現在の新聞を表現や語彙が違うのが分かります。
あえて本来と違う使い方をして言葉を楽しむ。
言葉で遊ぶというのは古来からの日本の伝統と言えます。
和歌の掛詞などは「ダジャレ」の元祖ともいえるでしょう。
若者は積極的に自分たちにしか分からない言葉を生み出し、グループ内の連帯意識を高めています。
このように日本人が先祖から受け継いできた言葉に対して、古くからの型に固執しないというのは民族的に言語を失う、禁じられる経験がないからでしょう。
大陸では歴史的に民族同士の争いが激しく、支配政策の有効な方法として言語支配が行われてきました。
これを経験した民族は自分の言葉を意識的に大切にし守ろうとします。
この点に関して日本人が無頓着なのは、このような歴史的背景があり、自分たちの言語がなくなることはないという安心感の表れでもあるのでしょう。
実は世界中の言語を見たとき、現在ものすごい勢いで言語が消滅しているのをご存知ですか。
数十年後には世界の大半の言語が失われ、それらを話す人もいなくなると言われています。
日本語はこれからも生き延びることができるのでしょうか。
ちょっと話がそれましたが、言葉は非常に興味深いものです。
人々をつなぐと同時にその人そのものを作り上げているからです。
だから、私も日本語教育や子供たちとの交流を通じて言語というものに注目することがよくあります。
また、この辺りの話もいつかしたいと思います。
2019.12.10
秋になると恒例の『国語に関する世論調査』が発表されます。今年はどんな言葉が出てくるのでしょうか。(その1)
秋と言えば「スポーツの秋」「食欲の秋」「芸術の秋」などいろいろ言われます。
私にとって秋と言えば何度言っても「国語に関する世論調査」の秋です。
毎年秋になると文化庁から『国語に関する世論調査』が発表されます。
皆さんご存知でしたか。
日本語がどのように使われているかなどをアンケートにより知らべ、毎年文化庁より発表されます。
今年も調査結果が報告されましたので、本日はそれについて触れてみたいと思います。
『国語に関する世論調査』は日本語の実用に関して文化庁が国民に対して世論調査したもので、今年は国語や言葉への関心、表記、読書、慣用句などの言語の知識と使用について調べられました。
今回はその結果から個人的に興味深いと思った点についてお話しいと思います。
先ず、個人的に気になった所は「国語に関して国に期待することは」という項目に対して、「外国人に対する日本語の紹介や教育を充実させる」という答えが増えてきていることです。
オリンピックが近づき国も海外の観光客の受け入れに積極的になり、日常でも様々な国からの人々を見かける機会が増え、さらに国際化に伴い日本に長期で滞在する人も増えました。
仕事や国際結婚などで定住し、本格的な日本の社会の一員として暮らす人が増え、そのような人々への配慮も必要を考える人が増えたと思われます。
先日の台風などの災害においても「やさしい日本語」が注目され、母語話者でない人でも他の日本人と同じようにサービスや安全を保障されるべきと認識されたのかもしれません。
今後、外国人労働者も増え日本国内の国際化は不可避のように思われます。
葛西TKKアカデミーでも当初から日本語教育や在日の方々へのお手伝いをうたっていますが、この世論に応じて是非、国もしっかりとした対策を取ってほしいと思います。
表記に関しては「ゴミ」と「ごみ」では「ゴミ」方が表記として良いと答えた人が73%にものぼりました。
本来外来語を表記したり擬音などに使われるカタカナですが、そのようなルールに縛られず多くの人が習慣的に使う方が感覚としても好ましく思えるという、言葉らしい側面が現れた結果だなと思いました。
因みに「ケガ」と「けが」では「ケガ」方がやはり多く60%が支持しました。
更に同じ意味を和事漢語で表す場合は和語の方がよいと思われるようです。
(「堅く守る」と「堅持するでは圧倒的に「堅く守る」の方が使い方においてよいと出ました。)
また、「ニーズ」と「求め」では「ニーズ」が多く、「ニーズ」が普及しこちらの方が一般化しているようです。
いずれにしても指示されない方はなじみが薄かったり堅苦しい雰囲気が出たりするのが理由みたいです。
