塾長ブログ
2020.06.06
コロナウイルスによる勉強の遅れを取り戻す切り札!?文科省の示す『学びの保障総合パッケージ』とは。
コロナウィルスの発生により約三か月の勉強の空白ができた日本の学校教育ですが、緊急事態宣言が解除され学校も次々と再開されました。
しかし、コロナウィルスの脅威は去ったわけでなく、第二波、第三波の感染拡大も考えられます。
かと言っていつまでも学校を休みにするわけにもいかず、文科省としてはコロナウィルスのリスクを最小限に抑えつつ、学校の運営を進めていく方針のようです。
各方面からは勉強の遅れなどを心配する声が聞かれます。
そこで、文科省は今後の学校教育はどのように進めるべきか、遅れた勉強をどうやって取り戻すべきかに関する基本的な考え方をまとめ、子供たちの学びを支える支援策を発表しました。
『学びの保障総合パッケージ』というもので、今回はこれについてお話しします。
感染症対策(3密を避ける、消毒をする、手洗いうがいなど)の徹底のような今までにも触れられてこともありますが、新たに目を引く内容も含まれていますので見ていきましょう。
最終学年(小6、中3、高3)を優先的に分散登校をし速やかに遅れを取り戻す、そして、その他の学年は2~3年をめどに着実に遅れを取り戻す。
登校日を決め、分散登校を行い、時間割を工夫し(これまで6時限までだったところを7時限までにする)、長期休暇を縮小し、土曜も登校、学校行事を見直し、子供たちが授業を受けられる時間を捻出する。
年間計画によると段階的に登校日を増やし、6月末には通常の授業に戻ることになっています。
秋には、もちろん運動会や文化祭、修学旅行は状況を見ながら縮小など対策を行いつつ実施(修学旅行は3月になるかも)。
夏休み冬休みは半分ぐらいになる見込み。
そして、3月卒業は既定路線となっているみたいです。
高校入試は各地域の状況を鑑みて、必要に応じた処置を行う。
大学入試は総合型及び学校推薦型選抜において、コロナウィルスにより学校生活において十分な成果を出せなかった点も考慮し、入試で不利益が起きないように評価方法を工夫する。
6月中には「大学入学者選抜実施要項」を作成し公表する。
教科書の内容を学校でするものと家庭でするものに仕分ける。
学校の授業は協働学習など学校でしかできないものを中心とし、個人でできる学習活動は授業以外ですることにより、限られた授業数の中で効果的に指導する。
学校では実験や意見交換などの活動をし、家庭では作文を書いたり考察をまとめたりする。
因みに、これは家庭に勉強の負担を求めるものではなく、授業以外の時間に学習指導員らに見てもらって学びの定着を確認するのだそうです。
全教科に対して何をどうするか具体的に細かく示しています。
人的・物的体制の緊急整備
教員を新たに3100人追加し、学習指導員を61200人、スクールサポートスタッフを20600人新規で配置する。
退職した教員や大学生が中心になるようです。
また、感染症対策や学習保障のための経費を1校当たり100~500万円支援し、各学校で柔軟に対応できるようにする。
更に、ITCを活用したオンライン学習をできるように環境を整える。
こうして、コロナウィルスが再び猛威を振るっても子供たちの学びを止めないようにする。
他にも「子供の学び応援サイト」を立ち上げ学習支援の動画を作ったり、学習内容定着のための振り返り用の教材を作成したりといろいろ記されています。
以上が文科省の示した『学びの保障総合パッケージ』のあらましですが、これまでのように理想的な言葉ばかりが先に独り歩きし、大事な中身が伴っていないなんてことがないようにしていただきたいと思います。
本来ならこのようなものは学校が再開した後ではなく、休校中に出してもらえればいろいろ準備も早くでき、体制も十分に整えられただろうにと思うと、やはり政府の後手後手感が否めません。
この三か月間何をしていたのか。
失われた時間が惜しまれます。
一応、家庭には負担をかけないとは言っていますが、本当にそうなるか疑問です。
普段、そうでなくても家で勉強しない子供に家庭学習を十分にすることはできるのでしょうか。
逆に家庭内まで深く学校の活動が入り込むことによって、それ以外の活動(塾や習い事、それに友人や家族との交際、そして自分だけの時間など)をしている時間が無くなり、反って子供に不利益が生じないか心配です。
無理やり時間だけ確保し内容のない数字だけのつじつまを合わせをするよりは、学習内容を精査して本当に不可欠なものに集中した方がいいのではないでしょうか。
何でもかんでも全てやろうとする欲張りな考え方では結局どれも中途半端になりそうな気がします。
しかも、今年から新指導要領になり授業時間が大幅に増え、求められる学習内容もかなり高度化しています。
オリンピックイヤーだから2020年から開始ということになっていて、準備も十分でないまま見切り発車しています。
これを一度元に戻して、学習内容も少なく教員も指導になれたものにした方がいいと思います。
今年度から絶対にやらなくてはならない理由はないはずです。
コロナウィルスの感染覚悟の上での学校再開というスタンスですが、感染が発生した場合はどのように対処するつもりか。
一番気になるのは子供たちの負担の多さです。
仮にサービスを提供する教員等は新たに人数を増やすことで負担を減らすことが可能ですが、サービスを受ける子供たちは自分の身一つしかなく変わりはいないので、負担の増加をもろに受けることになります。
これまでのコロナウイルスによる制限された生活でストレスもかなりある上に、休みも楽しみもなく勉強漬けの日々を強いるのはどんなもんでしょうか。
やはりやることが多すぎです。
学習内容の見直しが求められると思います。
そして、子供たちの心と体のケアも十分にできる体制を整えてもらいたいと願います。
以上、文科省が提出した『学びの保障総合パッケージ』について簡単に触れ、感想を述べました。
コロナウィルスという前代未聞の事態において、子供たちもその周りの大人たちも非常に厳しい状況に直面しています。
葛西TKKアカデミーはもちろん、このような境遇に立ち向かう子供たちを応援し、救いの手を差し伸べたいと考えています。
本当に大変な日々が続きますが、最善を尽くして乗り切りましょう。
2020.06.04
学校が再開しました。コロナウィルスの脅威もなくならないまま、今後どのように運営されていくのでしょうか。
これまで長い休校をしていた学校も、緊急事態宣言の終息と共に6月から再開されるところが多く見受けられます。
私の娘も昨日、ようやく小学校の入学式を迎えてほっとしています。
しかし、コロナウイルスの脅威は去ったわけではなく、非常に心配であることも確かです。
かと言って、いつまでも学校を凍結し勉強を遅らせてもいいわけでなく、コロナウイルス感染リスクの中、これから学校はどのように運営されていくのでしょうか。
東京都ではコロナウイルスの感染状況により段階的に学校を再開し、いずれは以前のようなスケジュールにもどしたいと考えているようです。
現在のところ多くの公立学校では分散登校が始まっており、学年や住所などによってクラスを分け、登校時間をずらしたり登校日を変えたりして、学校という空間に生徒が密にならないようにしています。
しかし、現在週1~3の登校日であるのを6月15日には週3~4に増やす予定みたいです。
部活も感染対策をしっかり行ったうえで、このころからの再開を目指しているようです。
これまで休校でできなかった授業を補うため、長期休暇である夏休みを19日間、冬休みを9日間に縮小し、生徒の登校日を確保するみたいです。
感染者が見つかった場合は速やかに臨時休校とすることも決まっています。
学校や教育環境の変化に伴いの計画の変更もあると思いますが、今のところこのようなガイドラインが作成されています。
3密を避け、うがいや手洗い咳エチケットの徹底を図り、身体的距離を十分に取って、検温をし、マスクを着用し、十分な換気と消毒を行うことで感染リスクを回避しようとしています。
また、コロナウィルスがらみの偏見差別いじめの防止もうたっています。
音楽では合唱や吹奏楽の演奏は止め、体育では身体接触をしないようにバスケットボールの試合などはせず、ストレッチやパスやシュートの練習など活動が非常に限定されます。
