塾長ブログ

2022.01.21

学校の勉強なんて社会に出たら役に立たないからやっても無駄!はNGワード

子供に言ってはいけないNGワード「学校の勉強なんて社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」

子供たちは毎日、周囲の人からたくさんの影響を受け、それを吸収して成長していきます。
時には、大人の何気ない行為や発言をしっかりとらえ、それが子供たちの人間形成に大きく影を落としたりします。
本当に、「そんなことまで聞いていたの」「そんなところも見ていたの」と驚かされることもしばしば。
だからこそ、大人は自分たちの振る舞いや言葉に細心の注意を払わないといけません。

子供に良い影響を与えるものならいいのですが、まだ分別がしっかりしていないこともに対しては見せたり聞かせたりしない方がいいものもあります(もう少し大きくなって物事が分かってきてからならいいのですが)。
その中で今回はこの言葉をNGワードとして考えてみたいと思います。
「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」

子供はまだ経験が浅く、世の中のことをよく知りません。
これから学ぶことが沢山あり、だからこそ、無限の可能性に満ちた存在といえます。
確かに現実は厳しくつらいものかもしれません。
しかし、まだ幼いうちからそれを知り、妙に斜に構えるようにはなってほしくありません。
できれば、夢と希望に満ち溢れた未来を感じさせてあげたい、そんな風に私は願うのです。

しかし、多くの大人や親がこのNGワードを口にします。
自分自身がこれまで生きてきて実感としてそう思うから、正直に何の気なしに言うのかもしれません。
しかし、この言葉が子供にどんな影響を与えるか考えてみてください。
子育てが一気に難しくなるかもしれませんよ。

この言葉を聞いて、子供はどんなことを思うのでしょう。
勉強が楽しくてやる気に満ちた子供や、これから頑張ろうと思っている子供には、自分がやっている勉強は役に立たないんだと感じ、気持ちが挫けるかも知れません。
大人の他愛無い一言で子供のやる気を潰す必要はあるでしょうか。

また、単純に、「そうか、役に立たないんだったら、勉強する意味はないな。勉強やめよう」と考えるのではないでしょうか。
これは、子供に「勉強をしない」ことに対する免罪符を与えることになり、勉強放棄を正当化させる根拠になります。
そうなれば、いくら親が「勉強しないと将来困るよ」とか、「勉強しないといけないんだから早くしなさい」なんて言っても説得力はなく、言うことを聞かなくなるかもしれません。
勉強嫌いな子供にとっては、まさに伝家の宝刀で、口の達者な子供なら特に、これによって勉強という呪縛から逃れることができるのです。
この言葉を理由にされたら反論できる親は多くはないでしょう。
なぜなら自分(または自分と同じ大人)が自ら言った言葉だから、否定できないし、言葉に対する責任もありますから。

「貧困の再生産」という言葉があります。
教育の価値を理解できず、十分な教育を受けていない親は満足な仕事になかなかありつけず、貧困家庭に陥ってしまう(特に貧富の差が拡大しつつある現代においては、その数も増加傾向にあります)。
日本のような国は、社会的地位の流動には教育が大きく関わってくるのですが、上記のような家庭では、親が教育の価値を十分わかっておらず、子供にしっかりとした教育を受けさせない傾向が強く出てくるそうです。
そうなれば、子供も親と同様に貧困に陥る確率が高くなり、「貧しい家の子供はやはり貧しくなる」という現象が現れてきます。
これが「貧困の再生産」です。
(本来教育は基本的人権の一つであり憲法に保障されているのだから、出自が何であれ、本人が望むなら誰でも十分な教育を受けられないといけませんが、実際はそうではなく、これは由々しき問題ですが、この議論は別の機会に。)

このような家庭環境における親がよく口にする言葉が「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」です。
この何気ない一言が、子供の将来における上昇志向に水を差し、自己肯定感をなくし後ろ向きな思考になるかもしれません。
そして、貧困に陥る可能性が非常に高くなります。
教育、そして子育ては子供の可能性を伸ばしていくものでなければなりません。
しかし、そのような可能性を一気に押しつぶすような、強力な影響を持つ言葉を大人たちはつい言ってしまいます。
本当に気をつけないといけません。

現実を子供に知らしめる親切心と言うかもしれませんが、大きなお世話です(すみません、言い過ぎました)。

そもそも教育とは、将来役に立つか立たないかで割り切る打算的なものなのでしょうか。
いいえ、違います。
方程式や国語文法、英語の仮定法など大人になって使わないからやる必要はないのでしょうか。
教育の目的は学んだことそのものを実社会に出たときに使うことではありません。
様々な側面があり、その手段の一つが学校で習う五教科であったり九教科であったりするのです。

確かに「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」というのは人生の経験を積んできた大人にとって真実の一面であり、教訓だからこそ自分自身そう信じて子供に言うのでしょう。
確かに、現実社会は厳しく小中学校で勉強したことで太刀打ちできるほど簡単ではないでしょう。
「子供の将来のために」と思って勉強をさせている親はたくさんいるでしょう。
しかし、子供は自分の将来がはっきり見えていて、何を勉強しなくてはならないか分かって勉強している者はほとんどいないでしょう。
実際勉強ができる子供は、将来のこと云々ではなく、単純に知的好奇心や知識欲で、もしくはもっとストレートに問題が解けた達成感のようなゲーム的面白さで勉強をしている人が多いです。
それを「将来役立たないから無意味だ」と言われたら、せっかく面白い勉強もつまらなくなってしまいます。

また、勉強するは習ったことそのものを大人になって利用するというよりも、「学ぶ」という過程で知ること身に付けることが生きるうえで重要なことが沢山あります。
つまり、勉強は目的ではなく手段とも考えられるのです。
数学をやりながら論理的説明を理解したり、国語を勉強しながら相手にいかに明確に分かりやすく説明するかということを学んだりです。
問題を解く中で試行錯誤し、「ああでもない、こうでもない」と苦労しながら多面的に物事を見たり考えたり、どういう結果になるか想像や推測したり。
難しいからこそ、もがき考えるうちに忍耐力や根気が育ったり。
嫌な仕事でも最後までやり遂げられる強い意志が持てるようになったり。
実はこのような要素が実際に社会に出たときに不可欠となります。
これこそ勉強の真の目的の一つです。

「学校の勉強なんで社会に出たら役に立たないからやっても無駄!」と言うのは教育を表面的にしかとらえていない発言で、教育の真の意義を知らないのです。
子供たちの生活と心を豊かにしてくれるチケットです。
だから勉強は、こんな声明で価値をなくしてしまうような、そんな薄っぺらいものではありません。
その辺りをしっかり理解していただきたいと思います。

また、同時にこの言葉の持つインパクトを考えると、安易に子供に浴びせかけていいようにも思えません。
人生を長く生きてきた大人が実感を伴って思うことだからついつい口にしがちですが、子供に対していっていいものかよくよく考えてください。

葛西TKKアカデミーでは、ただテストのためとか受験のためではなく、本当に勉強を子供たちが楽しみ、教科書に書いている以上の知恵と教訓、そして学ぶ楽しさを知ってほしいと願います。

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