公官庁の文書に関しても、多くの人が「文字の大きさ、字間、行間、レイアウトが見やすいこと」「親しみやすい表現が使われていること」を重視し、文体も「だ、である」よりも「です、ます」調の方が望まれます。
お役所だからと言って難しい言葉で堅苦しく偉そうな文章は指示されないみたいです。
読書に関する項目も興味深い結果となりました。
本を一ヶ月に全く読まない人が半数近くに上り、次に多いのが月に1,2冊読む人たちでした。
全体としては本を読む量は少ないようですが、携帯などの電子書籍を加えると結果も違ったものになったかもしれません。
通勤中に携帯で読書をしている人を見かけますし、読書以外の文字との接触は逆に以前より増えているかもしれませんね。
読書をすべき年齢に関しては、10歳代が一番多く40%になりました。
また9歳以下と言うのも2割近くで、全体として小学校低学年に読ませるべきと考えている人が多いようです。
「年に関係なくいつでも」と言うのが二番目に多く2割ちょっとで、読書を年齢で縛るべきではないという人も少なくないと分かりました。
読書に期待することとしては、新しい知識や情報を得る、豊かな言葉や表現を学ぶ、完成が豊かになる、想像や空想力を高めるなどが上がっています。
6割以上の人が以前より読書量が減っていると答えたのですが、読書量を増やしたいと思う、ややそう思うと考える人が合わせて60%ほどになります。
しかし、以前と比べるとどちらの項目も数値を減らしており、読書の良さ重要性は理解しつつも実際には難しいことが伺えます。
因みに先ほど触れた電子書籍ですが、利用する人は全体の4分の1になっています。
一方、紙の本しか読まない人も38.7%おり、前回の45.2%よりもポイントを下げました。
紙の本も電子書籍も読まない人は全体の3割強で「読む」と言う行為自体が衰退しているのかもしれません。
次は慣用句などの日本人の日本語の使用実践に関する結果をお伝えします。
実はこの部分が毎年新聞などでよく取り上げられる部分で、日本語がどのように変化しているかがよく分かります。
少し長くなりましたのでこれは次回に回します。
お楽しみに。
2019.11.19
算数・数学好きの生徒に関する調査が行われました。これらの子供がどうして算数・数学が好きなのか分かりました。
先日、算数・数学に関するお話をしましたので、今回は実際に算数・数学が好きな生徒に関する調査結果についてお話します。
よく「うちの子は算数が嫌いで困る。」なんて話を聞きます。
先日お話したようにその要因はいくつかあり、うまく対応することで算数・数学が好きになることもあります。
一方、元から算数・数学が好きと言う生徒がたくさんいるというのも事実です。
そこで、この算数・数学好きという生徒たちに関する調査結果がありますので、その内容に触れていきたいと思います。
時期
調査結果によると60%が中学入学前に算数・数学好きになるようです。
その中の14%は小学校に入る前に好きになったそうです。
一方、算数・数学嫌いが嫌いになるのは中学校在学中で全体の43%になります。
好きになった経緯を聞いてみると、次のようなものがありました。
親が学校で教えていないことを話してくれて。
どんどん難しい問題に挑戦させてもらって。
先生の説明が分かりやすく、どんどん点数が取れるようになって。
逆に嫌いになった経緯には次のようなものがありました。
学校の宿題以外の難しいドリルをやらされ、間違えると叱られて。
なぜ必要か、人生にどのように役立つのか分からず、自分のこととして捉えられなくて。
急に内容が難しく感じられるようになって。
分野
一番楽しいと思われる分野について聞いてみました。
一位は微分積分、二位は確率組み合わせ、三位は平面幾何でした。
苦手な分野も聞いてみると次のようになりました。
一位は微分積分、二位は確率組み合わせ、三位は三角比三角関数でした。
興味深いことに楽しい分野も苦手な分野も同じようになっています。
また、微分積分が好きな人は確率組み合わせが苦手、確率組み合わせが好きな人は微分積分が苦手という傾向も見られました。
更に好きな分野と得意な分野も必ずしも一致しているわけでないことも分かりました。
勉強方法
勉強方法は算数・数学が好きな人も嫌いな人もほぼ同じでした。
ほとんどの人が「授業を聞く」と「問題集を解く」でした。