マスクしたままの体育は熱中症などになる恐れがあるので、体制を整えたうえでマスクを外してもいいとなっています。
因みに水泳は今年は中止にするところが多いみたいです。
給食も対面式のグループを作らず会話も控えるように言われています。
休み時間も鬼ごっこやドッヂボールなど接触を伴うものはしないようにするみたいで、成長のためにも体を思いっ切り動かしたい子供たちにはストレスかもしれません。
このように教育委員会はいろいろ対策を立てているようですが、実際にこれらが可能なのか、本当に感染を防ぐことはできるのでしょうか。
この点に関しては疑問が残ります。
コロナウィルスの発生で一斉休校になって以来オンライン授業などの教育のICT化が強く求められても、公立学校への普及は遅々として進んでおらず、勉強の遅れを取り戻すために酷暑の中登校させるのであれば空調システムの整備が必要であることは容易に考えられるのに、それもできていない。
分散登校やソーシャルディスタンス確保のためにはより多くの教室と教員が必要になることは分かり切っているのに、それもできていない。
あれやこれや提案(要請)ばかりして、それを実行するために必要な準備などができないままこの3か月は過ぎてしまいました。
結果としていつも現場にしわ寄せがきて、そこにいる生徒や教員、保護者には負担を強いるばかり。
口だけ出して行動しないのではなく、文科省は責任ある教育の提供のためのリーダーシップを取ってもらいたいと切に願います。
混乱し先行きが見えないからこそ、形式にこだわらず、問題の本質を見抜き、迅速に行動しなければなりません。
具体的には、今後のコロナウィルスの第二波が来ても大丈夫なように、休校でも教育のアクセスが途切れない再生作り(教育のオンライン化)、感染防止のために増える消毒作業を専門に担う職員を確保し教員が授業に集中できるようにする、感染を防ぐため生徒間の距離を確保するためクラスの人数を削減し、その分増える教室を確保できる施設を見つける、または増設するなど考えられます。
いつかは学校再開しなければならないのは明白なのだから、これらの対策は休校期間中に行えばよかったのですが、なにも成されないまま学校が始まってしまいました。
「9月入学」の件も今回見送りになったようですが、これは内容から今行うのは不適切と簡単に分かることだったのに、即決せず無駄な議論ばかりで多くの時間を失いました。
本当に現場のためになることを考えなくてはならないのに、非常に悔やまれることです。
学校は始まったものの問題も多く、コロナウィルスの対策も十分にできていないまま押し切った感は否めません。
このような状況では集団感染の発生も覚悟しないといけないのかもしれません。
子供たちも通常の学校生活が送れずつまらない、ストレスと感じている人も多いでしょう。
子供たちへの精神的ケアも考えないといけません。
文科省はもっと真剣に考えて、どのような状況でも子供たちの学びが保障される体制を速やかに構築する必要があります。
カリキュラムの見直しも含めて抜本的な対策を考えなければなりません。
葛西TKKアカデミーもできることは何でもする準備があります。
子供たちの勉強のこと、学校生活に関する悩み、子供たちの居場所の確保など、様々な形で貢献できると思います。
どんなことでも構いません。
助けが必要な時はいつでも連絡ください。
厳しい現実ですが、子供たちのために支えとなり、みんなで困難を乗り越えたいと考えます。
2020.06.02
「9月入学はさらに休校長期化した際の選択肢の一つ」文科省が提示する「9月入学案」とはどんなものでしょうか。いまだにどっちつかずの文科省の姿勢が現場を不安にし実行を遅らせています。
先日、文科大臣が「9月入学」に関してコメントしました。
コロナウイルス発生し学校教育が混乱する中、文科省は議論の一つとして考えていると述べるにとどまり、実行するかどうかの明言を避けてきました。
コロナウイルスの対処法として分散登校や夏休みなどの長期休校の縮小など様々な案が出されてはいるものの、文科省は今年度はどのように学校運営をしていくのかいまだに決定していません。
流動的な状況であらゆる事態に対処しなければならないので、あれもこれも捨てきれないのは分かりますが、事態は一刻を争うもので、このような優柔不断で決断ができず(決断すれば責任を負わされるのでしたくないのかもしれませんが)、議論ばかりに時間をかけ(本当に有効な議論をしているのかも疑問)何一つ決められないまま時間だけが過ぎていくという今の政府の姿勢がここにも表れているような気がします。
ではどうするか。
その点は別の機会に議論したいと思います。
今回は文科省が提示する「9月入学案」について話したいと思います。
個人的な結論を先に述べると、「9月入学」はしない方がいい、というかコロナウィルスの対処法としては少なくとも文科省の言う「9月入学」は必要ないと考えます。
であればこの切羽詰まった状況で、今「9月入学」を選択肢として議論する余地はない。
しかし、文科省がどのような「9月入学」を考えているか知ることは有効だと思いますので、ここにご紹介します。
文科省の考える「9月入学案」は三つあります。
6.5年制方式
9月を年度の開始月として、4月から9月までを「0年生」として小学校の在学期間を6.5年にする案。
最近、文科省が提出した案で、一学年の対象者は今と同じ4月2日~翌年4月1日生まれまで。
段階的移行方式
学年の対象者を12ヶ月で区切るのではなく13ヶ月にすることで、5年をかけて9月入学に移行する案。
毎年入学時期をずらすことで段階的に変えていく。
一斉移行方式
来年のみ2014年4月2日~2015年9月1日生まれの児童を新一年生として小学校に入学させる案。
翌年(2022年度)以降は9月2日~翌年9月1日生まれを一学年とし一気に移る。
どの移行案も様々な問題点があります。
6.5年制方式の問題点
これは保育所の負担はありませんが、その分小学校に過剰に児童が在籍することになります。
結果2021年以降、毎年4月から8月まで40万人近くの学童保育追加利用者が生じることになります。
また、4月から8月までは学年が七つになるので約6.5万人の教員が不足し、この数字は最近の小学校教員採用試験の総受験者の数を上回っています。
つまり新規採用で不足を補える見込みはまずないということです。
予算も少なくとも3000億円以上が必要と考えられています。
3案のなかでは最も多くなっています。
学年が増えるので施設も増やさなくてはならず、より費用が掛かります。
段階的移行方式の問題点
21年に26.5万人、22年に15.6万人、23年に5.2万人の待機児童が発生、24年以降は解消すると予想されています。
学童保育待機児童は21年に約6千人増加し、移行後は減少します。
追加の教員不足は発生しません。
予算は333億円の増加にとどまるようです。
移行初期に保育への負担が大きくなりますが、小学校への負担は小さいものと考えられます。
一斉移行方式の問題点
9月入学までの間、保育所に子供が留まることになり保育所待機児童数が特に大都市圏で多く発生します。
9月以降はこの分の児童が学童保育にそのまま移ることになります。
13万人の待機児童が発生し、その後は徐々に減少すると考えられています。
教員不足は初年度のみで約2万人と見込まれています。
一斉移行方式にかかる予算は約2000億円と見積もられています。
また、移行するこちによって卒業時期が3月から8月に後ろ倒しにされると考えると、就職時期が遅くなった分の生涯所得が減ります。
政府の言う「9月入学」はコロナウイルスにより一斉休校となり、その勉強の遅れや発生する教育格差の魔法のような解決策として登場しました。
東京都知事や大阪府知事もグローバルスタンダードにそろえるよいきっかけとして「9月入学」に前向きな姿勢を見せています。
安倍首相も「9月入学も有力な選択肢の一つ」として議論したいと述べています。
しかし、文科省の示す3案は単純な「9月入学」へ移行するロードマップであり、コロナウィルスによって生じた混乱を解消する策になっていないことに注目してほしいと思います。
ならば「9月入学」への移行はいまする必要はありません。
