塾長ブログ

2019.11.02

激震!大学入試での英語の民間試験利用が延期。言いたいことは多々あれど…。

昨日、文科大臣の方から大学入試における英語の民間試験導入ついて、「大臣として自信をもって、受験生の皆さんにお勧めできるシステムにはなっていないと判断せざるを得ません。」と言って、導入を2024年度まで延期することが決定されました。
実施一年前の突然の変更に大きな波紋が広がっています。

文科省が現在推し進めている教育改革はこれまでにない大規模なもので、小学校から大学まで全ての教育において大きな変更が決められています。
その中の目玉の一つが、大学入試の英語試験における民間試験の導入だったわけですが、これが延期になったことは教育改革にも大きな影を落とすのではないかと思います。

言いたいことは多々ありますが、今回はこの大学受験における英語の民間試験利用の問題に限ってお話したいと思います。

民間試験の導入のきっかけになったのは、教育改革においてこれからのグローバルな時代に活躍できる人材を育てるため、英語力の強化があげられました。
これまでの読み書き中心の英語教育ではなく、聞く話すも含めた四技能全体を強化する必要があると。
しかし、中学高校で授業に聞く話すも指導を充実するようにと言っても、受験で使わないあのであればどうしても後回しにされ、文科省も目論む結果にはならない。
そこで、大学受験にも「スピーキング(リーディング、ライティング、リスニングは一応これまでの試験で測られているので)」も試験の中に含めるようにしたい。

しかし、ここで文科省は今まで経験のないスピーキングテストをどのようにするか考えるのではなく、すでにスピーキングテストを行っている民間の試験に丸投げをしてしまったのです。
その方が効率的と思ったのでしょうか。
ここが混乱の始まり。
複数の目的も異なる英語の民間試験の結果を同率に捉え、英語の成績にしようということになりました。
言い換えれば、陸上の順位をつけるのに、短距離も長距離も走り幅跳びも砲丸投げも全部一緒にして順位を付けようというようなもの。
当然、一貫性は保たれず妥当性に大学、高校、保護者、受験生など多くの人々が疑問を呈しました。
また、民間試験の受験量は安くても一万円近くでとても高価、一応二回分の民間試験の結果を大学入試に使えるということですが、これは家庭の経済事情によって受験生間の差が広がることも指摘されました。
裕福な家庭は本番までに多く練習として受験ができるのに、貧しい家庭ではそれができない。
試験会場は大都市が中心なので、地方や離島の受験生が試験を受けに行くだけでも費用が掛かり、更に宿泊が必要な場合は経済的負担はもっと増える。
このように地域間の不公平も言われてきました。

他にも数多くの批判が指摘されていたにも関わらず、文科省は十分に詳しく丁寧で具体的な回答をしてきませんでした。
どう考えても公平性が最も重視される大学入試において、この制度の導入は不備があるのですが、文科省は2020年度の実施に踏み切る姿勢でした。
2020年と言うのはオリンピックイヤーで、ここで日本の教育改革を世界的にアピールしたかったのでしょうか。
教育としてその年に大学入試を変更しなければならない理由は全くないのですが、文科省は実施年度にこだわり決定事項として変更の考えはないとし、かと言って寄せられる声に対する回答を出せずに(出さずに)いました。

その場を濁して時が来れば試験がどのようなものであれやってしまえばいいと考えていたのでしょうか。
それで文科省の面子は保たれ、うまくいかなくても後日うまくいきませんでしたと言ってしまえばそれで終わり。
ゆとり教育のときのように。
その時に教育を受けた当事者のことは考えず、自分たちの体裁ばかり気にして。

念が近づき実施にあたりどうするのかという事柄に関しても、後手後手に回りいつまで経っても具体的な内容が見えてこない。
今年度に入り、教育関係者や受験生及びその家庭から不安の声がより一層高まる中、文科省は様々な問題に対する対策は講じられるし、世間からの理解も十分得られているという姿勢を貫き、来年度からの実施に変更はないと言い続けていました。
(例えば、高い受験料に関しては民間試験に対して受験料の減額をお願いしているとか、試験会場については高校大学の協力を呼び掛けているとか。仮にそのようになったとしても様々な問題が発生するのですが。)

挙句には、来年度からの実施で最初は不十分でもその後改善し精度の高い試験にしていくというような、受験生を実験台にするような発言も飛び出し、波紋はますます広がりました。

そして、文科省が受験生の立場に立っていないことを決定的に示したのが先日の文科大臣による「身の丈に合った」発言。
憲法や教育基本法に定めらえている文科省の役割を根底から覆すものとして、世間広くから批判を受けました。
さすがにこれはまずいと思ったのでしょう。
あらゆる違いを超えて平等に国民に教育を受ける権利を保障する役割を担うべきなのに、貧しいものは教育を受けられなくても仕方ないと言っているようなものだから。
大臣としては制度の不備、不公平をどのように改善するのかと聞かれ、妙案がないから新システムを正当化するために発言したのでしょうけど、これはひどすぎました。
国会でも野党だけでなく与党内からの批判もあり、昨日の発言と共に文科大臣は延期を決定したのです。
最近立て続けに二人の大臣が辞任し、更に文科大臣まで辞任になるのはまずいと思ったのでしょうか。
手のひらを返したようにあっさりと延期を決めました。

この「身の丈」発言がなければ、どんなに世間から批判されようとも英語の民間試験利用は予定通り実施されたと思います。
最初から真剣に子供たちのことを考え、彼らのための制度を作り、批判には真摯に対応して万全の体制が整うまで十分に準備してから実施していれば今回のような混乱はかなったでしょう。
そもそも「スピーキング」もテストしたいなら大学入試センターが独自の公平なテストを作成すればよかったのに、民間試験を複数導入したからややこしいことになる。
(民間との癒着、天下りなどがささやかれていますが。)

いずれにしても、誰のための教育改革なのでしょうか。
文科省は子供たちのことを見ていないとしか考えられない部分が非常に多い。
個人的にはこんな不公平で欠陥だらけの試験を子供たちがとりあえず受けなくて済んだのはほっとしているところです。
もちろん、文科省の言葉を信じてこれまで民間試験に向けて勉強してきた生徒や学校もたくさんあり、彼らにとってはやり切れない気持ちもあると思います。
ただ、ごり押しする混乱と取り下げる混乱を考えるならば、取り下げた方がまだましかなと思います。
それ以前に混乱は誰の目にも明らかなのだから、文科省がきちんと対応してればよかったのです。
本当に現場を見ないで理想ばかり(自分たちの視点のみで)物事を進めていくから困るのです。
これを機に文科省はより一層身を引き締めて、本当に子供たちのためになる教育システムを構築してもらいたいと切に願います。

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