算数・数学好きでは更に「数学の本(教科書参考書以外)を読む」と言うのがありました。
大人になってからの算数・数学との関わり
算数・数学好きの人は大人になっても(学校での勉強を離れてからも)数学・算数に触れている人が75%もいました。
具体的には仕事でExcelを使った計算やお金の計算などの専門的な職業で関わっている人だけでなく、半数近くは趣味や子供の教育の形で関わっているようです。
一方、触れていないと考えている人は、数学好きでは27%しかいなかったのに対し、数学嫌いでは58%と高くなっています。
更に算数・数学を学び直したいと思っている人は数学の好き嫌いに拘らず75%以上いました。
仕事上、エンジニアやマーケッターのような専門職以外でも、算数・数学に伴う基礎学力が重要と感じているようです。
そしてどちらのグループも自分の子供を算数・数学好きになってほしいと願っているようで、その数は90%以上に達しました。
この調査では総評として次のようにまとめていました。
1.算数・数学好きになるには、様々な算数・数学の分野に触れさせることが大切
算数・数学の本を読むことと算数・数学が好きになることには強い相関関係が見られ、学校で習わない内容に触れて好きになったという声も多くみられる。
2.算数・数学が好きににる時期や理由、分野は人それぞれ
数学好きがすべての分野が好きという訳でなく、特定の分野が好きという人も多くいます。
好きになる時期や理由が様々ということは、多様な環境を与え続けることが大事と言えます。
3.大人になってからも算数・数学を親しむことが大切
子どもがそのように学ぶかということだけではなく、大人が算数・数学とどう向き合うかが重要で、子供に算数・数学の魅力を伝えるためにも、大人も勉強し、子供と一緒に算数・数学を楽しむのが大切なのではないでしょうか。
以上、算数・数学の好き嫌いに関する調査でした。
結果は非常に興味深く、提示された結論も妥当なものと受け止められます。
算数・数学だけでなくほかの教科においても周りの大人がどのような態度、考え方で接し子供と関わっていくかで、子供の興味関心も非常に変わっていくと思います。
親の願いもあると思いますが、あまりにそこばかりにこだわると視野が狭まり、多くのことを見落としてしまうかもしれません。
落ち着いて一歩離れて全体が見れるような立場で、子供の学習に関わるといいでしょう。
余裕ができれば勉強も楽しくなってくると思います。
(現実はなかなか難しいのですが…。)
全てを背負わず、他の人たちと適度に責任を分担するのも心にゆとりを持たせるいい方法です。
葛西TKKアカデミーは全ての家庭を応援していますし、できることがあればいつでも力になりたいと考えています。
困ったときは気軽にご相談ください。
2019.11.14
なぜ子どもたちは算数・数学が嫌いになるのか。本当は非常に面白く興味深い分野なので好きになってほしいのですが…。
実は小学校低学年では算数が好きと言う子供が結構います。
しかし、高学年になるにつれ観念的、抽象的、概念的な要素が含まれるようになると算数が嫌いになる生徒が増えるようです。
例えば、「10個のケーキを5人で分けるとき一人は何個のケーキがもらえるか」という問題はかなり具体的で日常の中でも似たような状況があり、問題を読んだだけで光景が浮かび場面が理解しやすい。
しかし、「30を5分の3で割りなさい」と言われてもどういう状況かさっぱり思いつかない。
状況が分からないから問題の意味や目的、やるべき理由が見つからず、単によく分からず難しいという印象だけ残る。
結果、算数が嫌になる。
更に悪いことに、そうでなくても分かりにくいのに時間制限がありゆっくり考えられないから、余計にできそうという自己肯定感も生まれない。
にも関わらず親や先生からは、「できて正解すること」だけを求められ、子供たちがどんな状況で何を思っているのかを分かってくれようともしない。
仕方ないから深く考えずに機械的にできる計算がせいぜいで、文章問題などは見る前にできないと決めつけ飛ばす。
当然、文章問題はやらないから永久に解けない。
本当に文章を読もうともしないし、理解しようともしません。
結果、余計に算数が嫌いになり、自分はできないという感情がより深く刻み込まれ、やる前から無理と諦めてしまう。