元々「9月入学」の話は、今回の一斉休校を受け大事な時期に授業が受けられなくなった受験生が救済処置の一つとして求めたものです。
だから、高校三年生や中学三年生(場合によっては小学6年生)に焦点を絞ったものでないといけないはずですが、政府の案は小学1年生に集中しており、ここでも現場と中央の認識のギャップが見て取れます。
休校の間、授業が失われ学びの機会がなくなった。
一方、私立学校など設備が充実している所ではオンライン授業などで学習機会が確保され、休校期間の短いところでは失う授業数が少なくなり、経済的にゆとりがる家庭は休校中でも学習支援ができる。
このように受験生の置かれている環境によって教育格差が大きくなり、公平性と最も保たなければならない入試に不公平が生じる。
この問題の解消を求めて受験生などから叫ばれたのが「9月入学」です。
しかし、政府の案はどれも彼らの懸念を払拭するものではありません。
多くの人々や団体が経済的負担など様々な理由で「9月入学」に反対をしていますが、私としてはこの点を重視し反対とします。
もちろん、受験生救済のための「9月入学」であれば一考の余地はあると考えますが。
ちなみに、小池知事のようにグローバルスタンダードへのきっかけという人もいますが、政府の移行案では結局後ろ倒しとなり、学年で一つ遅れることになり、実質現在の「4月入学」で起きている入学時期の差を埋めるものにはならないので意味がないと思います。
このように文科省の示す「9月入学案」は、混乱で一刻も早く対応しないといけない時期にわざわざ議論しないといけないようなものではありません。
それよりもコロナウィルスの感染リスクが解消されなくても子供たちの教育を受ける権利を妨げないような体制づくりが急務です。
問題の本質を見抜き、早急に対策を打ち出し実行できるリーダーシップが文科省に求められます。
しかし、現在の政府は非常に頼りない。
だから、葛西TKKアカデミーは常に一人もでも多くの子供たちを、いまだかつてないこの困難から助けてあげたいと考えています。
どんなことでも構いません。
ご連絡いただければ必ず力になります。
苦しいとは思いますが最後まで望みを捨てないでください。
2020.05.31
6月1日から学校再開!しかし、長期休暇後の初日というのは子供たちの自殺の多い日でもあります。子供たちの心理状態を考え注意しましょう。困ったときは葛西TKKアカデミーまで。
コロナウィルスによる突然の休校から3か月。
いよいよ6月1日から段階的に学校が再開されます。
しかし、長期休暇後の初日は子供たちの不安や心配から自殺が増える日でもあります。
若い命を守るためにも、子供たちの心理状態に注意を払う必要があります。
「命を絶つほどなら学校はとりあえず行かなくてもいい。学校よりも君の命の方が重い。勉強なら私がいくらでも見てあげるから心配しなくてもいい。とにかく生きて一緒に考えよう。」
葛西TKKアカデミーはこのように考えます。
長期休暇の終盤には大人でも、通常生活に戻る不安を感じ憂鬱になりがちです。
学校に戻っても勉強についていけるのか。
友人や先生とうまくやっていけるのか。
子供たちも休日モードから通常モードに戻れるか心配になります。
勉強嫌いの子供にとっては、これまで解放されていた勉強にまた縛られるので、嫌な気持ちが増します。
また、これまでいじめなどにあって学校に行くのが嫌だった子供は、夏休みの間会わなくて済んだ嫌いな生徒と再び顔を会わせないといけないのです。
考えただけでも気持ちが重くなります。
それに加えて今回のコロナウィルス騒動。
休校になった分、生徒の負担が増えることが想定され、しかも、学校生活には多くの制限が加えられています。
人間関係がうまくいかず、いじめられたり無視されたりするのではないか。
(特にコロナウィルスがらみの新しいいじめも考えられます。)
勉強がより難しくなって、自分はついていけるのか。
(休校分を取り戻すため夏休みなどの休みが大幅に削られ、一週間当たりの授業数も増える見込み。)
また、そのことで親や先生から叱られるのではないか。
受験生はこれまでの勉強の遅れを取り戻せるのか。
入試はどうなるのか、未だにはっきりしない。
もう将来に希望が持てない。
不幸にもこんな混乱のタイミングで受験しなければならない自分の人生は詰んだ。
不安やストレスの増える時期です。
では、自殺に陥る子供たちの心理状態を考えてみましょう。
自分を分かってくれる人はいない、誰も助けてくれない、頼れない。
独りぼっちなんだ。
思春期の子供にはありがちな孤立感という心理状態です。
だから、誰にも相談せず、一人で問題を抱え込み、どんどん大きくなっていく。
外部からの新たな考え方が入ってこないので、自分の中で問題を深刻化してしまう。
また、自分の居場所がないと疎外感を感じることもあるでしょう。
そして、自分はこの世に存在する意味のない人間だ、価値のない人間だと卑下してしまう。
更に、このような状況は今後の人生でも変わらず、ずっと続くように感じてしまう。
未来への希望が持てず、生きる気力、一体と願う力が弱まってしまう。
ならば、いっそのこと死んだ方がましと考える。
いじめに苦しむ生徒などは、苦しい現状から逃げるために、自殺という選択肢を選ぶこともありますが、自分のできる唯一の抵抗として、自殺という手段を選ぶこともあります。
現実では抵抗できないから、自分が死ぬことでいじめた生徒が罪悪感にさいなまれ苦しむことを期待する。
しかし、ことがそのように運ぶかは不確定だし、おそらく一過性で終わり、いじめた子供も時間がたてば忘れてしまうでしょう。
実際自分の命を犠牲にしてまで効果のある方法には思えませんが、視野がせまくなっている当事者には外語の希望なのでしょう。
または、いじめられてなぜ自分がこんな目に合わなければならないのかという怒りが、何もできないふがいない自分に向かい、自分を傷つける行為に及ぶこともあります。
いじめに限らず、成績や家庭環境など、子供たちを取り巻く問題は深刻です。
特に今回はコロナウイルスという未知の脅威もあり、より一層不安になるのも無理ありません。
今の学校教育という制度はかなり限界にきていると思います。
もっと教育の幅を広げ、あらゆる事態に対応できるようにしなければなりません。
それは公教育という枠組みに縛られないものも含みなす。
なぜなら、先ほど述べたように学校というしがらみが生徒を余計に苦しめ逃げ場を閉ざし、命を絶つという結末をもたらしているからです。
さらに、自殺した生徒の後ろに、自殺しないまでも苦しんでいる生徒がいることも忘れてはいけません。
自殺しないからいい、表に出てこないから無視していいという訳ではないのです。
これらの悲劇をなくし、もっと生徒たちに生きる喜びと希望が持てるようにしてあげたい。
葛西TKKアカデミーはそんな生徒たちの居場所となり、彼らを全力で支えたいと考えています。
思春期の子供は多感で純粋、しかし経験や知恵が不足しているので必要以上に事態を大きく受け取ってしまいます。
そして今しか見えず、遠い将来なんて想像もつかない。
問題の出口が見つからずどんどん自分を追い詰めてしまう。
その過程で子供はたくさんのSOSを出しているのだが、周りの人間は正しく読み取ってくれない。
いろいろな苦しみの壁にぶち当たり、ある時ついに限界がきて自殺してしまう。
これは悲しすぎる。
とにかく生きて。
生きていればだんだん知恵もつき要領もよくなり、よい意味でずる賢くなる。
実は学校は特殊な環境で、これが一生続くのではないと分かる。
そして大人になったとき、あの時思いとどまってよかったと思えることもあるでしょう。
ただ、それまでは苦しいと思います。
辛いでしょう。
だからこそ、葛西TKKアカデミーは子供たちに寄り添い、彼らと真剣に正面から接したいです。
近くに分かってもらえる人がいると思えるだけで子供たちの救いになれます。
逆に適当な対応をすれば子供たちにも分かります。
苦しんでいる子供たちの居場所になりたい。
若い命を救えればと常々考えます。
子供たちの自殺に向かう兆候にいち早く気づき、それを防ぐにはどうすべきか。
自殺に至るにはそれなりに追い詰められ、その状況から自殺以外の選択肢はないと判断する心理があるのです。
これを理解し、子供たちの尊い命が犠牲にならないように、我々は対処していかなければなりません。
未来のある若い命が失われることのないよう、心から願います。
2020.05.26
コロナウイルスの影響で長期休校となってしまった学校教育。受験生救済の観点から叫ばれ始めた「9月入学」だったはずなのに、政府が提示するのは小学校入学を中心とする移行案。ちょっと論点がずれていませんか。
コロナウイルスによる混乱で学校教育がストップしています。
しかし、休校期間は地域の状況によりバラバラ。
長く休んでいる学校もあれば、すぐに再開した学校もあります。
加えて、休校となっていてもオンライン授業に対応できている学校(主に私立学校)とそうでない学校(主に公立学校)で授業の進度に差が出ています。
更に家庭の経済状況で、学校以外の教育にアクセスできる家庭とそうでない家庭の間にも教育格差が生じています。
今回の政府のコロナウイルスにおける対応がこのような教育格差を更に大きくしたことは否めません。
特に中学三年生や高校三年生の受験生の中には、そうでなくても教育改革で入試の内容が大きく変わる第一期生となり、昨年の入試制度をめぐるドタバタで制度そのものがどうなるか確定もしていない中、コロナウイルスのせいで学校でも家庭でもまともに勉強が者が多く発生しています。
入試に関連して一番重要な公平性が損なわれている状態であると指摘されています。
教育機会の均等と学ぶ権利が保たれていないのは憲法にも触れる大きな問題であり、何らかの解決策を見出さないといけません。
しかも、早急に決めないと生徒(特に受験生)は何をどうすればいいか分からないまま時間が過ぎてしまい、いざ決定されたときにはもう準備対応できなくなる心配があります。
そのような生徒や保護者、教育現場に携わる人々の心配を理解していないのか、残念ながら文科省は未だに明確な答えを出していません。
ぼんやりとした指針を出して、細かいところはこれぞれの自治体や学校が考え対応しろと言うのが今のところせいぜいみたいです。
このような教育の不公平が増長され、明確な対策も示されないままで本当にまともな入試ができるのか。
コロナウイルスにより生じた教育格差を埋め、十分な準備時間を確保して誰もが公平で納得できる入試を目指して受験生やその保護者などから叫ばれるようになったのが「9月入学」でした。
しかし、文科大臣や総理大臣、東京や大阪の知事などが話すのは、コロナウイルスをきっかけにして学校の入学時期を9月にしてしまおう、そうすることでグローバルスタンダードに合わせようということ。
受験生に生じている不公平を是正するのが中心ではなく、この機会に外国と入学時期をそろえようという拙速な思い付きで、生徒や保護者の気持ちを分かっていないように思えます。
だから、文科省の提示する案は学校制度全体をどのようにして「9月入学」に移行させるかばかりで、特に小学入学に関することばかりです。
しかも内容によっては何年もかけての移行。
つまり、今の受験生が今必要としているのにそのことは全くお構いなしという政府の立場がうかがい知れます。
「9月入学」についての詳しいお話は後日しますが、ここで強く言いたいのは、文科省を始めとする政府は本当に庶民の気持ちや状況を理解しているのかということ。
理解していないから論点がずれているのではないかということです。
入試制度改革を始めとする教育改革のときもそうでしたが、政府は国民の声に耳を傾けず自分の考えをひたすらごり押しする、理想ばかり言って具体的には現場に丸投げ、しかも十分な援助もなし。
そうして十分な環境も整っていないまま見切り発車され、最終的に一番被害を被るのは生徒たちです。
今回もそうです。
本当に無責任と感じます。
本当に受験生救済のための「9月入学」であれば、9月入学させるのは今の高3、中3(場合によっては小6も含む)だけでよく、こうすれば受験までに1年以上の時間が確保できるので、受験生間の教育格差はかなり軽減できると思います。
(費用的にも他の案より少なくて済むのではないでしょうか。)
残念ながら先ほど述べたようにコロナウイルスの休校期間中の生徒の状況により既に格差は生じており、それを完全になくすことはほぼ不可能ですが、しないよりはかなりましです。
そして、これらの学年の入学後の初年度は半年になります。
半年で消化しきれない履修項目は次年度以降に徐々に修学するのがいいと思います。
その時、生徒が無理なく習得できるように学習内容は厳選し、できるだけ不可欠なものだけに絞る必要があります。
また、今年度から開始されるはずだった新指導要領を延期。
もともと野心的であった新指導要領は準備不足の状態で始められようとしていたので、これを一旦リセットしきちんとできる状態になってから始めるべき。
(この新指導要領に関しても後日お話したいと思います。)
旧来の学習内容であれば新指導要領よりも授業時間も少なくて済みますし、教員たちも未経験の指導法をするよりは慣れた教授法の方が指導もしやすく、効率よく教えることができると思います。
それでも失った時間は大きいので、学習内容をよく吟味し必要最小限のものにし、一刻も早い挽回を目指す。
生徒も自分がすべき勉強がはっきり分かれば勉強にも精が出ます。
これらの受験の学年は卒業時期が半年ずれるので、その間は教員不足が生じるので臨時教員を確保しなければなりません。
むしろこれを機会に教員の数を増やし、教室数も増やし、一クラス20人以下にするのがいいと思います。
コロナウイルスの件を別にしても、今の一クラス当たりの生徒数は多過ぎます。
少子化傾向にあるのに相変わらずぎゅうぎゅう詰めの教室のままでいたことは疑問です。
確かに一人当たりの生徒に欠ける費用がかさむかもしれませんが、それはいいではありませんか。
教育の質を高めましょう。
資源の少ない日本の世界に対抗できる力は人間しかありません。
もっと人間に投資しましょう。
「9月入学」が取りざたされていますが、政府の目指す「9月入学」は生徒が求めている「9月入学」とは違う気がします。
本当に生徒のためになる「9月入学」を考えましょう。
葛西TKKアカデミーは「9月入学」の問題に限らず、現在の生徒の状況、そして学校教育に関して危機感を持っています。
問題も多く生徒が本当の意味での学びが十分でないと感じています。
どのようなことても構いません。
教育で困ったことがあれば遠慮なくご相談ください。
必ず力になります。
2020.05.24
緊急事態宣言が解除されつつあるなか、文科省が『学校の新しい生活用式』を各教育委員会に通知しました。感染リスクのレベル別に学校生活をどのように行うか示しました。
政府による緊急事態宣言が地域ごとに徐々に解除されるにつれ、学校を再開、または再開に向けた動きが始まっています。
22日、文科省は学校再開に関して、『学校の新しい生活様式』という新型コロナウイルス感染防止のためのマニュアルを全国の教育委員会に通知しました。
休校が長引く中、コロナウイルスの感染リスクは理解しつつも、これ以上の休校が生徒たちの教育に与える影響を考え、学校再開の声が多く上がっていました。
政府の緊急事態宣言がどんどん解除に向かう中、文科省はコロナウイルスの完全収束を待たずに学校再開を考えているようで、現にいくつかの自治体では学校再開が始まっています。
その他の自治体でも近々再開する見込みで、これに伴い文科省は具体的に学校生活をどのように行うべきかを示しました。
それによると地域の感染レベルを三段階に分け、それぞれのレベルに応じた対応が求められています。
レベル1
「感染観察」に相当する地域で、レベル2以外のもの。
学級内では1メートルの間隔を取るように努める。
感染リスクの高い教科活動(理科の実験、合唱、管楽器演奏、調理実習、密集運動など)は感染対策をして行う。
部活も同様。
給食は衛生管理を徹底し、通常の提供方法で開始。
休み時間は体が接触する遊びはしない、会話は一定距離を保ちながら行う。
レベル2
「感染観察」及び「感染拡大注意」に相当し、感染経路が不明な感染者がいたため当面は要注意な地域。
学級内ではできるだけ2メートル(最低1メートル)程度の間隔をあける。
感染リスクの高い教科活動や部活はリスクの低い活動から徐々に行う。