こんな感じで算数がきらいになります。
先ほども申したように、子供たちはもともと算数が好きです。
幼児のころの遊びは算数で満ち溢れています。
積み木やブロックで物の形を理解し、お菓子やおもちゃ、お友達を数え数というものを分かっていくようになります。
「5体の人形に服が3着ある。あと何着必要かな。」なんて風に知らず知らずのうちに足し算引き算をやっている。
なぜかとはうまく説明できなくても、感覚的に不足だったりあまりという概念が分かる。
このように誰に教わるでもなく生活の中で直感的に数学的なことを理解する力を「基礎数学力」と言います。
この時期は遊びと算数に境界はなく、小学校低学年では子供たちの本来持つ基礎数学力を発揮する機会が多いので、算数が好きな生徒が多いように思われます。
しかし、学年が上がり先ほど述べたようになると、子供たちは自分の持っている基礎学力を生かし、自分の理解と判断で算数に取り組む機会が減っていきます(特に機械的な計算)。
そうすると徐々に算数は自分にとって遠い存在となり嫌になっていきます。
つまり、計算が得意かどうかという問題ではないのです。
高学年になり算数が身近なものと感じられなくなり、しかもテストで高得点を取るためだけが目的となると、算数は好きとか嫌いと言う対象ではなくなり、嫌でもやらなければいけないことになります。
まあ、数学・算数はテストのためのものと割り切ってしまうのも一理あるかもしれませんが、それでは数学の奥深くにある面白さにはたどり着けませんし、テストさえ終わればいらないものということになってしまいます。
テストという狭いくくりの中ではいいのかも知れませんが、せっかく何年もかけて学ぶのに終われば捨ててしまうようではもったいない。
また、数学好きにはなれません。
では、どのような点に注意すれば数学好きになるのでしょうか。
やはり本人の自主性を尊重し、じっくり考えさせる時間を与えるのがベストです。
テストや受験などを考えると悠長にしてはいられないのは分かりますが、イライラするのをグッと踏みとどまって長い目で見てあげるのが大事です。
時間はかかりますが、ある時ふとわかる瞬間がある(A-haモーメント)。
これがあると理解は非常に深まりしっかり根付いた本物の知識となります。
そして、できたという喜びはこの上ないものとなり、次の課題へのチャレンジ精神を高め、自信をもって勉強に励むことができます。
スピードも大事ですが、しっかりと理解することができるようにするのも大事です。
ゆとりがなく急ぎたいのは分かりますが、長期的にみるとこれが堅実なのでしょう。
親や先生は考える時間をしっかり与え、自分の考えを押し付けず、ヒントや参考意見を述べ生徒の思考を促す役割(ファシリテーター)であることが望ましいと思います(この方法はアクティブラーニングにも通じるのですが)。
分からなければ子供と一緒に悩み考えるのがいいと思います。
一緒に悩むことで、子供には安心感と信頼が生まれます。
最近は技術が発達し、図形や立体はパソコンやタブレット端末を使っていろいろな角度から見たり自由に動かしたりできます。
今までは実際にモノを手に取って動かすか、頭の中で想像するしかなかったものが、具体的に目で見れるようになったので、これらを活用すると空間認知能力が上がり、楽しみながらやれるのでより身につきやすいようです。
そうでなくても何か記憶(思い出)に残るような強い刺激があると物事は覚えやすくなります。
人間の脳はそのものを覚えるより何かと関連付けて覚える方が得意です。
だから勉強するときに記憶に残るエピソードをたくさん作る工夫をすると学習が身につきやすいし、勉強を楽しめます。
もし保護者の方が一緒に勉強を見るのであれば、クイズのように聞いてみたり実際に身の回りのものを使ったり(粘土を切って断面図の勉強をするなど)と子どもが勉強を楽しめ、あっと言う発見ができ、思い出に残るように心がけてみてください。
2019.11.12
子どもが勉強に取り組むようにするには。
子どもが勉強しなくて困るとよく相談されます。
親が勉強しなさいと言ってもなかなかやらない。
イライラして大声を上げると余計かたくなになって必死に抵抗する。
もう、こうなると勉強をするしないの問題ではなく、お互いさせるかしないかの維持の張り合いになります。