給食は通常の提供方法に徐々に戻す。
トイレ休憩は混雑回避のため動線を提示。
廊下では私語を慎む。
レベル3
「特定警戒」に相当する地域。
学級内ではできるだけ2メートル(最低1メートル)程度の間隔をあける
感染リスクの高い教科活動は行わない。
部活は個人や小人数でリスクの低い活動を短時間で行う。
密集が発生する運動、接触が多い活動はしない。
給食は配膳省略などの工夫をする。
トイレ休憩は混雑回避のため動線を提示。
廊下では私語を慎む。
これは政府の専門家会議が示した都道府県ごとの「特定警戒」「感染拡大注意」「感染観察」の区分を参考にレベル分けわれており、各レベルにおいてどのような行動、対策をすべきか述べられています。
集会や教室での配置は目安となる感覚が取れるように工夫をし、必要ならば分散登校や時差登校をするように提案しています。
授業における活動についても、距離が近いものはレベル3では行わず、レベル2ではリスクの低い活動から徐々に実施を検討するよう求めています。
生徒や教職員は常にマスクをつけるようにする一方、熱中症の恐れがある場合や体育での授業では必ずしもつけなくて構わないことになっています。
医者から登校すべきではないと判断されたり、感染の恐れで保護者が欠席を希望した場合は欠席扱いせず、「出席停止・忌引きなどの日数」として記録することも可能とした。
個人的にこのマニュアルから感じることは、具体的なようで結構分かりにくいということでした。
学校の警戒レベルと地域の警戒レベルがどの程度一致しているのか、保護者や生徒・学校関係者はどのようにしてそのレベルを知ることができるのか分かりにくかったです。
(多分、教育委員会が通達するのでしょう。)
特に距離の問題は、すでに一教室40名程度の生徒がいるクラスでどのように間隔を確保するのか示されていません。
いくら席をずらすなどの工夫をしてもこれだけの距離を開けるのは無理でしょう。
そうするとクラスを分け、一教室当たりの人数を減らすのが現実的ですが、そうした場合どのようにして余分の教室を確保するのか、またクラスが増えた分(それに伴い授業の数も増える訳ですが)の教員をどのように確保するのか書いてありません。
現行の人数でやるにはクラスを分散することも考えられますが、そうすると平時でも激務な教員の仕事がより増すことになり、肉体的精神的限界に達すると思われます。
これは最も根本的な問題で、ここを解決しないことにはこれらの対策は無理です。
夏休みの縮小も叫ばれていますが、猛暑の中、エアコンもなく(あったとしても密室を防ぐために窓は開けっぱなしになるので使えないでしょうが)、パソコンなどのICTも備わってない状況で、会話もできず体を自由に動かすことも止められて、生徒たちの学校生活は大丈夫でしょうか。
成長期の彼らの体への影響、そして思春期での心への影響が心配されます。
この辺りもカウンセラーなど十分なケアができる体制が必要なのですが、そこも具体的にどのように対策するのかよく分かりません。
今回のコロナウィルスに関する件では、平時のときにいかに学校環境を改善してこなかったか、その怠慢ともいえる体質がもろに現れたように思われます。
海外の教育先進国ではコロナウィルスによる休校になっても十分に教育は保障され、再開もスムーズに行われています。
しかし、日本ではそうはいきません。
日頃から教育に対する投資を怠った結果と言わざるを得ません。
これを機に政府は予算の配分を考え直し、将来を担う人間の育成に本気で取り組んでほしいと思います。
コロナウィルスによる混乱の中、政府は形式的な目標や指針を示すだけで、具体的にそして実践的にどう取り組むのかは現場に丸投げして深く考えていません。
自分の責任逃れの言い訳ができる程度にしか考えず、本当に現場の生徒たちのことを思っているのか疑問です。
このような状況なので葛西TKKアカデミーは真に生徒のことを考え、教育の手助けをしたいと思います。
一人ひとりに正面から向き合い、共に歩み、生徒たちの力になります。
2020.05.14
コロナウイルスによる休校の影響でオンライン学習が注目されています。今回はオンライン学習には叶わないことから学校の意義を考えてみましょう。
コロナウイルスの影響で学校の休校が続きます。
集団感染を防ぐため生徒たちは登校せずに外出も自粛されています。
学校からは課題が出され家庭学習となっているのですが、実質的な授業がないのでそれにも限界があります。
学校がなくなったことによって起こる勉強の遅れや家庭内のいざこざに対する不安や心配の声が上がっています。
そこで注目されるようになったのがオンライン学習です。
スマホやタブレット端末、スマホなどを使いインターネットを利用して勉強を行います。
学習ドリルのようにアプリをダウンロードして提供される授業動画を見て勉強の理解をし、付随している問題を解き学習の定着を図ります。
または、zoomなどの双方向のICTを利用して、学校から配信されるライブの授業を受けれるものもあります。
政府としても教育のICT化を進めていますが、現実にはなかなか進まず全生徒にタブレット端末やパソコンが揃わない状況です。
しかし、一部の公立学校や多くの私立学校ではICT化が進み、すでにオンライン学習を実践している所もあります。
このコロナウイルスによる混乱で学校に行けなくなったとき、自宅にいながら授業が受けられる仕組みとしてオンライン学習が評価を受け、全国的に一刻も早いICT化とそれによる家庭学習の振興を求める動きが高まっています。
(学校に行けないからと言って生徒たちをいつまでも教育をストップしておくわけにはいかないですからね。)
とは言え、安易にオンライン学習さえできればもうなにも必要ないという、オンライン万能主義には危険です。
オンライン学習ができないことや不得意なことを考え、現行の教育の意義を考えることは十分に価値があると思います。
本日はその点について議論してみましょう。
コロナウイルスに限らずオンライン学習が活用できるということは不登校や遠隔地教育、病気療養のために学校に行けない生徒にも学習の機会を広げるという意味で有効です。
また、学習の近代化はある部分、勉強効率を上げることにもつながりメリットがあります。
(例えば、生徒が一斉に解いたテストをオンラインで提出すれば瞬時に採点されその評価が記録され個々の得手不得手だけでなく全体としての傾向も簡単に知ることができます。)
子供たちの好きな動画やゲーム感覚の演習などで勉強に興味を持たせ、より深い学習につながるとも考えられています。
コツさえつかめば図書館などで調べるよりずっと簡単に資料や論文を手にできます。
しかし、学校教育という仕組みを考えたとき、オンライン学習だけでいいかというとそうでもないような気がします。
単に知識の習得が目的であればオンライン学習で十分で学校は必要ないように思えます。
では、何のために学校があるのでしょうか。
それは「人と人の交わり」ではないでしょうか。
人間が社会的動物であり、いくら技術が発達しても人の交わりなしに一生を過ごすことはできないでしょう。
人間から社会性を奪ってしまえば健全な人間は育たないと思います。
だからこそ、学校などの物理的に人間が生身で接触できる場が用意されているのであり、いい意味でも悪い意味でも人との触れ合いの中から知識以上の知恵や意義を見出していけるのではないでしょうか。
このような人格形成や社会性を身に付けるのも教育の欠かせない役割です。
もちろん現行の教育が完璧でオンライン学習に反対している訳ではありません。
今の学校教育は問題だらけだし改善の余地は大いにある。
オンライン学習の有用性は間違いなく否定できるものではなく、活用していいと思います。
どちらか一方の二者択一と考えるのではなく、お互いの長所を生かし短所を補い合うことで、より生徒のためになる教育を目指そうと思うのです。
子供の成長には個人差があり、早い子もいれば遅い子もいます。
現行の教育ではこれらの生徒を全て同一のクラスに配し、同じ授業を行うのだから個人個人で見れば不公平だし、順列が評価の基準となっているから、人間の一面だけ取って優劣を小さい頃から付けられる。
これにより子供たちが優越感や劣等感を持ち、いじめや様々な弊害を引き起こすこともあります。
オンライン学習であれば個々のレベルに応じて学習進度を変えることもできます。
この点において音来学習は有効です。
しかし、社会は多様な人間の集まりであり、その中でもうまく付き合っていける力が無いといけません。
これは実際に本人たちが自分の経験を通して出ないと分からないことです。
何も問題にぶち当たらず大きくなれば幸せな子供時代なのかもしれませんが、大人になったときに大変です。
むしろ、いろいろ失敗し、悩み苦しみ、その中でいろいろ考え人間をそして社会を理解していく方が、世間に出たときに強い人間になれると思います。
痛みを知るからこそ、人にやさしくもなれるでしょう。
当然、加減や相手の気持ちなどが十分に分からない子供たちだから、それをフォローし支えてやる大人の存在は非常に重要であり、そんな責任を持つ教育が必要です。
SNSの発達はいじめなどの問題行動をより表面化させにくくしています。
そんな時に周りに誰もいないと子供たちは孤立し、有効なアドバイスや相談相手がいなければ解決方法が見つけられず、将来に絶望し、最悪自らの命を絶つこともあります。
そうでなくても、外部は怖いものだと思い込んだり、人とどうして接すればいいか分からなかったりして、自分の殻に閉じこもってしまうかもしれません。
人間として社会の中で生きていくことを考えたとき、これは知識以上に大変な問題です。
そのようなことにならないためにも学校という場が不可欠であり、オンラインで全てやってしまえばいいというものではのだということを強調したいと思います。
2020.05.13
勉強の遅れは卒業までに取り戻せばいい!?最上級生はどうなるの?文科省がまた一つの方針を固めたようです。
連日のようにコロナウイルス関連の記事を書いていますが、本日、学校再開に関して新たなニュースが飛び込んできましたので考えてみたいと思います。
そのニュースとは、現在コロナウイルス感染防止のため一斉休校が行われていますが、それに伴い生じた勉強の遅れは複数年で解消することを認める方針を文科省は固めたというものです。
これはどういうことでしょうか。
学校教育には学習指導要領というものがあり、各学年が学ばなければならない内容を示しています。
そして、学校はこの指針に基づき授業を行います。
しかし、コロナウイルスによる休校で現在、授業が行えない状態に陥っています。
学校教育は学習指導要領に従って各学年で学習する内容を習得させなくてはならず、授業がない状態が続くということは年度の残された時間内に全ての履修項目を教えることが困難、または不可能になるということです。
それを解決するために様々な案が出されていますが、どれも一長一短であります。
今回の方針はその選択肢のいくつか(9月入学、履修項目の縮小など)を放棄したことを示しているように思われます。
しかし、文科省の表現では「複数年で後れを取り戻すことも認める方針」であって、明確に9月入学や履修項目縮小を止めるとは言っていません。
全てを明確にせず曖昧なまま時間ばかり過ぎ、渦中にある学校現場や生徒、家庭は身動きが取れないまま不安と混乱が増すといういつものパターンがここでも見られます。
特に受験を考えるなら一刻も早く決めてもらえないと準備が間に合わなくなります。
生徒や保護者には一生の問題で人生を左右されるかもしれないという心配と焦りがあるのに、政府の対応はそのあたりを全く理解していないように思われます。
「いろいろな意見があるが大いに議論して決めていただければいい」という発言は他人事のように聞こえます。
そして、いつものように無茶な指針(目標、ゴール)だけを提示して、その詳細や実践は一切現場に丸投げ。
大学入試改革のときもそうですが、今回も同じことを繰り返すように感じられます。
緊急事態だからこそ、責任逃れのための方便(に思われるようなこと)ばかりではなく、学校教育の長がリーダーシップを発揮し、この未曽有の教育危機を乗り切れるようにかじを取ってほしいです。
正直頼りなさ過ぎて悲しいです。
にもかかわらず権限だけは握っているからこのような文科省の態度では現場は身動きが取れない。
生徒のためと言いつつ自分の保身ばかり考えていると批判されても仕方ないでしょう。
実は今年度から学習指導要領が新しくなり、21世紀型教育と呼ばれる教育に学校が変わっていくはずでした。
これは小学校から大学まで巻き込む戦後教育史上最大の改革と言っても過言ではありません。
(細かいところはここでは述べませんが、これまでにも教育改革について書いた記事がいくつかあるのでそちらを参考にしてください。)
この教育改革は理想的すぎるくらい高度な教育を要求し、その開始は2020年度(オリンピックイヤーだから)という点は当初から決定しており、実際にはその準備や教員の訓練などは十分でないまま見切り発車された形です。
教育改革の是非はこの際置いておいて、今年度から学習内容が大幅に増え、教授法も高度になりまともにやれば時間もかかり、しかも教員にもかなり高いレベルの技能が要求されます。
これまでの学校教育とは別物と言っていいレベルのものです。
それを今年度からやらなければならない矢先に今回の騒動です。
これまで以上の濃い内容の教育をこれまでよりずっと短い期間で修めなければなりません。
今回のニュースは文科省に学習内容の精査厳選は必要なく、履修内容に変更なしという意思を示したとも捉えられます。
本当はそこまで考えていないのでしょうが、世間にはそのようなメッセージで伝わります。
そこまで不慣れな教育にこだわる必要があるのかというのが正直な感想でもあります。
オリンピックも延期されたことだし、きちんと用意ができてから教育改革を行えばいいので、このような緊急事態ではむしろ教育内容を精査にできるだけコンパクトにすることで時間を確保し、生徒への負担を減らしつつ確実な教育を身に付けさせるべきではなかと思います。
いくら高度で理想的でも実践できなければ教育改革も絵にかいた餅です。
文科省の本気度には疑問を感じます。
現に、ICT化は遅々として進まず、公立学校のほとんどが全生徒にタブレット端末やパソコンが行き届いてない状態です。
ここでも口先だけいいこと言って後は現場に放り投げるという無責任さが感じられます。
低学年は複数年で後れを挽回するとして、最上級学年はどうなるのでしょうか。
文科省によると、卒業年次の小6と中3(残念ながら義務教育でない高3については何も触れらえれていません。本当は最も今後の動向をはっきりしてほしい学年であろうはずなのに)は分散登校で優先的に登校させるなどして本年度中に後れを取り戻すように求める。
ここでも「求める」と現場任せで自分たちは相知らずに聞こえます。
本来受験に直接関わり他学年以上に多くの勉強時間を必要とするこれらの学年に、より短い時間で終わらせろと言うのは酷な話です。
学校だけでは無理(体裁だけ整えるなら話は別ですが)で塾など学校以外のサポートにアクセスできる家庭でないと受験には太刀打ちできないでしょう。
コロナウイルスで学校間、地域間、そして家庭の経済的状況で教育格差がすでに生じていると指摘されていますが、それをより大きくし全生徒の学ぶ権利が保障されないという、学校教育が最も重要な点が守られないということが分かっているのでしょうか。
教育の平等性、入試における公平性が傷つけられます。
因みに、学校再開はコロナウイルスが完全に終息してからではなく、感染リスクを避けながらの再開になることを文科省は想定していると「分散登校」などのキーワードから伺いしれます。
分散登校や一学級の人数削減はこれまで以上の教室と教員を必要とします。
教室確保においては公民館や図書館などの学校以外の施設の活用を考えているみたいです。
ただ問題はコロナウイルス感染リスクを抱えたままの学校教育に卒業年次の生徒を優先させるということは、彼らの感染リスクをより高めることになり、受験という大事な時期に病欠または登校停止になる恐れがあるということです。
また、感染症という性質上、感染者が現れれば当然その周囲の人間も登校できなくなり、教室単位、学校単位でまともに受験準備のできていない生徒が発生するのではないでしょうか。
こんなことで本当に受験に立ち向かっていけるのか心配です。