結局、親子ともども嫌な気分になり、勉強を無理強いできたとしても生産性が上がりません。
せっかく子供のためを思ってやらせても、本人の気が入らずやっても身につかないのなら、嫌な雰囲気になった分大損した気持ちになる。
こんな経験された方も多いと思います。
どうして子供は勉強をしたがらないのでしょうか。
また、どうすればやる気にさせることができるでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。
子どもが自ら進んで勉強に取り組んてくれればいいのですが、嫌いな子供は本当に勉強を嫌がります。
その理由はいろいろありますが、第一は子供が勉強を嫌なものと思い込んでいることでしょう。
「勉強は嫌でもやらなきゃいけないの。」
「我慢してやりなさい。」
などと言うと勉強がより一層嫌でつまらないものと言う考えを逆に根付かせてしまいます。
「学校の勉強なんで社会に出てからは何の役にも立たない。」
「学校のテストでいい点を取らないといけないから勉強しなさい。
なんていう発言は子供に勉強する意味がないという印象を与えてしまいます。
日頃何気なくポロっと大人は口にしてしまいますが、子どもは結構聞いています。
勉強は嫌で役に立たないものだけど、無理やりやらされるつまらないもの。
子どもはより感情で動きます。
こうなると考えを改めるのは非常に難しいです。
だから、普段から大人は自分の発言が子供たちにどんな考えを抱かせるか注意しながら接しないといけません。
これは予防的見地からの指摘です。
親も自分が子供のとき、さんざん大人から我慢して勉強しなさいと精神論的忍耐を要求されつつ教育を受けてきたので仕方ないことでしょうが、効果ある方法とはいいがたいので気をつけましょう。
勉強を楽しむようにしましょう。
子どもはより自分の気持ちに素直です。
だから、楽しい、やりたいと思えば夢中になり率先して何でもやります。
そうすれば子どもは何でもみるみる吸収していきます。
好きこそものの上手なれとはよく言ったものです。
では、勉強を楽しいと思わせるにはどうすればいいのでしょうか。
ある学者が提唱した動機付け(やる気)を高める研究があります。
これによると、やる気を出させるには大きく四つのパターンがあるそうです。
それは「注意」「理由」「自信」「満足」だそうです。
これらが一つでもあるとやる気になるそうです。
もちろん多ければ多いほど勉強に対する楽しさが増します。
注意:子供たちに興味を持たせる、楽しいと気づかせること
理由:それをすべき納得できる分かりやすい理由があること
自信:不可能ではなく十分やれると思うこと
満足:やって心が満たされること
これらを子供たちが感じられるように接し方を工夫するといいかもしれません。
繰り返しますが、これらの要素が全てそろわないといけないわけではないので、一番できそうなものから挑戦してください。
一つがダメなら他のパターンでアプローチしてみてください。
子どもは生まれたときから勉強嫌いではありません。
幼い時は大人のやることに何でも興味を示し、やりたがります。
できないなんて最初から考えないで、自分も大人と同様にできると思っています。
そして、少しでもできればそれは大きな喜びとなり満足し自信を付けます。
そうなると夢中になって繰り返しどんどん上達していきます。
よく勉強させるのに理屈をこねる人がいますが、理性である程度自分をコントロールできる大人なら有効ですが、子どもはどうしても理屈で動かず、感情が先に来ることがあります。
理由を明確に示すのも大事ですが、それが反って子供たちの感情を抑え込み、苦痛を与えることになるかもしれません。
苦しいと思えば、子どもは逃避するのに全力となり勉強するしないの問題でなくなります。
こうなると埒が明かないので、子どもの接し方には工夫をし、様々な方法で子どもたちに近づけるようにしてください。
「勉強と気づかないうちに実はしていた」と言うのが理想なのでしょうか。
私も生徒に接しながら日々工夫と反省の日々です。
子どもたちの気持ちを察し、どのように導くのが最善か想像力を張り巡らして考えます。
もし、子どもの扱いでお悩みのご家庭がありましたら、気軽にご相談ください。
一緒に考え、子どもたちが生き生きと勉強するように努力したいと思います。