文科省は形だけでも修業させることが大事で、今回の方針ではそこまでは考えていないのではないでしょうか。
長くなってしまいましたが、今回のニュースに関していろいろ考察してみました。
いろいろな所で学校教育が混乱しているのに、そのトップはのんきに見えます。
もっと真剣に子供たちと彼らの将来のことを考えてほしいです。
そうしなければならない自覚すらあるのかと疑います。
現在、この混乱に巻き込まれて不安な日々を送っている生徒及び保護者の方々には、その胸中お察し申し上げます。
私も今回の件に関しては本当に心配で何とかしないといけないと常に考えています。
小さな私塾ではありますが、一人でも多くの子供たちを救いたいと思っています。
絶対に力になります。
困ったときは何なりとご相談ください。
全ての子供たちを応援します。
2020.05.11
学校再開に関して様々な案や意見が出されています。では、現状ではどのようなシナリオが最もありえそうでしょうか。
休校が長引くと授業ができず、勉強が遅れることが懸念されています。
長引けば長引くほど年度末に近づき、同時に後れを取り戻すゆとりも減り、生徒にかなり集中的な勉強を課すようになるかもしれません。
もしくは、時間的に挽回は無理かもしれません。
いずれにしても、生徒の負担を考えれば、早期の再開が望ましいと思われます。
しかし、依然としてコロナウイルスに脅威は去っている訳でなく、学校再開が新たなクラスターを生み、生徒の集団感染を引き起こす可能性は否定できません。
では、どうすればいいか。
その方策は以前、こちらの記事で書きましたので、それを参考にしてもらいたいと思いますし、また関連の記事を今後も執筆する予定です。
今回議論したいのは、現状の世論や政府の動向を見て、個人的ながら今後どのようなシナリオで学校が再開されるのか考えてみたいと思います。
福岡やいくつかの自治体の中ではすでに、休校による勉強の遅れを取り戻すため夏休みの縮小、土曜登校、7時間授業を視野に検討を表明しているところがあります。
半数以上の自治体は夏休みを短縮や学校行事の縮小は地方を中心に半数以上の自治体が行う見込みです。
このことが意味することは、自治体としては可能な限り早く学校を再開する方針だということです。
コロナウイルスとの兼ね合いで保護者や社会にどのような説明をするかは別として、教育委員会ではこれまで失った授業時間を学校行事を削ったり、休日や放課後を返上して確保することで、年度内に学習指導要領の内容を終了させるという考えであることが伺えます。
これは比較的制度の変更や費用を伴わず、分かりやすく達成しやすい方法ではあります。
(様々な対策案は『学校再開に向けた動きが出始めています。再開した時にどうやって遅れを取り戻すのか。いくつかの案の利点と問題点を考えます。』の記事を参考にしてください。)
しかし、これは教育委員会などやらせる立場の人間にとっては簡単な施策ですが、学校の教員や生徒には非常に大きな負担を強いることになります。
今年度から新学習指導要領になり、小学校の英語などこれまで以上に学習内容が増え授業時間も多くなったのに、それに加えて遅れた分の授業を追加する。
しかも、終業時期はこれまでと同じ。
これは現場にかなり集中的で圧迫された教育を強いることになり、教員も生徒も疲弊するでしょう。
このことが子供をより勉強嫌いにさせる危険性も高いです。
しかも、コロナウイルスの完全収束を待っての再開ではないでしょうから、そうするとコロナ対策をしながら学校の活動を行うようになる。
当然、様々な制約が生まれこれまでのような十分な学校教育は提供できないことになります。
密集を防ぐため、席を開ければ当然一クラス当たりの生徒を減らさなくてはならず、そうすると教室(授業数)は増え、これまでと同じ教員数ではとても手が回らないでしょう。
相当数の教員の追加が求められますが、果たして確保できるのでしょうか(恐らく難しい)。
体育や音楽も体が接触するもの飛沫が起こることはできなくなります。
バスケなどのスポーツや合唱などは行えません。
給食も感染を心配し、お弁当形式で生徒は同じ方向を向いたまま、おしゃべりもなく食べます。
休み時間も外で騒ぎながら遊ぶことは許されないでしょう。
修学旅行や運動会など、学校生活の思い出になる行事も中止または縮小になるでしょう。
こう考えると学校生活は非常に味気ないものになります。
全てに勉強の遅れを取り戻ことが優先され、学校生活の意義は後回しにされるでしょう。
しかも、コロナウイルスの感染リスクを常に考えながら。
ここまでして早期再開を目指す必要があるのか疑問ではありますが、文科省や自治体はこちらの方向で現在話が進んでいるようです。
これを行うのはかなり困難で、お上の要望を満たしながら現場の対応をするのであれば表面的な実施で留まるのではないかと思います。
つまり、やりましたという形式だけは整え、実際にどのようにやって生徒が勉強を習得したかどうか、学校生活を豊かに過ごしているかどうかは二の次ということになるでしょう。
現実的に妥協点を見出せばこうするしかありません。
文科省や教育委員会の体裁を取るために生徒が犠牲になると言っても過言ではないと思います。
最近ますます世論から指示を得ているのに「9月入学」があります。
こちらも以前書いた記事を参考にしてください。
特に受験生とその親からはこの案が当初より出され、世間的にも理解の動きが広まっています。
この時期に3か月も授業が行われないことは受験生にとって致命的です。
しかも、学校や地域、また家庭環境によってオンライン授業などで、休校中でも授業が受けられた生徒とそうでない生徒ができ、学習格差が生じている。
公平性を重視するならばこの不公平をなくすために、9月から新年度として受験生のスタートラインを一律にそろえるべきだという考えです。
(すでに格差が生まれているので差を「0」にすることはできませんが、小さくはできるかもしれません。)
しかし、これは受験生だけでなく学校制度全体に関わる問題で、制度の改定や時期の変更に伴う様々な費用と問題点、そしてこれは社会制度にも関わってくるので、学校教育だけで決められる問題ではないというのが文科省や教育委員会の立場のようです。
一応、選択肢の一つと言って今は否定していませんが、この変更を行うなら今すぐ取り掛からないと、今年の9月には到底間に合わないと思います。
しかし、政府はいまだに「9月入学」を表明せず、準備にも取り掛かっていないように思えます。
すなわち、「9月入学」の意思はないと見なしていいと思います。
残念ながら、今年の受験生は非常にタフな状況に陥ることになります。
そうでなくても新制度で入試が今年度から変わり、その制度自体も去年から引き続き指摘されている問題点に回答も出されないまま、どうなるかはっきりせず翻弄されいるのに、それに加えてコロナウイルスによる休校と学習格差。
本当に不幸としか言いようがなく、かわいそうで仕方ありません。
必要であれば、葛西TKKアカデミーがいつでも力になります。
要点をまとめると、私見ではありますが、文科省や自治体は可能な限り早期の学校再開を目指すでしょう。
そこには「9月入学」という選択肢はないと思われます。
だから、受験生は相当大変な受験勉強をしなければなりません。
受験生以外も、学校の授業が集中的に行われ教員も生徒もかなりの負担を背負わなければならなくなります。
政府としては年度内に学習内容をやったという事実だけが重要なので、生徒が勉強を身に付けているか、学びを楽しんでかは関係ありません。
分からないからと言って一人ひとり指導していく余裕はありません。
形式だけ整えて無理やり進学させるから、生徒の置かれている環境で勉強の格差が生じます。
今の生徒は学校から教育格差を是正する手立てもなく、受験・進学をしなくてはなりません。
しかも、新学習指導要領になる勉強はこれまでより一段と高度なものになっており、合わせてついていけない者は格差をることもできずに学校教育を終えなくてはいけません。
これは教育格差であると同時に社会格差でもあります。
これらは非常に深刻な問題でありながら、学校では解決できないだろうし、文科省や教育委員会が手を差し伸べてくれるわけでもないでしょう。
全ては自分たちでどうにかしろということになると考えられます。
本当に教育の危機です。
弱い立場の者はますます弱くなります。
学びたいものが自由に学べないのは憲法の理念にも反します。
葛西TKKアカデミーはこれを許しません。
学びたくても学べない生徒を助けます。
困ったときは遠慮なく、葛西TKKアカデミーを当てにしてください。
2020.05.06
コロナウイルスの影響で日本の教育は混乱を極めています。海外はどうでしょう。教育の先進国と言われるオランダの公立小学校の例を見てみましょう。
コロナウイルスの脅威が世界を席巻しています。
日本では総理大臣の休校要請により、3月2日から春休み終了まで学校を休みにすることを決めた自治体が多くありました。
その後も収束の兆しが見えず、生徒の安全を考えゴールデンウィーク明けまでに延長。
更に再延長。
中央からの突然の休校の通達により、学校の現場、家庭は大混乱。
学校では、三学期も半ばでまだやり残している授業をどうすればいいのか、年度末の行事の多い時期にどう対応すればいいのか、何よりも早急の問題としてすぐに始まる休校の間、生徒をどうさせればいいか。
十分な時間も与えられず準備もままならないまま休みに入ってしまいました。
家でも急に子供が家で過ごさなくてはならなくなり、親がはたらいている間どうすればいいのか。
特に一人で留守番のできない低年齢の子供のいる家庭では、誰に子供を見てもらえばいいのか。
突然のことに何も分からないまま休みに突入したわけです。
突然の休校と混乱、そして十分な対応がなされないまま月日が過ぎてしまいました。
では、海外ではどうだったのでしょうか。
何か日本のヒントになるかもしれません。
ここではユニセフから「世界一の教育」と認定されたオランダの例を見てましょう。
これはオランダで新型コロナウイルスの脅威が広がり、日本と同じように学校が休校となったとき、実際にオランダに在住していた日本人の母親の話です。
突然の休校
3月15日の午後5時半、政府から学校及び託児所の一斉閉鎖が言い渡されました。
しかも、休校は翌日の16日からとりあえず4月6日まででした。
日本と同様に、オランダの学校も突然のことで驚いたそうです。
なぜなら、3月12日では首相が「学校の休校はない」と発言していたからです。
だから、誰もがまさかこんなに急に発言が覆されると思ってなく、十分な準備はしていませんでした。
更に政府は医療、警察、公共交通機関及び消防等に従事する親のため、学校及び託児所での受け入れを無料で手配すると、緊急提言に付け加えました。
これは学校は休校準備のみならず、そういった職業の保護者をもつ生徒の把握を行わなくてはならないことを意味していました。
テレビの緊急提言の数分後には、日曜にもかかわらずすでに学校から保護者当てにメールが届きました。
その内容は、休校中の預からなくてはならない生徒を把握するため必要な家庭は教えてほしいこと、翌日には教師と遠隔教育を実現する方法について計画立てること、可能な限り最高の教育を提供するため最善を尽くすことだったそうです。
このメールによってこの母親は教育が止まることないのだと安堵しました。
1日目
学校から何通ものメールが届く。
その要点は
1.休校中の勉強は水曜日(翌々日)から始められるように努める。
2.「Social School(学校と保護者との連絡用アプリ)に生徒本人のアカウントを作ること。休校中はこれで生徒と教師がやりとりする。
3.教材アプリを使ってオンラインで行う勉強もある
4.デジタルデバイスやwifi環境が無ければ教えてほしい
ということでした。
オランダの小学校ではデジタル化が進んでいて、通常授業にiPadなどをすでに導入して授業を行っています。
ここで使ているアプリを自宅学習でも活用するのだそうです。
家庭に複数人の子供がいて全員にデジタルデバイスが行き届かないときは、学校が貸し出しなどで柔軟に対応することもできます。
2日目
予告通り水曜には自宅学習用の教材の用意ができ、各家庭が取りに来るように連絡が入った。
日本と同じように感染を防ぐため、可能な限り一人で取りに来て、受け渡しは強者の入り口、イニシャルごとに時差で来校するようにしました。
3日目
教材の受け渡しが行われました。
既にバッグに入った教材が用意され、受け渡しはものの数秒で終わりました。
中には、休校中3週間分の勉強スケジュール、読書記録表、コロナウイルスに関するクロスワードパズル、第二次世界大戦に関するストーリーとワークブック、算数解説プリント、書き取りドリル、新しいノートが入っていました。
(このときは戦争をテーマにした勉強をしていて、その資料をそのまま渡される。)
この時点でオランダの学校の88%でほぼ完全に遠隔教育が実現されたそうで、9割の小学校が似たような速さで遠隔教育の準備を進めたそうです。
4日目以降
こうして自宅学習が始まりましたが、休校中でも教師は生徒と連絡を密に取っていました。
教師はチャットで生徒の質問に可能な限り即答し、オンラインBasisipoortというサイトに教材を用意し、ログインすれば生徒が受け取れるようになっていました。
ドリルなど紙ベースの教材は、一日ごと担任当てに画像をアップロードするようになっていました。
体育の教師が運動のビデオを送ることもありました。
更に毎日あいさつを兼ね教師から生徒へ質問メールも届きます。
内容は「無人島に行くなら誰と行く?」というような他愛もないものですが、これを通して生徒との交流が保たれています。
これだけの体制を突然の休校要請からたった二日で作り上げたことは、称賛に値します。
保護者としては「意外なほどすんなりと移行できた」という印象だったそうです。
オンライン授業よりも自習に重点を置いたのも自宅学習への移行を円滑にした要因ではないでしょうか。
もちろんすでに普段から教育ソフトを活用し、生徒も教師も慣れていたことも大きいと考えられます。
オランダの授業は日本ほど講義中心ではなく、教わるというより自分で学ぶというスタイルがメインなので自宅学習でもさほど支障がなかったのかもしれません。
以上が、オランダの小学生の母親の体験と感想でした。
日頃の教育に対する取り組みの違いが、この有事における対応の違いとなって現れたのではないでしょうか。
いち早くデジタルデバイスを普及させ、日頃からこれらに慣れていたので、自宅学習になってもさほど移行に問題が起きなかったようです。
日本も随分前から導入を言われていたのですが、実際には遅々として進まず、今回の件で慌ててオンライン授業とか叫んでいますが、とても間に合いません。
そして、各学校がほんの二日で休校中の課題を用意できたのは驚きです。
これは教員の教育に対する責任感からか、熱意からなのか。
学校システムの違いも関係するかもしれませんね。
(日本では現場任せでありつつ、裁量の自由度は非常に低いと思います。)
また、学習スタイルも「自ら学ぶ」というもので、日本のように学校に頼りっきりの教育でないことも、自宅学習が可能だった理由でしょう。
そして何よりも、早い時点で学校及び政府が「教育の保障」を明言したことにより家庭の不安を取り除き、安心感を与えられたことが最も大きなカギのように思われます。
こうして心に余裕ができれば、家庭も協力的でいられるし、実際に毎日の教師とのコミュニケーションが目に見えて分かり、学校が実際に子供への教育を疎かにしていないことがはっきりと伝わるのも重要なポイントだと思います。
先行きが全く見通せず不安ばかりの日本の教育とは大違いですね。
オランダの例は大きな社会レベル、学校などの組織レベル、そして家庭や生徒と教師など個人レベルの各レベルにおいて非常に参考になると思います。
しかし、だからと言ってこれらをそのまますぐに日本に当てはめることができるかというと、そうはいきません。
体制が違いすぎます。
では、どうすればいいのでしょうか。
オランダの実践から得られた教訓に学びつつ、日本の現状にどう向き合うか。
文科省や自治体が明確な指針や具体的な対策が示されないのであれば、個人レベルで対応するしかないのではないでしょう。
そして、葛西TKKアカデミーが困ったときは必ず力になります。
どんなことでも構いません。
先ずは相談してください。
救いを求めていることを知らせてください。
そうすれば私たちの手が届きますから。